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序章:学園長が知る真実。

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 彼女、あるいは彼がこの学舎に足を踏み入れた。

 新緑の香りが学園に立ち込めるそのとき、六十名の齢十五歳の新入生たちが我が学園「イリュジオン学園」の扉をノックした。皐月の始めに毎年行われている入学式が、ちょうど今始まろうとしていた。それは彼女らの人生の混沌の始まりであり、彼らの学生生活の始まりでもあった。役員の教師や生徒が、どこか緊張した面持ちの新入生たちを会場となるホールへ沈黙の中に柔らかさを交えて誘導している。学園の正装として定められている、赤・黄・青と鮮やかな三色の羽織が入り交じって、実に美しい眺めであった。六十人前後の革靴が砂を擦る音が辺りに響いて、まるでなにかが唸っているような音が小道を支配する。何人かはキョロキョロと周囲を興味深そうに見渡して、また何人かは下あるいは上をただ見つめるだけで、その祝される入学生たちはみなおとなしく沈黙を抱えていた。その成人へと近づき始めているからだの中に、みっちりと詰め込まれた個性はまだ鳴りを潜めている。

 その光景を見守りながら、学園長としての務めを任されているゼンレイ・ゼンチはホールの前方に造り上げられた舞台でゆったりと出番の時を待ち構えていた。舞台裏というのは、案外じっとりと闇を携えているかと思えばそういうわけでもなく、ただただ足音と声が鳴り響いている忙しない場所であった。
とっくに準備を終えていたゼンレイは、司会の生徒のマイクチェックなどを微笑ましく思いながら眺めている。入学式の進行役という重大な責任を任せられた、あそこで今マイクのヘッド部分を手のひらで叩いている生徒も、数年前はあちら側にいたのだ。新入生としてガチガチに緊張して、深紅のベルベッドの椅子の上で固まっていた姿を、今でもゼンレイは覚えている。
ゼンレイが少し思い出に浸っている間、するりと彼女の近くにすり寄るようにして歩み寄った存在がいた。

 私立イリュジオン学園は、この国でも有名な寮生活を基本とするカラー式といわれる教育方法に分類される学園である。設立から早くも百二十年。学園長室に並ぶ歴代学園長の顔も、数年前にちょうど手の指の数を超えた。時代を感じさせる由緒正しい校舎は今もなお不思議な雰囲気を纏わせていて、毎年飽きることなく入学生たちの心を魅了し、鷲掴む。
今は学園長として教壇に立つゼンレイ自身も、新入生として過去にこの校舎の門を跨ぎ、見事にこの学園のとりこになっていた。

 ゼンレイたちが暮らすこの世界では、皆が不思議な力を持っていた。人が原理を説明することのできない、摩訶不思議で多種多能な能力。それはいつしか「コル」と名付けられ、人類の歴史に刻まれていくこととなる。
この世に人として生を受けたものなら、当たり前のようにして持つ「コル」は、たいてい五歳ほどで出現するという。「この色がなんか好き」といった感じで、気づいたら知っているというものらしい。
自身がどのような「コル」を持っているかは、本人にしか詳しくはわからない。家系によってある程度「コル」の種類はわかるらしいが、「コル」を使うことによる代償や効果、発動条件など詳しいことは本人が直接口から言うことがない限り、周囲は知ることができない。ちなみに、ここだけでこっそり教えるとするならば、ゼンレイの「コル」は素手で触れたものの過去を覗くことができる力だった。
 「コル」とは実に様々なもので、人を癒すものから殺傷性を含むものまでたくさんある。なんにしろ、この世の人間の数だけ「コル」が存在するのだ。過去では、互いの「コル」への理解が足りず争いまでに発展することもあったが、今では成人までに必須とされる教育に「コル」への理解を深める過程いわゆる「コル学」を組み込んだことで、比較的平和な世が続いていた。
 各地域で実施される「目利き試験」通称ジャッジメントと呼ばれる、知識量や性格、「コル」を量る入学試験を受け、その結果から選ばれた学校へ入学する。その学校で「コル」や「コル」の制御法、それに加え学術を学び、青春時代を過ごす。そのような形が学生の一般的なものとして馴染んできたところであった。

 ゼンレイは暇潰しに手を覆っていた黒い皮手袋をはずし、舞台裏の白いペンキで塗られた壁にそっと手をあてる。手袋で覆われ、少なからずも保有していた手のひらの熱は冷たい壁へと伝導していった。
手のひらの温度と、壁の温度が一定になった時。ゼンレイの脳内で、複数の記憶が爆ぜた。
生徒たちの笑い合う顔、恋をする顔、喧嘩する顔、泣く顔。昼になって夜になって、雨が降って晴れて。まるで、一本の長い動画を数倍速に早送りして見るように、膨大な時間がゼンレイの瞼の裏を満たす。

 隣に人の気配がして、ゼンレイは手放していた意識を再び手繰り寄せた。壁に触れていた手を離し、再び手を黒い皮手袋に隠す。いつものゼンレイの姿に戻ったところで、ゼンレイは右となりへ頭を動かした。その動きと同時に、ゼンレイの腰辺りまで伸びたストレートの銀髪がさらりと揺れる。
ゼンレイの視線の先には、彼女とも彼とも呼ばれることを好かない、この辺りでは珍しい黒髪を持つ新入生が佇んでいた。ゼンレイは、はじめて対面したときからこの黒髪の新入生に対して不思議な印象を抱いていた。
隣に並んでいたかと思えば、少し後ろに下がっている新入生と視線が交わる。コックリとした色彩を持つ瞳が、ただただこちらを覗き込んでいて、ゼンレイはなにか見透かされているような複雑な心境になった。新入生は声を出すことなく、控えめな会釈を寄越す。それに目で応え、ゼンレイは視線を目の前で綺麗に並んでいる大勢の新入生たちに向けながら、まるで独り言でもこぼしたかのようにその子に語りかけた。
どうしてだか、瞳を見るのは躊躇われた。

「ようこそ、イリュジオンへ。」

この学園への歓迎の言葉。もうすぐすれば始まる、入学式の挨拶でも使う予定の言葉ではあったが、一足先にその子へ送ることにした。久しぶりに口にするというのに、不思議とそれはゼンレイに馴染んでいた。
寮別に定められた三色のうちの一色、シアン色のだっぽりとした羽織をシャツの上から身に纏っている新入生は、一息置いてその言葉に言葉を返した。

「ありがとうございます。」

ハスキーで少し高めの中性的な声色はただただ静けさを伝えていて、その身を包んだ蒼によく似合っていた。どこか冷たさも孕んでいるその声はまだ音を続ける。

「失礼ですが…」
「学園長は、全てを知っておられるのでしょうか。」

顔を少し後ろにスライドさせ、新入生の顔を視界にいれる。その表情は、数週間前の打ち合わせのときと変わらず、色をのせずにただこちらを覗き込んでくるだけだった。この国では少数派に分別される黒い髪がさらりと揺れる。
どうやら、換気目的で開けられていた窓から風が入り込んできたようだった。すこし遅れてゼンレイの白銀も同じようにして揺れる。長さが異なるため風に浮かされた範囲は違ったが、気持ちのいい初夏の風はゼンレイの心を撫でていった。無表情ながらも、よく見るとどこか真剣さが滲んでいるような気がしなくもない新入生の顔を見つめる。間をおいて、ゼンレイはくすりと笑みをこぼした。

「どうでしょうか。そこは曖昧にしておきますが、私はあなたがた生徒の味方ですね。」
「どうぞ、好きなことをしてください。生徒という、子供という言葉に許される間ぐらいは自由になさいな。」

膝あたりまであるヴィシュヌ寮指定の羽織をぎゅっと握っていた手から、力がすっと抜けたのをゼンレイは見た。

「…はい。」

新入生の少し小さな声を耳にして、ゼンレイはスポットライトの光が照りつけている舞台へと足を向ける。
もうすぐ、式が始まる。
後ろから新入生が追いかけるようにして歩き始めたのを確認して、ゼンレイはもう一言呟くことにした。

「ただ、成長することだけは忘れずに。どんなことになろうと最後は前を向くのです。」

今度は、返事はなかった。だが、特に気に留めないでゼンレイは舞台の暗闇から抜けた。

「スピーチ、よろしくお願いしますね。」

 卒業から十年以上の年を重ねてなお、再びこの学園に足を踏み入れるとは思ってもいなかった。そう思いながらも、ゼンレイは目前に並ぶ入学生たちの顔を一人一人見つめながら一つ一つの言の葉を味わうようにして紡いだ。この子達は、はたしてどんな人間になるのだろう。どのような歴史を、時間を、この学園に刻んで去っていくのだろうか。

「ようこそ、イリュジオン学園へ。皆様のご入学を、心からお祝いいたします。」

あなた方が、どうか素敵なものを得られますように。

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