霊和怪異譚 野花と野薔薇Ⅱ〜エイエン語り〜

野花マリオ

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蜂黒須怪異談∞X∞

0080話「映画喫茶店」

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 街の外れに、少し変わった店がある。
 その名も「シネマ珈琲館」。

 外観は昔ながらのレトロな喫茶店だが、奥へ案内されると驚かされる。
 そこには小さな個室が並んでおり、それぞれに専用のスクリーンとふかふかのソファが備え付けられている。
 コーヒーや軽食を注文しながら、家族連れや恋人同士は好きな映画を一室で楽しめる。
 まるで自宅のリビングに映画館がやってきたかのような──夢のようなサービス。

 だが、その店には一つだけ妙な噂がある。

 「上映終了後、誰もいないはずのスクリーンの中に”こちらを見ている客”が映る」

 ⸻

 一

 私は同僚に誘われて、その店を訪れた。
 平日の夜、個室は思ったより賑わっていた。
 ガラス越しに見える人影の一つひとつが、それぞれの映画に没入している。

 「ちょっとした隠れ家みたいでいいでしょ」
 同僚は得意げに言った。
 私はコーヒーを注文し、店員に案内されて奥の個室に入った。

 扉を閉めると、外のざわめきは一気に遠ざかる。
 照明が落ち、目の前のスクリーンが静かに光を帯び始めた。
 選んだのは古い洋画──白黒のサスペンス映画だった。

 ⸻

 二

 映画は淡々と進んでいく。
 ところが私は、途中から落ち着かなくなった。

 画面の端、映るはずのないところに、誰かが立っている気がしたのだ。
 白黒のフィルムの片隅に、黒ずんだ影のような人物が立ち尽くしている。
 俳優でもなく、エキストラでもない。
 その人物はただ、こちらを見ていた。

 「……ねえ、今の見えた?」
 隣の同僚に尋ねると、怪訝そうに首を傾げた。
 「何が?」
 どうやら彼には見えていないらしい。

 ⸻

 三

 ラストシーンに近づくにつれ、異様さは増した。
 スクリーンの中の登場人物たちが台詞を交わす背後で、件の影はだんだんと中央に近づいてきた。
 やがて画面いっぱいに、その顔が現れた。

 輪郭は曖昧で、まるで映写機の不具合のようにノイズが走っている。
 だが、口元だけははっきりと見えた。
 ──笑っていた。

 次の瞬間、映像が一瞬途切れ、暗転した。

 ⸻

 四

 部屋の照明がつく。上映が終わった合図だ。
 私と同僚はスクリーンを見つめたまま、しばらく言葉を失っていた。

 「……やっぱり変だよ、この店」
 小声で呟いたその時、個室のスピーカーから微かな音が流れてきた。

 「つぎは、あなたの番……」

 同僚は青ざめ、「今の、聞こえたか?」と私の腕を掴んだ。
 私たちは慌てて部屋を出て、カウンターへ向かった。

 ⸻

 五

 ところが、不思議なことが起きた。
 店員に退出を告げると、彼女は心底驚いた顔をしたのだ。

 「……お客様、あのお部屋にはお一人で入られましたよね?」

 耳を疑った。
 確かに同僚と一緒に入ったはずだ。
 だが振り返ると──隣にいるはずの彼の姿が、どこにもなかった。

 ⸻

 六

 その後、どうやって家に戻ったのかはよく覚えていない。
 ただ、夜中に自室のテレビをつけた時のことだけははっきりしている。

 砂嵐の画面の奥に、あの黒ずんだ顔が映っていたのだ。
 そして、確かに私の名前を呼んだ。

 ──シネマ珈琲館の噂は、本当だったのだ。


 ーー「とある〇〇喫茶店」ーー

 草壁草美と中医莉亞も、同じ系列の店を訪れていた。
 名を「ハワイアン喫茶店」という。

 そこは常夏のハワイを模した店内で、ヤシの木の飾りやウクレレの音色が流れている。
 制服の上から簡易的な水着を羽織り、ふたりは笑い合っていた。
 ジュースやパンケーキを注文して、まるで修学旅行気分だった。

 「ねえ、ほんとに海に来たみたいじゃん」
 「うん、でもちょっと……静かすぎない?」

 違和感は、すぐに訪れた。
 ──波の音も、潮の香りも、どこにもない。
 海もプールも存在しないのに、彼女たちの足元だけが濡れていた。

 視線を下げると、床一面に黒い水が滲み広がっている。
 それはゆっくりと、ふたりの影を飲み込むように広がっていた。

 「……ねえ、草美。これ、水じゃないよ」
 莉亞の声が震える。
 黒い液体は、まるでスクリーンの向こうから流れ込んでくるように動いていた。

 その瞬間、壁に掛けられた大きなスクリーンが突然光を帯びた。
 映っていたのは──先ほどまで私がいた「シネマ珈琲館」の個室の映像だった。
 そこに、見覚えのある黒い顔が笑っていた。

 ⸻

 映画喫茶店 完
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