無詠唱? キャンピングカーで大冒険。虐げられた少女を拾った俺は、規格外の力と文明の利器で彼女を全力で救う件

Gaku

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第9章:システムという名の檻

第41話:バグだらけの幸せな日々~あるいは、ある社畜が「愛」という名の致命的なエラーを知るまで~

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 人生というものは、たいていの場合、クソゲーである。  理不尽な難易度設定、課金プレイヤー(親ガチャ成功者)の優遇、そして何より、セーブポイントが存在しない。  前世の私は、そんなクソゲーの「モブキャラA」として、日本の灰色の空の下、コンクリートの箱の中で死んだ。死因は過労死。享年二十七歳。最後の記憶は、三日風呂に入っていない自分の頭皮の脂っこい臭いと、明滅するモニターの青白い光、そして「あ、レポートの保存してない」という情けない後悔だけだった。

 だから、目が覚めた時、私は天国に来たのだと思った。

 視界いっぱいに広がるのは、見たこともないほど豪華なシャンデリア。  鼻をくすぐるのは、安っぽいインスタントコーヒーの匂いではなく、高貴なバラの香りと、日干しされたばかりのフカフカの布団の匂い。  そして何より、私の目の前には、この世のものとは思えない美男美女がいた。

「おお……アリス。パパの天使。なんて可愛いんだ」 「ええ、あなた。私たちの宝物よ」

 金髪碧眼のイケメンと、聖女のような微笑みを浮かべる美女が、代わる代わる私のほっぺにスリスリしてくる。  私は、言葉を発しようとした。  「あの、ここどこですか? 私、死にましたよね?」と。  しかし、口から出たのは「あうー、ばぶー」という、IQが著しく低下した音声のみ。そして自分の手を見ると、そこには紅葉(もみじ)のような小さな手があった。

 転生。  サブカルチャーで使い古されたその現象が、まさか自分の身に起きるとは。  私は、ローゼンバーグ侯爵家の一人娘、アリスとして、新しいゲーム(人生)をスタートさせたのだった。

 ***

 それから十年。  季節は、世界が最も輝く初夏を迎えていた。

 ローゼンバーグ家の屋敷は、王都から少し離れた丘の上に建っていた。  広大な庭園には、色とりどりのバラが咲き乱れている。深紅、純白、淡いピンク。それらが朝露を纏(まと)って輝くさまは、まるで大地が宝石箱をひっくり返したようだ。  風が吹くと、何千枚もの花びらが一斉に舞い上がり、甘く濃厚な香りが屋敷全体を包み込む。その風には、遠くの森の若葉の匂いと、庭師が刈り込んだばかりの芝生の青臭さが混じり合い、吸い込むだけで胸がいっぱいになるような「幸福の予感」が満ちていた。

 テラス席で、私は父様と母様と共にお茶をしていた。  十歳になった私は、前世の記憶と知識を持ったまま、この恵まれた環境を謳歌していた。

「アリス、これを見てごらん」

 父様――ローゼンバーグ侯爵が、少年のように目を輝かせて一枚の羊皮紙を広げた。  そこには、領地の収支報告書が書かれている。

「お前が提案してくれた『複式簿記』という計算方法と、農作物の『輪作システム』のおかげで、今年の領地の収益は過去最高だ! 借金も完済できたぞ!」

 父様は私を抱き上げ、高い高いをしてくれた。  私は「きゃあ!」と年相応の声を上げつつ、内心では(よし、経営再建完了。これで老後まで安泰だわ)とガッツポーズを決めていた。

 この世界の両親は、優しくて、お人好しで、少し抜けていた。  貴族としてのプライドよりも、領民の笑顔を優先するような人たち。そのせいで家計は火の車だったのだが、元・社畜の私の経営手腕にかかれば、立て直すのは赤子の手をひねるより簡単だった。

「アリスは本当に天才ね。私たちの自慢の娘よ」

 母様が、とろけるような笑顔で紅茶を注いでくれた。  母様は紅茶を飲む時、カップの取っ手を持つ右手の小指を、少しだけ立てる癖があった。それはとても優雅で、どこか可愛らしくて、私はその仕草が大好きだった。

「ママ、私も飲む!」 「ええ、どうぞ。熱いから気をつけてね」

 私は母様の真似をして、小指を立ててカップを持った。  琥珀色の液体が揺れる。最高級の茶葉の香りが鼻腔を抜ける。  口に含むと、砂糖を入れなくても十分に甘く、そして温かかった。

 (幸せだなぁ……)

 私は心からそう思った。  前世の私は、誰からも必要とされず、ただ消費されるだけの歯車だった。  でも、ここでは違う。  私が頑張れば、父様が笑う。母様が喜ぶ。領民たちが豊かになる。  私の行動が、ダイレクトに「世界を良くする」という結果(フィードバック)になって返ってくる。

 世界は、こんなにも鮮やかで、優しかったのか。  灰色のビル群しか知らなかった私の目に、この世界の色彩はあまりにも眩しかった。  太陽の光が木漏れ日となってテーブルクロスにレース模様を描き、小鳥たちがさえずり、愛する両親が私の名前を呼んでくれる。

 「この幸せが、ずっと続けばいいのに」

 そう願うことこそが、仏教でいう「執着(渇愛)」であり、あらゆる苦しみの根源なのだと知るのは、まだ少し先の話だ。  当時の私は、ただ無邪気に、この永遠に続くと思われた楽園で笑っていた。

 ***

 私には、前世の知識以外にもう一つ、特別な才能があった。  それは「魔力制御」と「魔道具開発」の才能だ。  この世界の魔法は、感覚的で曖昧なものが多い。しかし、理系出身(経理だけど)の私にとって、魔法とは「エネルギー変換の法則」であり、数式で記述できる物理現象だった。

 私はその才能を使って、あるものを作った。  それは、私の十歳の誕生日に、両親へ逆プレゼントするための魔道具だ。

 アトリエにこもり、私は最後の仕上げを行っていた。  机の上に置かれているのは、二つのブローチ。  銀の台座に、私の瞳と同じ青い宝石(サファイア)が埋め込まれている。

「……よし、回路接続よし。魔力充填率、百二十パーセント」

 私は額の汗を拭った。  これは、ただのアクセサリーではない。  『絶対防御結界発生装置・イージス君一号』である。  所有者に物理的な衝撃や、悪意ある魔力が迫った時、自動的に展開して使用者を守る。  その強度は、ドラゴンのブレスすら弾き返す(理論上)。

 なぜこんなものを作ったのか。  それは、怖かったからだ。  この幸せが、あまりにも完璧すぎて。  前世で「幸せな時ほど、その後の落とし穴が深い」という法則を嫌というほど味わってきた私は、本能的に怯えていた。  両親は人が良すぎる。誰かに騙されるかもしれない。事故に遭うかもしれない。  そんな「万が一」を、私の力でゼロにしたかった。

「これで完璧。バグチェックも千回やった。動作不良の確率は〇・〇〇〇一パーセント以下」

 私はブローチを握りしめた。  冷たい金属の感触が、熱を持った私の手に馴染む。  これを渡せば、パパとママはずっと安全だ。  私たちが離れ離れになることなんてない。  この幸せなシステム(日常)は、私が管理者(アドミニストレーター)として守り抜くんだ。

 それは、人間の傲慢さだったのかもしれない。  「変わらないものなどない(諸行無常)」というこの世界の絶対的なルール(OS)に対し、たかだか一人の人間が、コードを書き換えて対抗しようとしたのだから。

 ***

 そして、運命の誕生日がやってきた。

 その日は、秋の入り口だった。  空はどこまでも高く、吸い込まれそうなほどの群青色をしていた。  屋敷のある丘から見下ろす街道沿いの並木道は、鮮やかな黄金色に染まっていた。イチョウやカエデが、最後の一瞬を燃やすように色づき、風が吹くたびに金色の紙吹雪となって舞い散っている。

 私たちは、一台の馬車に乗っていた。  王都へ行って、私の誕生日を祝うためだ。  馬車の中は、少し狭かったけれど、その分お互いの体温を感じられて心地よかった。  父様は上機嫌で鼻歌を歌い、母様は私の髪を櫛で梳かしてくれていた。

「アリス、今日のドレスもとっても似合ってるわよ」 「ありがとうママ。パパもかっこいいよ」 「はっはっは! そうだろう、今日は特別な日だからな!」

 馬車の窓から、流れる景色を眺める。  黄金色のトンネルを抜けていくような感覚。  車輪が小石を跳ねる音、馬の蹄鉄が鳴らす軽快なリズム。すべてが音楽のように聞こえた。

「そうだ、パパ、ママ。プレゼントがあるの」

 私は鞄から、綺麗な箱を取り出した。  中には、あのブローチが入っている。

「これを着けていてほしいの。私だと思って」

 二人は驚き、そして涙ぐみながら喜んでくれた。  父様は胸ポケットに、母様はショールの留め具として、それを着けてくれた。  青い宝石が、二人の胸元でキラリと光る。

「ありがとう、アリス。一生大事にするよ」 「私たちを守ってくれるお守りね。嬉しいわ」

 私は満たされていた。  完璧だ。  これで、不安要素はなくなった。私の世界は、強固なセキュリティで守られた。  あとは、美味しいケーキを食べて、プレゼントを買ってもらって、三人で手を繋いで帰るだけだ。  そんな未来が、約束されていると信じていた。

 馬車が、峠のカーブに差し掛かった時だった。

 ガタンッ!!

 異様な衝撃が走った。  世界が大きく傾く。  御者の悲鳴。馬のいななき。  窓の外の景色が、高速で回転した。黄金色の並木道が、青い空が、茶色い地面が、ミキサーにかけられたように混ざり合う。

「きゃあッ!?」 「アリスッ!!」

 父様が私を抱きしめる。母様が私に覆いかぶさる。  無重力感。  馬車の車輪が外れ、ガードレールを突き破り、崖下へと転落していく感覚。

 怖い。  でも、大丈夫。  私の頭の中では、冷静な計算が走っていた。  (衝撃感知。ブローチが起動する。結界が展開される。物理ダメージは遮断される。私たちは無傷で助かる)

 私は目を見開き、二人の胸元を見た。  青い宝石が、カッと光る。  作動した。  計算通りだ。  私の作ったプログラムに、ミスはない。

 ――はずだった。

 ブツン。

 嫌な音がした。  光りかけた宝石の輝きが、まるでショートした電球のように、唐突に、あっけなく消えたのだ。

 え?  なんで?  魔力回路は正常だったはず。エネルギーも十分だったはず。  エラー? バグ?  そんな、まさか。何千回もテストしたのに。

 思考する時間は、コンマ数秒しかなかった。  結界は展開されなかった。  私たちは、生身の体のまま、岩肌の露出した崖下へと叩きつけられた。

 ドォォォォォォォォン!!!

 世界が壊れる音がした。  木材が砕け、鉄がひしゃげ、肉が潰れる音。  激しい痛みと共に、意識がブラックアウトした。

 ***

 目が覚めた時、世界は赤と黒に染まっていた。

 私の体は、奇跡的に馬車の外へ投げ出され、茂みの上に落ちたようだった。  全身が痛い。ドレスはボロボロで、あちこちから血が出ている。  でも、動ける。

「パパ……? ママ……?」

 私は這いつくばりながら、ひしゃげた馬車の方へ向かった。  馬車は、大破していた。  原型を留めていない木の箱。そこから、赤い液体が滴り落ちている。

 そして、見てしまった。  瓦礫の下から覗く、父様の手を。  母様の、大好きだった金色の髪を。

「嘘……だよね?」

 私は瓦礫を退けようとした。  重い。動かない。  私の小さな手では、びくともしない。

「起きてよ! ねえ! 魔道具、着けてたでしょ!? 守ってくれるはずでしょ!?」

 父様の胸元には、砕けたブローチがあった。  母様のショールにも、光を失った石が転がっていた。

 発動しなかった。  なぜ?  原因不明の不具合。  たまたま、その瞬間に魔力の波長がズレたのか。あるいは、部品の内部に目に見えないヒビが入っていたのか。  理由はわからない。  ただ、「運が悪かった」としか言いようのない、確率論の彼方にあるバグ。

 そのたった一つの、小さな、些細なエラーが。  私の世界のすべてを奪った。

「あ……あぁ……」

 母様の手が、だらりと垂れ下がっている。  その小指は、いつものように優雅に立ってはいなかった。  土にまみれ、血に汚れ、冷たくなっていた。

 私はその手に触れた。  まだ、ほんのりと温かい。  さっきまで、私を撫でてくれていた手。  私が作ったブローチを着けて、「嬉しいわ」と笑ってくれた母様。

 私が殺した。  私が、あんな中途半端なものを作らなければ。  もっと別の方法で守っていれば。  あるいは、ただ神に祈っていれば。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」

 私の絶叫が、秋の空に響いた。  黄金色の落ち葉が、ハラハラと舞い落ちてくる。  それはまるで、終わってしまった幸福な時間の残骸のように、私の体の上に降り積もっていった。

 なぜ、私なの?  前世であんなに苦しんで、やっと手に入れた幸せだったのに。  神様は、私に「幸せの味見」だけをさせて、皿ごと取り上げてしまった。  こんなの、あんまりだ。  こんなシナリオ、クソゲーにも程がある。

 その瞬間、私の中で何かが壊れた。  「アリス」という無邪気な少女の人格が、深い悲しみの底へ沈んでいく。  代わりに浮上してきたのは、前世の記憶を持った、冷徹で、臆病な「プレイヤー」としての人格だった。

 (ああ、わかったよ)

 私は涙を流しながら、空を見上げた。  どこまでも高く、澄み渡った美しい空。  なんて綺麗なんだろう。なんて残酷なんだろう。

 (この世界は、バグだらけの欠陥プログラムだ)

 期待しちゃいけない。愛しちゃいけない。  本気になればなるほど、バグ(理不尽)に巻き込まれた時のダメージは大きくなる。  なら、私は心を閉ざそう。  これは現実じゃない。ただのゲームだ。  目の前の死体も、私の悲しみも、すべては設定されたイベントに過ぎない。  そう思わなければ、心が引き裂かれて死んでしまいそうだったから。

 私は、母様の冷たくなった小指を、自分の小指と絡めた。  指切りげんまん。  誰もいない森の中で、私は最後の約束をした。

「もう二度と、誰も愛さない」 「もう二度と、何も期待しない」 「私は、一人で生きていく」

 風が吹き抜ける。  黄金色の世界は、一瞬にして色褪せたセピア色の風景へと変わっていた。

 こうして、幸せな少女アリスは死んだ。  そして、世界を「クソゲー」と見下すことでしか自分を保てない、孤独な悪役令嬢が生まれたのだった。

 ポケットの中には、まだ渡せていない父様への手紙が入っていた。  『パパ、ママ、大好き。ずっと一緒だよ』  その言葉は、永遠に届くことのないまま、くしゃくしゃに握り潰された。
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