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第15話:仕掛けられた罠と、心の亀裂
しおりを挟む冷たい雨が、灰色の帝都を容赦なく叩きつけていた。
空は鉛色の雲に覆われ、昼間だというのに世界は薄暗い夕暮れのような光の中に沈んでいる。アスファルトに反射する無機質な街の光が、降りしきる雨粒によって滲み、まるで世界全体がその無表情の裏で静かに涙を流しているかのようだ。レジスタンスのアジトの冷たい石壁を伝う雨だれは、まるで巨大な砂時計が落ちる音のように、作戦開始までの時間を刻んでいた。
アジトの中では、張り詰めた空気が漂っていた。エリアナは、テーブルに広げられた地図を、瞳の奥に宿る炎が揺らめくほどの真剣さで見つめている。その傍らで、カイトは黙って壁に寄りかかり、ただ静かに目を閉じていた。彼の心の中には、エリアナたちの覚悟に対する敬意と、これから起こるであろう破壊に対する微かな罪悪感、そして何より、絶対的な力を持ちながら、もっとスマートな解決策を見つけられない自分への苛立ちが、複雑な渦を巻いていた。
そしてノアは、その二人から少し離れた場所で、ただ静かに、この空間に満ちる「緊張」という名のデータを収集、分析していた。人々の心拍数の上昇、発汗量の増加、瞳孔の微細な動き。それらすべてが、彼女にとっては解析すべき貴重なサンプルだった。
レジスタンスの作戦は、シンプルかつ大胆だった。「オラクル」のシステムを支える、地方のエネルギー供給施設の一つを破壊する。それによってシステムに一時的な負荷をかけ、その隙に帝都で何らかの揺さぶりをかけるというものだ。カイトの圧倒的な力があれば、施設の防衛部隊など物の数ではない。作戦は順調に進むかに見えた。誰もが、そう信じていた。
雨の中、目的地である供給施設にたどり着いた。それは、何の変哲もない、窓のない巨大なコンクリートの箱だった。周囲を固めるロゴス騎士団の警備は、予想通り手薄だった。彼らにとって、この施設が物理的に破壊されることなど、想定の範囲外なのだろう。
「行くぞ」
カイトの短い言葉を合図に、戦闘が始まった。それは、もはや戦闘と呼ぶのもおこがましい、一方的な蹂躙だった。エリアナたちが後方で援護の銃弾を放つまでもなく、カイトはまるで嵐のように騎士団の中央を駆け抜けた。彼の拳が振るわれるたびに、鋼鉄の装甲が紙屑のように砕け散り、騎士たちが宙を舞う。だが、カイトの心は晴れなかった。騎士たちは悲鳴一つ上げず、ただシステムのエラーを修正するかのように、次から次へと無感情に立ち向かってくる。その生命感の欠如が、彼の神経を不快に逆撫でした。
最後の騎士を沈黙させ、カイトは施設の分厚い扉の前に立った。彼は深く息を吸い込み、エリアナたちへの罪悪感、この国の歪んだ平和への怒り、そして行き場のない苛立ち、そのすべてを込めて、拳を叩きつけた。
轟音と共に、扉は内側へと吹き飛んだ。内部には、巨大な水晶の柱が青白い光を明滅させながら、低い駆動音を響かせている。それが、この地域のシステムを支えるエネルギー炉心。
カイトは迷わず、その中心へと拳を突き立てた。
その瞬間、世界から音が消えた。
派手な爆発も、衝撃波も起こらなかった。ただ、青白い光を放っていた水晶が、まるで燃え尽きた炭のようにその輝きを失い、施設全体が、電源が落ちるように、静かに、深く沈黙した。
あまりにも、簡単すぎた。
カイトが言いようのない違和感を覚えた、まさにその時だった。遥か彼方、雨雲に覆われた帝都の方角で、天を突くほどの巨大な光の柱が、空を貫いて立ち上った。それは、絶望を告げる狼煙だった。
施設の破壊は、敵のシステムにダメージを与える行為ではなかった。それは、帝国が巧妙に仕掛けた、巨大な罠の「スイッチ」に過ぎなかったのだ。敵の目的は、施設の防衛ではない。「カイトという最強の駒を、意図的に、望むタイミングで動かす」こと、それ自体にあった。この施設の沈黙が、帝国の全戦力に、レジスタンスのアジトの正確な位置情報を伝達する、完璧な信号となってしまったのだ。
『――アジトが! アジトが、ロゴス騎士団の精鋭部隊に急襲された! くそっ、数が多すぎる!』
カイトが持つ通信機から、アジトに残った仲間の悲鳴が響き渡った。ノイズ混じりの音声の中に、エリアナの絶叫が続く。
『リオ! リオ、どこ!? 誰か、私の弟を知らない!?』
そして、全てを終わらせる、か細く、しかし凛とした少年の声が、通信機から途切れ途切れに聞こえた。作戦に参加せず、アジトに残っていたエリアナの、まだ幼い弟の声だった。
『姉さん……泣かないで。……みんなは、僕が……逃がすから。……笑って、生きて……』
その言葉を最後に、通信は耳を劈くようなノイズに掻き消され、完全に途絶えた。
アジトに戻ったカイトたちを待っていたのは、地獄のような光景だった。温かい生活の匂いは硝煙の匂いに変わり、壁を飾っていた子供の絵は、無慈悲な剣の一閃によって切り裂かれていた。数人の仲間が倒れ、生き残った者たちも、深い絶望に打ちひしがれている。
エリアナは、その中央で、糸が切れた人形のように泣き崩れていた。彼女は、泥と雨に濡れたカイトの姿を認めると、狂ったように駆け寄り、その胸を何度も何度も叩いた。
「あなたのせいよ!」
その声は、もはや悲鳴ではなかった。魂そのものが引き裂かれるような、呪詛の響きを帯びていた。
「あなたが、あなたが強すぎるから! あなたさえいなければ、帝国はここまで本気にはならなかった! 普通に、私たちのやり方でやっていれば、リオは……リオは、死なずに済んだのに!」
カイトは、その非難の言葉を、甘んじて受けた。何も言い返せなかった。エリアナの言う通りかもしれない。自分の存在という、あまりに巨大な「イレギュラー」が、この世界の均衡を破壊し、最悪の結果を招いたのかもしれない。絶対的な力を持ちながら、またしても、目の前の、たった一つの小さな悲劇すら、防ぐことができなかった。その途方もない無力感が、鉛のように彼の心を蝕んでいく。
怒りの矛先は、ただ一人、この惨状を前にしてもなお、冷静に佇む少女へと向けられた。
「ノア!」
カイトは、吠えるように叫んだ。
「お前の分析なら、こうなることが分かってたんじゃないのか!? なぜ、何も言わなかった!」
ノアは、降りしきる雨に濡れるのも構わず、ただ静かに、カイトを見つめていた。その瞳には、悲しみも、同情も、罪悪感もない。ただ、揺るぎない、冷徹な真理だけが宿っていた。
「予測はしていた」
彼女は、無表情のまま、揺るぎない声で答えた。
「この作戦を実行した場合、罠である可能性は67.2%。その結果、アジトが奇襲される可能性は34.7%。さらにその中で、リオという名の少年が死亡する確率は12.2%だった」
「……なんだと?」
「これらの数値は、作戦の成功によって得られるリターン、すなわち帝国全体の解放の可能性という大きな目標を考慮すれば、統計的には、許容可能な損失だった」
その言葉が響いた瞬間、アジトの空気は絶対零度まで凍りついた。
カイトの全身から、殺意にも似た、制御不能な圧力が放たれた。彼は一歩でノアとの距離を詰めると、その細い身体の胸ぐらを、万力のような力で掴み上げた。
「許容可能な、損失だと?」
彼の声は、怒りを通り越して、静かで、冷たい響きを帯びていた。
「リオの命が、エリアナの悲しみが、お前にとっては、ただの計算式の、数字の一つだったっていうのか!」
掴み上げられても、ノアの瞳は揺らがなかった。彼女は、ただ真っ直ぐにカイトを見つめ返す。彼女の論理の世界では、何一つ間違ったことは言っていない。
「感情的な判断こそが、次の、より大きな失敗を招く最大の要因だ。私たちは今、この悲劇という貴重なデータを元に、次の戦略をより精密に再計算するべきだ。それこそが、彼の死を無駄にしない、唯一の合理的な方法だと、私は判断する」
その言葉は、あまりにも正しく、そして、あまりにも残酷だった。
カイトの中で、何かが、ぷつりと音を立てて切れた。
彼は、締め付けていた手を、ゆっくりと、力を失ったように離した。そして、まるで初めて見る化け物でも見るかのような目で彼女を見つめ、静かに、絶望を込めて呟いた。
「お前とは、話にならん」
その目には、純粋な失望と、そして彼自身も気づいていない、この人間とは違う論 newlines を理解できないという、根源的な恐怖の色が宿っていた。
カイトはノアに背を向け、アジトの仲間たちの制止も聞かず、再び降りしきる雨の中へと、一人で飛び出していった。その背中は、あまりにも孤独だった。
一人、部屋に残されたノアは、カイトに掴まれた胸元に、そっと手を当てた。
まただ。また、胸の奥深くで、あの解析不能な「痛み」というノイズが、警報のように鳴り響いている。
(なぜだ? 私の判断は、論理的に完璧なはずなのに。なぜ、私のシステムが、こんなにも痛む?)
三者の心は、修復不可能なほどに、深く、冷たく断絶された。
雨は、ただ静かに、その全てを、何事もなかったかのように濡らし続けていた。
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