57 / 85
第六章:北海の呼び声、目覚める古の災い
第57話:俺のせいで
しおりを挟むまるで世界そのものが絶叫したかのような、リヴァイアサンの第二波の咆哮。それは、先ほどの衝撃波に加えて、空気を凍てつかせるような絶対零度の冷気を伴っていた。海竜号の甲板は一瞬にして薄氷に覆われ、引きちぎられた帆の残骸やロープは、パリパリと音を立てて凍りついていく。
「ぐっ…! なんだ、この寒さは…!」 源ですら、その巨体を震わせ、吐く息が真っ白になるほどの異常な冷気に歯を食いしばった。仲間たちは必死に凍りつくマストや手すりにしがみついているが、指先の感覚は急速に失われていく。アリア姫が咄嗟に展開した神聖魔法の防護障壁も、この絶対的な冷気の前には焼け石に水で、その表面には霜が降り始めていた。
空は、リヴァイアサンの巨体によって完全に覆われ、昼間のはずなのに、まるで真冬の極夜のように暗く、冷たい闇に閉ざされていた。降り注いでくるのは、もはや潮の飛沫ではない。怪物が吐き出す冷気によって凍結した、鋭い氷の粒だった。それが甲板に叩きつけられるたびに、カン、カン、と硬質な音が響き、否応なく死の気配を漂わせる。
絶望。 その二文字が、凍てつく空気と共に、一行の心を芯から支配していた。あれほどの激戦をくぐり抜けてきた歴戦の仲間たちですら、目の前の「それ」が、自分たちの知るどんな生物とも、どんな魔物とも次元が違う、抗うことすら許されない「天災」に近い存在であることを、肌で感じ取っていた。
しかし、駿だけは、他の仲間たちとは全く異なる種類の絶望に打ちひしがれていた。彼の視線は、凍てつく甲板でも、荒れ狂う波でもなく、ただ一点、リヴァイアサンの額で不気味に脈打つ、あの黒い渦巻き模様の紋章に釘付けになっていた。
(あれは…俺が作ったものだ…)
王都の戦い。千夏が命懸けで作り出した一瞬の好機。仲間たちの、市民たちの想いを一身に受け、自らが持つ力の全てを解放してこじ開けた、異次元への扉。災厄を追放し、王都を救うための、最後の切り札だったはずの力。その力が生み出した空間の裂け目と、目の前の怪物の額で輝く紋章は、寸分違わぬ形をしていた。
(俺が…王都を救うためにやったことが…こんな化け物を、目覚めさせたのか…?)
その冷たい事実は、リヴァイアサンが放つ冷気以上に、駿の心を凍てつかせた。責任感。焦り。そして、何よりも深い自責の念。自分が英雄になろうとした結果がこれなのか? 自分の力が、仲間たちを、そしてこの穏やかだったはずの北の海の平穏を、脅かしている。その事実が、巨大な鉛の塊のように重く、重く、彼の心にのしかかってきた。
(俺が…俺が、なんとかしないと!)
思考が、極端から極端へと振れる。ラノベの主人公ならば、ここで全てを背負い、たった一人で奇跡を起こすのだろう。そうだ、自分がこの怪物を呼び覚ましたのなら、自分が責任を取らなければならない。仲間たちを、これ以上危険な目に遭わせるわけにはいかない。
「みんな! 俺がこいつを引きつける! その隙に、船を反転させて、全速力で逃げろ!」 駿は、半ば錯乱したように叫んだ。その瞳には、悲壮な決意と、どこか自己陶酔にも似た光が宿っていた。彼は、鉄心との修行で掴みかけたばかりの、空間の流れを「識る」力を、たった一人でこの神話級の怪物にぶつけようとしていたのだ。それはあまりに無謀で、自己犠牲という名の感傷に酔った、愚かでしかない英雄ごっこだった。
「待て、駿! 無茶だ!」 彩葉の制止の声も耳に入らない。駿は、凍りつく船べりに足をかけ、荒れ狂う海へと飛び出そうとした。
その腕を、背後から鋼のような力で掴んだ者がいた。 凍てつく氷ですら溶かしそうなほどの、熱い怒気を纏って。
龍之介だった。
「馬鹿野郎ッ!!」
嵐の轟音にも、リヴァイアサンの咆哮にも負けないほどの怒声が、駿の鼓膜を激しく震わせた。
「一人の英雄なんざ、ここにはいらねぇんだよ!! てめぇ一人が格好つけて死んで、誰が喜ぶ!? 泣く奴の顔が、思い浮かばねえのか、この唐変木(とうへんぼく)が!!」
龍之介の言葉は、刃のように鋭く、駿の独りよがりな決意を、心の甘えごと容赦なく切り裂いた。そうだ、自分が死んだら、誰が悲しむ? 彩葉が、小夜が、栞が、アリア姫が、そして目の前のこの男が、きっと泣いてくれるだろう。千夏だって、きっと。
「俺たちは! 仲間だろうが!!」
かつて誰よりも孤独で、仲間という言葉を嘲笑っていたはずの男の、魂からの叫び。その言葉が、凍てついていた駿の心を、内側から激しく揺さぶった。
「…っ!」 駿は、飛び出そうとしていた足を止め、振り向いた。そこには、鬼のような形相の龍之介と、心配そうに自分を見つめる仲間たちの顔があった。源が、無言で駿の肩を力強く叩く。彩葉が、凍える指先で、そっと駿の頬の氷の粒を拭う。小夜と鈴が、不安げながらも、しっかりと駿を見上げている。栞も、アリア姫も。誰も、逃げろなんて言わなかった。誰も、駿一人に責任を押し付けようとはしなかった。
そうだ。自分は、一人じゃない。 このどうしようもなく頼りになって、うるさくて、厄介で、それでもかけがえのない仲間たちが、ここにいる。
駿は、自分の未熟さと、思い上がりを恥じた。そして同時に、この絶望的な状況の中にあって、仲間たちの存在がもたらしてくれる、揺るぎない温かさを、心の底から改めて噛み締めていた。
「…ごめん。俺、どうかしてた」 駿は、深く頭を下げた。そして、顔を上げた時、その瞳にはもう迷いはなかった。自己陶酔でも、自暴自棄でもない。仲間と共に、この未曾有の危機に立ち向かうという、静かで、しかし鋼のように強い決意の光が宿っていた。
「行こう、みんなで」 駿は、リヴァイアサンを真っ直ぐに見据えて言った。
「あいつを、止める!」
その言葉に、仲間たちは力強く頷いた。絶望的な状況は何も変わっていない。しかし、彼らの心は、この極寒の嵐の中で、より一層固く、熱く、一つに結束していた。 波が、そんな彼らの様子を見て、ふっと口元にいつもの不敵な笑みを浮かべた。 「へっ、話はまとまったかい? なら、ちいとばかし、あのデカブツと本気で遊んでやろうじゃないか!」 彼女は舵輪を握り直し、鋭い目で前方の海域を睨んだ。 「掴まってな! この先の岩礁地帯に奴を誘い込む! あそこなら、奴もデカい図体を活かせめぇ!」
海竜号が、悲鳴のような軋みを上げながら、波の巧みな操船によって、まるで生き物のように荒波を滑り始めた。目指すは、この魔の海域の中心にあるという、伝説の岩礁地帯――『龍宮島』。 反撃の時は、来た。
0
あなたにおすすめの小説
『専属メイド全員が重すぎる愛で迫ってくる!~大学生の僕、11人?の美女に24時間甘やかされ尽くす生活~』
まさき
青春
僕は、ちょっと普通じゃない日常を送ることになった――それは、専属メイドが全員僕のことを溺愛してくれる暮らしだ。
朝は髪を整えてくれるリナ、朝食で笑顔を見せてくれるミユ、どの瞬間も全力で僕を甘やかす。掃除、料理、悩み相談まで、僕のためだけに動くメイドたち。
「ご主人様の笑顔が見たいんです」
その一言で、僕の毎日はちょっとドキドキ、ちょっと幸せ。
全員が僕を独占したいと競い合う日常の中、僕はどうやってこの溺愛地獄(?)を生き抜けばいいのか――!?
甘々、至れり尽くせりの日常ラブコメ、開幕。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
S級クラフトスキルを盗られた上にパーティから追放されたけど、実はスキルがなくても生産力最強なので追放仲間の美少女たちと工房やります
内田ヨシキ
ファンタジー
[第5回ドラゴンノベルス小説コンテスト 最終選考作品]
冒険者シオンは、なんでも作れる【クラフト】スキルを奪われた上に、S級パーティから追放された。しかしシオンには【クラフト】のために培った知識や技術がまだ残されていた!
物作りを通して、新たな仲間を得た彼は、世界初の技術の開発へ着手していく。
職人ギルドから追放された美少女ソフィア。
逃亡中の魔法使いノエル。
騎士職を剥奪された没落貴族のアリシア。
彼女らもまた、一度は奪われ、失ったものを、物作りを通して取り戻していく。
カクヨムにて完結済み。
( https://kakuyomu.jp/works/16817330656544103806 )
イケボすぎる兄が、『義妹の中の人』をやったらバズった件について
のびすけ。
恋愛
春から一人暮らしを始めた大学一年生、天城コウは――ただの一般人だった。
だが、再会した義妹・ひよりのひと言で、そんな日常は吹き飛ぶ。
「お兄ちゃんにしか頼めないの、私の“中の人”になって!」
ひよりはフォロワー20万人超えの人気Vtuber《ひよこまる♪》。
だが突然の喉の不調で、配信ができなくなったらしい。
その代役に選ばれたのが、イケボだけが取り柄のコウ――つまり俺!?
仕方なく始めた“妹の中の人”としての活動だったが、
「え、ひよこまるの声、なんか色っぽくない!?」
「中の人、彼氏か?」
視聴者の反応は想定外。まさかのバズり現象が発生!?
しかも、ひよりはそのまま「兄妹ユニット結成♡」を言い出して――
同居、配信、秘密の関係……って、これほぼ恋人同棲じゃん!?
「お兄ちゃんの声、独り占めしたいのに……他の女と絡まないでよっ!」
代役から始まる、妹と秘密の“中の人”Vライフ×甘々ハーレムラブコメ、ここに開幕!
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件
こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
ダンジョン冒険者にラブコメはいらない(多分)~正体を隠して普通の生活を送る男子高生、実は最近注目の高ランク冒険者だった~
エース皇命
ファンタジー
学校では正体を隠し、普通の男子高校生を演じている黒瀬才斗。実は仕事でダンジョンに潜っている、最近話題のAランク冒険者だった。
そんな黒瀬の通う高校に突如転校してきた白桃楓香。初対面なのにも関わらず、なぜかいきなり黒瀬に抱きつくという奇行に出る。
「才斗くん、これからよろしくお願いしますねっ」
なんと白桃は黒瀬の直属の部下として派遣された冒険者であり、以後、同じ家で生活を共にし、ダンジョンでの仕事も一緒にすることになるという。
これは、上級冒険者の黒瀬と、美少女転校生の純愛ラブコメディ――ではなく、ちゃんとしたダンジョン・ファンタジー(多分)。
※小説家になろう、カクヨムでも連載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる