霊和怪異譚 野花と野薔薇Ⅱ〜エイエン語り〜

野花マリオ

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蜂黒須怪異談∞X∞

0042話「版画は高杉」

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「1」

 古谷湧は、石山県文化欄担当の地方新聞記者である。
 アートには疎いが、美術館や骨董市の取材は多く、何となく目利きの真似事はできるようになったと思っていた。
 だが、その日――あの版画を見たとき、彼の中の常識は音を立てて崩れた。

 「それ、今は八百万円ですね」

 古い町屋を改装したギャラリー「幻影堂」でのことだった。
 壁の一角に、ひっそりと飾られていた一枚の版画に目を留めた湧が、値段を尋ねると、店主はさらりとそう答えた。

 「……はち、ひゃく……?」

 墨の滲みのような黒い線が、何本も縦に垂れている。色はほぼ黒一色。背景は灰色がかっているが、細かい筆致や技巧は見当たらない。ただの抽象画にしか見えないのに、八百万円?

 「《降る墨》という題です。値段は日々上がってます。三ヶ月前には五十万だったものが、今ではこの通り」

 湧は驚きを隠せなかった。作者名は「不詳」と記録されていたが、それにもかかわらず異常な高騰を続けている。
 曰く、買えば買うほど値段が跳ね上がり、持っているだけで他人に羨ましがられ、売れば確実に利益が出るとまで囁かれていた。

 「見ていると、妙に惹かれませんか?」

 店主の言葉に、湧は返事ができなかった。
 確かに……墨の筋の中に、うっすらと人の顔のようなものが浮かんでいる気がする。
 それはまるで、墨の中から誰かがこちらを覗いているようだった。

「2」

 それから数日後、湧は一本の訃報記事を担当することになった。
 地元の若手画商が自宅で急死。死因は「出血性ショック」。壁一面には黒い線が墨のように走り、血でこう書かれていたという。

 「版画は高杉だ。これは呪いだ」

 それを読んだ瞬間、湧の背筋に冷たいものが走った。「高杉」は“高すぎ”という意味か? それとも作家の名前か?
 彼が最後に購入したとされる作品が、《降る墨》だったことは、記事では伏せられていた。

 ⸻

 湧のもとに、差出人不明の封筒が届いたのは、その夜だった。
 中には、和紙に刷られた《降る墨》の複写が一枚と、走り書きのメモ。

「これは“呪価版”。値段が上がるごとに、代価を喰らう。
 最後に持った者が“高杉”となる。“最も高くついた魂”の名だ」

 手が震えた。封筒は明らかに“何か”を帯びていた。和紙の感触が妙に冷たく、墨が乾いていないような感触すらある。

 そのとき、スマホに通知が入った。

 《降る墨(複製)出品中/開始価格:7000円/オークションサイト・アートゲート》

「……なっ」

 編集部の誰かが、封筒の中身を勝手に出品したのか。
 慌てて止めようとスマホに手を伸ばした瞬間、画面の中の版画がぐにゃりと歪んだ。
 そして、墨の筋が画面から流れ出し、湧の手の甲にぽたりと落ちた。

 ジュッ――という音と共に、灼けるような痛み。
 見れば、手の甲に黒い筋が刻まれている。
 皮膚の下に、墨がしみこむように染みていく。

 「やめろ……俺じゃない……!」

 その瞬間、部屋の空気が変わった。重い。誰かが背後に立っている気配。
 湧は振り返れなかった。心の奥で、既に理解していた。
 彼は“所持者”になってしまったのだ。

 ⸻

 翌朝、新聞の文化欄で《降る墨・再刻版》が取り上げられていた。
 作者は「古谷湧」と記されている。

 湧は、自分の机でその記事を見つめていた。
 しかし誰も彼に声をかけなかった。いや、誰も彼の存在を見ていないようだった。
 話しかけても反応がない。手を振っても無視される。

 世界の中で、自分だけが“紙の裏側”に落ちてしまったような感覚。

 スマホの画面に、オークションの速報が表示された。

 《降る墨(再刻版)最終落札額:3120万円》

 その瞬間、彼の視界が墨に染まった。

 ⸻

 ――そして、数日後。

 「最近さ、SNSで流れてくるあの版画。名前なんだっけ。あれ、やばくない?」

 「降る墨? 欲しいけど……値段、高杉じゃね?」

 二人の若者が、ギャラリーの展示会で話していた。
 壁には、再刻された《降る墨》が飾られている。
 墨の中には、ぼんやりとした人の顔のような何かが……笑っていた。

 版画は高杉   完
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