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第八章:言の葉の檻、折れた刃の誓い
第79話:紅の刃、現る
しおりを挟む五重塔の最上階。コトダマが消滅(しょうめつ)し、玄心(げんしん)が崩(くず)れ落(お)ちた後に訪(おとず)れた、束(つか)の間(ま)の静寂(せいじゃく)。それは、まるで嵐(あらし)の目のような、脆(もろ)く儚(はかな)い平穏(へいおん)だった。仲間(なかま)たちが安堵(あんど)の息(いき)をつき、互(たが)いの無事(ぶじ)を確(たし)かめ合(あ)おうとした、まさにその瞬間(しゅんかん)だった。
パキィン!
乾(かわ)いた、ガラスが割(わ)れるような音(おと)が、夜空(よぞら)に響(ひび)き渡(わた)った。音(おと)の発生源(はっせいげん)は、先(さき)ほどまでコトダマが存在(そんざい)していたはずの、何(なに)もない空間(くうかん)。そこが、まるで血(ち)のように赤(あか)く染(そ)まり始(はじ)めていた。そして、その赤(あか)く染(そ)まった空間(くうかん)に、現実(げんじつ)のものとは思(おも)えぬ亀裂(きれつ)が走(はし)り始(はじ)めたのだ。
それは物理的(ぶつりてき)な亀裂(きれつ)ではなかった。空間(くうかん)そのものが、まるで限界(げんかい)を超(こ)えた力(ちから)によって引(ひ)き裂(さ)かれ、悲鳴(ひめい)を上(あ)げているかのようだった。亀裂(きれつ)は急速(きゅうそく)に広(ひろ)がり、その向(む)こう側(がわ)から、まるで溶鉱炉(ようこうろ)を開(あ)けたかのような灼(や)けつく熱気(ねっき)と、息(いき)が詰(つ)まるほどの圧倒的(あっとうてき)なプレッシャーが溢(あふ)れ出(だ)してくる。
空気(くうき)が重(おも)い。粘性(ねんせい)を帯(お)びたように肌(はだ)にまとわりつき、呼吸(こきゅう)すら困難(こんなん)になる。先(さき)ほどのコトダマが放(はな)っていた精神的(せいしんてき)なプレッシャーとは次元(じげん)が違(ちが)う。それは、もっと直接的(ちょくせつてき)で、純粋(じゅんすい)な、絶対的(ぜったいてき)な「力(ちから)」そのものの威圧感(いあつかん)だった。仲間(なかま)たちは、得体(えたい)の知(し)れぬ恐怖(きょうふ)に息(いき)を呑(の)み、反射的(はんしゃてき)に武器(ぶき)を構(かま)える。浄化(じょうか)されたはずの五重塔(ごじゅうのとう)の頂上(ちょうじょう)が、再び悪意(あくい)と暴力(ぼうりょく)の色(いろ)に染(そ)め上(あ)げられていく。
赤(あか)い光(ひかり)が最高潮(さいこうちょう)に達(たっ)した瞬間(しゅんかん)、亀裂(きれつ)の中から、音(おと)もなく一人(ひとり)の男(おとこ)が歩(あゆ)み出(で)てきた。 漆黒(しっこく)の鎧(よろい)に身(み)を包(つつ)み、顔(かお)は表情(ひょうじょう)の一切(いっさい)を読(よ)み取(と)らせない能面(のうめん)のような仮面(かめん)で覆(おお)われている。その腰(こし)には、抜(ぬ)かずとも禍々(まがまが)しいオーラを放(はな)つ、血(ち)のように赤(あか)い刃(やいば)を持(も)つ長大(ちょうだい)な刀(かたな)が佩(は)かれていた。 間違(まちが)いない。「紅(あか)い刃(やいば)」の首領(しゅりょう)、戒(かい)だった 。
彼(かれ)は、まるで自分(じぶん)の庭(にわ)を散歩(さんぽ)するかのように、悠然(ゆうぜん)と一行(いっこう)の前(まえ)に立(た)つ。その体(からだ)からは、これまでのどの敵(てき)とも比較(ひかく)にならない、底知(そこし)れない強者(きょうしゃ)の威圧感(いあつかん)が、まるで物理的(ぶつりてき)な圧力(あつりょく)のように放(はな)たれていた。
戒(かい)は、まず祭壇(さいだん)の上(うえ)でミイラのように崩(くず)れ落(お)ちている玄心(げんしん)の亡骸(なきがら)を一瞥(いちべつ)し、仮面(かめん)の下(した)で鼻(はな)を鳴(な)らして嗤(わら)った。「愚(おろ)かな男(おとこ)よ。人(ひと)の身(み)で神(かみ)を気取(きど)るとはな」。
そして、その視線(しせん)を、彩葉(いろは)と龍之介(りゅうのすけ)――彼(かれ)らが傍(かたわ)らに置(お)いていた、今(いま)は一(ひと)つの完全(かんぜん)な姿(すがた)を取(と)り戻(もど)した御神刀(ごしんとう)『天叢雲(あめのむらくも)』――へと移(うつ)した。仮面(かめん)の下(した)の目(め)が、獲物(えもの)を見(み)つけたかのように、愉悦(ゆえつ)に細(ほそ)められるのが分(わ)かった。
「見事(みごと)だ、彩葉(いろは)。そして龍之介(りゅうのすけ)。ようやく憎(にく)しみを乗(の)り越(こ)え、その刀(かたな)を一(ひと)つに戻(もど)したか。だが、それが貴様(きさま)らの最大(さいだい)の過(あやま)ちだったな」 。
戒(かい)の声(こえ)は、静(しず)かだったが、その奥(おく)には絶対的(ぜったいてき)な自信(じしん)と、嘲(あざけ)るような響(ひび)きが含(ふく)まれていた。
「その『鍵(かぎ)』は、我(わ)が主(あるじ)、『闇(やみ)の住人(じゅうにん)』様(さま)、ひいては創造主(そうぞうしゅ)様(さま)が、この歪(ゆが)んだ世界(せかい)を作(つく)り替(か)えるためにこそ使(つか)われるべきものなのだからな」 。
彼(かれ)の目的(もくてき)は、ただ一(ひと)つ。彩葉(いろは)と龍之介(りゅうのすけ)が命(いのち)を懸(か)けて守(まも)り、そして取(と)り戻(もど)したばかりの御神刀(ごしんとう)『天叢雲(あめのむらくも)』の奪取(だっしゅ)だった 。
戒(かい)が、御神刀(ごしんとう)に向(む)かってゆっくりと手(て)を伸(の)ばそうとした、まさにその瞬間(しゅんかん)だった。
シュシュシュッ!
彼(かれ)の背後(はいご)から、氷(こおり)の刃(やいば)のような冷気(れいき)を纏(まと)った無数(むすう)の式符(しきふ)が飛来(ひらい)し、戒(かい)の動(うご)きを牽制(けんせい)するように周囲(しゅうい)の空間(くうかん)に打(う)ち込(こ)まれた。同時(どうじ)に、塔(とう)の別(べつ)の方向(ほうこう)から、夜(よる)の闇(やみ)を貫(つらぬ)く一条(いちじょう)の光(ひかり)――光(ひかり)の矢(や)――が、寸分(すんぶん)の狂(くる)いもなく戒(かい)の仮面(かめん)を狙(ねら)って放(はな)たれた。
「!?」
戒(かい)は、伸(の)ばしかけた手(て)を引(ひ)き、迫(せま)る光(ひかり)の矢(や)を腰(こし)の赤(あか)い刀(かたな)で弾(はじ)き返(かえ)す。甲高(かんだか)い金属音(きんぞくおん)が響(ひび)き渡(わた)った。
式符(しきふ)が打(う)ち込(こ)まれた空間(くうかん)から、影(かげ)が揺(ゆ)らめくようにして静(しずか)が姿(すがた)を現(あらわ)す。光(ひかり)の矢(や)が飛(と)んできた方向(ほうこう)からは、弓(ゆみ)を構(かま)えた千夏(ちなつ)が、軽(かろ)やかに屋根(やね)の上(うえ)から飛(と)び降(お)りてきた。 彼女(かのじょ)たちもまた、コトダマが消滅(しょうめつ)し、空間(くうかん)が不安定(ふあんてい)になった一瞬(いっしゅん)を突(つ)き、この場(ば)に駆(か)けつけていたのだ 。
「その『鍵(かぎ)』も、そこにいる『災厄(さいやく)の欠片(かけら)』も、我々(われわれ)『天(あま)つ鏡(かがみ)』が回収(かいしゅう)する」 。 静(しずか)の声(こえ)は、相変(あいか)わらず氷(こおり)のように冷(つめ)たい。 「創造主(そうぞうしゅ)の歪(ゆが)んだ物語(ものがたり)は、我々(われわれ)が終(お)わらせる!」 。
「駿(しゅん)!」 千夏(ちなつ)は、駿(しゅん)の無事(ぶじ)な姿(すがた)を見(み)て、一瞬(いっしゅん)、安堵(あんど)の表情(ひょうじょう)を浮(う)かべた。しかし、すぐ隣(となり)に立(た)つ静(しずか)の冷(つめ)たい視線(しせん)に気(き)づき、慌(あわ)てて表情(ひょうじょう)を引(ひ)き締(し)め、弓(ゆみ)を構(かま)え直(なお)した。彼女(かのじょ)の心(こころ)は、今(いま)も組織(そしき)への忠誠(ちゅうせい)と、駿(しゅん)たちへの想(おも)いとの間(あいだ)で揺(ゆ)れ動(うご)いているのかもしれない。
これで、役者(やくしゃ)は揃(そろ)った。 古都(こと)・綾杜(あやのもり)の五重塔(ごじゅうのとう)の頂上(ちょうじょう)。月(つき)に照(て)らされた狭(せま)い舞台(ぶたい)の上(うえ)で、世界(せかい)の運命(うんめい)を左右(さゆう)するであろう三(みっ)つの勢力(せいりょく)が、互(たが)いを睨(にら)み合(あ)う。
一(ひと)つは、「紅(あか)い刃(やいば)」の首領(しゅりょう)、戒(かい)。創造主(そうぞうしゅ)(とその代理人(だいりにん)である闇(やみ)の住人(じゅうにん))の意志(いし)に基(もと)づき、御神刀(ごしんとう)を奪(うば)い、「災厄(さいやく)」の力(ちから)で世界(せかい)を作(つく)り替(か)えようとする勢力(せいりょく)。 一(ひと)つは、「天(あま)つ鏡(かがみ)」。創造主(そうぞうしゅ)の「物語(ものがたり)」そのものを破壊(はかい)し、世界(せかい)を本来(ほんらい)あるべき姿(すがた)(あるいは無(む)?)へと「再生(さいせい)」させようとする勢力(せいりょく)。災厄(さいやく)の力(ちから)も、御神刀(ごしんとう)も、そして駿(しゅん)の力(ちから)すらも、そのための道具(どうぐ)と見(み)なしている。 そして、駿(しゅん)一行(いっこう)。仲間(なかま)と、今(いま)ここにある世界(せかい)を守(まも)るために戦(たたか)う勢力(せいりょく)。御神刀(ごしんとう)も、災厄(さいやく)も、世界(せかい)の真実(しんじつ)も、まだ完全(かんぜん)には理解(りかい)していない。しかし、ただ目の前(めのまえ)の脅威(きょうい)と理不尽(りふじん)に立(た)ち向(む)かう。
三者(さんしゃ)の目的(もくてき)は異(こと)なる。しかし、御神刀(ごしんとう)という「鍵(かぎ)」、そして駿(しゅん)という「イレギュラー」な存在(そんざい)という**「縁(えん)」**によって、彼(かれ)らはこの場所(ばしょ)に引(ひ)き寄(よ)せられ、否応(いやおう)なく対峙(たいじ)することになった。誰(だれ)が勝(か)ち、誰(だれ)が敗(やぶ)れるのか。その結果(けっか)が、この世界(せかい)の未来(みらい)を決定(けってい)づけるだろう。
息(いき)詰(づ)まるような緊張感(きんちょうかん)が、五重塔(ごじゅうのとう)の頂上(ちょうじょう)を支配(しはい)する。風(かぜ)の音(おと)だけが、やけに大(おお)きく聞(き)こえる。 戒(かい)は、御神刀(ごしんとう)を狙(ねら)いながらも、静(しずか)と千夏(ちなつ)の動(うご)きを警戒(けいかい)している。 静(しずか)は、戒(かい)を最大(さいだい)の障害(しょうがい)と見(み)なしつつ、駿(しゅん)の持(も)つ「調律者(ちょうりつしゃ)」としての潜在能力(せんざいのうりょく)にも注意(ちゅうい)を払(はら)っている。 駿(しゅん)たちは、目の前(めのまえ)の二(ふた)つの強大(きょうだい)な敵(てき)を前(まえ)に、どう動(うご)くべきか逡巡(しゅんじゅん)していた。特(とく)に駿(しゅん)は、数時間(すうじかん)前(まえ)まで信(しん)じようと決(き)めたはずの千夏(ちなつ)が、今(いま)、明確(めいかく)な敵(てき)として立(た)ちはだかっている事実(じじつ)に、心(こころ)を乱(みだ)されていた。
その均衡(きんこう)を破(やぶ)ったのは、やはり戒(かい)だった。
「小賢(こざか)しい、虫(むし)けらどもが」
彼(かれ)は、仮面(かめん)の下(した)で嘲笑(ちょうしょう)すると、ついに腰(こし)の赤(あか)い刀(かたな)――『血染(ちぞめ)ノ桜(さくら)』――を、鞘(さや)から抜(ぬ)き放(はな)った。
その瞬間(しゅんかん)、世界(せかい)から色(いろ)が失(うしな)われたかのような錯覚(さっかく)に、駿(しゅん)たちは襲(おそ)われた。それは物理的(ぶつりてき)な光(ひかり)の変化(へんか)ではない。戒(かい)の刀(かたな)が放(はな)つ、圧倒的(あっとうてき)なまでの絶望感(ぜつぼうかん)と破壊(はかい)の意思(いし)が、見(み)る者(もの)の精神(せいしん)を直接(ちょくせつ)蝕(むしば)み、世界(せかい)そのものを色褪(いろあ)せて見(み)せるのだ。
三(みっ)つ巴(どもえ)の死闘(しとう)の火蓋(ひぶた)が、今(いま)、切(き)って落(お)とされた。
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