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第12章:深淵からの手紙
第56話:小さな巨人、ギルドマスターの憂鬱 〜後悔とは、過去に置き去りにした自分自身である〜
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そこは、一般の冒険者が足を踏み入れることを許されない聖域であり、王都の影の支配者とも呼ばれる「ギルドマスター」の執務室がある場所だ。
重厚なオーク材の二重扉の前で、瞬(シュン)たち一行は立ち止まっていた。
「……ここか」 ゼイクが、ゴクリと喉を鳴らす。 彼の「危険察知能力」が、扉の向こうから漂う異質なプレッシャーを感じ取り、警鐘を鳴らしているのだ。 「この気配……ただ者ではないな。扉越しでも肌が粟立つ」
「あら、ゼイクさんたらビビリすぎよ」 アリスは余裕の笑みで扇子を仰いでいるが、その指先はわずかに強張っていた。彼女もまた、経営者としての勘で、扉の向こうに「規格外の何か」がいることを感じ取っている。
「あの……瞬、大丈夫かな?」 メイが不安そうに瞬の袖を掴む。 瞬は、いつものようにニカっと笑ってメイの頭を撫でた。
「大丈夫だって。リナちゃんが『変わり者』って言ってたし、話せばわかる相手だろ」
そう言いながら、瞬はアリスに耳打ちした。
「なあアリス。お前の予想はどうだ? ギルドマスターってどんな奴だと思う?」 「ふふん、決まってるじゃない」
アリスは声を潜めて、自信満々に答えた。
「『ギルドマスター』よ? 十中八九、熊みたいな髭面の大男ね。全身傷だらけで、豪快に笑いながら酒樽をラッパ飲みしてるタイプ」 「だよな! 俺もそう思う! もしくは、筋肉ダルマのスキンヘッドで、挨拶代わりにダンベル投げつけてくるような」 「ありえるわー。脳みそまで筋肉でできてそうな暑苦しいおっさんね、絶対」
二人は「だよねー」「うわー、会いたくねー」とキャッキャと盛り上がっている。 ゼイクとエリーゼは「……不敬罪で捕まらないといいが」と遠い目をした。
「よし、行くぞ!」
瞬は、ノックもそこそこに、勢いよく重い扉を押し開けた。
「失礼しまーす! 呼び出し食らった瞬でーす!」
バーン! と扉が開く。 瞬とアリスは、予想していた「むさ苦しい男の部屋」を覚悟して身構えた。
しかし。 そこに広がっていたのは、予想を裏切る光景だった。
執務室は、驚くほど整然としていた。 壁一面の本棚には古い書物がびっしりと並び、部屋の中央には、書類の山が積まれた巨大な執務机が鎮座している。 そして、その机の向こうに座っていたのは――。
「……え?」
瞬とアリスの声が重なった。
そこにいたのは、熊のような大男でも、筋肉ダルマでもなかった。 小柄で、華奢な女性だった。
年齢は不詳。二十代のようにも見えるし、もっと幼い少女のようにも見える。 色素の薄い亜麻色の髪を緩く編み込み、ゆったりとしたローブを纏っている。その姿は、深窓の令嬢か、あるいは図書館の司書のように儚げだった。 彼女は、書類にサインをしていた羽ペンを止め、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳を見た瞬間、ゼイクが息を呑み、反射的に剣の柄に手をかけた。
――深い。 底が見えないほど、深く、静かで、そして冷たい瞳。 そこには、数百年もの時を孤独に過ごしたような、重苦しい疲労と、静かな狂気が宿っていた。
「……き、聞こえていますよ」
彼女の唇が動いた。 鈴のような、しかし温度のない声。
「熊でも、筋肉ダルマでもありません」
ピキィッ! 空気が凍りつく音がした。 瞬とアリスは、彫像のように硬直した。
「あ、あの……えっと……」 アリスが冷や汗をダラダラ流しながら言い訳を探す。「い、いえ! 決して悪口ではなく! その、威厳があるという意味で……!」
「ふふ。冗談です」
彼女は小さく微笑んだ。だが、その目は全く笑っていなかった。 ただの微笑みなのに、背筋が凍るような威圧感。 彼女はペンを置き、静かに五人を見渡した。
「ようこそ、今代(こんだい)の英雄たち。私がこのギルドのマスター、シルヴィアです」
シルヴィアと名乗った彼女は、椅子から立ち上がった。 立つとさらに小さい。メイと同じくらいの背丈しかない。 だが、その小さな体から放たれるプレッシャーは、あの「暴走ゴーレム」や「スライム」など比較にならないほど巨大だった。
「単独でドラゴンを屠り、災害級ゴーレムを沈め、精神魔獣すら浄化したパーティ……。報告は受けています」
彼女は、瞬の目をじっと見つめた。
「あなたたちに、頼みたいことがあります」
瞬は、ゴクリと唾を飲み込んだ。 この人は、ヤバイ。 本能がそう告げていた。敵に回してはいけない。そして、彼女が抱えている「何か」は、自分たちが想像する以上に重いものだ。
「頼みって……何ですか?」
シルヴィアは、窓の外へ視線を移した。 王都の遥か彼方、北の山脈にかかる黒い雲を見つめるように。
「……昔話をしましょうか」
彼女の声が、少しだけ震えた気がした。
「かつて、この世界に『人族最強』と呼ばれた勇者パーティがありました」
勇者。 その言葉に、ゼイクが反応する。 「伝説の……数十年前に消息を絶ったとされる、あのパーティですか?」
「ええ。勇者、聖女、賢者、戦士、そして……サポーターの私」
シルヴィアは、自嘲気味に笑った。
「私たちは無敵でした。どんな魔物も敵ではなかった。世界の全てを救えると思っていました」
彼女は、机の引き出しから一枚の古びた羊皮紙を取り出した。 それは色褪せたスケッチだった。 端のほうには黒ずんだシミ――おそらく血痕――が付着している。そこに描かれているのは、満面の笑みで肩を組む、若き日の五人の男女の姿だった。
「ある日、私たちは『深淵の霊廟(アビス・トゥーム)』という未踏のダンジョンに挑みました。調査任務のつもりでした。……ですが」
シルヴィアの指が、絵の中の笑顔に食い込む。
「そこに、いたのです。……いるはずのない、『魔王』が」
「魔王!?」 エリーゼが叫ぶ。「そんな……魔王は百年前に封印されたはずでは!」
「ええ。だからこそ、私たちは油断していました。準備不足、慢心……理由はいくらでも挙げられます。ですが、結果は一つ」
シルヴィアは、顔を上げずに言った。
「全滅しました。……私ひとりを除いて」
部屋に、重い沈黙が落ちた。 全滅。 最強と呼ばれたパーティが、たった一度の遭遇で壊滅したという事実。
「勇者は、最後の切り札を使って、私を抱えて迷宮の入り口まで脱出しました。……ですが」
彼女の声は、乾いていた。 涙は流していない。けれど、その言葉の端々に、煮えたぎるような後悔と、自分だけがおめおめと生き残ってしまったという罪悪感が滲んでいた。
「彼はそこで私を降ろすと、また一人で地獄へと戻っていったのです。仲間たちが、盾となって死んでいくその場所へ……私だけを安全な場所に置いてけぼりにして」
それ以来、あのダンジョンは封鎖されています。誰も近づけない禁足地として」
シルヴィアは、顔を上げた。 その瞳には、揺るぎない決意の炎が宿っていた。
「知りたいのです。なぜ、あそこに魔王がいたのか。そして……彼らの最期がどうだったのか」
依頼は一つ。 シルヴィアは、瞬たちを指差した。
「『深淵の霊廟』を攻略し、最下層にあるはずの『真実』を持ち帰ってください。……私の、止まった時間を動かすために」
それは、ギルドマスターとしての命令ではなく、一人の生き残りとしての、悲痛な願いだった。 過去の亡霊に囚われ、数十年もの間、罪悪感という冷たい牢獄の中にいた小さな巨人。
ゼイクが、瞬を見る。 エリーゼも、メイも、アリスも、瞬を見ている。 リーダーの決断を待っている。
危険すぎる。 かつての最強パーティが全滅した場所だ。魔王がいるかもしれない。 断る理由はいくらでもある。
だが、瞬は迷わなかった。 彼は、いつものようにニカっと笑い、親指を立てた。
「いいですよ」
即答だった。 シルヴィアが、驚いて目を見開く。
「……そんな、即答でいいのですか? 死ぬかもしれないのですよ?」
「え? だって」
瞬は、当たり前のように言った。
「俺たち、最強ですから」
その言葉に、淀みはなかった。 根拠のない自信。けれど、不思議と安心させる響き。
「それに、あんたのその顔……泣くのを我慢してる迷子の顔だ。ほっとけねぇよ」
瞬の言葉に、シルヴィアの仮面のような表情が、一瞬だけ崩れた。 彼女は口元を手で覆い、小さく息を吐いた。
「……生意気な子供ですね。……かつての、あの人とそっくりだ」
彼女は、懐かしむように目を細めた。 その瞳の奥に、かつての勇者の面影を見ているようだった。
「わかりました。依頼、頼みます。……どうか、生きて帰ってください」
こうして、最強のパーティによる、過去の悲劇を塗り替えるための挑戦が始まった。 彼らが向かう先には、残酷な真実と、時を超えた「愛」のメッセージが待っていることを、今はまだ誰も知らない。
重厚なオーク材の二重扉の前で、瞬(シュン)たち一行は立ち止まっていた。
「……ここか」 ゼイクが、ゴクリと喉を鳴らす。 彼の「危険察知能力」が、扉の向こうから漂う異質なプレッシャーを感じ取り、警鐘を鳴らしているのだ。 「この気配……ただ者ではないな。扉越しでも肌が粟立つ」
「あら、ゼイクさんたらビビリすぎよ」 アリスは余裕の笑みで扇子を仰いでいるが、その指先はわずかに強張っていた。彼女もまた、経営者としての勘で、扉の向こうに「規格外の何か」がいることを感じ取っている。
「あの……瞬、大丈夫かな?」 メイが不安そうに瞬の袖を掴む。 瞬は、いつものようにニカっと笑ってメイの頭を撫でた。
「大丈夫だって。リナちゃんが『変わり者』って言ってたし、話せばわかる相手だろ」
そう言いながら、瞬はアリスに耳打ちした。
「なあアリス。お前の予想はどうだ? ギルドマスターってどんな奴だと思う?」 「ふふん、決まってるじゃない」
アリスは声を潜めて、自信満々に答えた。
「『ギルドマスター』よ? 十中八九、熊みたいな髭面の大男ね。全身傷だらけで、豪快に笑いながら酒樽をラッパ飲みしてるタイプ」 「だよな! 俺もそう思う! もしくは、筋肉ダルマのスキンヘッドで、挨拶代わりにダンベル投げつけてくるような」 「ありえるわー。脳みそまで筋肉でできてそうな暑苦しいおっさんね、絶対」
二人は「だよねー」「うわー、会いたくねー」とキャッキャと盛り上がっている。 ゼイクとエリーゼは「……不敬罪で捕まらないといいが」と遠い目をした。
「よし、行くぞ!」
瞬は、ノックもそこそこに、勢いよく重い扉を押し開けた。
「失礼しまーす! 呼び出し食らった瞬でーす!」
バーン! と扉が開く。 瞬とアリスは、予想していた「むさ苦しい男の部屋」を覚悟して身構えた。
しかし。 そこに広がっていたのは、予想を裏切る光景だった。
執務室は、驚くほど整然としていた。 壁一面の本棚には古い書物がびっしりと並び、部屋の中央には、書類の山が積まれた巨大な執務机が鎮座している。 そして、その机の向こうに座っていたのは――。
「……え?」
瞬とアリスの声が重なった。
そこにいたのは、熊のような大男でも、筋肉ダルマでもなかった。 小柄で、華奢な女性だった。
年齢は不詳。二十代のようにも見えるし、もっと幼い少女のようにも見える。 色素の薄い亜麻色の髪を緩く編み込み、ゆったりとしたローブを纏っている。その姿は、深窓の令嬢か、あるいは図書館の司書のように儚げだった。 彼女は、書類にサインをしていた羽ペンを止め、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳を見た瞬間、ゼイクが息を呑み、反射的に剣の柄に手をかけた。
――深い。 底が見えないほど、深く、静かで、そして冷たい瞳。 そこには、数百年もの時を孤独に過ごしたような、重苦しい疲労と、静かな狂気が宿っていた。
「……き、聞こえていますよ」
彼女の唇が動いた。 鈴のような、しかし温度のない声。
「熊でも、筋肉ダルマでもありません」
ピキィッ! 空気が凍りつく音がした。 瞬とアリスは、彫像のように硬直した。
「あ、あの……えっと……」 アリスが冷や汗をダラダラ流しながら言い訳を探す。「い、いえ! 決して悪口ではなく! その、威厳があるという意味で……!」
「ふふ。冗談です」
彼女は小さく微笑んだ。だが、その目は全く笑っていなかった。 ただの微笑みなのに、背筋が凍るような威圧感。 彼女はペンを置き、静かに五人を見渡した。
「ようこそ、今代(こんだい)の英雄たち。私がこのギルドのマスター、シルヴィアです」
シルヴィアと名乗った彼女は、椅子から立ち上がった。 立つとさらに小さい。メイと同じくらいの背丈しかない。 だが、その小さな体から放たれるプレッシャーは、あの「暴走ゴーレム」や「スライム」など比較にならないほど巨大だった。
「単独でドラゴンを屠り、災害級ゴーレムを沈め、精神魔獣すら浄化したパーティ……。報告は受けています」
彼女は、瞬の目をじっと見つめた。
「あなたたちに、頼みたいことがあります」
瞬は、ゴクリと唾を飲み込んだ。 この人は、ヤバイ。 本能がそう告げていた。敵に回してはいけない。そして、彼女が抱えている「何か」は、自分たちが想像する以上に重いものだ。
「頼みって……何ですか?」
シルヴィアは、窓の外へ視線を移した。 王都の遥か彼方、北の山脈にかかる黒い雲を見つめるように。
「……昔話をしましょうか」
彼女の声が、少しだけ震えた気がした。
「かつて、この世界に『人族最強』と呼ばれた勇者パーティがありました」
勇者。 その言葉に、ゼイクが反応する。 「伝説の……数十年前に消息を絶ったとされる、あのパーティですか?」
「ええ。勇者、聖女、賢者、戦士、そして……サポーターの私」
シルヴィアは、自嘲気味に笑った。
「私たちは無敵でした。どんな魔物も敵ではなかった。世界の全てを救えると思っていました」
彼女は、机の引き出しから一枚の古びた羊皮紙を取り出した。 それは色褪せたスケッチだった。 端のほうには黒ずんだシミ――おそらく血痕――が付着している。そこに描かれているのは、満面の笑みで肩を組む、若き日の五人の男女の姿だった。
「ある日、私たちは『深淵の霊廟(アビス・トゥーム)』という未踏のダンジョンに挑みました。調査任務のつもりでした。……ですが」
シルヴィアの指が、絵の中の笑顔に食い込む。
「そこに、いたのです。……いるはずのない、『魔王』が」
「魔王!?」 エリーゼが叫ぶ。「そんな……魔王は百年前に封印されたはずでは!」
「ええ。だからこそ、私たちは油断していました。準備不足、慢心……理由はいくらでも挙げられます。ですが、結果は一つ」
シルヴィアは、顔を上げずに言った。
「全滅しました。……私ひとりを除いて」
部屋に、重い沈黙が落ちた。 全滅。 最強と呼ばれたパーティが、たった一度の遭遇で壊滅したという事実。
「勇者は、最後の切り札を使って、私を抱えて迷宮の入り口まで脱出しました。……ですが」
彼女の声は、乾いていた。 涙は流していない。けれど、その言葉の端々に、煮えたぎるような後悔と、自分だけがおめおめと生き残ってしまったという罪悪感が滲んでいた。
「彼はそこで私を降ろすと、また一人で地獄へと戻っていったのです。仲間たちが、盾となって死んでいくその場所へ……私だけを安全な場所に置いてけぼりにして」
それ以来、あのダンジョンは封鎖されています。誰も近づけない禁足地として」
シルヴィアは、顔を上げた。 その瞳には、揺るぎない決意の炎が宿っていた。
「知りたいのです。なぜ、あそこに魔王がいたのか。そして……彼らの最期がどうだったのか」
依頼は一つ。 シルヴィアは、瞬たちを指差した。
「『深淵の霊廟』を攻略し、最下層にあるはずの『真実』を持ち帰ってください。……私の、止まった時間を動かすために」
それは、ギルドマスターとしての命令ではなく、一人の生き残りとしての、悲痛な願いだった。 過去の亡霊に囚われ、数十年もの間、罪悪感という冷たい牢獄の中にいた小さな巨人。
ゼイクが、瞬を見る。 エリーゼも、メイも、アリスも、瞬を見ている。 リーダーの決断を待っている。
危険すぎる。 かつての最強パーティが全滅した場所だ。魔王がいるかもしれない。 断る理由はいくらでもある。
だが、瞬は迷わなかった。 彼は、いつものようにニカっと笑い、親指を立てた。
「いいですよ」
即答だった。 シルヴィアが、驚いて目を見開く。
「……そんな、即答でいいのですか? 死ぬかもしれないのですよ?」
「え? だって」
瞬は、当たり前のように言った。
「俺たち、最強ですから」
その言葉に、淀みはなかった。 根拠のない自信。けれど、不思議と安心させる響き。
「それに、あんたのその顔……泣くのを我慢してる迷子の顔だ。ほっとけねぇよ」
瞬の言葉に、シルヴィアの仮面のような表情が、一瞬だけ崩れた。 彼女は口元を手で覆い、小さく息を吐いた。
「……生意気な子供ですね。……かつての、あの人とそっくりだ」
彼女は、懐かしむように目を細めた。 その瞳の奥に、かつての勇者の面影を見ているようだった。
「わかりました。依頼、頼みます。……どうか、生きて帰ってください」
こうして、最強のパーティによる、過去の悲劇を塗り替えるための挑戦が始まった。 彼らが向かう先には、残酷な真実と、時を超えた「愛」のメッセージが待っていることを、今はまだ誰も知らない。
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