悪役令嬢まさかの『家出』

にとこん。

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婚約編

69話

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帝都の中心、白亜の議事堂前広場には、朝から多くの民が集まっていた。  
皇帝陛下の御前にて、ひとりの少女が言葉を紡ぐと告げられたからだ。  
その名は――ルゥナ=フェリシェ。

元は王国の令嬢。  
だが今や、帝国を旅し、癒し、笑わせ、助け、祝福を振りまく“迷い姫”。  
彼女の去就が、帝国と王国の未来を左右する鍵になっていることを、誰もが知っていた。

王国からの再三の帰国命令。  
外交文書の応酬。  
そして、王太子レオニスの来訪。

帝国と王国の対立は、もはや避けられぬものに思えた。  
だからこそ、人々は待ち望んでいた。  
――彼女自身の言葉を。

壇上に立ったルゥナは、いつもと変わらぬ笑みをたたえていた。  
けれどその笑顔の奥にある、静かな決意を誰もが感じ取っていた。

彼女は一礼し、紅茶の入っていない空のカップを胸に抱くようにして、話し始めた。

「わたくし、この帝国で、たくさんの風に出会いましたの」

人々のざわめきが、すっと消える。

「旅先で出会った方々の声、市場で手を振ってくださった子どもたち、  
焼きたてのパンの香り、猫の鳴き声、  
そして、帽子を拾ってくださった手のぬくもり――  
すべてが、わたくしに“この場所で生きること”を教えてくださいましたわ」

彼女は言葉を区切り、風の吹く音に耳を澄ませる。

「けれど、それだけでは足りませんの。  
この国の風が導いてくれた道を、選んだのは……わたくし自身ですわ」

その瞬間、空気が震えた。

政略でも、命令でも、外交でもない。  
ただ、ひとりの令嬢が“自分の意志で”選んだと、はっきりと示したのだ。

「わたくしは、この帝国で、生きていきたいと願っております。  
風に任せるのではなく、歩みたい人の隣で、歩きたい道を――この場所で、築いてまいりますの」

群衆の中から、嗚咽が聞こえた。  
年老いた農夫が涙をぬぐい、商人たちは胸に手を置き、  
幼い子どもが両手を掲げて「ルゥナさまー!」と叫ぶ。

皇帝ヴィクトールは、その様子を黙って見届けていた。  
そして、一言。

「これ以上の返答が、あるまい」

その言葉とともに、王国との使者団への返礼が下された。  
“ルゥナ=フェリシェの意志をもって、帝国はこれを最終の決定とする”

王国との対話の扉は、静かに閉ざされた。

だがその閉ざされた先に、  
新たな風の通り道が、確かに生まれていた。
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