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早乙女里奈の視点
第九話:錆びついたナイフ
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月曜日の放課後。 西日が差し込む昇降口は、血のような赤色に染まっていた。
生徒たちの姿はまばらだ。 私は柱の陰に身を潜め、靴箱の列を睨みつけていた。 心臓が、早鐘を打っている。 これは正義の鉄槌だ。あの能天気な女に、現実を教えてやるための親切な忠告だ。 そう自分に言い聞かせても、指先の震えは止まらなかった。
コツ、コツ、と静かな足音が近づいてくる。 前原美影だ。 彼女は一人だった。瞬はまだ職員室だろうか。好都合だ。
彼女が上履きからローファーに履き替えようと屈んだ瞬間、私は柱の陰から踏み出した。
「……あの」
私の気配に気づき、彼女が振り返る。 その目は、驚くほど無防備で、澄んでいた。 まるで、他人から悪意を向けられることなど想像もしていないような目。 その純真さが、私の神経を逆撫でする。
私は挨拶もせず、用意していた言葉を投げつけた。
「瞬くんのこと、信じすぎない方が、いいと思うよ」
声が、少し震えた気がした。 でも、止まらない。一度堰を切った感情は、濁流となって溢れ出した。
「あの人、すぐに、飽きるから」
そう、飽きるのだ。 私との日々がそうだったように。 熱烈だったのは最初だけ。私が彼に夢中になればなるほど、彼の瞳からは熱が失われていった。 あの絶望を、あんたも味わうことになる。
「どんなに、今、優しくてもね。それは、ただの、ゲームの始まりの、ご祝儀みたいなもの。すぐに、メッキは剥がれるわ」
美影の顔から、表情が消える。 効いている。私の言葉が、彼女の心に毒のように染み渡っているはずだ。 私はさらに畳み掛けた。
「あんまり、夢中にならない方がいい。私みたいに、惨めな思いをするだけだから。どうせ、あんたも、すぐに、捨てられる」
「捨てられる」。 その言葉を口にした瞬間、私の胸の古傷がじくりと疼いた。 これは彼女への警告であると同時に、私自身が受けた傷の再確認だった。 私は捨てられた。 私は被害者だ。 だから、加害者である瞬と、その彼と幸せになろうとしているあんたを憎む権利がある。
さあ、どうする? 顔を青ざめて、「嘘!」と叫ぶ? それとも、不安になって泣き出す?
私は彼女の崩壊を期待して、その顔を覗き込んだ。
けれど。 彼女の口から出たのは、私の予想を遥かに超える言葉だった。
「……あなたは、すごく、傷ついたんですね」
時が、止まった気がした。
は? 今、なんて言った?
彼女の瞳にあったのは、恐怖でも不安でもなかった。 それは、道端で怪我をした野良猫を見るような、深く、静かな「憐れみ」だった。
「忠告、ありがとう。でも、私が、瞬くんをどう信じるかは、私が、決めることなので」
カッと、頭に血が上った。 耳鳴りがした。
なによ、それ。 「可哀想な人」って言いたいの? 私はあんたのために教えてあげたのよ。 彼がどれだけ冷酷か、どれだけ最低な男か。 それなのに、あんたは私を見下して、「私は関係ない」って顔をするわけ?
「余計なお世話よ!」
叫び返そうとした、その時だった。 昇降口の奥から、聞き慣れた足音が響いた。
瞬だ。
彼がこちらに向かってくる。 その姿を見た瞬間、私の中で張り詰めていた糸が、プツンと切れた。
彼に会いたいわけじゃない。 彼に見られたくなかった。 こんな風に、新しい彼女に過去の恨み言をぶつけている、惨めで、醜い自分の姿を。
美影の背後に立つ瞬の顔が見えた。 彼は、驚いたような、そして怯えたような目で私を見ていた。 かつて私に向けられていた「無関心」ではない。 過去の亡霊を見るような目。
耐えられなかった。
私は美影を睨みつけることも忘れ、逃げるように走り出した。 すれ違いざま、瞬の肩にぶつかる。
「っ……!」
硬い感触。 懐かしい匂い。 でも、それはもう私のものではない。
「里奈!」
彼が私の名前を呼んだ気がしたけれど、私は振り返らなかった。 涙が溢れてきて、前が見えなかった。
負けた。 完全に、負けた。
美影は、瞬の過去を知っても動じなかった。 私の呪いは、彼女には届かなかった。 彼女は「瞬の被害者」になることを拒否し、私のことも「敵」ではなく「傷ついた人」として処理したのだ。
その圧倒的な「余裕」と「強さ」が、私を打ちのめした。
校門を出て、私は息が切れるまで走った。 夕焼けが滲んで、世界が歪んで見えた。 私の復讐は、誰にも届かず、ただ自分自身を傷つけただけで終わってしまった。
「……ううっ、うぅ……」
路地裏にしゃがみ込み、私は声を殺して泣いた。 悔しかった。 寂しかった。 そして何より、彼らが築き上げている「本物の愛」が、どうしようもなく羨ましかった。
生徒たちの姿はまばらだ。 私は柱の陰に身を潜め、靴箱の列を睨みつけていた。 心臓が、早鐘を打っている。 これは正義の鉄槌だ。あの能天気な女に、現実を教えてやるための親切な忠告だ。 そう自分に言い聞かせても、指先の震えは止まらなかった。
コツ、コツ、と静かな足音が近づいてくる。 前原美影だ。 彼女は一人だった。瞬はまだ職員室だろうか。好都合だ。
彼女が上履きからローファーに履き替えようと屈んだ瞬間、私は柱の陰から踏み出した。
「……あの」
私の気配に気づき、彼女が振り返る。 その目は、驚くほど無防備で、澄んでいた。 まるで、他人から悪意を向けられることなど想像もしていないような目。 その純真さが、私の神経を逆撫でする。
私は挨拶もせず、用意していた言葉を投げつけた。
「瞬くんのこと、信じすぎない方が、いいと思うよ」
声が、少し震えた気がした。 でも、止まらない。一度堰を切った感情は、濁流となって溢れ出した。
「あの人、すぐに、飽きるから」
そう、飽きるのだ。 私との日々がそうだったように。 熱烈だったのは最初だけ。私が彼に夢中になればなるほど、彼の瞳からは熱が失われていった。 あの絶望を、あんたも味わうことになる。
「どんなに、今、優しくてもね。それは、ただの、ゲームの始まりの、ご祝儀みたいなもの。すぐに、メッキは剥がれるわ」
美影の顔から、表情が消える。 効いている。私の言葉が、彼女の心に毒のように染み渡っているはずだ。 私はさらに畳み掛けた。
「あんまり、夢中にならない方がいい。私みたいに、惨めな思いをするだけだから。どうせ、あんたも、すぐに、捨てられる」
「捨てられる」。 その言葉を口にした瞬間、私の胸の古傷がじくりと疼いた。 これは彼女への警告であると同時に、私自身が受けた傷の再確認だった。 私は捨てられた。 私は被害者だ。 だから、加害者である瞬と、その彼と幸せになろうとしているあんたを憎む権利がある。
さあ、どうする? 顔を青ざめて、「嘘!」と叫ぶ? それとも、不安になって泣き出す?
私は彼女の崩壊を期待して、その顔を覗き込んだ。
けれど。 彼女の口から出たのは、私の予想を遥かに超える言葉だった。
「……あなたは、すごく、傷ついたんですね」
時が、止まった気がした。
は? 今、なんて言った?
彼女の瞳にあったのは、恐怖でも不安でもなかった。 それは、道端で怪我をした野良猫を見るような、深く、静かな「憐れみ」だった。
「忠告、ありがとう。でも、私が、瞬くんをどう信じるかは、私が、決めることなので」
カッと、頭に血が上った。 耳鳴りがした。
なによ、それ。 「可哀想な人」って言いたいの? 私はあんたのために教えてあげたのよ。 彼がどれだけ冷酷か、どれだけ最低な男か。 それなのに、あんたは私を見下して、「私は関係ない」って顔をするわけ?
「余計なお世話よ!」
叫び返そうとした、その時だった。 昇降口の奥から、聞き慣れた足音が響いた。
瞬だ。
彼がこちらに向かってくる。 その姿を見た瞬間、私の中で張り詰めていた糸が、プツンと切れた。
彼に会いたいわけじゃない。 彼に見られたくなかった。 こんな風に、新しい彼女に過去の恨み言をぶつけている、惨めで、醜い自分の姿を。
美影の背後に立つ瞬の顔が見えた。 彼は、驚いたような、そして怯えたような目で私を見ていた。 かつて私に向けられていた「無関心」ではない。 過去の亡霊を見るような目。
耐えられなかった。
私は美影を睨みつけることも忘れ、逃げるように走り出した。 すれ違いざま、瞬の肩にぶつかる。
「っ……!」
硬い感触。 懐かしい匂い。 でも、それはもう私のものではない。
「里奈!」
彼が私の名前を呼んだ気がしたけれど、私は振り返らなかった。 涙が溢れてきて、前が見えなかった。
負けた。 完全に、負けた。
美影は、瞬の過去を知っても動じなかった。 私の呪いは、彼女には届かなかった。 彼女は「瞬の被害者」になることを拒否し、私のことも「敵」ではなく「傷ついた人」として処理したのだ。
その圧倒的な「余裕」と「強さ」が、私を打ちのめした。
校門を出て、私は息が切れるまで走った。 夕焼けが滲んで、世界が歪んで見えた。 私の復讐は、誰にも届かず、ただ自分自身を傷つけただけで終わってしまった。
「……ううっ、うぅ……」
路地裏にしゃがみ込み、私は声を殺して泣いた。 悔しかった。 寂しかった。 そして何より、彼らが築き上げている「本物の愛」が、どうしようもなく羨ましかった。
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