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早乙女里奈の視点
第五話:計算外の涙
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月曜日の朝。 週末の雨は上がっていたけれど、私の心はこれ以上ないほど晴れ渡っていた。
一年の教室の前を通りかかると、そこには私が週末に思い描いていた通りの「地獄」が広がっていた。
垣原瞬は、死人のような顔をしていた。 目の下に濃い隈を作り、誰とも口を利こうとせず、机に突っ伏している。 そして、前原美影が「おはよう」と声をかけても、彼は顔も上げずに短く唸るだけ。 完全なる無視。拒絶。
(ほら、終わった)
私は廊下の陰で、小さくガッツポーズをした。 あの「綾香の誕生日」という嘘が、決定打になったのだ。 瞬はもう、美影の相手をすることに限界を感じている。 あのやつれた顔は、週末の間中、鬱陶しい彼女からの連絡に悩まされた証拠に違いない。 「なんで嘘つくの?」「信じてたのに」という、惨めな長文LINEでも送られてきたのだろう。
「あーあ、空気重っ」
クラスメイトたちが気まずそうに囁き合っているのが聞こえる。 私は優越感に浸りながら、自分の教室へと向かった。 私の時は、もっとスパッと切られた。 美影のように粘着質にすがりついて、彼を疲れさせるような真似はしなかった(と、記憶の中で美化している)。 やっぱりあの子、見た目によらず図太いというか、空気が読めないのね。
昼休みも、放課後も、私はアンテナを張り巡らせていた。 瞬は昼休みに逃亡し、放課後は一人で教室に残っていた。 美影も残っている。
(いよいよ、フィナーレね)
私は帰り支度をゆっくりと済ませ、わざと遠回りをして、一年の教室が見える渡り廊下のベンチに座った。 ここで待っていれば、泣きながら飛び出してくる美影が見られるはずだ。 その惨めな姿を確認して、私のこの「元カノ」としてのモヤモヤを、完全に成仏させてやる。
しばらくすると、静まり返った校舎に、男の怒鳴り声が響いた。
『やめろよ!』
ビクッとして、顔を上げる。 瞬の声だ。 あんなに大きな声を出す彼を、私は知らない。 机を叩くような激しい音。
『その仮面、やめろって言ってんだよ!』
遠くて内容ははっきり聞き取れないけれど、彼が激昂していることだけは分かる。 相当、苛立っているのだ。 美影が何か、彼の逆鱗に触れるような綺麗事を言ったのかもしれない。 「まだ好き」とか「信じてる」とか。
(いい気味)
私は冷たい缶ジュースを握りしめた。 怒鳴られるなんて、最低の別れ方だ。 でも、それがあんたの選んだ男よ、前原美影。 私が味わった絶望を、あんたも骨の髄まで味わえばいい。
罵声が止む。 しばらくの静寂。 そして、ついに教室の扉が開いた。
出てきたのは、美影だった。 私は身を乗り出して、彼女の表情を探った。 俯いて、顔を覆っている? 泣いているの? そうよ、泣きなさい。顔をぐしゃぐしゃにして、惨めに走り去りなさい。
しかし。 廊下を歩いてくる彼女の姿が近づくにつれて、私の表情は強張っていった。
彼女は、確かに泣いていた。 目元を指で拭い、頬は濡れていた。 でも、その足取りは、私が期待していたような「千鳥足」ではなかった。 背筋が伸びている。 逃げるように走るのではなく、一歩一歩、床を踏みしめて歩いている。
そして、昇降口へ向かう階段の角を曲がる瞬間。 西日が彼女の横顔を照らし出した。
(……なによ、その顔)
彼女は、笑っていたわけではない。 でも、絶望してもいなかった。 まるで、重たい荷物を全部下ろした後のような、憑き物が落ちたような、清々しい顔つき。 涙は流れているのに、その瞳には「強さ」があった。
振られた女の顔じゃない。 罵倒されて、傷つけられた女の顔じゃない。
(なんで?)
私の計算式が、音を立てて崩れていく。 瞬があれだけ怒鳴っていたのに。あんなに拒絶していたのに。 どうして、そんな「勝者」みたいな顔をして帰れるの?
私は混乱したまま、彼女の後ろ姿を見送った。 教室には、瞬が残されているはずだ。 彼もまた、せいせいした顔をしているのだろうか。 「やっと追い払えた」と、笑っているのだろうか。
気になって、私はこっそりと教室を覗きに行こうとした。 けれど、やめた。 なんとなく、見てはいけない気がした。 美影のあの表情の裏にあるものが、私の理解を超えているような気がして、怖かったのだ。
「……意味わかんない」
私はベンチに缶ジュースを置き去りにして、立ち上がった。 あの子は鈍感なんじゃない。 バカなんじゃない。 何か、私の知らない「武器」を持っている。
それが何なのかは分からない。 けれど、私の胸の中にあった「ざまあみろ」という黒い喜びは、いつの間にか消え失せ、代わりに得体の知れない敗北感が、じわりと滲み出し始めていた。
一年の教室の前を通りかかると、そこには私が週末に思い描いていた通りの「地獄」が広がっていた。
垣原瞬は、死人のような顔をしていた。 目の下に濃い隈を作り、誰とも口を利こうとせず、机に突っ伏している。 そして、前原美影が「おはよう」と声をかけても、彼は顔も上げずに短く唸るだけ。 完全なる無視。拒絶。
(ほら、終わった)
私は廊下の陰で、小さくガッツポーズをした。 あの「綾香の誕生日」という嘘が、決定打になったのだ。 瞬はもう、美影の相手をすることに限界を感じている。 あのやつれた顔は、週末の間中、鬱陶しい彼女からの連絡に悩まされた証拠に違いない。 「なんで嘘つくの?」「信じてたのに」という、惨めな長文LINEでも送られてきたのだろう。
「あーあ、空気重っ」
クラスメイトたちが気まずそうに囁き合っているのが聞こえる。 私は優越感に浸りながら、自分の教室へと向かった。 私の時は、もっとスパッと切られた。 美影のように粘着質にすがりついて、彼を疲れさせるような真似はしなかった(と、記憶の中で美化している)。 やっぱりあの子、見た目によらず図太いというか、空気が読めないのね。
昼休みも、放課後も、私はアンテナを張り巡らせていた。 瞬は昼休みに逃亡し、放課後は一人で教室に残っていた。 美影も残っている。
(いよいよ、フィナーレね)
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しばらくすると、静まり返った校舎に、男の怒鳴り声が響いた。
『やめろよ!』
ビクッとして、顔を上げる。 瞬の声だ。 あんなに大きな声を出す彼を、私は知らない。 机を叩くような激しい音。
『その仮面、やめろって言ってんだよ!』
遠くて内容ははっきり聞き取れないけれど、彼が激昂していることだけは分かる。 相当、苛立っているのだ。 美影が何か、彼の逆鱗に触れるような綺麗事を言ったのかもしれない。 「まだ好き」とか「信じてる」とか。
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私は冷たい缶ジュースを握りしめた。 怒鳴られるなんて、最低の別れ方だ。 でも、それがあんたの選んだ男よ、前原美影。 私が味わった絶望を、あんたも骨の髄まで味わえばいい。
罵声が止む。 しばらくの静寂。 そして、ついに教室の扉が開いた。
出てきたのは、美影だった。 私は身を乗り出して、彼女の表情を探った。 俯いて、顔を覆っている? 泣いているの? そうよ、泣きなさい。顔をぐしゃぐしゃにして、惨めに走り去りなさい。
しかし。 廊下を歩いてくる彼女の姿が近づくにつれて、私の表情は強張っていった。
彼女は、確かに泣いていた。 目元を指で拭い、頬は濡れていた。 でも、その足取りは、私が期待していたような「千鳥足」ではなかった。 背筋が伸びている。 逃げるように走るのではなく、一歩一歩、床を踏みしめて歩いている。
そして、昇降口へ向かう階段の角を曲がる瞬間。 西日が彼女の横顔を照らし出した。
(……なによ、その顔)
彼女は、笑っていたわけではない。 でも、絶望してもいなかった。 まるで、重たい荷物を全部下ろした後のような、憑き物が落ちたような、清々しい顔つき。 涙は流れているのに、その瞳には「強さ」があった。
振られた女の顔じゃない。 罵倒されて、傷つけられた女の顔じゃない。
(なんで?)
私の計算式が、音を立てて崩れていく。 瞬があれだけ怒鳴っていたのに。あんなに拒絶していたのに。 どうして、そんな「勝者」みたいな顔をして帰れるの?
私は混乱したまま、彼女の後ろ姿を見送った。 教室には、瞬が残されているはずだ。 彼もまた、せいせいした顔をしているのだろうか。 「やっと追い払えた」と、笑っているのだろうか。
気になって、私はこっそりと教室を覗きに行こうとした。 けれど、やめた。 なんとなく、見てはいけない気がした。 美影のあの表情の裏にあるものが、私の理解を超えているような気がして、怖かったのだ。
「……意味わかんない」
私はベンチに缶ジュースを置き去りにして、立ち上がった。 あの子は鈍感なんじゃない。 バカなんじゃない。 何か、私の知らない「武器」を持っている。
それが何なのかは分からない。 けれど、私の胸の中にあった「ざまあみろ」という黒い喜びは、いつの間にか消え失せ、代わりに得体の知れない敗北感が、じわりと滲み出し始めていた。
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