無詠唱? キャンピングカーで大冒険。虐げられた少女を拾った俺は、規格外の力と文明の利器で彼女を全力で救う件

Gaku

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第7章:過去の嘘と、真実の絆

第31話:象牙の塔の退屈な天才 〜静寂は、騒音によって初めて認識される〜

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 春の嵐というものは、得てして予報もなしに、土足でドアを蹴破ってやってくるものだ。

 ***

 古い図書館の奥底に沈殿する埃と、インクの乾いた匂い。
 エリーゼにとって、それは羊水のように心地よい、世界との境界線だった。

 王立魔導学院、特別研究棟の最上階。
 「象牙の塔」と揶揄されるその場所は、春だというのに冬の夜のように静まり返っていた。
 窓の外では、暴力的なまでの生命力が溢れかえっている。薄紅色の花びらが雪崩のように舞い散り、甘ったるい蜜の香りが、風に乗って窓ガラスを叩いている。陽光は柔らかく、校庭の芝生は若草色に萌え、青春を謳歌する学生たちの笑い声が、遠い波音のように響いていた。

 けれど、分厚い樫の木の扉一枚隔てたこの部屋には、そんな浮ついた空気は微塵も入り込めない。
 ここにあるのは、整然と並べられた魔道書と、冷徹な論理、そして絶対的な静寂だけだ。

 エリーゼ・フォン・ヴァイデマンは、革張りの椅子に深く身を沈め、退屈を弄ぶように羽根ペンを回していた。
 蜂蜜を溶かしたような金色の髪が、窓から差し込む一筋の光を受けて、冷ややかに輝いている。透き通るような白い肌は、まるで精巧に作られたビスクドールのようで、そこには生身の人間特有の「熱」が感じられなかった。

「……退屈ね」

 彼女は独りごちて、書きかけの羊皮紙を指先で弾いた。
 そこには、大の大人が数人がかりで数日かけて解読するような、古代魔術の複雑な構成式が記されていた。しかし彼女にとっては、子供の積み木崩しよりも簡単で、あくびが出るような代物だった。

 才能とは、神様からの贈り物などではない。あれは、一種の呪いだ。
 エリーゼは幼い頃から、それを持て余していた。
 彼女が指を鳴らせば、雨雲は消え去り、枯れた花は蘇った。周囲の大人たちは、最初は手を叩いて喜んだ。けれど、彼女が彼らの理解を超える速度で真理に到達し始めると、その拍手は止み、笑顔は引きつり、やがて「恐怖」という名の沈黙に変わった。

 『神童』
 『天才』
 『化け物』

 称賛の言葉は、いつだって嫉妬と畏怖でコーティングされていた。
 「すごいね、エリーゼちゃん」と頭を撫でてくる手のひらが、微かに震えているのを、彼女は見逃さなかった。彼らは、自分たちの理解の範疇(ものさし)に収まらない彼女を、心の底では排除したがっていたのだ。

 だから、エリーゼは扉を閉ざした。
 他人という不確定要素(ノイズ)を排除し、予測可能な数式と魔力の世界に引きこもった。
 数式は裏切らない。
 魔力は嘘をつかない。
 ここには、期待も、失望も、傷つくこともない。
 ただ、死ぬほど退屈な「安らぎ」があるだけだ。

 (私は一人でいい。一人こそが、完全な状態なのだから)

 彼女はそう自分に言い聞かせ、再びペンを走らせようとした。
 その時だった。

 **ドォォォォォォォォォォォン!!!**

 ノック?
 いいや、それは爆発音だった。
 研究室の分厚い樫の扉が、蝶番(ちょうつがい)ごと悲鳴を上げ、部屋の内側へとすっ飛んできたのだ。

「……は?」

 エリーゼの思考が停止する。
 物理法則を無視した光景。重厚な扉が木の葉のように舞い、本棚に激突して、数冊の貴重な魔道書を巻き添えに粉砕した。
 舞い上がる土煙。
 静寂の聖域は、一瞬にして工事現場のような騒音に包まれた。

「おっしゃあ! 開いたぞォォ!!」

 土煙の向こうから、鼓膜を破らんばかりの大声が響いてきた。
 現れたのは、学院の制服を着崩した、長身の男だった。
 燃えるような赤髪。夏の日差しを吸い込んだような日焼けした肌。そして、獰猛な肉食獣を思わせる、ギラギラとした瞳。
 男は土足で――文字通り、泥だらけのブーツで――エリーゼの聖域を踏み荒らしながら、ニカっと白い歯を見せた。

「よう天才! 部屋の鍵、かかってたぞ!」

「……鍵がかかっていたら、開けないのが常識でしょう?」

 エリーゼの声は、絶対零度のように冷え切っていた。
 だが、男は全く意に介さない。

「細かいことは気にするな! 俺はレオン! 勇者になる男だ!」
「勇者になる前に、不法侵入で退学になりなさい」

 レオンの後ろから、さらに二人の人影が現れた。
 一人は、目つきの鋭い小柄な少年。短剣を弄びながら、呆れたように肩をすくめている。
「おいレオン、ドア壊すなって言っただろ。修理代、また俺たちの報酬から天引きだぞ」
 もう一人は、おっとりとした雰囲気の少女。僧侶の法衣を纏っているが、その手にはなぜか大量の焼き芋が抱えられていた。
「あらあら、派手にやっちゃいましたねぇ。でも、風通しが良くなって素敵ですぅ」

 泥棒。破壊魔。天然。
 エリーゼが最も忌み嫌う、「無秩序(カオス)」の具現化のような三人組だった。

 エリーゼは、優雅な動作で立ち上がった。
 その指先に、青白い魔力が集束していく。
 詠唱はいらない。彼女の頭の中で数式が組み上がり、大気中の水分が瞬時に冷却され、鋭利な氷の礫(つぶて)となって形成される。

「出て行きなさい。さもなくば、全身を凍らせて、中庭のオブジェにしてあげますわ」

 殺気を含んだ警告。
 普通の生徒なら、腰を抜かして逃げ出すレベルの威圧感だ。
 だが、レオンは「お?」と目を輝かせただけだった。

 ヒュンッ!

 エリーゼが放った氷弾。
 音速に近い速度でレオンの顔面へと迫る。
 しかし。

 パシィッ!!

 乾いた音が響いた。
 レオンは、剣を抜くことすらしなかった。
 素手だ。
 ただの素手で、飛来する氷の弾丸を、まるで飛んできたボール遊びの球のようにキャッチしたのだ。

「……なっ!?」

 エリーゼの目が、驚愕で見開かれる。
 ありえない。物理的な速度も、凍結の魔力も、全て無視されている。
 レオンの手の中で、氷弾がピキピキと音を立てて砕け散った。彼の手のひらは真っ赤になっていたが、彼は「痛ってぇな!」と笑っているだけだった。

「すげぇ! お前、挨拶代わりに雪合戦か!? 気が利くじゃねぇか!」

「あ、挨拶……?」
 エリーゼは言葉を失った。殺す気で撃った魔法を、雪合戦呼ばわりされたのだ。

 レオンはズカズカと部屋の奥まで歩み寄ると、エリーゼの目の前に「ぬっ」と何かを突き出した。
 湯気を立てる、茶色い塊。
 焦げた皮の匂いと、濃厚な甘い香り。
 焼き芋だった。

「ほら、食えよ! 魔法使うと腹減るんだろ? さっき中庭で焼いてきたんだ。あっつあつだぞ!」

「……は?」

「手が冷てぇな。これ持ってれば温まるぜ」

 レオンは、エリーゼの返事も待たずに、彼女の白く冷たい手に、強引に焼き芋を押し付けた。
 熱い。
 火傷しそうなほどの熱が、薄い皮膚を通して伝わってくる。
 それは単なる熱エネルギーではない。泥臭くて、粗野で、けれど圧倒的な「生」の熱量だった。

 エリーゼは、両手で焼き芋を持たされたまま、呆然と立ち尽くした。
 こんな展開、彼女の脳内のどんな高度な演算式にも存在しなかった。
 予測不能。計算不能。
 彼女が築き上げてきた完璧な静寂の塔に、亀裂が入る音がした。

「な、何なのですか、あなたたちは……!」

 震える声で問うと、後ろにいた少年――盗賊のボルグが、リンゴをかじりながら言った。

「勧誘だよ、勧誘。俺たちのパーティ『銀の翼』に入れって話だ」
「パーティ?」
「そう。俺たちはこれから『嘆きの迷宮』の最深部に挑む。あそこは仕掛けがエグいからな。お前みたいな頭のいい魔導師が必要なんだよ」

 必要。
 その言葉に、エリーゼの心がピクリと反応した。
 けれど、すぐに冷たい膜で覆い隠す。
 どうせ、私の「力」が必要なだけだ。便利な道具として、使い潰すつもりなんでしょう?
 私は知っている。大人はみんなそうだ。利用価値があるうちはチヤホヤして、理解できなくなれば捨てる。
 他人なんて、自分を満たすために誰かを搾取するだけの存在だ。

「お断りします」
 エリーゼは冷たく言い放ち、焼き芋を机の上に置いた。
「私は、誰かと群れる趣味はありません。それに、あなたたちのような低俗な方々と一緒に行動すれば、私の美的感覚が腐ってしまいますわ」

 辛辣な拒絶。
 ボルグが「うわ、きっつー」と顔をしかめる。
 僧侶のセラが「まあまあ、そう言わずに」とオロオロする。
 これで終わりだ。彼らは怒って帰るだろう。そして二度と近づかない。いつも通りだ。
 そう思った、その時。

「だっはっはっは!!」

 レオンが、腹を抱えて爆笑した。
 エリーゼは眉をひそめた。「何がおかしいのです?」

「いや、お前、面白いな! 『美的感覚が腐る』なんてセリフ、演劇の悪役でしか聞いたことねぇよ!」
 レオンは涙を拭いながら、真っ直ぐにエリーゼを見た。
 その瞳には、計算も、打算も、恐れもなかった。
 ただ、面白いおもちゃを見つけた子供のような、純粋な好奇心だけが輝いていた。

「気に入った! ますます俺たちの仲間に入れたくなったぜ!」

「……話を聞いていましたか? 私は嫌だと言ったのです」
「なんで? 一緒に行ったほうが楽しいぞ?」

 楽しい。
 エリーゼにとって、最も縁遠い言葉。
 彼女はため息をつき、論理で説き伏せようとした。

「いいですか。私は一人で研究をしていたいのです。他人と歩調を合わせるのは非効率ですし、リスク管理の観点からも……」

「難しいことはわかんねぇ!」
 レオンが一刀両断した。

「俺が言ってるのは、損得の話じゃねぇよ。お前と行ったら、なんか面白そうだから誘ってんだ!」

「……面白そう?」

「おう! さっきの氷の魔法、すげぇ綺麗だったしな! あんな魔法を使う奴が、こんなカビ臭い部屋で腐ってるのはもったいねぇだろ!」

 レオンは、ニッと笑って親指を立てた。

「外の世界はすげぇぞ。見たこともない魔物がいて、食ったこともない美味いもんがあって、毎日が祭みたいだ。お前のその賢い頭で、俺たちを驚かせてくれよ!」

 エリーゼは言葉を失った。
 「役に立つから」ではない。「強いから」でもない。
 「面白そうだから」。
 そんな、論理的根拠のかけらもない、馬鹿げた理由。
 けれど、その馬鹿げた熱量が、エリーゼの心の奥底にある「何か」を揺さぶった。
 それは、彼女自身が幼い頃に封印した、「未知なるものへのワクワク感」だったのかもしれない。

「……バカな人たち」

 エリーゼは、ふいっと顔を背けた。
 けれど、その頬がわずかに紅潮しているのを、夕陽が隠してくれた。

「今日は帰ってください。ドアの修理代は、あなたたちに請求しておきますから」

「おう! わかった! 今日は引くぜ!」
 レオンはあっさりと引き下がった。
 だが、去り際に、彼は振り返って言った。

「でも、諦めねぇからな! 明日も来る! 明後日も来る! お前が『うん』って言うまで、毎日焼き芋持ってきてやるから覚悟しとけよ!」

「迷惑です!」
「じゃあな、天才! 芋、冷めないうちに食えよ!」

 三人は、春の嵐のように騒がしく去っていった。
 残されたのは、破壊された扉と、泥だらけの足跡。
 そして、机の上に置かれた、無骨な焼き芋。

 静寂が戻った研究室。
 けれど、それは以前のような「死んだ静寂」ではなかった。
 風穴の開いた入り口から、春の風が吹き込んでくる。
 花の香りと、土の匂い。
 そして、焼き芋の甘く香ばしい匂いが、部屋の空気を塗り替えていく。

 エリーゼは、机の上の焼き芋を見つめた。
 ごつごつとして、土がついたままの、不格好な芋。
 恐る恐る、指先で触れてみる。
 まだ、温かい。
 その熱が、冷え切っていた指先から、血管を通って心臓へと流れていくような気がした。

「……熱いじゃない」

 彼女は小さく呟いた。
 一人で食べる焼き芋は、喉が詰まるほど甘く、そして少しだけ、しょっぱい味がしたかもしれない。
 象牙の塔の窓から見える空は、夕焼けで赤く燃えていた。
 明日もまた、あの嵐がやってくる。
 その予感は、彼女にとって「恐怖」であるはずなのに、なぜか胸の高鳴りを止めることができなかった。

 それは、「諸行無常」――全てのものは移ろいゆくという、世界の理(ことわり)が、彼女の止まっていた時間を動かし始めた合図だった。
 孤独という名の氷の城が、春の日差しに晒されて、最初の一滴を落とした瞬間だった。

 ***

 翌日。
 予告通り、レオンたちはやってきた。今度は窓から。
 その次は、煙突から(サンタクロースか、とエリーゼは本気で呆れた)。
 
 彼らは毎日、新しい「非常識」と「お土産」を持ってきた。
 市場で買った怪しい果物。拾った綺麗な石。変な形の虫。
 エリーゼの研究室は、日に日にガラクタで溢れ、賑やかになっていった。

 彼女はまだ知らない。
 この騒がしい日々が、やがて彼女にとってのかけがえのない宝物となり、そして一生消えない傷跡を残すことになる未来を。

 春の風は、優しく、そして残酷に、運命のページをめくっていく。
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