無能と蔑まれた僕だけが知る世界の嘘。敵であるはずの怪物の少女に恋したので、人類を裏切り世界を滅ぼす。

Gaku

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第1部:養成所編

第2話:エリートたちの楽園

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願書をポストに投函したあの日から、一体どれほどの時が流れただろうか。

指折り数えるまでもなく、季節はとうに三度目の表情を見せていた。

冷たい冬の空気が緩み、
やがて柔らかな春の陽光が世界を祝福したかと思えば、
その祝祭の象徴であった桜の花びらは、
今や初夏のアスファルトの熱にその身を焼かれ、
儚く溶けて消えていく。

まるで、僕の淡い期待そのもののように。

そして今、僕、宮沢譲(みやざわ ゆずる)は、
自らの人生において、おそらく最も巨大で、最も重苦しい門の前に、
呆然と立ち尽くしていた。

***

地球防衛隊養成所。

そのあまりにも壮大で、しかしどこか現実味のない響きを持つ名前の施設。
その正門は、長い風雪に耐えてきたことを物語る古びた石造りのアーチだった。

積み上げられた一つ一つの石には、苔が深く根を張り、
歴史という名の地衣類が複雑な模様を描いている。

それはまるで、これから足を踏み入れる者たちに、
悠久の時の流れと、人類が背負ってきた戦いの重みを無言で語りかけてくるかのようだった。

中世ヨーロッパの城塞か、あるいは古代文明の神殿の入り口か。
訪れる者全てを圧倒し、その覚悟のほどを試すような威圧感が、そこにはあった。

アーチの向こう側には、どこまでも続いているのではないかと錯覚させるほどの、
深い新緑に覆われた並木道が伸びている。

頭上では、幾重にも重なった若葉が天蓋を作り、
初夏の強烈な日差しを柔らかく濾過していた。

その木漏れ日が、磨き上げられたアスファルトの上に絶えず形を変える複雑な模様を描き出し、
風が梢を揺らすたびに、光と影がまるで意思を持った生き物のように蠢いている。

鼻腔をくすぐるのは、雨上がりのような湿った土の匂い、
生命力に満ち溢れた青々とした草の匂い。

そして、遠くの森からは、けたたましいほどの鳥たちの鳴き声が、
まるで世界の誕生を祝うファンファーレのように鳴り響いていた。

その全てが、僕が昨日まで生きてきた、
灰色のアスファルトとコンクリートに囲まれた世界とは、まるで次元が違うかのように、
あまりにも鮮やかで、暴力的ですらあった。

***

「うっわー……でっか! なにこれ、映画のセットみたい!」

僕の隣で、幼馴染の陽葵(ひまり)が、子供のように目をキラキラと輝かせながら歓声を上げた。

太陽の光を浴びて艶めく彼女の短い髪が、吹き抜ける風に楽しそうに揺れている。
彼女のその屈託のない笑顔は、いつも僕の心の澱みを、ほんの少しだけ洗い流してくれる。

「たりめーだろ。見てみろよ、このスケール。
ここから、人類の未来が、俺たちみたいなヒーローが生まれるんだからな」

もう一人の幼馴染、颯太(そうた)は、両手を後頭部で組み、
まるで世界の王にでもなったかのような自信に満ち溢れた笑みを浮かべていた。

彼の言葉には、微塵の疑いも、気負いもない。
彼にとって、この場所に立つことは、約束された未来への第一歩に過ぎないのだろう。

僕らの周りには、同じように真新しい、紺青色の制服に身を包んだ大勢の新入生たちが集っていた。

誰もが皆、期待と不安の入り混じった複雑な表情で、
巨大なゲートとその先に広がる未知の世界を見上げている。

だが、そのほとんどが、颯太と同じ種類の、揺るぎない自信と、
選ばれた者だけが放つことのできる特別なオーラを纏っていた。

彼らこそ、この国、いや、この惑星の未来をその双肩に担うべく選び抜かれたエリート中のエリート。
特別な力、『アビリティ』を持って生まれた異能者――通称『アース』たちだ。

僕は、そんな彼らが無意識のうちに放つ圧倒的な存在感の波に飲み込まれ、
門をくぐるずっと前から、すでに胃の腑がキリキリと締め付けられるような痛みを感じていた。

自分だけが、獰猛な肉食獣が闊歩するサバンナに迷い込んでしまった、
一匹の哀れな草食動物になったような気分だった。

彼らと僕とでは、生物としての『格』が違う。
そんな根源的な事実を、この場の空気そのものが僕に突きつけてくる。

「よし、ぐずぐずしてても始まんねえ! 行くか!」

颯太の力強い号令が、僕の思考を現実へと引き戻した。
三人は、まるで新しい冒険の始まりを告げるかのように、並木道へとその第一歩を踏み出した。

僕は、自分の全財産と、僅かばかりの希望と、
そしてそれらを遥かに上回る量の不安が詰まった、時代遅れの大きなトランクケースを、
必死の形相で引っ張っていた。

ガラガラガラ、ゴロゴロ……。

アスファルトの継ぎ目を越えるたびに情けない音を立てるキャスターが、
まるで僕自身の不安な心臓の鼓動を代弁しているかのようだった。

陽葵と颯太は、必要最低限の荷物しか入っていない軽やかなスポーツバッグを肩にかけている。
彼らの足取りは、まるで空を飛ぶかのように軽い。
僕だけが、過去という名の重たい鎖を引きずって、必死に彼らの背中を追いかけていた。

その時だった。

僕のすぐ隣を、涼しげな、というよりは周囲の全てに無関心といった表情を浮かべた一人の男子生徒が、
何の音もなく追い抜いていった。

彼の荷物は、最新鋭のドローンのように、床から十センチほどふわりと宙に浮き、
まるで忠実なペットのように、主人の後を静かに、滑らかについてきている。

おそらく、念動力(サイコキネンシス)系のアースなのだろう。
彼の歩く道筋だけ、風が凪いでいるように見えた。

「うわ、すげえ。未来に来たみたいだな。あれ、めっちゃ便利じゃん」

颯太が、素直に感心したような声を上げる。

僕もまた、その非現実的な光景に唖然として、
一瞬、自分の足元への注意を完全に失っていた。

ガコンッ!

足元で、何か硬いものが噛み合うような、鈍い衝撃が走った。

視線を慌てて落とすと、僕の愛すべき時代遅れのトランクのキャスターが、
アスファルトに設置された排水溝の鉄格子に、
見事に、そして絶妙な角度で挟まり込んでいた。

まるで、そこが定位置であると主張するかのように。

「あっ」

そう思った瞬間、前に進もうとする身体の慣性と、その場に留まろうとするトランクの頑固な抵抗が衝突し、
僕の身体は支えを失った。

前のめりになった身体を立て直そうと必死にもがいたが、
無情にも僕の運動神経はそれに応えることを拒否する。

スローモーションのように傾いていく視界の中で、
陽葵の驚いた顔と、颯太の「おい!」という声が遠くに聞こえた。

そして、僕は人生で何度目になるか分からない、実に盛大で、見事なまでの転倒を、
エリートたちの目の前で披露することになったのだ。

ガンッ! という、頭蓋骨に響くような鈍い音がしたかと思うと、
同時にバチン! という甲高い音が鳴り響いた。

衝撃でトランクの古い留め金が弾け飛んだのだ。

次の瞬間、僕が数日かけて丁寧に畳んだはずの下着やTシャツ、
来るべき過酷な訓練に備えて買い込んだ大量の栄養補助食品、
そして、アースではない僕が彼らに追いつくための唯一の武器だと信じて疑わなかった、
分厚い物理学や戦術論の参考書の数々が、
まるで祝祭の紙吹雪のように宙を舞い、エリートたちの足元に無様に散らばった。

「ぶはっ!」

どこからか、堪えきれないといった風な、押し殺した噴き出す音が聞こえた。
それは、静かな水面に投じられた小石のように、瞬く間に周囲へと伝播していく。

「おい見ろよ、あいつ。派手にやってんな」
「荷物……参考書? まさか、一般枠か?」
「マジかよ。入学初日からこれって……先が思いやられるな」
「なあ、大丈夫かよ、あれで討伐部隊とか目指してねえだろうな。俺たちの足引っ張るのは勘弁してほしいぜ」

憐憫、嘲笑、侮蔑、好奇。

様々な感情が入り混じった視線が、無数の針となって僕の全身に突き刺さる。

顔から火が出る、という比喩があるが、
今の僕は顔だけでなく、全身が燃え盛る業火に包まれているかのような熱さを感じていた。

穴があったら入りたい。

その古臭い慣用句を、これほどまでに身をもって、
五臓六腑で体感したことは、生まれてこの方一度もなかった。

散らばった僕の下着の一枚が、風に吹かれて、
いかにも高そうな革靴を履いた男子生徒の足元に、ひらりと舞い降りた。

彼は、汚物でも見るかのような目つきでそれを見下ろし、小さく舌打ちをした。

「譲! 大丈夫かよ! 怪我は!?」
「もう、しっかりしてよね! ほら、手伝うから、早く拾っちゃお!」

颯太と陽葵が、慌てた様子で駆け寄ってきてくれた。
颯太は僕の身体を力強く引き起こし、
陽葵は恥ずかしいのも構わずに、てきぱきと僕の私物を拾い集め始めてくれる。

二人のその優しさが、その気遣いが、
今はただ、僕の惨めさに追い打ちをかけるだけの、残酷な鞭でしかなかった。

これが、ここでの僕の立ち位置なのだ。

彼らが軽々と飛び越えていく、あるいはその存在にすら気づかないような些細なハードルに、
僕だけが足を取られて無様に転ぶ。

その動かしがたい現実を、入学してわずか数分で、
これでもかというほど残酷に、そして明確に見せつけられた気分だった。



入学式が行われたのは、養成所の広大な敷地の最も奥に鎮座する、
巨大なドーム型の体育館だった。

その外観は、まるで地球に突き刺さった巨大な宇宙船の一部かのようだ。

内部に足を踏み入れると、その圧倒的なスケールに再び息を呑んだ。
何千人という新入生でそのフロアが埋め尽くされてもなお、空間にはまだ有り余るほどの余裕がある。

自分の呼吸音すら、高く、吸音材が敷き詰められたドーム状の天井に吸い込まれて、
か細い反響となって返ってくる。

ここで発する声は、一体どこに届くというのだろうか。

厳粛な、というよりは殺伐とした雰囲気の中、式は滞りなく進行し、
やがて壇上に一人の男が立った。

顔の左半分を縦断する、深く抉られたような生々しい傷跡。
熊か、あるいはそれ以上の猛獣にでも引き裂かれたかのようだ。

鋭く、全てを見透かすような眼光。
鬼、という言葉がこれほど似合う人間を、僕は他に知らない。

彼こそが、この養成所の総代であり、僕たちを地獄の底まで鍛え上げることになる、
榊(さかき)総教官だった。

「――勘違いするなァッ!」

静寂を切り裂いたのは、マイクの性能を遥かに超えた、腹の底から絞り出すような怒声だった。
音響スピーカーを通して増幅されたその声は、巨大なドーム全体をビリビリと震わせ、
僕の鼓膜を直接殴りつけてくるかのようだった。

「今この瞬間、貴様らの胸に去来しているであろう、微かな高揚感!」
「選ばれた者であるという、くだらない自尊心!」
「人類の未来を担うという、甘ったれた使命感!」
「その全てを、今すぐ頭の中から叩き出せ!」

「貴様らは、人類の希望などでは断じてない!」
「希望になるための、可能性を秘めただけの、ただの『原材料』だ!」
「それ以上でも、それ以下でもない!」

原材料。
その無機質な言葉に、会場の空気が凍りついた。

「この地球防衛隊養成所は、そのそこらに転がる石ころ同然の原材料の中から、
使えそうなものだけを選別し、磨き、叩き、鍛え上げ、
使い物になる『部品』へと加工するための、巨大な工場に過ぎん!」

「そして我々教官は、そのための職人だ!」
「欠陥品は容赦なく廃棄する!」
「規格外のものは躊躇なく切り捨てる!」
「ここから先、貴様らに人権などという甘っちょろいものは存在しない!」

「あるのは、ただ一つ!」
「人類の存続という、至上にして唯一の目的のために、
己の全てを捧げるという、絶対的な『義務』だけだ!」

「それが嫌な者は、今すぐその履き慣れない汚ねえ靴で来た道を帰れ!」
「誰一人として、貴様らを引き止めはせん!」

「さあ、立て! 立てよ、腰抜けがァッ!」

あまりにも過激で、常軌を逸した歓迎の辞。
しかし、水を打ったように静まり返った会場で、席を立つ者は一人もいなかった。

誰も、一言も発しない。
誰も、身じろぎ一つしない。
誰もが、その覚悟を、とうの昔に決めて、この場所に来ているのだ。

僕もまた、椅子に縫い付けられたかのように、動くことができなかった。
それは覚悟からか、それとも恐怖からか、自分でも判然としなかった。

背筋を、氷のように冷たい汗が一筋、ゆっくりと伝っていくのを感じながら、
僕は改めて、周囲に座る新入生たちの顔を見渡した。

誰もが、あの鬼教官の常軌を逸した檄を、
まるで灼熱の鉄塊を飲み下すかのように、食らいつくような真剣な眼差しで受け止めている。

その瞳には、恐怖の色はない。
あるのは、これから始まる非日常への、燃え盛るような決意だけだ。

その時だった。

僕の視線は、数千人の群衆の中にありながら、
ひときわ異質なオーラを放つ二人の存在に、まるで磁石のように吸い寄せられた。

一人は、女子生徒だった。

丁寧に磨き上げられた黒曜石のように、光を吸い込む漆黒の髪。
それは寸分の乱れもなく、彼女の腰まで真っ直ぐに届いていた。

陽の光を浴びていないかのように透き通る雪の肌。

CGアーティストが数ヶ月の時間をかけて、
完璧な黄金比を計算し尽くして創り上げたかのような、神々しいまでの顔立ち。

まるで、パリのファッションショーのランウェイを歩くトップモデルが、
何かの手違いでこの殺伐とした場所に紛れ込んでしまったかのようだった。

神楽院 玲奈(かぐらいん れな)。

入学前に送られてきた分厚いパンフレットに、ごく数名しか記載されていなかった『特別指定アース』として、
その名前と顔写真が載っていたのを僕は覚えていた。

確か、日本の経済界を牛耳る巨大財閥、神楽院グループの令嬢のはずだ。

彼女の周囲だけ、まるで分厚いガラスの壁でもあるかのように、空気が違っていた。
物理的に音が遮断されているのではないかと錯覚するほど、そこだけが静寂に包まれている。

周囲の誰もが、その人間離れした圧倒的な美貌と、
触れることすら許さない孤高の存在感に気づいている。

しかし、誰もが彼女に話しかけることも、無遠慮に視線を合わせることすらも、
本能的に避けていた。

彼女の大きな瞳は、壇上で吼える鬼教官でも、会場の喧騒でもなく、
もっと遥か遠く、この世界のどこでもない場所を、ただ静かに見つめているかのようだった。

その瞳は、何層にも重なった分厚い氷の壁の向こう側にあるようで、
喜びも、悲しみも、怒りも、一切の感情の温度というものを感じさせなかった。

そして、もう一人。

身長は、おそらく二メートル近くあるだろう。
支給されたばかりの新品の制服が、その内側から膨れ上がった、
はち切れんばかりの筋肉の鎧によって、見るも無惨に歪んでいた。

まるで巨大な岩塊から、無骨なノミで直接削り出したかのような、ごつい輪郭。
厳しく短く刈り込んだ髪が、彼の攻撃的な印象をさらに際立たせている。

その男は、壇上の教官には一切の興味を示さず、
会場の隅で、まるで社会の縮図のように小さく固まっている一角――
そう、僕のような『一般枠』で入学した生徒たちが集められた区画を、
あからさまな敵意と侮蔑を込めて、じっとりと睨みつけていた。

赤城 剛(あかぎ ごう)。

彼もまた、パンフレットにその名を連ねていた『特別指定アース』の一人だった。

その視線は、値踏みする、などという生易しいものではない。
それは、屠殺場の作業員が次に処理する家畜を選ぶような、
あるいは肉屋がショーケースに並んだ肉塊を品定めするかのような、
命の重さそのものを天秤にかけるような、無遠慮で暴力的な視線だった。

僕と目が合った、と感じた瞬間、
全身の産毛が一斉に逆立つような、理屈では説明できない原始的な恐怖が背骨を駆け上がった。

蛇に睨まれた蛙。
その言葉の意味を、僕は生まれて初めて理解した。

この、あまりにも対照的で、あまりにも強烈な二人との出会いが、
これからの僕の運命を、良くも悪くも、
その根底から揺さぶる巨大な『縁』の始まりとなることを、
この時の僕はまだ、知る由もなかった。



入学式という名の洗礼が終わり、僕たちはそれぞれの寮へと案内された。
割り当てられたのは、殺風景な二人部屋だった。

壁も、床も、机も、全てが機能性だけを追求した無機質な灰色で統一されている。
部屋に漂うのは、新品のシーツの固い感触と、消毒液のツンとした匂いだけだった。

同室になったのは、田中と名乗る、人の好さそうな、度の強い眼鏡をかけた青年だった。

彼は、僕の大きなトランクと、そこに詰め込まれた参考書の山を見て、
すぐに何かを察したようだった。

「よろしくな、宮沢くん。俺、田中。
奇遇だな、俺も一般枠なんだ。
すごい荷物だな、勉強熱心なんだね。
……もしかして、宮沢くん、討伐部隊志望じゃないよな?」

彼の声には、僅かな不安と、仲間を見つけたような安堵が混じっていた。

「……いや、討伐部隊を希望してる」

僕がぽつりとそう答えると、田中くんは眼鏡の奥にある目を、
これ以上ないというほど丸くした。

「マ、マジかよ……すげえな、お前。
俺なんて、後方支援の整備部隊が第一希望なんだ。
正直、アースでもないのに前線に出る勇気はなくてさ。
怪物と戦うなんて、想像しただけで足がすくむよ。
宮沢くんみたいな奴もいるんだな。いや、本当に尊敬するよ」

その飾り気のない言葉に、僕は入学以来、初めて少しだけ安堵した。

そうだ、ここには、僕と同じように特別な力を持たずに、
それでも人類のために何かをしたいと願う人間も、ちゃんといるのだ。

僕だけが、場違いなわけじゃない。

しかし、その束の間の安堵は、
何気なく目をやった窓の外に広がっていた光景によって、
一瞬にして、そして木っ端微塵に打ち砕かれた。

寮の中庭に広がる、手入れの行き届いた広大な芝生の上で、
何人かのアースたちが、まるで放課後の部活動のように、
自らの能力を使ってふざけ合っていた。

一人の生徒が地面に手をかざし、指を鳴らすと、
地面から土くれが生き物のように盛り上がり、
みるみるうちにバスケットボールのゴールのような形を成していく。

すると、もう一人の生徒が手のひらの上に、
まるで本物のボールのようなサイズの火球を生成し、
それを器用にドリブルし始めた。

炎のボールが地面に叩きつけられるたびに、パァン! と乾いた破裂音が響き、
芝生がわずかに焦げる匂いが風に乗ってここまで届く。

そして、彼は軽やかなステップでレイアップシュートを放った。
炎のボールが、土で作られたリングを音もなく通り抜けると、
周りで見ていた仲間たちが、派手な歓声を上げた。

それは、僕が幼い頃から、
テレビのニュースやドキュメンタリーの向こう側で、
憧れと、ほんの少しの嫉妬と共に見てきた、魔法のような光景だった。

だが、それはもう、手の届かない別世界の出来事ではない。
たった一枚の窓ガラスを隔てた、すぐそこの現実なのだ。

アースにとっては、あれが日常。
僕にとっては、これが日常。

この無機質な部屋と、光に満ちた中庭の間には、
決して越えることのできない、分厚く、そして完全に透明な壁が存在しているかのようだった。

コンコン、と部屋のドアが控えめにノックされた。

「よう、譲! 部屋どうだ? 片付いたか?」

ドアを開けると、そこには案の定、屈託のない笑顔を浮かべた颯太が立っていた。

「俺の部屋、マジで最高だぜ!
南向きの角部屋でさ、窓から第一訓練場が全部見えるんだ。
特等席だよ、これは。明日の訓練、部屋から予習できちまうな!」

颯太は、悪びれる様子など微塵もなくそう言って笑った。

彼の部屋は、入学試験の成績が優秀だったアースだけが入ることを許される、特別棟にあるのだろう。
それに比べて僕のこの部屋は、一日中陽の光が入ることのない、裏庭に面した北向きの薄暗い部屋だ。

窓から見えるのは、中庭の華やかな光景の裏側、無機質なコンクリートの壁だけだ。

「……そうか。良かったな、それは」

なんとかそれだけを絞り出すのが、僕の精一杯だった。

「あれ? お前の部屋、なんか暗いな。
まあでも、勉強するには集中できていいかもな!
じゃ、また明日な! 訓練、遅れんなよ!」

嵐のように現れ、言いたいことだけを言って、嵐のように去っていく。

その言葉の全てに、一ミリグラムの悪意も含まれていないことを、僕は誰よりもよく知っていた。
彼はただ、思ったことを素直に口にしているだけなのだ。

だからこそ、その無邪気な言葉の一つ一つは、
研ぎ澄まされた鋭利なガラスの破片のように、
僕の心を深く、そして静かに傷つけるのだ。

バタン、とドアが閉まり、再び部屋は完全な静寂に包まれた。

僕は、再び窓辺に寄り、ガラスに額を押し付けた。
外では、今度は誰かが作り出した水の竜と、風の刃が、
きらきらと光を乱反射させながら戯れている。

彼らの笑い声が、壁を通り抜けて僕の耳に届く。

ここは、選ばれしエリートたちの楽園。
そして、僕のような人間にとっては、
己の無力さと、残酷な現実をただ突きつけられるだけの、檻の中なのかもしれない。

これから始まる、長いようで短い二年間。
僕は、この場所で、一体何者になれるのだろう。

いや、そもそも、何者かになることなど、
この場所は僕に許してくれるのだろうか。

初夏の生ぬるい風が、わずかに開いた窓の隙間から吹き込み、
汗ばんだ僕の首筋を、気休めのように、そしてどこか嘲笑うかのように、
そっと撫でていった。
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──勇者は、すべてを裏切られ、処刑された。  だが、彼の魂は復讐の炎と共に蘇る──。 かつて魔王を討ち、人類を救った勇者 レオン・アルヴァレス。 だが、彼を待っていたのは称賛ではなく、 王族・貴族・元仲間たちによる裏切りと処刑だった。 「力が強すぎる」という理由で異端者として断罪され、広場で公開処刑されるレオン。 国民は歓喜し、王は満足げに笑い、かつての仲間たちは目を背ける。 そして、勇者は 死んだ。 ──はずだった。 十年後。 王国は繁栄の影で腐敗し、裏切り者たちは安穏とした日々を送っていた。 しかし、そんな彼らの前に死んだはずの勇者が現れる。 「よくもまあ、のうのうと生きていられたものだな」 これは、英雄ではなくなった男の復讐譚。 彼を裏切った王族、貴族、そしてかつての仲間たちを絶望の淵に叩き落とすための第二の人生が、いま始まる──。

婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています

由香
ファンタジー
婚約破棄のその日、 悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。 王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。 だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、 冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。 再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。 広場で語られる真実。 そして、無自覚に人を惹きつけてしまう リリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。 これは、 悪役令嬢として断罪された少女が、 「誰かの物語の脇役」ではなく、 自分自身の人生を取り戻す物語。 過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、 彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。

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