あやかし温泉街、秋国

桜乱捕り

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71話-1、続・永秋の手伝い

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 月が眠りに就き始めるも、まだ太陽が起床していない、朝五時半頃。

 妖狐寮にて、夜通し常軌を逸した枕投げをして遊び、その日の朝からほとんど眠り通していた花梨の部屋内に、煩わしい目覚ましの音が鳴り始める。
 しかし花梨、ゴーニャ、座敷童子のまといは、未だに深い夢に囚われているようで、一向に起きる気配を見せないでいた。
 そして目覚ましの音が鳴ると同時に、朝食を持って部屋に入り込んで来た女天狗のクロは、久々に目にした光景ともあり、胸を静かに躍らせる。

「うわぁ~、唐揚げの豪雨が降ってきた……。床上浸唐揚げする前に、急いで食べないと……」

「ずいぶんと脂っぽそうな雨だな。地面に落ちた唐揚げなんぞ食ったら、腹壊すぞ?」

「ゴーニャと纏姉さんは、裏口の唐揚げを……。クロさんは玄関の唐揚げをお願いします……」

「おい、私にまで食わせようとするな。……さて、夢の中の私が腹を壊す前に、とっとと起こすか」

 唐揚げにまみれた夢の中に、自分が登場してばつが悪くなったクロは、虚しく鳴り響いている目覚ましの音を消し、花梨の耳元に顔を寄せ、そっと息を吹きかける。
 耳に息を吹きかける起こし方は、学生時代から寝坊魔だった花梨が、必ず起きる方法の一つであったが。今回は無反応で、クロがした行動が夢に反映されただけであった。

「まずい、マヨネーズの突風だ……。こうなったらもう、黒コショウとご飯を用意するしか……」

「からマヨ丼にするつもりか? 効率が落ちるぞ。というか、これで起きなかったのは初めてだな。……仕方ない、こよりで起こすか」

 やや負けた気分になって肩を落とすと、部屋にあるティッシュを手に持ち、先を細くねじってこよりを作る。
 そのままニタリといやらしい笑みを浮かべると、空の口を咀嚼そしゃくさせている花梨の鼻の中にこよりを突っ込み、周りをなぞるように動かした。

 すると鼻の穴がピクピクと反応し、「は、はぁっ……」と小刻みに息を吸ったかと思うと、「ぶぁっくしょん!」と豪快なクシャミを放つ。
 その勢い維持したまま、体に張り付いて寝ているゴーニャと纏を引きつれながら上体を起こし、鼻をすすると、まだ目が開いていない顔をクロへ向けた。

「あ、クロしゃん……。玄関の唐揚げは食べ終わりまひた……?」

「お前は、夢と現実の境目が無いのか? さっさとこっちに戻って来い」

 クロの呆れた指示に、花梨は「ふぇ……?」と抜けた声を漏らすと、閉じていた重い瞼が開いていき、オレンジ色の瞳を覗かせ、ハッとした表情をする。

「……あっ、クロさん。おはようございます」

「おはよう花梨。ほんと、寝てる時のお前は面白いな。朝飯はテーブルの上に置いといたから、早く食っちまえ」

「すみません、朝早くから。ありがとうございます!」

 寝起きの花梨が元気よく感謝を述べると、クロはほくそ笑んでから振り返り、扉に向かって歩いて行く。
 扉を開けてから再び花梨に顔を戻すと、「それじゃあ、また後でな」とだけ言い残し、扉を閉めて姿を消した。
 まだ今日の仕事内容が分かっていない花梨は、不思議な顔をしつつ首をかしげた後、ゴーニャと纏を起こし、ベッドから抜け出す。
 纏のえずき声が聞こえない歯磨きを終え、部屋へ戻り、テーブルの上に注目してみると、やや大掛かりな品々が置かれていた。

 テーブルの中央に、ご飯がたっぷり入っているおひつと、大きめの白いポッドが一つ。
 その周りには、やや黒く色付いた大量のマグロの赤身、万能ネギ、刻み海苔、すりおろされたワサビが添えられている皿。 
 そして、見るからに酸っぱそうな梅干しと、空のお茶碗と箸が三人分あり、全ての食材に目を通した花梨は、一つの予想を立てながら腰を下ろした。

「これは、パッと見るとマグロ丼だけども……。いや、違うな。私の予想が正しければ、ポットの中身はっと」

 予想の先を見越した花梨が、白いポッドの蓋を開け、ほんのりと香り立つ白い湯気を認めてから、中身を確認してみる。
 ポッドの中には、底まで見える茶色く透き通った出汁だしがあり、湯気の匂いを嗅いでみると、予想が当たったと言わんばかりに、にんまりと笑う。

「やっぱり! これはマグロ茶漬けだな」

「お茶漬けって事は、ここにある物を全部ご飯に乗せればいいのね」

「そうだよ。ゴーニャは、これが初めてのお茶漬けになるねぇ」

「そうね、楽しみだわっ」

 そう会話をしている姉妹をよそに、朝飯の号令を唱える前にマグロをつまんだ纏が、今度はワサビを乗せてもう一枚口に入れた。

「このマグロ、醤油漬けされてる」

「おっ。という事は、出汁をかけないでそのまま食べても美味しいハズ。なら、お茶漬けと丼物で二度美味しいワケですね」

「丼物、お茶漬けと交互に楽しめたりもする」

「確かに、それならずっと食べられそうだ。それじゃあ、いただきまーす!」

「いただきますっ!」
「いただいてます」

 纏だけ事後報告を済ませた朝飯の号令を唱えると、三人はそれぞれのお茶碗を手に持ち、ご飯を適量に盛っていく。
 次に花梨は、浸けマグロをご飯が見えなくなるまで敷き詰め、刻み海苔、万能ネギを散りばめて、真ん中にワサビをドンと添えた。

 先にお茶漬けから頂こうとして、白いポッドを手に取り、真ん中に添えたワサビを溶かしつつ出汁をかける。
 食べる準備が整うと、少し長めに息を吹きかけて冷まし、サラサラと口の中へ流し込んでいった。

 最初は、かつお節が効いた出汁の風味が先行し、後を追ってワサビのツンと尖った清涼な刺激を、舌と鼻で感じ取る。
 手を休めずに流し込み続けると、浸けマグロから溶け出した濃い醤油の味も加わり、優しい出汁の風味に深みが増していく。

 噛み締めるように咀嚼そしゃくし、様変わりしていく風味を堪能すると、お目当てである浸けマグロを口の中に入れた。
 漬けマグロ自体は冷蔵庫で冷やされていたのか。熱い出汁をかけてもなお、身は丁度いい温度になっていて、中はやや冷たさを感じる。
 昨晩から漬けられていたと予想出来るほど醤油の味が濃く、口の中が一気に醤油一色に染まっていくも、出汁を少し口に含めば、すぐにその味は和らいでいった。

「んっふ~。出汁と醤油の塩梅がたまらんっ! んまいっ」

「ほおっ……。おいひいっ、好きになりそうだわっ」
「ただの丼物にすると醤油の味が強すぎるから、お茶漬けで食べた方がいいかも」

 既に丼ぶりを試していた纏の感想に、花梨が「なるほど」と相槌を打つ。

「確かに。浸けマグロだけだと、醤油の味がやたらと強かったなぁ。丼ぶりにする時は、マグロを少なめにしよっと」

 纏が先に食べたお陰で、少量の丼ぶり、大量のお茶漬けで食べ進めていき、締めに酸っぱい梅干しで残っていた眠気を飛ばし、全ての食材を完食した三人。
 食器類を水洗いして支度を済ませると、大きなあくびをついた纏が、花梨が履いているジーパンを軽く引っ張り、舞い戻ってきた寝ぼけ眼を擦る。

「花梨、また眠くなってきたからベッド借りてもいい?」

「いいですよ。ゆっくり眠ってて下さい」

「ありがとう。二人共お仕事頑張ってね」

「ありがとうございます。それじゃあ行ってきますね」
「おやすみ、纏っ」

 まだ温もりが残っているベッドに潜り込んだ纏を見送ると、姉妹は手を振りながら部屋を後にする。まだ電気が点いていない暗い廊下を歩き、支配人室に向かって行く。
 支配人室の前まで来ると、周りの迷惑にならないよう、扉を静かに二度ノックして、声を掛けずに扉を開けて中に入る。
 明るい室内に入って扉を閉めると、普段であればキセルの煙の匂いが先に出迎えてくれるものの。今回はそれが無く、代わりに「よう、来たな」という、聞き慣れた声が耳に入り込んできた。

 ぬらりひょんの声では無い別の声を耳にした花梨は、おかしいと思いつつ書斎机がある方に顔を向ける。
 移した視線の先には、ぬらりひょんの姿はどこにも無く、りんとした表情でいるクロが、腕を組みながら書斎机の前に立っていた。

「あれ、クロさんだ。ぬらりひょん様はどうしたんですか?」

「ぬらりひょん様は急用が入って、さっき飛び出していっちまってな。今は私が代わりに支配人をやってるんだ」

 クロの説明に対して花梨は、「へぇ~」と珍しそうに返答する。

「クロさんも、支配人をする時があるんですね」

「ああ、かなりの頻度でな。週三、四でやってるぞ」

「すごい頻度じゃないですか。ぬらりひょん様って、そんな頻繁に外出してるんですか?」

「まあな。ああ見えて、かなり多忙なんだぞ? さて、今日の仕事内容だが……。今日はな、花梨、私の代わりをやってもらう」

 話を切った途端に説明を始めたクロに、花梨は先ほどまで話していた会話の内容に引っ張られ、目を丸くして「えっ!?」と声を張り上げる。

「私、永秋えいしゅうの支配人をやるんですか!?」

「違う違う、そっちじゃない。私の仕事である、女将の方だ」

「お、女将っ!?」

 予想を外したものの。支配人に近いポジションである女将の代わりと聞き、花梨が臆しながら叫び上げた。

「ど、どっちにしろ……、私が永秋えいしゅうの顔になるって、事ですよね……?」

「おいおい、そんなにビビるな。何も全部じゃない、永秋の受付をやってもらうだけさ」

「受付、ですか……」

 やや安堵を含んでいるも、未だに極度に緊張している花梨の言葉に、クロは小さくうなずく。

「そうだ、だが安心しろ。午前中にはぬらりひょん様も帰って来るし、まだ垢抜けてない奴らだが私の仲間も複数人につけるから、心配するな」

「はあ……。クロさんの代わりという事は、何か用事でいなくなるんですか?」

「ああ、午後から新人の歓迎会があるんだ。どうやら女天狗の中では、私の第一印象は非常に怖いという固定観念があるらしくてな。その誤解を必死こして解いてくるってワケさ」

 悩みの種を明かし、鼻から息を漏らしたクロが肩をすくめると、その理由を聞いた花梨の緊張が和らいでいき、「ふふっ」と笑みをこぼす。

「クロさんが怖い、かぁ。女天狗さん達はまったく分かってないですね。クロさんはすごく優しくて、頼り甲斐があって、とっても素敵な人なのになぁ~」

「んっ……」

 本音を交えてベタ褒めしてくる花梨に、クロは頬を薄っすらと赤く染めるも、すぐにりんとした表情に戻し、やんわりとほくそ笑む。

「褒めすぎだ。そんなに褒めても何もでないぞ?」

「だって、本当の事ですもん。その新人さんに、クロさんの良さを全力で説いてやりたいです!」

 真面目な顔をして物申す花梨に、クロは嬉しくなったのか笑みが増し、花梨の頭の上に手をポスンと乗せ、そのまま撫で始める。

「お前は本当に可愛い奴だな。ありがとよ」

「えへへっ……」

 頭を撫でられた花梨が照れ笑いすると、クロも釣られてニッと無垢な笑みを送った。そして花梨の頭から手を離すと、扉に向かって歩み出し、花梨達に顔を向けながら手招きをする。

「さて、そろそろ行くぞ。その前に、渡す物があるから私の部屋に来てくれ」

「あっ、はい! 分かりました! それじゃあゴーニャ、行くよ」

「わかったわっ」

 急かし気味でいるクロの指示に従い、花梨はゴーニャと手を繋ぎ、空気が澄んでいる支配人室を後にし、クロの部屋へ向かっていった。
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