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第一章:わけもわからず、世界は回る
第9話:繋がる力、創発する答え
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屋敷の呪いの本当の原因は、地下室で暴走している「古代遺物」だった。
小夜の張った強力すぎる結界のせいで、栞がドジで起動させてしまった遺物のエネルギーは外部に放出されることなく、この閉鎖空間の中で、書庫に眠る膨大な知識を猛烈な勢いで吸収し、危険なレベルにまで膨れ上がっていたのだ。
このままでは、屋敷ごと、いや、この丘一帯が跡形もなく吹き飛んでしまう。
その絶望的な状況を前にして、二人の天才が繰り広げたのは、人類の叡智を結集した協力体制などでは断じてなく、実に低レベルで、実に人間臭い、壮絶な責任のなすりつけ合いだった。
「そもそも! そもそも貴女がこんな、時代錯誤も甚だしい非科学的な結界で屋敷を密閉しなければ、エネルギーはとっくに大気中に拡散して、こんな臨界状態には陥っていなかったんです! これは人災です! 貴女が引き起こした魔術的パンデミックですわ!」
分厚い眼鏡の奥の瞳に涙を溜め、指をビシッと小夜に向けて叫ぶのは、賢者の栞。その口から繰り出される言葉は、パニックのせいで普段の三倍は早口であり、もはや常人には聞き取れない呪文の域に達している。白衣のあちこちが煤で汚れ、頭は鳥の巣のようになっていて、その姿に碩学の賢者としての威厳は欠片もなかった。
対する小夜は、書物の影から一歩も動かず、肩に乗せた式神のカラス、ヤタを通して、静かに、しかし刃物のように冷たい言葉を返す。
「……起動させたのは、貴女です。危険性を予見できず、己の知的好奇心を優先させた、その浅慮が招いた結果。全ての原因は、貴女のその、致命的なまでのドジにあります」
ヤタのくちばしから発せられるのは、か細くも透き通った少女の声。しかしその内容は、栞の心を抉るには十分すぎるほどの切れ味を持っていた。言われた栞は「ド、ドジじゃありません! これは想定外のパラメーターが入力されたことによる、不可抗力でして!」と、さらに訳の分からない反論を繰り出す。
地下書庫は、阿鼻叫喚の地獄と化していた。
天井まで届く本棚が、まるで巨人の肋骨のように迷路を形成し、その壁面を青白いエネルギーの光線が奔放に走り回っている。空気は、雷が落ちた後のような濃いオゾンの匂いと、古紙が焦げる乾いた匂いで満たされ、呼吸をするだけで肺がピリピリと痛んだ。
そして、その全ての元凶である球体の古代遺物は、部屋の中心で心臓のように激しく脈動していた。脈打つたびに、周囲の空間がぐにゃりと歪み、本棚から無数の書物がひとりでに浮かび上がっては、その知識を吸い尽くされ、灰となってはらはらと舞い落ちる。遺物は、この屋敷に蓄えられた数百年分の「知」を喰らい、今まさに究極の怪物へと変貌しようとしていた。
「大体ですね、貴女のその陰陽術とやらは、経験と勘に頼りすぎなんです! 再現性もなければ、論理的な裏付けもない! そんなものは学問とは呼べません! オカルトです!」
「……貴女の理論は、ただ紙の上に書かれた文字の羅列。実践が伴わなければ、ただの空論です。現実の事象は、貴女のその小さな頭で考えた数式通りには動かない」
「なんですって!」
「事実です」
もはや、世界の危機などそっちのけだった。理論物理学者がオカルトを断罪し、神秘主義者が実践なき理論をこき下ろす。互いの専門分野という高い高い城壁に立てこもり、そこから石を投げ合っているだけ。水と油、理論と感覚、知性と神秘。二人の天才は、この世で最も相性の悪い組み合わせだったのかもしれない。
俺と千夏は、その壮絶な口論を、ただ呆然と見ていることしかできなかった。いや、正確に言えば、俺は別のことを考えていた。
(すげぇな…)
不謹慎にも、そう思ってしまったのだ。
(こいつら、言ってることはめちゃくちゃだけど、頭の回転、速すぎだろ…)
栞が放つ言葉の濁流。それは、パニックに陥りながらも、この状況を打開するためのあらゆる数式と理論を、脳内で超高速シミュレートしている証拠だった。小夜の返す、短く的確な反論。それは、この空間に渦巻く膨大なエネルギーの流れを、肌で、魂で感じ取り、その本質を直感的に見抜いているからこその言葉だった。
二人とも、とんでもない才能の持ち主だ。それは間違いない。
巨大な力を持つ、二つの歯車。だが、その歯車は全く噛み合わず、互いに逆の方向に、猛烈な勢いで空転しているだけだった。その摩擦から生まれる火花が、この絶望的な状況をさらに悪化させている。
(ああ、そうか)
その時、ふと、腹の底から納得するような感覚が湧き上がってきた。
問題は、こいつらの能力の高さじゃない。栞の知識が足りないわけでも、小夜の力が弱いわけでもない。
問題は、たった一つ。
こいつらが、繋がってないことだ。
バラバラなことだ。
パズルのピースは、一つ一つがどんなに美しくても、箱の中でガチャガチャと音を立てているだけでは、ただのガラクタだ。繋ぎ合わせ、組み上げて、初めて一枚の絵になる。
こいつらは、世界で最も美しいピースなのに、自分たちの美しさに固執するあまり、隣にあるピースと繋がる方法を知らないんだ。
「――うるせえええええええっ!」
俺は、気づいたら叫んでいた。
喉が張り裂けんばかりの声だった。暴走する遺物の轟音にも、二人の天才の口論にも負けない、ただの凡人の、腹の底からの叫びだった。
ピタリ、と二人の口論が止まる。栞も、ヤタの姿をした小夜も、驚いたように俺の顔を見た。その視線に、ほんの少しだけ「下等生物が何を…」という色が見えたのは、気のせいだと思いたい。
「どっちが悪いかなんて、後でいくらでも言えよ! 終わってから、日がな一日、千年でも万年でも文句言い合ってろ! でもな、今じゃねえだろ!」
俺は、二人を交互に指差した。
「今、どうすりゃいいかだけを考えろ! 過去の責任追及してる暇があったら、未来をどうにかする方法を考えろよ、天才ども!」
過去は、もうない。起きてしまったことだ。今、この瞬間に在るのは、目の前で暴走するクソ迷惑な鉄の玉と、俺たち自身の混乱だけだ。仏教もクソもない。死んだじいちゃんが、いつもそう言っていた。「終わったことをウジウジ考えるな。前だけ見て歩け」と。じいちゃんのその言葉が、ラノベ数万冊分の知識よりも、ずっとシンプルで、ずっと強い真理となって、俺の背中を押していた。
俺の叫びに、二人はハッとしたように顔を見合わせ、そして気まずそうに俯いた。どうやら、天才の二人にも、俺の凡人なりのド正論は通じたらしい。
よし、ここからだ。ここからが俺の仕事だ。
俺は、二人の天才を繋ぐ、ただの電線になればいい。
「よし、作戦会議だ!」俺はパンと手を叩いた。「まず栞さん! あんた、この鉄クズの構造を、俺に説明しろ! ただし、条件がある! おたくのその高尚な専門用語は一切禁止だ! 俺みたいな、九九もあやしいアホなサルでも分かるように、説明しろ!」
「さ、サルですって!?」栞は屈辱に顔を歪めたが、背に腹は代えられない。「わ、分かりましたわよ! やってやりますわよ! サルでも分かるように!」
彼女は大きく息を吸い込むと、頭をフル回転させ始めた。
「え、ええとですね! この古代遺物は、言ってみれば…そ、そうですわ! お風呂です! ちょっと性能の良すぎる、全自動のお風呂なんです!」
「風呂?」
「はい! 普段は『知識』という名の素敵なお湯を沸かして、私たちに快適なバスタイムを提供してくれるはずのものでした! ところが、わたくしが操作を誤り、給湯スイッチを最大にしてしまった! しかも、小夜さんの結界のせいで、お風呂の栓が閉まり、排水溝も塞がってしまった! 今、このお風呂は、熱湯が溢れ出して、浴室ごと大爆発する寸前なんです!」
風呂。まさかの風呂だった。だが、不思議なことに、その例えは俺の頭にすんなりと入ってきた。なるほど、沸騰した風呂か。分かりやすい。
「分かった! なら、どうすりゃいい!? どこを止めれば、このクソ熱い風呂は止まるんだ!?」
「給湯管です! 大元のお湯を送っているパイプを破壊すれば、給湯は止まります! あの、遺物の側面についている、三本の水晶が刺さった筒状のパーツ! あそこが一番脆いはずです!」
栞が、震える指で遺物の一点を指し示す。よし、弱点は分かった。
俺は次に、書物の影で小さくなっている小夜に向き直った。
「おい、陰陽師! 次はあんたの番だ!」
小夜はビクッと体を震わせる。
「あんたには、この部屋に満ちてる、その…ええと、ワケの分からんエネルギーの流れを教えろ! 理論なんてどうでもいい! あんたが肌で感じてるままを、俺に教えろ! 色でも、匂いでも、音でも、何でもいい! 擬音でもいいぞ!」
小夜は戸惑っていた。彼女にとって、術とは感覚であり、様式であり、古来から受け継がれた神聖なものだ。それを「擬音で言え」などという不敬な要求は、人生で初めてだったに違いない。
だが、彼女の肩で、式神のヤタが力強く頷いた。小夜は、意を決したように、小さな口を開いた。
「…………」
声にならない。やはり、直接話すのは無理か。ヤタが代弁しようと口を開きかけた、その時。
「……『ごおおおお』……って、なってます」
か細い、蚊の鳴くような、しかし確かに、小夜自身の声だった。
彼女は、顔を真っ赤にしながら、続ける。
「…遺物の中心が、『ごおおおお』って…。それで、栞さんが指さした場所は、他よりも…『きゅるるるる』って、細くて、速い流れが、集まって…」
擬音だった。本当に擬音で来やがった。
だが、その言葉は、栞の理論的な説明と、奇妙なほど完璧に一致していた。栞の言う「エネルギー供給ライン」を、小夜は「きゅるるるる、って流れ」として、確かに感じ取っているのだ。
見えた。
繋がった。
理論と感覚が、俺という凡人の頭の中で、一つの答えを指し示した。
俺は、不敵な笑みを浮かべて、二人の天才に言い放った。
「分かった。よく分かった。じゃあ、作戦を発表する」
俺は、ドンと自分の胸を叩いた。
「小夜、あんたのその有り余ってるオカルトパワーを、全力でぶっ放せ。それを、俺が、この歪めるだけのクソ地味な能力で、無理やり捻じ曲げて、栞さんの言ってた給湯管に、叩き込む!」
一瞬の静寂。
栞と小夜の顔が、同時に「は?」という、宇宙猫でも見るかのような表情で固まった。
「む、無茶苦茶です!」栞が叫ぶ。「エネルギーのベクトルを、外部からの干渉で強制的に変更するなんて! そんなの、どんな計算式にも当てはまりません! 暴発します!」
「…術には、正しい『道』が、あります」小夜もヤタを通して反論する。「流れに、逆らってはいけない…」
「うるせえ! 知るか!」俺は一喝した。「計算式にないから面白いんだろうが! 道がないなら、無理やり作んだよ! やるぞ! 文句は、この風呂が片付いてから聞く!」
もう、迷いはなかった。
俺たちには、それぞれの役割がある。
栞は、この世界の「地図」を描く。
小夜は、この世界の「風」を読む。
そして、俺は――。
地図も読めず、風も読めない俺は、ただ、目的地に向かって、無理やり船を「ワープ」させる、無茶苦茶な羅針盤だ。
栞が、眼鏡を光らせて叫ぶ。「エネルギー供給ライン、座標固定! 誤差、プラスマイナス0.3ミクロン!」
小夜が、初めてその場にすっくと立ち上がる。彼女の周りに、書庫に散らばっていた古い和紙や、舞い落ちた灰が、まるで意志を持ったかのように集まり始める。
「式神召喚――荒魂鎮(あらみたましずめ)!」
小夜が祝詞を唱えると、紙と灰が渦を巻き、一匹の巨大な獣の姿を形成していく。それは、ヤタのような自我を持つ式神ではない。純粋な破壊と浄化のエネルギーの塊。彼女が扱える、最大級の力だった。
「行けっ!」
小夜の号令で、獣の式神が咆哮を上げ、その口から純白のエネルギー奔流を吐き出す。部屋の全てを薙ぎ払い、浄化する光の津波。
だが、その行き先は、遺物ではない。俺だ。
「――うぉぉぉぉっ!」
俺は、その膨大なエネルギーの奔流の前に、両の手を突き出す。
熱い。痛い。魂ごと燃え尽きちまいそうだ。視界が真っ白に染まり、意識が飛びそうになる。
(鳩を武士の兜にぶつけるだけの、役立たずの力だと思ってた)
(壁に埋まったり、天井に張り付いたりするだけの、ギャグみたいな能力だと思ってた)
(でも、もし――)
脳裏に、栞の涙目の顔が、小夜の怯えた顔が浮かぶ。
(もし、この力が、バラバラなこいつらを繋ぐためのものだとしたら!)
「曲がれえええええええええっ!」
俺の目の前の空間が、まるで巨大なレンズのように、限界を超えて歪曲する。
いや、違う。歪んでいるんじゃない。
空間そのものが、エネルギーの奔流を飲み込み、別の場所へと繋がる「道」に変わったのだ。
小夜が放った純白のエネルギーは、俺の目の前で直角に、いや、物理法則を無視した角度で捻じ曲げられ、一本の極細の光の槍へと収束していく。
その槍の切っ先が向かう先は、ただ一点。
栞が示した、遺物の、たった一つの弱点。
ガラスが砕けるような、甲高く、澄んだ音が響き渡った。
次の瞬間、遺物から発せられていた全ての光と音が、まるで悪夢から覚めたかのように、ぷつりと消えた。
耳をつんざいていた轟音は止み、肌を刺していたオゾンの匂いも消えた。
後に残ったのは、しん、と静まり返った静寂だけ。
俺は、全ての力を使い果たし、その場にへたり込んだ。
栞も、小夜も、腰が抜けたように床に座り込んでいる。
散らかった地下室。壊れた壁の隙間から、いつの間にか昇っていた朝の、柔らかい光が差し込んでいた。
その光が、俺たちの顔を照らす。
誰からともなく、ぷっ、と吹き出す音がした。
それにつられて、もう一人。そして、俺も。
俺たちは、顔を見合わせ、腹を抱えて笑い出した。涙が出るほど、馬鹿みたいに、ただただ笑い続けた。
理由は分からない。でも、確かに、何かが繋がり、新しい何かが生まれた、そんな気がした。
小夜の張った強力すぎる結界のせいで、栞がドジで起動させてしまった遺物のエネルギーは外部に放出されることなく、この閉鎖空間の中で、書庫に眠る膨大な知識を猛烈な勢いで吸収し、危険なレベルにまで膨れ上がっていたのだ。
このままでは、屋敷ごと、いや、この丘一帯が跡形もなく吹き飛んでしまう。
その絶望的な状況を前にして、二人の天才が繰り広げたのは、人類の叡智を結集した協力体制などでは断じてなく、実に低レベルで、実に人間臭い、壮絶な責任のなすりつけ合いだった。
「そもそも! そもそも貴女がこんな、時代錯誤も甚だしい非科学的な結界で屋敷を密閉しなければ、エネルギーはとっくに大気中に拡散して、こんな臨界状態には陥っていなかったんです! これは人災です! 貴女が引き起こした魔術的パンデミックですわ!」
分厚い眼鏡の奥の瞳に涙を溜め、指をビシッと小夜に向けて叫ぶのは、賢者の栞。その口から繰り出される言葉は、パニックのせいで普段の三倍は早口であり、もはや常人には聞き取れない呪文の域に達している。白衣のあちこちが煤で汚れ、頭は鳥の巣のようになっていて、その姿に碩学の賢者としての威厳は欠片もなかった。
対する小夜は、書物の影から一歩も動かず、肩に乗せた式神のカラス、ヤタを通して、静かに、しかし刃物のように冷たい言葉を返す。
「……起動させたのは、貴女です。危険性を予見できず、己の知的好奇心を優先させた、その浅慮が招いた結果。全ての原因は、貴女のその、致命的なまでのドジにあります」
ヤタのくちばしから発せられるのは、か細くも透き通った少女の声。しかしその内容は、栞の心を抉るには十分すぎるほどの切れ味を持っていた。言われた栞は「ド、ドジじゃありません! これは想定外のパラメーターが入力されたことによる、不可抗力でして!」と、さらに訳の分からない反論を繰り出す。
地下書庫は、阿鼻叫喚の地獄と化していた。
天井まで届く本棚が、まるで巨人の肋骨のように迷路を形成し、その壁面を青白いエネルギーの光線が奔放に走り回っている。空気は、雷が落ちた後のような濃いオゾンの匂いと、古紙が焦げる乾いた匂いで満たされ、呼吸をするだけで肺がピリピリと痛んだ。
そして、その全ての元凶である球体の古代遺物は、部屋の中心で心臓のように激しく脈動していた。脈打つたびに、周囲の空間がぐにゃりと歪み、本棚から無数の書物がひとりでに浮かび上がっては、その知識を吸い尽くされ、灰となってはらはらと舞い落ちる。遺物は、この屋敷に蓄えられた数百年分の「知」を喰らい、今まさに究極の怪物へと変貌しようとしていた。
「大体ですね、貴女のその陰陽術とやらは、経験と勘に頼りすぎなんです! 再現性もなければ、論理的な裏付けもない! そんなものは学問とは呼べません! オカルトです!」
「……貴女の理論は、ただ紙の上に書かれた文字の羅列。実践が伴わなければ、ただの空論です。現実の事象は、貴女のその小さな頭で考えた数式通りには動かない」
「なんですって!」
「事実です」
もはや、世界の危機などそっちのけだった。理論物理学者がオカルトを断罪し、神秘主義者が実践なき理論をこき下ろす。互いの専門分野という高い高い城壁に立てこもり、そこから石を投げ合っているだけ。水と油、理論と感覚、知性と神秘。二人の天才は、この世で最も相性の悪い組み合わせだったのかもしれない。
俺と千夏は、その壮絶な口論を、ただ呆然と見ていることしかできなかった。いや、正確に言えば、俺は別のことを考えていた。
(すげぇな…)
不謹慎にも、そう思ってしまったのだ。
(こいつら、言ってることはめちゃくちゃだけど、頭の回転、速すぎだろ…)
栞が放つ言葉の濁流。それは、パニックに陥りながらも、この状況を打開するためのあらゆる数式と理論を、脳内で超高速シミュレートしている証拠だった。小夜の返す、短く的確な反論。それは、この空間に渦巻く膨大なエネルギーの流れを、肌で、魂で感じ取り、その本質を直感的に見抜いているからこその言葉だった。
二人とも、とんでもない才能の持ち主だ。それは間違いない。
巨大な力を持つ、二つの歯車。だが、その歯車は全く噛み合わず、互いに逆の方向に、猛烈な勢いで空転しているだけだった。その摩擦から生まれる火花が、この絶望的な状況をさらに悪化させている。
(ああ、そうか)
その時、ふと、腹の底から納得するような感覚が湧き上がってきた。
問題は、こいつらの能力の高さじゃない。栞の知識が足りないわけでも、小夜の力が弱いわけでもない。
問題は、たった一つ。
こいつらが、繋がってないことだ。
バラバラなことだ。
パズルのピースは、一つ一つがどんなに美しくても、箱の中でガチャガチャと音を立てているだけでは、ただのガラクタだ。繋ぎ合わせ、組み上げて、初めて一枚の絵になる。
こいつらは、世界で最も美しいピースなのに、自分たちの美しさに固執するあまり、隣にあるピースと繋がる方法を知らないんだ。
「――うるせえええええええっ!」
俺は、気づいたら叫んでいた。
喉が張り裂けんばかりの声だった。暴走する遺物の轟音にも、二人の天才の口論にも負けない、ただの凡人の、腹の底からの叫びだった。
ピタリ、と二人の口論が止まる。栞も、ヤタの姿をした小夜も、驚いたように俺の顔を見た。その視線に、ほんの少しだけ「下等生物が何を…」という色が見えたのは、気のせいだと思いたい。
「どっちが悪いかなんて、後でいくらでも言えよ! 終わってから、日がな一日、千年でも万年でも文句言い合ってろ! でもな、今じゃねえだろ!」
俺は、二人を交互に指差した。
「今、どうすりゃいいかだけを考えろ! 過去の責任追及してる暇があったら、未来をどうにかする方法を考えろよ、天才ども!」
過去は、もうない。起きてしまったことだ。今、この瞬間に在るのは、目の前で暴走するクソ迷惑な鉄の玉と、俺たち自身の混乱だけだ。仏教もクソもない。死んだじいちゃんが、いつもそう言っていた。「終わったことをウジウジ考えるな。前だけ見て歩け」と。じいちゃんのその言葉が、ラノベ数万冊分の知識よりも、ずっとシンプルで、ずっと強い真理となって、俺の背中を押していた。
俺の叫びに、二人はハッとしたように顔を見合わせ、そして気まずそうに俯いた。どうやら、天才の二人にも、俺の凡人なりのド正論は通じたらしい。
よし、ここからだ。ここからが俺の仕事だ。
俺は、二人の天才を繋ぐ、ただの電線になればいい。
「よし、作戦会議だ!」俺はパンと手を叩いた。「まず栞さん! あんた、この鉄クズの構造を、俺に説明しろ! ただし、条件がある! おたくのその高尚な専門用語は一切禁止だ! 俺みたいな、九九もあやしいアホなサルでも分かるように、説明しろ!」
「さ、サルですって!?」栞は屈辱に顔を歪めたが、背に腹は代えられない。「わ、分かりましたわよ! やってやりますわよ! サルでも分かるように!」
彼女は大きく息を吸い込むと、頭をフル回転させ始めた。
「え、ええとですね! この古代遺物は、言ってみれば…そ、そうですわ! お風呂です! ちょっと性能の良すぎる、全自動のお風呂なんです!」
「風呂?」
「はい! 普段は『知識』という名の素敵なお湯を沸かして、私たちに快適なバスタイムを提供してくれるはずのものでした! ところが、わたくしが操作を誤り、給湯スイッチを最大にしてしまった! しかも、小夜さんの結界のせいで、お風呂の栓が閉まり、排水溝も塞がってしまった! 今、このお風呂は、熱湯が溢れ出して、浴室ごと大爆発する寸前なんです!」
風呂。まさかの風呂だった。だが、不思議なことに、その例えは俺の頭にすんなりと入ってきた。なるほど、沸騰した風呂か。分かりやすい。
「分かった! なら、どうすりゃいい!? どこを止めれば、このクソ熱い風呂は止まるんだ!?」
「給湯管です! 大元のお湯を送っているパイプを破壊すれば、給湯は止まります! あの、遺物の側面についている、三本の水晶が刺さった筒状のパーツ! あそこが一番脆いはずです!」
栞が、震える指で遺物の一点を指し示す。よし、弱点は分かった。
俺は次に、書物の影で小さくなっている小夜に向き直った。
「おい、陰陽師! 次はあんたの番だ!」
小夜はビクッと体を震わせる。
「あんたには、この部屋に満ちてる、その…ええと、ワケの分からんエネルギーの流れを教えろ! 理論なんてどうでもいい! あんたが肌で感じてるままを、俺に教えろ! 色でも、匂いでも、音でも、何でもいい! 擬音でもいいぞ!」
小夜は戸惑っていた。彼女にとって、術とは感覚であり、様式であり、古来から受け継がれた神聖なものだ。それを「擬音で言え」などという不敬な要求は、人生で初めてだったに違いない。
だが、彼女の肩で、式神のヤタが力強く頷いた。小夜は、意を決したように、小さな口を開いた。
「…………」
声にならない。やはり、直接話すのは無理か。ヤタが代弁しようと口を開きかけた、その時。
「……『ごおおおお』……って、なってます」
か細い、蚊の鳴くような、しかし確かに、小夜自身の声だった。
彼女は、顔を真っ赤にしながら、続ける。
「…遺物の中心が、『ごおおおお』って…。それで、栞さんが指さした場所は、他よりも…『きゅるるるる』って、細くて、速い流れが、集まって…」
擬音だった。本当に擬音で来やがった。
だが、その言葉は、栞の理論的な説明と、奇妙なほど完璧に一致していた。栞の言う「エネルギー供給ライン」を、小夜は「きゅるるるる、って流れ」として、確かに感じ取っているのだ。
見えた。
繋がった。
理論と感覚が、俺という凡人の頭の中で、一つの答えを指し示した。
俺は、不敵な笑みを浮かべて、二人の天才に言い放った。
「分かった。よく分かった。じゃあ、作戦を発表する」
俺は、ドンと自分の胸を叩いた。
「小夜、あんたのその有り余ってるオカルトパワーを、全力でぶっ放せ。それを、俺が、この歪めるだけのクソ地味な能力で、無理やり捻じ曲げて、栞さんの言ってた給湯管に、叩き込む!」
一瞬の静寂。
栞と小夜の顔が、同時に「は?」という、宇宙猫でも見るかのような表情で固まった。
「む、無茶苦茶です!」栞が叫ぶ。「エネルギーのベクトルを、外部からの干渉で強制的に変更するなんて! そんなの、どんな計算式にも当てはまりません! 暴発します!」
「…術には、正しい『道』が、あります」小夜もヤタを通して反論する。「流れに、逆らってはいけない…」
「うるせえ! 知るか!」俺は一喝した。「計算式にないから面白いんだろうが! 道がないなら、無理やり作んだよ! やるぞ! 文句は、この風呂が片付いてから聞く!」
もう、迷いはなかった。
俺たちには、それぞれの役割がある。
栞は、この世界の「地図」を描く。
小夜は、この世界の「風」を読む。
そして、俺は――。
地図も読めず、風も読めない俺は、ただ、目的地に向かって、無理やり船を「ワープ」させる、無茶苦茶な羅針盤だ。
栞が、眼鏡を光らせて叫ぶ。「エネルギー供給ライン、座標固定! 誤差、プラスマイナス0.3ミクロン!」
小夜が、初めてその場にすっくと立ち上がる。彼女の周りに、書庫に散らばっていた古い和紙や、舞い落ちた灰が、まるで意志を持ったかのように集まり始める。
「式神召喚――荒魂鎮(あらみたましずめ)!」
小夜が祝詞を唱えると、紙と灰が渦を巻き、一匹の巨大な獣の姿を形成していく。それは、ヤタのような自我を持つ式神ではない。純粋な破壊と浄化のエネルギーの塊。彼女が扱える、最大級の力だった。
「行けっ!」
小夜の号令で、獣の式神が咆哮を上げ、その口から純白のエネルギー奔流を吐き出す。部屋の全てを薙ぎ払い、浄化する光の津波。
だが、その行き先は、遺物ではない。俺だ。
「――うぉぉぉぉっ!」
俺は、その膨大なエネルギーの奔流の前に、両の手を突き出す。
熱い。痛い。魂ごと燃え尽きちまいそうだ。視界が真っ白に染まり、意識が飛びそうになる。
(鳩を武士の兜にぶつけるだけの、役立たずの力だと思ってた)
(壁に埋まったり、天井に張り付いたりするだけの、ギャグみたいな能力だと思ってた)
(でも、もし――)
脳裏に、栞の涙目の顔が、小夜の怯えた顔が浮かぶ。
(もし、この力が、バラバラなこいつらを繋ぐためのものだとしたら!)
「曲がれえええええええええっ!」
俺の目の前の空間が、まるで巨大なレンズのように、限界を超えて歪曲する。
いや、違う。歪んでいるんじゃない。
空間そのものが、エネルギーの奔流を飲み込み、別の場所へと繋がる「道」に変わったのだ。
小夜が放った純白のエネルギーは、俺の目の前で直角に、いや、物理法則を無視した角度で捻じ曲げられ、一本の極細の光の槍へと収束していく。
その槍の切っ先が向かう先は、ただ一点。
栞が示した、遺物の、たった一つの弱点。
ガラスが砕けるような、甲高く、澄んだ音が響き渡った。
次の瞬間、遺物から発せられていた全ての光と音が、まるで悪夢から覚めたかのように、ぷつりと消えた。
耳をつんざいていた轟音は止み、肌を刺していたオゾンの匂いも消えた。
後に残ったのは、しん、と静まり返った静寂だけ。
俺は、全ての力を使い果たし、その場にへたり込んだ。
栞も、小夜も、腰が抜けたように床に座り込んでいる。
散らかった地下室。壊れた壁の隙間から、いつの間にか昇っていた朝の、柔らかい光が差し込んでいた。
その光が、俺たちの顔を照らす。
誰からともなく、ぷっ、と吹き出す音がした。
それにつられて、もう一人。そして、俺も。
俺たちは、顔を見合わせ、腹を抱えて笑い出した。涙が出るほど、馬鹿みたいに、ただただ笑い続けた。
理由は分からない。でも、確かに、何かが繋がり、新しい何かが生まれた、そんな気がした。
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( https://kakuyomu.jp/works/16817330656544103806 )
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