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第八章:言の葉の檻、折れた刃の誓い
第78話:創造主の元へ
しおりを挟む桜色の光が、まるで夜明けの最初の光のように、五重塔の最上階を満たしていた。それは彩葉が放った、憎しみではなく愛を守るための剣閃の残滓(ざんし)。その光がゆっくりと収まっていくと、後に残されたのは、先ほどまでの絶望的な重苦しさとは明らかに違う、温かく、澄み切った静寂だった。
彩葉の心の檻が破られたこと。それは、彼女一人の救済にとどまらなかった。彼女という一点から放たれた「愛」と「希望」という強烈な正のエネルギーは、まるで水面に広がる波紋のように、仲間たちの心にも共鳴し、伝播(でんぱ)していく。
源は、肩の力を抜き、穏やかな表情を取り戻していた。もう彼の瞳に、過去のトラウマに怯える獣の色はない。 桔梗の硬い表情も和らぎ、その目には仲間への、特に身を挺して自分を庇(かば)ってくれた源への、確かな信頼の色が宿っていた。 龍之介は、誰よりも深く、安堵(あんど)の息をついていた。幼い頃から見守ってきた、たった一人の大切な人が、ようやく長い悪夢から覚めたのだ。 小夜は、月白の傍らで、そっと涙を浮かべて微笑んでいた。人の心の温かさが、こんなにも強い力を持つことを、彼女は初めて目の当たりにしたのかもしれない。 栞や鈴、アリア姫も、互いに手を取り合い、言葉にならない喜びを分かち合っていた。
まるで祝福するかのように、厚い雲間から再び月が顔を出し、彼らの姿を優しい銀色の光で照らし出す。それは、長く続いた悪夢の夜が、ようやく明けようとしていることを告げるかのようだった。
しかし、その一方で、彼らの敵であった存在は、急速にその形を失いつつあった。「第七の災厄・コ徒フマ」は、もはやその輪郭(りんかく)を保つことすらできなくなっていたのだ。
彩葉という、最も強力な「負の感情」の供給源(きょうきゅうげん)が断たれたこと。それだけではない。彼女の覚醒(かくせい)によって放たれた「愛」と「希望」という清浄(しょうじょう)なエネルギーが、コトダマの存在基盤(そんざいきばん)そのものである「悪意(あくい)ある言葉(ことば)」や「定義(ていぎ)による呪縛(じゅばく)」を、まるで聖なる光が闇を祓(はら)うかのように、浄化(じょうか)し、無効化(むこうか)していったのだ。
黒い霧のようだった体は、陽光(ようこう)に晒(さら)された影のようにみるみる薄くなり、透(す)き通っていく。無数(むすう)にあった口(くち)から絶え間なく発せられていた不快(ふかい)な囁(ささや)き声も、次第にか細く、意味(いみ)をなさなくなっていく。
コトダマもまた、「固定的な実体(じったい)」を持つ存在ではなかったのだ。それは、人々の負(ふ)の感情(かんじょう)や悪意ある言葉、そしてそれらを「定義」し固定化(こていか)しようとする心の働き、そういった様々な**「縁(えん)」――原因(げんいん)や条件(じょうけん)――によって、その場限(ばかぎ)りに成り立っている「現象(げんしょう)」**に過ぎなかった。その縁(えん)が断たれ、条件(じょうけん)が変われば、現象そのものが形を変え、あるいは消滅(しょうめつ)へと向かうのは、この世界の必然(ひつぜん)の理(ことわり)だった。確固(かっこ)たる「我(が)」など、どこにも存在しないのだから 。
完全に形を失い、ただの黒い靄(もや)のようになったコトダマは、最後に、まるでプログラムが終了コードを吐き出すかのように、断片的(だんぺんてき)な言葉を残して消滅していく。その声には、もはや先ほどまでの悪意や嘲笑(ちょうしょう)の色はなく、ただ淡々(たんたん)とした事実(じじつ)を告げているかのようだった。
『定義、不能……存在、維持、限界……』 『我ら、七厄は……滅びぬ……』 『ただ……還るだけだ……創造主の、元へ……』 『いずれ……完全なる、器を得て……再び、この地に……』
その言葉を最後に、黒い靄は完全に掻(か)き消え、五重塔の頂上には、ただ秋の冷たい夜風(よかぜ)が吹き抜けるだけとなった。 同時に、祭壇(さいだん)の上で不気味(ぶきみ)な存在感(そんざいかん)を放っていた大僧正・玄心もまた、召喚の儀式(ぎしき)の代償(だいしょう)として全ての生命力(せいめいりょく)を吸(す)い尽(つ)くされたのだろう、まるでミイラのように干涸(ひか)らびた亡骸(なきがら)となって、音もなく崩れ落ちていた 。彼の歪(ゆが)んだ野望(やぼう)も、ここに潰(つい)えた。
古都・綾杜に蔓延(まんえん)していた、言葉による呪いの気配(けはい)は、完全に消え去った。戦いは、終わったのだ。
しかし、残されたコトダマの最後の言葉は、束(つか)の間(ま)の安堵(あんど)に浸(ひた)っていた仲間たちの心に、新たな、そしてより深く不吉(ふきつ)な影(かげ)を落とした。
「創造主? 器? ……やはり、あの物語は!」 栞が、血の気(け)の引(ひ)いた顔で呟(つぶや)いた。彼女の頭の中では、コトダマの言葉と、駿が語(かた)ったライトノベル『終焉の勇者と七つの災厄』の内容(ないよう)とが、恐(おそ)ろしいほどに符合(ふごう)していた 。戦慄(せんりつ)を隠(かく)せない。
「還(かえ)るだけ、だと? 奴(やつ)らは倒(たお)しても、いずれ蘇(よみがえ)るというのか……?」 桔梗が、苦々(にがにが)しげに顔を曇(くも)らせる。終わりの見えない戦(たたか)いの可能性(かのうせい) 。それは、彼女が最も嫌(きら)う徒労(とろう)と絶望(ぜつぼう)の匂(にお)いがした。
「ちっ、面倒(めんどう)なこった。だが、何度(なんど)でも叩(たた)き潰(つぶ)すだけだ」 源は、決意(けつい)を新(あら)たにするように、ゴキリと拳(こぶし)を鳴(な)らした 。彼の目には、もはや迷(まよ)いはない。
「駿さん……」 彩葉は、世界の危機(きき)や残された謎(なぞ)よりも、ただ目の前にいる愛(いと)しい人の無事(ぶじ)な姿(すがた)を見つめていた 。彼女(かのじょ)の心(こころ)は、もう彼(かれ)のことで一杯(いっぱい)だった。
駿は、コトダマの言葉を、頭の中で反芻(はんすう)していた。 (創造主……やっぱり、俺の知ってる、あのラノベの作者のことなのか? 器ってなんだ? 誰かに憑依(ひょうい)でもするってことか? 七つの災厄は、倒しても消えない……?)
以前(いぜん)の彼(かれ)なら、「ありえない」「ただの偶然(ぐうぜん)だ」と、この異常事態(いじょうじたい)を否定(ひてい)しようとしただろう。しかし、これまでの旅(たび)と、仲間(なかま)たちとの出会(であ)い、そして自(みずか)らの力(ちから)の覚醒(かくせい)を経(へ)て、彼(かれ)の物事(ものごと)の見方(みかた)は変(か)わっていた。
彼は、もはやこの世界の異常(いじょう)さ、物語(ものがたり)とのリンクを「ありえないこと」として拒絶(きょぜつ)するのではなく、それがこの世界の「ルール」であり、「法則(ほうそく)」なのだと、ありのままに受(う)け入(い)れ始(はじ)めていた 。思い込(こ)みや願望(がんぼう)を交(まじ)えず、ただ現実(げんじつ)を観察(かんさつ)し、その仕組(しく)みを理解(りかい)しようとする。それこそが、苦(くる)しみから抜(ぬ)け出(だ)すための第一歩(だいいっぽ)、「正(ただ)しい見解(けんかい)(正見 しょうけん)」の始(はじ)まりだった。
ラノベの知識(ちしき)は、もはや単(たん)なる趣味(しゅみ)や現実逃避(げんじつとうひ)の道具(どうぐ)ではないのかもしれない。この狂(くる)った世界(せかい)を生(い)き抜(ぬ)くための、そして仲間(なかま)たちを守(まも)るための、自分(じぶん)だけが持(も)つ、唯一(ゆいいつ)の手(て)がかりなのかもしれない 。
第七の災厄・コトダマは消滅し、古都・綾杜には束(つか)の間(ま)の平和(へいわ)が訪(おとず)れた。しかし、残された謎はあまりに大きく、不吉だった。「創造主」とは何者なのか? 倒したはずの災厄は、本当に消えたのか? 「完全なる器」とは?
仲間たちが、安堵と疲労の中で言葉を失っている、その時だった。
突如(とつじょ)、彼らの目の前の空間が、まるで血のように赤く染(そ)まり始めた。そして、何の兆候(ちょうこう)もなく、その空間にガラスのような亀裂(きれつ)が走り始めたのだ 。
パキィン!
乾(かわ)いた、嫌(いや)な音が響(ひび)き渡(わた)る。静寂(せいじゃく)は、再び破(やぶ)られようとしていた。
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