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第3部:真実と覚醒編
第60話:玲奈の疑念
しおりを挟む総攻撃開始を翌日に控えた、最後の夜。地球防衛隊養成所の基地は、まるで巨大な祭りの前夜のような、異常な熱気と興奮に包まれていた。誰もが「英雄の救出」と「戦争の終結」という、組織が巧みに作り上げた甘美な物語を信じ、自らが歴史の目撃者となることに高揚していた。
だが、神楽院玲奈だけは、その狂騒的な熱狂の輪から一人静かに離れ、自室の冷たい静寂の中で、思考という名の果てしない深海へと、ただひたすらに潜り続けていた。
彼女の目の前のテーブルには、今回の事件に関する、ありとあらゆる情報が、無数の光の粒子となって立体的なホログラムとして投影されていた。譲が最初に警告した地下施設のエネルギーパターン。彼のMIA報告書に巧妙に隠された矛盾点。人間という種の限界を超えた、あの覚醒の力。そして、彼が最後に残した「俺たちは騙されていた」という、悲痛な響きを伴った言葉。
「違う。これは、単純な裏切りなんかじゃない」
玲奈は、この一連の出来事を、もはや線形の因果関係で結ばれたミステリーとしてではなく、無数の要素が複雑に絡み合い、予測不能な結果を生み出す『複雑系』の視点から捉え直していた。宮沢譲ほどの知性が、友情や感傷といった感情だけで人類を裏切るという単純な結論は、あまりにも非論理的で、美しくない。彼の『裏切り』という行動(創発)は、我々がまだ知らない、何か巨大で根本的な『ルール(真実)』によって引き起こされた、必然の結果なのではないか?
彼女の思考は、颯太たちが混乱の中で聞き逃した、しかし彼女の超人的な記憶力だけが正確に記録していた、譲が叫んだ断片的な言葉に集中した。公式報告書ではただのノイズとして処理されていたその音声データを、彼女は自ら開発した解析ソフトで何百回とフィルタリングし、復元を試みる。そしてついに、ノイズの海の底から、一つの単語が、まるで水面に浮かび上がる死体のように、はっきりとその姿を現した。
『――タマゴを、返せ』
タマゴ? それが、この大戦争の引き金だというのか? あまりに非現実的で、物語的すぎるキーワード。だが、譲が発した言葉である以上、それはこの複雑な方程式を解くための、唯一の鍵であるはずだった。
その非現実的なキーワードを手がかりに、彼女は再び神楽院家の権力を最大限に利用する。父の名を騙り、最高レベルのアクセス権限を偽装し、防衛隊のデータベースのさらに深層、数十年前の創設期にまで遡って、禁断のハッキングを試みたのだ。何重にも張り巡らされたファイアウォール。無限ループを誘発するデータトラップ。それらの鉄壁の守りを、彼女はまるで凍った湖の上を滑るバレリーナのように、冷静に、優雅に、そして圧倒的な技術で突破していく。
そして、ついに一つのファイルにたどり着いた。最高機密レベルを示す深紅のアイコン。そのファイル名は、まるで神話の時代の禁書のように、おぞましくも魅惑的な響きを持っていた。
【プロジェクト・アーク:地球外生命体サンプル『EVE-01』に関する初期報告書】
ファイルを開いた瞬間、玲奈は息を呑んだ。そこに映し出されていたのは、数十年前、第7地区に落下したとされる隕石の中心部から回収されたという、内側から淡い生命の光を放つ、巨大な『卵』の写真だった。そして続くページには、その卵から抽出された未知の遺伝子情報を使い、人類を強制的に進化させようとした非人道的な実験の記録、そしてその計画の失敗を隠蔽するための、壮大な情報操作計画の全貌が、冷たい活字で記されていた。
公式記録では、研究価値なしとして『破棄』されたことになっている、禁断のサンプル。
「……これか」
全てのピースが、音を立ててはまった。譲の言葉。怪物の襲撃の始まり。そして、組織が必死に隠蔽しようとしていた、人類の、あまりにも醜い『原罪』が。
作戦開始まで、残り一時間。
玲奈は、人気のない格納庫の隅で、一人、出撃前のアルテミスの白い装甲に額を押し付け、思い詰めた表情をしている颯太を呼び出した。
「朝倉君。私たちは、これから何と戦おうとしているのか、本当に理解している?」
彼女が突きつけたタブレットには、『始祖の卵』の画像と、隠蔽された研究記録の全てが表示されていた。颯太は、その信じがたい内容に言葉を失い、血の気が引いていくのが自分でも分かった。自分たちが信じてきた正義。譲を殺したと信じて疑わなかった憎しみ。その全てが、ただの作られた物語だったというのか。
「だが……今更、どうしろって言うんだ! もう、止められない! 明日には、総攻撃が始まるんだぞ!」
動揺し、叫ぶ颯太の目を、玲奈は真っ直ぐに見据えた。その氷の瞳の奥には、地獄の業火よりもなお熱い、静かな決意の炎が燃えていた。
「私たちは、組織の駒じゃない。自分の頭で考え、自分の意志で、何が正しいのかを判断する。戦いの中で、真実を見極めるのよ」
彼女は、一歩前に進み、颯太の胸を突くように言った。
「それが、譲を本当に『救う』ということでしょう?」
その言葉は、颯太がこの数週間、自らを奮い立たせるために何度も唱えてきた「救出」という言葉の、本当の意味を、鋭い刃のように突きつけてきた。
無情にも、基地全体に出撃を告げるけたたましいサイレンが鳴り響く。運命の歯車は、もう誰にも止められない。
だが、その巨大な歯車の中心で、二人の若者の間には、組織という巨大な怪物に抗うための、危険で、そして誰よりも確かな共闘関係が、静かに生まれようとしていた。
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