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第一部:昏き淵に光を灯し、祝福の風を纏って
第4話『朽ちた岩穴と幻の富、昏き底にて不可視の雷に触れる』
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スラムに蔓延する絶望の匂いは、ジンの胸の奥底で燻っていた、ある記憶の蓋をこじ開けた。
かつて、四角く白い病室のベッドの上で、彼が唯一外界と繋がる窓だった小さなテレビモニター。そこで繰り返し放送されていた、徒手空拳からビジネスで大成功を収めた男のドキュメンタリー番組だ。
(……同情だけでは、誰も救えない。必要なのは、システムと莫大な資金だ)
この異世界で、あの番組の男と同じように商売を立ち上げ、富を生み出すことはできないだろうか。
ジンはすぐに行動を起こした。まずは元手となる「売れるもの」を探すため、ギルドや街の酒場で聞き込みに奔走したのだ。
数日の調査の末、ジンは一つの奇妙な噂を耳にした。
街からさらに山奥へ入った場所に、古い鉱山があるという。しかし、そこは「呪われた廃鉱山」と呼ばれていた。いくら掘っても石ころ一つ出ず、毒の空気が溜まっているという噂が立ち、早々に放棄されたのだという。当然、スラムの病弱な住人たちに、そんな場所でツルハシを振るう体力などあるはずもなかった。
(誰も見向きもしない場所……いや、だからこそ、誰も気づいていない『何か』が眠っているかもしれない)
健康な肉体と、常識外れの腕力を得た今のジンにとって、そこは魅力的な賭けの対象に思えた。
* * *
翌朝、ジンは一人でその山深くへと足を踏み入れた。
鬱蒼と茂る木々を抜けると、岩肌が剥き出しになった斜面に、ぽっかりと黒い口を開けた坑道の入り口が姿を現した。朽ち果てた木組みの支柱は苔生し、湿ったカビと古い土の匂いが、暗闇の奥から這い出してくる。
ジンは油布を巻いた松明に火を灯し、その暗緑色の虚空へと足を踏み入れた。
パチッ……パチパチッ。
松明の炎が燃える微かな音だけが、閉ざされた空間に響き渡る。
オレンジ色の灯りが、ざらついた岩壁を照らし出す。空気の循環がないためか、微かな埃の粒子が光の輪の中でゆっくりと澱むように舞っていた。
カツン、カツン。
自らの硬い足音を頼りに、入り組んだ坑道を奥へ奥へと進む。しばらく行くと、かつての工夫たちが掘り進めた痕跡――ツルハシの爪痕が無数に残る行き止まりの岩壁に突き当たった。
「……ここか。確かに、素人の目にはただの岩盤にしか見えないな」
ジンは松明を近くの壁に立てかけ、ギルドで借りてきた分厚い鉄のツルハシを両手で構えた。
深く息を吸い込む。肺が膨らみ、全身の筋肉が鋼のバネのように軋む。
――ガツゥゥゥンッ!!
鼓膜を劈く轟音と共に、ツルハシの先が岩壁を深く抉り取った。
火花が飛び散り、焦げた石の匂いが鼻腔を突く。凄まじい反作用が腕に伝わるが、ジンの規格外の筋力はそれを難なく押さえ込んでいた。
彼は休むことなく、凄まじい速度で岩を砕き続けた。
ドゴッ! ガガァンッ!
みるみるうちに分厚い岩盤が崩れ落ち、やがて――ズボッ、とツルハシの先が虚空を掻いた。
「……抜けた?」
崩れた岩の隙間から、ヒュウウ、と異様に冷たい風が吹き込んできた。
ジンは急いで穴を広げ、松明を手にしてその向こう側へと体を滑り込ませた。
* * *
そこは、手付かずの巨大な自然洞窟だった。
松明の光が届かないほど天井は高く、足元には地下水が黒々と淀んでいる。水滴が岩肌を伝って落ちる「ピチャン……」というくぐもった音が、恐ろしく遠くまで反響していた。
ジンは警戒を強めながら、さらに洞窟の奥へと歩を進めた。
――その時だった。
ゾワッ。
全身の産毛が一斉に逆立った。
気温が急激に下がったのだ。吐く息が白く染まり、肌を刺すような冷気が坑道の奥から這い寄ってくる。いや、それは単なる温度変化ではない。
空気が、重い。
肺に吸い込む酸素が鉛に変わったかのような、息苦しいほどのプレッシャー。皮膚の表面がピリピリと粟立ち、見えない無数の針で刺されているような感覚に陥る。
(なんだ……この、気配は……)
生物の根源的な恐怖が警鐘を鳴らす。これが、この世界の人間が呼ぶ『魔力』というものなのだろうか。
圧迫感の源泉へ向かってさらに奥へ進むと、不意に視界が開け、巨大な地底湖を擁するドーム状の空間に出た。
その空間の中央。巨大な石柱の表面に、何かが貼られている。
松明の光を近づけると、それは赤黒い顔料で見たこともない文字がびっしりと書き込まれた、古びた羊皮紙の「護符(お札)」だった。
紙の表面からは、微かに青白い燐光が漏れ出ている。
引き寄せられるように、ジンは無意識にその護符へと右手を伸ばした。
指先が、乾いた羊皮紙の表面に触れた、その瞬間。
――バチィィィィィンッ!!
「ぐあっ!?」
青白い閃光が弾け、鼓膜を破るような破裂音が空間に響き渡った。
ジンの右腕を、高圧電流のような凄まじい衝撃が駆け上がる。空気が焼け焦げたようなオゾンの鋭い匂いが鼻を突き抜けた。
ジンは咄嗟に腕を引き戻し、焼けつくような痛みに顔をしかめる。
「封印……いや、結界か?」
常人なら一瞬で黒焦げになっていたであろう強力な魔力の拒絶。
しかし、ジンの好奇心は恐怖を上回っていた。この異常な封印の先に、スラムを救う鍵が、あるいは途方もない何かが隠されていると確信したのだ。
ジンは再び腕に力を込め、痛みへの覚悟を決めて、その不気味な護符の端を強引に掴み取った。
ベリッ、と。
古い紙が破れる嫌な音が、静まり返った地底空間に響いた。
かつて、四角く白い病室のベッドの上で、彼が唯一外界と繋がる窓だった小さなテレビモニター。そこで繰り返し放送されていた、徒手空拳からビジネスで大成功を収めた男のドキュメンタリー番組だ。
(……同情だけでは、誰も救えない。必要なのは、システムと莫大な資金だ)
この異世界で、あの番組の男と同じように商売を立ち上げ、富を生み出すことはできないだろうか。
ジンはすぐに行動を起こした。まずは元手となる「売れるもの」を探すため、ギルドや街の酒場で聞き込みに奔走したのだ。
数日の調査の末、ジンは一つの奇妙な噂を耳にした。
街からさらに山奥へ入った場所に、古い鉱山があるという。しかし、そこは「呪われた廃鉱山」と呼ばれていた。いくら掘っても石ころ一つ出ず、毒の空気が溜まっているという噂が立ち、早々に放棄されたのだという。当然、スラムの病弱な住人たちに、そんな場所でツルハシを振るう体力などあるはずもなかった。
(誰も見向きもしない場所……いや、だからこそ、誰も気づいていない『何か』が眠っているかもしれない)
健康な肉体と、常識外れの腕力を得た今のジンにとって、そこは魅力的な賭けの対象に思えた。
* * *
翌朝、ジンは一人でその山深くへと足を踏み入れた。
鬱蒼と茂る木々を抜けると、岩肌が剥き出しになった斜面に、ぽっかりと黒い口を開けた坑道の入り口が姿を現した。朽ち果てた木組みの支柱は苔生し、湿ったカビと古い土の匂いが、暗闇の奥から這い出してくる。
ジンは油布を巻いた松明に火を灯し、その暗緑色の虚空へと足を踏み入れた。
パチッ……パチパチッ。
松明の炎が燃える微かな音だけが、閉ざされた空間に響き渡る。
オレンジ色の灯りが、ざらついた岩壁を照らし出す。空気の循環がないためか、微かな埃の粒子が光の輪の中でゆっくりと澱むように舞っていた。
カツン、カツン。
自らの硬い足音を頼りに、入り組んだ坑道を奥へ奥へと進む。しばらく行くと、かつての工夫たちが掘り進めた痕跡――ツルハシの爪痕が無数に残る行き止まりの岩壁に突き当たった。
「……ここか。確かに、素人の目にはただの岩盤にしか見えないな」
ジンは松明を近くの壁に立てかけ、ギルドで借りてきた分厚い鉄のツルハシを両手で構えた。
深く息を吸い込む。肺が膨らみ、全身の筋肉が鋼のバネのように軋む。
――ガツゥゥゥンッ!!
鼓膜を劈く轟音と共に、ツルハシの先が岩壁を深く抉り取った。
火花が飛び散り、焦げた石の匂いが鼻腔を突く。凄まじい反作用が腕に伝わるが、ジンの規格外の筋力はそれを難なく押さえ込んでいた。
彼は休むことなく、凄まじい速度で岩を砕き続けた。
ドゴッ! ガガァンッ!
みるみるうちに分厚い岩盤が崩れ落ち、やがて――ズボッ、とツルハシの先が虚空を掻いた。
「……抜けた?」
崩れた岩の隙間から、ヒュウウ、と異様に冷たい風が吹き込んできた。
ジンは急いで穴を広げ、松明を手にしてその向こう側へと体を滑り込ませた。
* * *
そこは、手付かずの巨大な自然洞窟だった。
松明の光が届かないほど天井は高く、足元には地下水が黒々と淀んでいる。水滴が岩肌を伝って落ちる「ピチャン……」というくぐもった音が、恐ろしく遠くまで反響していた。
ジンは警戒を強めながら、さらに洞窟の奥へと歩を進めた。
――その時だった。
ゾワッ。
全身の産毛が一斉に逆立った。
気温が急激に下がったのだ。吐く息が白く染まり、肌を刺すような冷気が坑道の奥から這い寄ってくる。いや、それは単なる温度変化ではない。
空気が、重い。
肺に吸い込む酸素が鉛に変わったかのような、息苦しいほどのプレッシャー。皮膚の表面がピリピリと粟立ち、見えない無数の針で刺されているような感覚に陥る。
(なんだ……この、気配は……)
生物の根源的な恐怖が警鐘を鳴らす。これが、この世界の人間が呼ぶ『魔力』というものなのだろうか。
圧迫感の源泉へ向かってさらに奥へ進むと、不意に視界が開け、巨大な地底湖を擁するドーム状の空間に出た。
その空間の中央。巨大な石柱の表面に、何かが貼られている。
松明の光を近づけると、それは赤黒い顔料で見たこともない文字がびっしりと書き込まれた、古びた羊皮紙の「護符(お札)」だった。
紙の表面からは、微かに青白い燐光が漏れ出ている。
引き寄せられるように、ジンは無意識にその護符へと右手を伸ばした。
指先が、乾いた羊皮紙の表面に触れた、その瞬間。
――バチィィィィィンッ!!
「ぐあっ!?」
青白い閃光が弾け、鼓膜を破るような破裂音が空間に響き渡った。
ジンの右腕を、高圧電流のような凄まじい衝撃が駆け上がる。空気が焼け焦げたようなオゾンの鋭い匂いが鼻を突き抜けた。
ジンは咄嗟に腕を引き戻し、焼けつくような痛みに顔をしかめる。
「封印……いや、結界か?」
常人なら一瞬で黒焦げになっていたであろう強力な魔力の拒絶。
しかし、ジンの好奇心は恐怖を上回っていた。この異常な封印の先に、スラムを救う鍵が、あるいは途方もない何かが隠されていると確信したのだ。
ジンは再び腕に力を込め、痛みへの覚悟を決めて、その不気味な護符の端を強引に掴み取った。
ベリッ、と。
古い紙が破れる嫌な音が、静まり返った地底空間に響いた。
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