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第一話:可もなく、また不可もなく。

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 学園長の長そうで短かった挨拶が終わり、一通りの入学式のプログラムが終了し各自所属する寮へと移動する時間となった。全寮制が導入されるイリュジオン学園では、入学式終了と共に寮生活がスタートする。昨夜のうちに各部屋に運び込まれた荷物の確認など、入学式が終わってからも新入生がやることはいくつかあった。

新入生たちはどこか浮き足立ちながら、移動しようと席を立つ。ゾロゾロとほとんどの新入生が会場の外へと繋がる扉へと向かっていくなかで、一人だけいまだに席に深く腰を下ろしている女子生徒がいた。茶色の腰辺りまである長い髪を一本の三つ編みにした彼女は、この物語の主人公ツムニであった。

正気を疑う話だが、ツムニは入学式の真面目な雰囲気にあてられてぐっすりと眠りについていたのであった。聞く人が聞けば、何をしているのだと溜め息を吐きたくなるような話だろうが、堅苦しい雰囲気が苦手な彼女は背筋を伸ばしていないといけないような時はたいてい目を瞑ることでその場を乗りきっていた。
興味がないことにはとことん興味がない。そんな彼女は、当たり前のようにしてその流れで遠い夢の世界へと旅立ってしまう。今日なんとか意識を保っていたのは学園長の長くはない挨拶の途中までで、意識を投げ出してしまったあと入学式で何が行われたのか彼女は知ることがなかった。

入学早々居眠りをしている少女を、周囲の新入生たちは白い目で見るだけで声をかけずに立ち去っていく。
そんな中で、ひどくリラックスした様子で寝息をたてるツムニに近づく影があった。

「そろそろ起きたほうがいいぞ。」

普通ならばヤバイやつには極力関わりたくないというのが人間の性であるはずだが、異質な人間には異質な人間が近づいてくるとはよく言ったものである。類は友を呼ぶといったところか。

特に音をたてることもなく近づいてきた人物は、ツムニの肩をしばらく揺する。だが、なかなか瞳を開ける様子を見せないツムニに大きな溜め息を吐いた。息を吐くと同時に上下したその人物の方は、ツムニと同様青い羽織で包まれていた。つまり、ツムニと同じヴィシュヌ寮生である。
 どこか冷めたような色を瞳に携えながらツムニを見つめるその人物は、揺するという生半可な刺激ではツムニが起きそうにないことを察して、閉ざしていた口を再び開いた。

「おい、起きろ!もう全員移動し終えてるんだよ!」
「ん~?」
「流石に入学式で熟睡はやばいだろ…。」

その人物が呟いたと同時に、ツムニはハッと目を見開いた。
ずっと隠れていた爽やかなマスカット色の瞳が顔を見せる。乾いた土に水が染み込むように、一気にツムニの意識が覚醒していった。ツムニはもとより、寝起きはとてつもなくいい方なのだ。周囲を見回して、人がほとんどいなくなっていることを悟ってツムニはとてつもなく慌てた。

「ええ?!何?!もう入学式終わったの?!」

またやってしまったと、額に手を当てる。人もまばらになったホールに、ツムニの大きな叫び声が響き渡った。後片付けで残っている数人の在校生が、不審そうにこちらを見てくる。急に叫びだした新入生に、舞台の裏で後片付けをしていた教員まで怪訝な顔をして舞台袖から顔を覗かせた。

ツムニを起こしたその人物はその様子を見ながらツムニをヤバイ奴だと憐れんでいたが、その生暖かい視線がもれなく自分にも向けられていることに気づいた。
これは不味い。
とにかくこの場から退散することにして、その人物はツムニに小声ながらも鋭い言葉を投げ掛けた。

「君のせいで気まずいことになったじゃないか…とにかく早く歩け!」
「言われなくてもわかってるよ!」

流石に入学早々常識人枠から外れるのだけは避けたい。
その人物はツムニを小突きながら、二人は逃げるようにして足早にホールから抜け出した。


 琥珀色の夕日が指す亜麻色の廊下に、ふたつの警戒な足音が響く。入学式は正午に始まったため、現在時刻はちょうど逢魔時に突入したぐらいだった。廊下に点々と設置されている透明な円形の窓からは、オレンジ色にコーティングされた校舎が佇んでいるのが見えた。

「いやーそれにしても助かったよ!ありがとう!」
「まあいいけど…君もシアン色の羽織ってことはヴィシュヌ寮生だよな?何号室?」

その人物がツムニの羽織に目を動かす。その間も、カツカツと二人のローファーは床を叩いていた。

「私は六号室だよ!名前はツムニ!」
「あなたは…っていうか、名前教えてもらってもいーい?」

ツムニは自分を起こしてくれた恩人の名前を聞いていなかったことを思い出す。
その人物はツムニの問いかけに少しきょとんとしてから、笑った。

「ふふ、僕はヤシャ。君の隣、五号室の住人だよ。」

にぃっと上げられた口角と、三日月型に細められた瞳が印象的である。その表情がどことなく、よく家の周りをたむろっていた野良猫たちに似ていて、ツムニはふわふわの毛玉たちを思い出す。
どこか冷めたようにツムニを見てくるところまで、ちゃんと再現されているようだった。

(この子、すごくヴィシュヌ寮生らしい子だな。)

ヤシャの纏う雰囲気が、どこか洗礼されているような気がした。

「じゃあヤーちゃんね!仲良くしようねー!」
「お、おう…。」

押し気味なツムニに若干引きながらも、ヤシャは返事を渡した。

「それにしても、ヤーちゃんってなんで?僕のあだ名的な?」
「うん!その通り!ヤーちゃんのほうが言いやすいしね!」
「そうか…?」

その言葉にヤシャは少し不思議そうな顔をしたが、すぐに元の優しげな微笑みに戻った。

「じゃ、僕はツムニって呼ばせてもらうわ。よろしく。」
「うん!よろしくねー!」

自己紹介を終え、ツムニが持ってくるぬいぐるみを選別するのが難しかった話や、今日から早速ホームシックになりそうだという話をして、ヤシャが頷きながら聞くという独特な会話を繰り返しているうちに、いつのまにか二人はヴィシュヌ寮の入り口に来ていた。

二人の前にそびえ立つレンガ造りの塔は三つあり、どれも同じような設計なようだった。それぞれ、入り口からは寮色らしき光が溢れている。開かれた扉から零れた光が斜陽とうまい具合に溶け合って、なんとも言えない美しい色を作り出していた。

「着いたっぽいねー!ここが今日からの家かー」
「家…まあ、そうともとれるな。」

そう言いながら、ヤシャは一足先に蒼い光が充満している左から三つ目の塔へと姿を消す。羽織の色と全く同じ色のその空間に、まるでヤシャが溶けていくような錯覚を覚えてツムニは少し心細くなる。

「ヤーちゃん待ってよー!」

駆け足気味にツムニはヤシャの背中を追って、寮に飛び込んだ。
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