無能と蔑まれた僕だけが知る世界の嘘。敵であるはずの怪物の少女に恋したので、人類を裏切り世界を滅ぼす。

Gaku

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第1部:養成所編

第5話:制御不能な鉄屑

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その日の授業は、オイルと金属が混じり合った、独特の匂いの中で始まった。

それは新品の機械が放つ清潔な工業臭とは違う。

幾度もの戦闘と訓練を重ね、熱せられ、冷却され、研磨され、そしてまた傷ついた鋼鉄だけが纏うことを許された、いわば歴戦の兵士の体臭のような匂いだった。

そこに、床を洗浄した消毒液の微かな刺激臭と、高電圧のエネルギーケーブルから漏れ出るオゾンの匂いが混じり合い、この場所に集う若者たちの神経を否応なく高ぶらせていた。

***

授業の名称は「兵器学実習」。

教科書の上でインクの染みとして存在していた知識を、初めて血肉ある実感へと変えるための、重要な通過儀礼だ。

宮沢譲たちが教官に引率され、足を踏み入れたのは、パイロット養成所『ネスト』の敷地内で最も巨大な建造物――第一格納庫だった。

その内部空間の広大さは、外観から想像する以上のもので、足音が高く、そして幾重にも反響して遠くまで響き渡った。

見上げるドーム型の天井は、照明が届ききらない高みで薄暗い靄に包まれており、まるで巨大な生物の肋骨の内側に迷い込んだかのような錯覚を覚える。

だだっ広く、どこまでも続くかのように思えるコンクリートの床には、用途別に色分けされた黄色や赤のラインが無数に引かれ、巨大な迷路か、あるいは何かの儀式のための魔法陣のようにも見えた。

そして、そのラインの上に、全長十五メートルはあろうかという鋼鉄の巨人たちが、静かに整列していた。

人型機動兵器『ヴァルキリー』。

その名は、かつて神話の中で戦乙女たちが担った役割に由来する。

終末の世界で、人類の魂を救済へと導く存在。

今、この時代においてその名を冠する鉄の巨人は、正しくその役割を体現していた。

未知の脅威――異形の怪物『グレンデル』の強靭な筋繊維と神経組織を人類が模倣し、科学の粋を結集して創り上げた、対怪物戦における唯一にして絶対の切り札。

眠れる神々のように厳かに鎮座するその威容に、集められた生徒たちのほとんどが、理性の堰を切って溢れ出す純粋な感動に身を任せていた。

瞳は爛々と輝き、まるで宝物庫に忍び込んだ子供のように、興奮した囁き声をひそやかに、しかし止めどなく交わしている。

「すっげえ……本物だ。写真やシミュレーターで見てたのとは、迫力が違いすぎる」

「ああ、あの装甲の質感……ちょっと触ってみてもいいかな」

「早く乗りてえ! あのコックピットに座ったら、どんな景色が見えるんだろうな!」

***

友人たちの弾んだ声が、譲の鼓膜を軽く揺らす。

彼もまた、他の生徒たちと同じように、目の前に聳え立つ巨大な鉄の塊に心を奪われていた。

だが、彼の胸を満たす興奮は、周囲の熱気とは少しばかりその種類を異にしていた。

彼が魅了されているのは、神話の戦乙女を模したというその流麗で美しいフォルムや、一撃でビルを粉砕するという伝説的な力強さではなかった。

彼の視線は、もっと微細で、もっと機能的な部分へと注がれていた。

分厚い装甲版を繋ぎ合わせる、幾何学的な継ぎ目。

複雑な地形を踏破するために設計された、多重関節構造を持つ脚部の駆動系。

そして、機体の生命線とも言うべきエネルギーを全身に行き渡らせるため、まるで血管のように機体の各所に張り巡らされた、極太のエネルギーケーブルの配線。

彼は、それらを食い入るように見つめていた。

譲の頭の中では、この巨大な機械が、どのような物理法則と工学理論に基づいてその巨体を支え、動かしているのか、その設計思想が猛烈なスピードで逆算され、青写真のように展開されていく。

あの肩部アーマーの傾斜角は、被弾経始を考慮した上で、内部アクチュエーターの可動域を最大限確保するための最適解だろう。

腰部のフレキシブルなケーブル配置は、捻転運動時のエネルギー伝達ロスを最小限に抑えるための工夫か。

いや、それだけじゃない。

メンテナンス時のアクセス性も考慮されている。

見事な設計だ。

彼は、ヴァルキリーを「乗り物」としてではなく、一個の完成された「システム」として捉えていた。

その視線は、パイロット候補生というよりも、むしろこの機体をゼロから設計した開発者のそれに近かった。

***

その特異な才能は、この実習に先立って行われた座学の授業で、遺憾なく発揮されていた。

担当は、この養成所で最も厳格で、最も保守的だと恐れられている白髪の老教官、マクシミリアン教授。

彼の出す課題は、常に現実的かつ実用的な視点を要求し、夢見がちな若者たちの鼻っ柱をへし折ることで有名だった。

その日、生徒たちに提示された課題は、特に悪辣なものだった。

『ヴァルキリーのエネルギー効率を、現行システムを基盤に、ハードウェアの追加・変更を一切行わずに5%以上向上させるための具体的な方法を論ぜよ』

それは、ほとんど禅問答に近い無茶な問いだった。

ヴァルキリーのOSとハードウェアは、既に人類の技術の粋を集めて最適化されており、ソフトウェアの改修だけで5%もの効率改善を達成するなど、机上の空論ですらない、ただの妄想だと誰もが考えていた。

物理的なパーツの交換なしに性能を向上させろというのは、「水をワインに変えよ」と言うに等しい。

生徒たちの間からは、諦めと戸惑いの混じった深いため息が漏れ、誰もが解答用紙を前に頭を抱えていた。

しかし、譲だけは違った。

彼の目には、その難問が、解き明かされるのを待っている美しいパズルのように見えていた。

その夜、彼は寮の自室に籠もり、たった一晩で、百ページにも及ぶ詳細な技術レポートを書き上げたのだ。

その内容は、他の生徒たちが思いもよらない、全く新しい次元からのアプローチだった。

『……問題の本質は、エネルギー供給の非効率性にある。
現行OSは、パイロットからの入力信号を受信した後、各駆動系へのエネルギー配分を並列的に処理している。
これは確実な方法ではあるが、信号受信からエネルギー供給完了までの間に、コンマ数秒単位の致命的なタイムラグを生じさせている。
この微細なラグの蓄積が、戦闘時における莫大なエネルギーロスに繋がっていると推察される。

そこで、新たな概念として『先行入力システム(Anticipatory Input System)』の導入を提唱する。
これは、パイロットの脳波パターン、過去の戦闘ログ、そして現在の戦況データをリアルタイムでディープラーニング解析し、パイロットが次に行うであろう動作をコンマ数秒単位で『予測』するシステムである。
その予測に基づき、実際に入力信号が送られるよりも僅かに早く、最適なエネルギー量を各駆動系へと事前供給する。
これにより、従来の並列処理で構造的に生じていたエネルギー供給のタイムラグを、理論上ほぼゼロにすることが可能となる。
結果として、無駄な待機電力や過剰供給を徹底的に排除し、最大で15%のエネルギー効率向上が見込める……』

翌日、レポートが提出された。

マクシミリアン教授は、いつものように退屈そうな表情で分厚い束を手に取った。

彼はまず、その突拍子もない結論に眉をひそめた。

次に、そこに記された緻密な数式とプログラムコードの草案に目を通し、驚愕に目を見開いた。

そして、最後のページを読み終える頃には、彼の顔から全ての表情が消え、まるで美しい芸術作品に打ちのめされたかのように、深い沈黙に包まれていた。

やがて、絞り出すような声で、彼は呟いた。

「天才だ……」

***

授業の後、譲は教授室に呼び出された。

老教官は、先ほどまでの厳格な仮面を脱ぎ捨て、一人の研究者として、興奮を隠しきれない様子で譲に語りかけた。

「宮沢君。君は、とんでもないものを見つけ出した。
この理論は、ヴァルキリーの運用思想そのものを根底から覆す可能性を秘めている。
君はパイロットなどという、使い捨ての駒になるべきではない。
開発者になるべきだ。
卒業後は、私の研究室に来い。
人類の未来を、君のその頭脳で変えることができるぞ」

それは、この養成所において望みうる、最大限の賛辞だった。

周囲の生徒たちからは、羨望と嫉妬の入り混じった視線が突き刺さる。

しかし、その輝かしい言葉は、譲の心に、一抹の、しかし無視できない影を落としていた。

僕がなりたいのは、未来を変える開発者じゃない。

遠い未来、誰かが享受するかもしれない幸福のために、研究室に籠もる人生じゃない。

今、この瞬間、目の前で怪物に脅かされている誰かのために、その命を救うことができる、英雄なのに。

その思いが、彼の心を重く締め付けていた。

***

そして、運命の実機操縦訓練が始まった。

巨大な格納庫に、生徒たちの名前が一人ずつ無機質なアナウンスで呼び出されていく。

自分の番が近づくにつれて、譲の心臓は嫌な音を立てて早鐘を打ち始めた。

自分の名前が呼ばれると、彼は緊張で鉛のように重くなった足を引きずるようにして、割り当てられたヴァルキリーへと歩み寄った。

機体番号「07」。

他の機体と何ら変わりない、標準的な訓練機だ。

地上クルーが手際よくワイヤーを彼の身体に装着する。

ウィンチの甲高い駆動音と共に、彼の身体は宙を舞い、巨大な鉄の胸にぽっかりと空いた暗い穴――コックピットへと、まるで神への生贄のように吸い込まれていった。

分厚いハッチが、重々しい音を立てて閉じる。

その瞬間、格納庫の喧騒は完全に遮断され、世界から隔離された、狭く薄暗い空間が彼の全てとなった。

目の前には、無数の計器類とモニターが、緑やオレンジの光を放って静かに瞬いている。

それぞれの計器が示す数値の意味、モニターに表示される情報のプライオリティ、その全てを彼は完璧に理解していた。

両手両足の先には、複雑な形状をしたコントロールスティックとフットペダルが、彼からの入力を待っている。

普通の生徒ならば、この情報量の洪水と未知の操作系に圧倒されるだろう。

だが、譲に焦りはなかった。

むしろ、静かな高揚感すら覚えていた。

このコックピットの全てのスイッチの意味を、全てのレバーがもたらす結果を、彼は理論上、完全に把握している。

彼の頭の中には、先日のレポートで自分が提唱した、最も効率的で、最も美しく、そして最も無駄のない、完璧なモーションの軌跡が、寸分違わず描かれているのだ。

いける。

射撃訓練の時とは違う。

あの時は、反動を抑える筋力も、動く的を追う動体視力も足りなかった。

だが、これは違う。

これは、体力や反射神経で動かすものではない。

僕の頭脳で、僕の理論で動かす、巨大な僕自身の身体なのだから。

「宮沢機、ジェネレーター起動。システム、オールグリーン。いつでもいけるぞ」

管制室にいるマクシミリアン教授の声が、ヘッドセットから直接、脳に響く。

その声には、微かな期待が滲んでいるように感じられた。

「はい。宮沢 譲、行きます!」

自信に満ちた、自分でも驚くほど張りのある声で応えた。

譲はまず、教本に書かれている最も基本的な動作――右腕をゆっくりと垂直に上げる、という動作を試みることにした。

深呼吸を一つ。

描いた完璧な軌道を脳内で再生する。

右手のコントロールスティックを、理論通り、ミリ単位の正確さで、そっと前に倒す。

指先に伝わるアクチュエーターの微かな抵抗を感じながら、彼は完璧な制御を確信していた。

その瞬間だった。

「ガコンッ!!」

機体の下腹部、股関節のあたりから、今までシミュレーターでは一度も聞いたことのない、何かが根本的に外れたかのような、鈍く、そして致命的な異音が鳴り響いた。

同時に、メインモニターに映し出されていた格納庫の風景が、ぐらん、と激しく傾いた。

「なっ!?」

譲は、目の前の光景が信じられなかった。

ヴァルキリーは、彼が意図した右腕を上げるという優雅な動作の代わりに、両脚を外側へと大きく開き、どっしりと腰を落としていた。

まるで、相撲の力士が土俵入りで行う、蹲踞(そんきょ)のような、最高に情けないガニ股のポーズを取っていたのだ。

「な、なんだこれは!? ペダルには一切触れていないはず……! なぜ脚部が動く!?」

理論と現実の、あまりにもかけ離れた乖離。

彼の脳が、瞬時にキャパシティオーバーを起こした。

パニックに陥った譲が、慌ててスティックをニュートラルポジションに戻そうとした、まさにその時だった。

焦った指が、震え、滑り、隣に配置されていたスロットルレバーに、最悪の形で触れてしまった。

しかも、力の入れ方が全く分からず、ほんの僅かに触れるつもりが、一気に最大出力まで押し込んでしまったのだ。

グォォォォォンッ!!!

背後にあるメインジェネレーターが、獣の咆哮のような轟音を上げた。

凄まじいGが、譲の華奢な身体を容赦なくシートに叩きつける。

内臓が浮き上がり、視界が急速に狭まっていく。

ヴァルキリーは、猛烈な勢いで、後ろ向きに、バックし始めたのだ。

「うわああああああああああ!」

譲の絶叫が、コックピットという狭い密室の中で虚しく反響する。

「宮沢! 止めろ! スロットルを戻せ! 後ろだ、後ろォ!」

ヘッドセットから、マクシミリアン教授の怒号が雷鳴のように轟く。

だが、もはやその声は、パニックに陥った彼の耳には意味のある言葉として届かなかった。

猛スピードで後退する十五メートルの鋼鉄の巨人は、その先に何があるかなどお構いなしに、整備のために壁際にずらりと並べられていた予備パーツの山へと、一直線に突っ込んでいった。

ガッシャァァァァァン!

ドラム缶を巨大なハンマーで叩き潰したかのような、凄まじい破壊音が格納庫中に響き渡った。

精密機器や装甲版が、まるで子供の玩具のように弾け飛び、宙を舞う。

赤とオレンジの火花が、滝のように散った。

その強烈な衝撃で、機体はついにバランスを完全に崩し、今度はその場で、まるでフィギュアスケーターがスピンをするように、くるくると高速で回転を始めた。

遠心力が、譲の意識を容赦なく刈り取っていく。

視界は明滅し、酸欠で頭が痺れ、吐き気がこみ上げてくる。

「だ、誰か……止めて……ください……」

彼は、最後の力を振り絞り、助けを求めるように、やみくもに手元のレバーというレバーを、コンソールというコンソールを、ガチャガチャと無秩序に動かした。

それが、地獄の釜の蓋を開ける、最後の一押しとなった。

ヴァルキリーは、そのめちゃくちゃな指令を、忠実に、しかし最悪の形で解釈し、実行した。

両手両足を、本来あり得ない関節の可動域を超えた角度で、めちゃくちゃにバタバタと振り回し始めたのだ。

右腕が旋回しながら左脚を蹴りつけ、左腕は天井の照明を叩き割り、両脚はもつれ合って奇妙なステップを踏む。

格納庫内は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

「逃げろーっ! あいつ、完全に暴走してるぞ!」

「制御不能だ! 全員退避! 退避!」

さっきまで羨望の眼差しを向けていた他の生徒たちも、歴戦の整備員たちも、蜘蛛の子を散らすようにして、悲鳴を上げながら逃げ惑う。

けたたましい警告音が、鼓膜を突き破らんばかりに鳴り響く。

そのカオスの中心で、譲のヴァルキリーは、踊っていた。

音楽のないダンスフロアで、ひたすらヘタクソなブレイクダンスを踊り続ける、巨大で、滑稽で、そして最高に迷惑な鉄屑と化していた。

***

誰もが、この惨劇がどうしようもなく終わるまで、ただ祈ることしかできないと絶望しかけた、その時だった。

一台のヴァルキリーが、格納庫の隅の待機ベイから、静かに、そして信じられないほど滑らかな動きで、その地獄の中心へと接近していく。

まるで、荒れ狂う嵐の海へ、一艘の小舟が迷いなく滑り出していくかのように。

その動きには、暴走する譲の機体のような機械的なぎこちなさや、エネルギーを持て余したような無駄な力感が、一切存在しなかった。

まるで、氷の上を滑る熟練のフィギュアスケーターのように、優雅で、静謐ですらあった。

「橘! 陽葵! 無茶だ、止めろ! 許可なく出撃するな!」

管制室からの教官の制止の声が、格納庫のスピーカーを通して響き渡る。

しかし、その機体は命令を意に介する様子もなく、予測不能な破壊のダンスを続ける譲の機体の懐へと、スルスルと、まるで水が隙間に染み込むように潜り込んでいく。

橘陽葵の機体だった。

彼女のヴァルキリーは、暴れ狂う鉄屑が振り回す腕と脚の、そのめちゃくちゃな動きの、ほんの僅かな隙間と死角を縫うように、舞った。

それは戦闘というより、もはや芸術の域に達していた。

めちゃくちゃに振り回される右腕が空を切るコンマ一秒の隙を突き、陽葵の機体の右腕が蛇のように伸びる。

そして、譲の機体の手首の関節部にある制御モーターを、最小限の、しかし的確な力で掴み、瞬時にロックする。

次に、暴れる脚が地面を蹴る一瞬の硬直を見逃さず、左腕が閃光のように走り、膝のメインジョイントを的確に、しかし破壊しない絶妙な力加減で固定する。

それは、力ずくで押さえつけるような、無骨で野蛮な制圧ではなかった。

まるで、猛進してくる巨大な牛の力を、その勢いのままに利用して投げ飛ばす、合気道の達人のような、有機的で、天才的な動きだった。

抵抗するのではなく、受け流し、導き、そして制する。

ヴァルキリーという無機質な機械を操りながら、彼女の動きはどこまでも生命感に満ち溢れていた。

ものの十数秒。

あれほど手がつけられず、格納庫を破壊の渦に巻き込んでいた譲の機体は、全ての主要な関節を巧みにロックされ、まるで操り人形の糸が切れたかのように、完全にその動きを停止していた。

静寂が、格納庫を支配した。

誰もが、目の前で起こった信じがたい光景に、言葉を失っていた。

陽葵の機体のハッチが開き、彼女自身がワイヤーで降下してくると、そのままの勢いで譲の機体のコックピットに駆け寄った。

強制解除コードが打ち込まれ、プシュー、という空気の抜ける音と共に、譲の目の前のハッチが乱暴に開けられる。

そして彼は、陽葵によって、文字通りコックピットのシートから襟首を掴まれ、引きずり出された。

「もーっ! 譲は本当に、昔から世界一不器用なんだから!」

まだヘルメットを被ったままの譲の頭頂部に、ゴツン、と痛烈な拳骨が落とされた。

衝撃で、脳がぐらりと揺れる。

「頭で考えすぎなのよ! 理論とか、効率とか、そんなのばっかり!」

「感じるの! この子が、どうして欲しいのかを! どう動けば、一番気持ちいいのかを!」

陽葵は、まるで駄々をこねていた愛馬を労わるかのように、先ほどまで暴れ狂っていたヴァルキリーの冷たい装甲を、その小さな手のひらで優しく撫でながら言った。

その横顔は、本気で怒っているようでもあり、少し呆れているようでもあり、そしてどこか悲しそうにも見えた。

譲は、無様に地面にへたり込んだまま、何も言い返すことができなかった。

自分が操縦していた、醜悪なガラクタの塊。

そして、それを赤子の手をひねるように、軽々と、そして息を呑むほど美しく制圧してみせた陽葵の機体。

その二つの、あまりにも対照的な鋼鉄の巨人を、彼はただ、呆然と見上げるしかなかった。

頭で世界を理解すること。

身体で世界と関わること。

その二つの間には、天と地ほどに、絶望的な溝が横たわっている。

僕という存在は、優秀だが、現実世界では何の役にも立たない脳と、その脳の指令を何一つまともに実行できない愚鈍で制御不能な身体という、二つの全く噛み合わないバラバラな部品で出来ている、欠陥品なのだ。

その冷酷な事実が、彼のプライドを、彼の全てを、粉々に打ち砕いていった。

***

その一部始終を、惨劇が繰り広げられたフロアから数十メートル上、格納庫の二階部分に設置されたキャットウォークの上から、一人の少女が、静かに見下ろしていた。

神楽院玲奈。

彼女は、他の生徒たちのような熱狂も、整備員たちのような恐怖も、教官たちのような焦りも、一切その表情に浮かべてはいなかった。

ただ、冷たいガラス玉のような瞳で、眼下で起こった出来事を、一つの興味深い「事象」として観察していた。

だが、その冷徹な瞳の奥に、今日、初めて、はっきりと「興味」という名の、微かな光が灯っていた。

宮沢譲の、常軌を逸した理論的知性。

まだここにはいないが、噂に聞く朝倉颯太の、人間を超えたとまで言われる戦闘能力。

そして、今しがた目の前で証明された、橘陽葵の、まるで神に愛されたかのような、天賦の操縦技術。

バラバラで、不揃いで、どうしようもなくアンバランスな、しかし、それぞれが極めて強力な「要素」が、この養成所という名の坩堝(るつぼ)に、今、確かに集まった。

この、歪で、しかし強烈な個性の組み合わせは、一体、どのような化学反応を起こし、どんな未来を創発するのだろう。

玲奈は、その冷たい唇の端に、誰にも気づかれることのない、ごくわずかな、しかし確かな笑みを浮かべた。

それは、新しい実験材料を見つけた科学者のような、無慈悲で、そして歓びに満ちた微笑みだった。
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アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

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