58 / 104
蜂黒須怪異談∞X∞
0042話「版画は高杉」
しおりを挟む「1」
古谷湧は、石山県文化欄担当の地方新聞記者である。
アートには疎いが、美術館や骨董市の取材は多く、何となく目利きの真似事はできるようになったと思っていた。
だが、その日――あの版画を見たとき、彼の中の常識は音を立てて崩れた。
「それ、今は八百万円ですね」
古い町屋を改装したギャラリー「幻影堂」でのことだった。
壁の一角に、ひっそりと飾られていた一枚の版画に目を留めた湧が、値段を尋ねると、店主はさらりとそう答えた。
「……はち、ひゃく……?」
墨の滲みのような黒い線が、何本も縦に垂れている。色はほぼ黒一色。背景は灰色がかっているが、細かい筆致や技巧は見当たらない。ただの抽象画にしか見えないのに、八百万円?
「《降る墨》という題です。値段は日々上がってます。三ヶ月前には五十万だったものが、今ではこの通り」
湧は驚きを隠せなかった。作者名は「不詳」と記録されていたが、それにもかかわらず異常な高騰を続けている。
曰く、買えば買うほど値段が跳ね上がり、持っているだけで他人に羨ましがられ、売れば確実に利益が出るとまで囁かれていた。
「見ていると、妙に惹かれませんか?」
店主の言葉に、湧は返事ができなかった。
確かに……墨の筋の中に、うっすらと人の顔のようなものが浮かんでいる気がする。
それはまるで、墨の中から誰かがこちらを覗いているようだった。
「2」
それから数日後、湧は一本の訃報記事を担当することになった。
地元の若手画商が自宅で急死。死因は「出血性ショック」。壁一面には黒い線が墨のように走り、血でこう書かれていたという。
「版画は高杉だ。これは呪いだ」
それを読んだ瞬間、湧の背筋に冷たいものが走った。「高杉」は“高すぎ”という意味か? それとも作家の名前か?
彼が最後に購入したとされる作品が、《降る墨》だったことは、記事では伏せられていた。
⸻
湧のもとに、差出人不明の封筒が届いたのは、その夜だった。
中には、和紙に刷られた《降る墨》の複写が一枚と、走り書きのメモ。
「これは“呪価版”。値段が上がるごとに、代価を喰らう。
最後に持った者が“高杉”となる。“最も高くついた魂”の名だ」
手が震えた。封筒は明らかに“何か”を帯びていた。和紙の感触が妙に冷たく、墨が乾いていないような感触すらある。
そのとき、スマホに通知が入った。
《降る墨(複製)出品中/開始価格:7000円/オークションサイト・アートゲート》
「……なっ」
編集部の誰かが、封筒の中身を勝手に出品したのか。
慌てて止めようとスマホに手を伸ばした瞬間、画面の中の版画がぐにゃりと歪んだ。
そして、墨の筋が画面から流れ出し、湧の手の甲にぽたりと落ちた。
ジュッ――という音と共に、灼けるような痛み。
見れば、手の甲に黒い筋が刻まれている。
皮膚の下に、墨がしみこむように染みていく。
「やめろ……俺じゃない……!」
その瞬間、部屋の空気が変わった。重い。誰かが背後に立っている気配。
湧は振り返れなかった。心の奥で、既に理解していた。
彼は“所持者”になってしまったのだ。
⸻
翌朝、新聞の文化欄で《降る墨・再刻版》が取り上げられていた。
作者は「古谷湧」と記されている。
湧は、自分の机でその記事を見つめていた。
しかし誰も彼に声をかけなかった。いや、誰も彼の存在を見ていないようだった。
話しかけても反応がない。手を振っても無視される。
世界の中で、自分だけが“紙の裏側”に落ちてしまったような感覚。
スマホの画面に、オークションの速報が表示された。
《降る墨(再刻版)最終落札額:3120万円》
その瞬間、彼の視界が墨に染まった。
⸻
――そして、数日後。
「最近さ、SNSで流れてくるあの版画。名前なんだっけ。あれ、やばくない?」
「降る墨? 欲しいけど……値段、高杉じゃね?」
二人の若者が、ギャラリーの展示会で話していた。
壁には、再刻された《降る墨》が飾られている。
墨の中には、ぼんやりとした人の顔のような何かが……笑っていた。
版画は高杉 完
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
それなりに怖い話。
只野誠
ホラー
これは創作です。
実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。
本当に、実際に起きた話ではございません。
なので、安心して読むことができます。
オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。
不定期に章を追加していきます。
2025/12/24:『おおみそか』の章を追加。2025/12/31の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/23:『みこし』の章を追加。2025/12/30の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/22:『かれんだー』の章を追加。2025/12/29の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/21:『おつきさまがみている』の章を追加。2025/12/28の朝8時頃より公開開始予定。
2025/12/20:『にんぎょう』の章を追加。2025/12/27の朝8時頃より公開開始予定。
2025/12/19:『ひるさがり』の章を追加。2025/12/26の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/18:『いるみねーしょん』の章を追加。2025/12/25の朝4時頃より公開開始予定。
※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる