幽霊も助手も厄介すぎる!クールなゴーストバスターの騒がしくて泣ける日常

Gaku

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第5話:対話なき獣

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七月に入り、長く続いた梅雨が、まるで燃え尽きるかのように唐突に明けた。空は、昨日までの気まぐれが嘘だったかのように、どこまでも高く、深く、そして暴力的なまでの青一色に染め上がった。太陽は容赦なく地面を焼き付け、アスファルトからは陽炎が立ち上り、遠くの景色を蜃気楼のように歪ませている。
事務所の古いエアコンは、唸りを上げて懸命に冷気を吐き出しているが、窓から差し込む真夏の日差しにはまるで歯が立たない。じりじりと肌を焼く光が、床に明るい四角形を描き出していた。外からは、命の限りを尽くすかのような蝉時雨が、滝のように降り注いでくる。その猛烈な鳴き声は、事務所の壁さえも貫通して、頭の芯に直接響いてくるようだった。
「あづい……。もう溶けそうです……」
ミソラは、テーブルに突っ伏して、完全に伸びていた。彼女のトレードマークである元気の良さも、この殺人的な暑さの前には形無しだ。部屋の隅にいるサキの気配も、心なしかぐったりとしている。時折、彼女の周囲の空気が揺らぐのは、ポルターガイストではなく、暑さで陽炎でも立っているんじゃないかと錯覚するほどだった。
前回の神社での一件以来、俺とミソラの間には、どこかぎこちない空気が流れていた。十年越しの想い。奇妙な縁。彼女が俺に向ける感情が、単なる一目惚れの「恋」ではない、もっと根深いものであると知ってから、俺はどうにも彼女との距離の取り方が分からなくなっていた。意識すればするほど、言葉はぶっきらぼうになり、態度は冷たくなる。そんな俺の空気を敏感に感じ取って、ミソラもどこか寂しそうな顔をすることが増えた。夏の暑さが、その気まずさをさらに息苦しいものにしていた。
そんな停滞した空気を切り裂いたのは、一本の無機質な電話の呼び出し音だった。表示された番号は非通知。俺は眉をひそめながら、受話器を取った。
「……神山だ」
『……警視庁の、桐島という者だ』
電話の向こうから聞こえてきたのは、低く、押し殺したような男の声だった。警察、という単語に、ミソラがぴくりと顔を上げる。
『非公式の、内密の依頼だ。君の父親には、何度か世話になったことがある』
桐島と名乗る男は、淡々と、しかし切迫した口調で語り始めた。
湾岸地区にある巨大な廃工場。数ヶ月前から、不法侵入した者が謎の事故に遭う事件が頻発しているという。落下物による重傷、機械に体を挟まれる事故。そして、極めつけは、内部を調査に入った警察官二名が、錯乱状態で発見されたことだった。二人とも、意味不明な言葉を叫びながら暴れ、現在は精神科の閉鎖病棟に入院しているという。
「……それは、俺の専門分野だ」
話を聞き終えた俺は、静かに答えた。これまでの依頼とは、明らかに「質」が違う。これは、個人の未練や執着が生み出した、いわば「対話の余地」のあるゴーストではない。もっと、純粋で、悪意に満ちた何かだ。
『頼む。公にはできない。だが、このままでは被害者が増える一方だ。報酬は弾む』
「分かった。場所を送ってくれ」
電話を切り、俺は立ち上がった。体中の細胞が、危険を告げていた。これは、戦いだ。
「師匠、今のって……」
「デカい仕事だ。ミソラ、お前とサキは事務所で待ってろ。絶対に、だ」
俺は、有無を言わせぬ口調で命じた。
「嫌です」
だが、ミソラは、はっきりと首を横に振った。テーブルから身を起こし、真っ直ぐに俺の目を見つめてくる。その瞳には、いつものような無邪気さはなく、強い意志の光が宿っていた。
「私も行きます。私は、師匠の助手で、パートナーですから」
「ふざけるな!遊びじゃないんだぞ!死ぬかもしれないんだ!」
「分かってます!だから、行かなきゃいけないんです!師匠が一人で危ない場所に行くのを、ここで待ってるなんてできません!」
その言葉に、部屋の隅でサキの気配も、強く、同意するように揺れた。
俺は舌打ちした。こいつらの覚悟は、俺が思っている以上に固いらしい。
「……いいか、絶対に俺の指示に従え。少しでもヤバいと思ったら、すぐに逃げるんだ。分かったな」
「……はい!」
俺は深いため息をつき、事務所の奥にしまい込んでいた、黒いアタッシュケースを手に取った。中に入っているのは、普段は使うことのない、本物の「武器」だった。

車を走らせ、俺たちは臨海工業地帯に到着した。空には、巨大な入道雲が、まるで天にそびえる城のように鎮座している。潮風が、錆びた鉄の匂いと、海の塩の匂いを運んできた。俺たちの目指す廃工場は、そんな殺風景な土地に、打ち捨てられた巨大な獣の骸のように横たわっていた。
「でかい……」
ミソラが、息を呑む。
敷地を囲むフェンスはところどころ破れ、雑草がアスファルトの亀裂を突き破って、腰の高さまで生い茂っている。真夏の強い日差しが、工場の錆びついたトタン屋根に反射して、目を焼いた。じりじり、じりじり。絶え間なく降り注ぐ蝉時雨が、ここではまるで、これから始まる惨劇を告げる、不気味な警告音のように聞こえた。
敷地に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。外の猛暑が嘘のように、ひんやりとした冷気が肌を撫でる。だが、それは心地よい涼しさではない。冷蔵庫の中に頭を突っ込んだような、生命感のない、無機質な冷たさだった。そして、感じる。これまでの霊とは比較にならないほどの、強烈な悪意と、憎悪の気配。それは、特定の誰かに向けられたものではない。ただ、そこにあるものすべてを破壊し、喰らい尽くさんとする、純粋な破壊衝動の塊だった。
「……これは、獣だ」
俺は、呟いた。対話の余地など、万に一つもない。
「ミソラ、サキ。車に戻れ。これは命令だ」
「でも……!」
「いいから行け!お前たちがいたら、足手まといになるだけだ!」
俺は、わざと突き放すような、冷たい言葉を投げつけた。ミソラは唇を噛み、悔しそうに顔を歪めたが、俺の瞳に宿る本気の光を読み取ったのだろう。彼女は何も言わずに頷くと、サキの気配を促すようにして、車の方へと走り出した。
二人(と一霊)の安全を確保し、俺は一人、工場の巨大な鉄の扉の前に立った。アタッシュケースを開き、中から清めた金属でできた短い刀と、何重にも巻かれた鋼のワイヤーを取り出す。そして、指に何枚もの札を挟み、深く、深く息を吸った。
感情を殺せ。思考を止めろ。ただ、目の前の敵を排除することだけに、全神経を集中させろ。
俺は、ゴーストバスター、神山ジンの顔に戻った。

工場の内部は、墓場のような静寂に包まれていた。天井の所々が抜け落ち、そこから差し込む光が、まるで教会のステンドグラスのように、床にいくつもの光の筋を描き出している。空気中を舞う無数のホコリが、その光の中でゆっくりと踊っていた。機械油とカビ、そして濃密な鉄の匂いが、鼻をついた。
気配は、このだだっ広い空間の、中心で渦を巻いている。
俺は短刀を抜き、ゆっくりと中央へと進んだ。
すると、目の前の空間が、ぐにゃりと歪んだ。闇。特定の形を持たない、不定形の闇が、何もない場所から染み出すようにして現れた。それは、この工場で事故死した、複数の作業員の怨念が、長い年月をかけて融合し、純粋な「憎悪」と「破壊衝動」だけが残った成れの果てだった。
『……ギ…アアアアアアアアア!』
それは、声とも音ともつかない、鼓膜を直接引き裂くような絶叫だった。闇が蠢き、その一部が触手のように伸びて、床に転がっていた錆びた鉄パイプを掴み上げると、俺に向かって凄まじい速さで投げつけてきた。
「チッ!」
俺は身をかがめてそれをかわす。鉄パイプは俺の背後の壁に突き刺さり、コンクリートの破片を飛び散らせた。
一瞬の隙も無い。次々と、周囲の瓦礫や鉄くずが、闇の力によって弾丸のように飛んでくる。俺はそれを、紙一重でかわし、時には短刀で弾き返し、じりじりと闇との距離を詰めていく。
「――オン・キリキリ・バサラ・ウン・ハッタ!」
高速で祝詞を唱えながら、俺は鋼のワイヤーを投擲した。清められたワイヤーは、闇の体を切り裂くようにして通り抜けるが、すぐに闇は再生してしまう。核を破壊しない限り、こいつは何度でも蘇る。
戦いは、熾烈を極めた。
闇が、巨大な口のように裂け、そこから怨嗟の声を凝縮したような衝撃波を放つ。俺は足元に札を叩きつけ、霊的な障壁(結界)を展開してそれを防ぐ。金属がぶつかり合う甲高い音、空間が歪む低い唸り声、そして、俺の荒い息遣いだけが、巨大な廃工場に響き渡っていた。
どれくらいの時間が経っただろうか。俺の体力も、集中力も、限界に近づいていた。
その時だった。
『……師匠っ!』
ミソラの声が、頭の中に響いた。いや、違う。これは、サキの声だ。
はっと工場の入り口を見ると、そこにミソラとサキが立っていた。車で待っているはずの二人が、なぜここに。
「馬鹿野郎!なんで戻ってきた!」
「だって、師匠が……!」
俺が一瞬、二人に気を取られた、その隙を、獣は見逃さなかった。
闇の中から、これまでで最も太く、鋭い触手が伸び、俺ではなく、ミソラとサキがいる入り口へと向かって突き進んだ。
「――しまっ!」
考えるより先に、体が動いていた。俺はミソラとサキの前に飛び出し、二人を突き飛ばすようにして、その身で闇の触手を受け止めた。
「ぐっ……アアアアアアッ!」
左腕に、焼けるような、抉られるような激痛が走る。骨が軋む音が聞こえた。闇の触手は、俺の腕を貫通こそしなかったが、その邪悪な気で肉と骨を蝕んでいく。
だが、好機でもあった。がら空きになった、奴の本体。
「……サキ!」
俺は、痛みに耐えながら叫んだ。
「奴の気を、一瞬でいい、逸らせ!」
俺の意図を察したのか、サキの気配が恐怖に震えながらも、強く頷いた。次の瞬間、工場の天井近くにあった巨大な鉄のフックが、けたたましい音を立てて揺れ始めた。サキの、命懸けのポルターガイストだった。
闇は、一瞬だけ、その意識を天井のフックに向けた。
その、コンマ数秒の隙。
「――これで、終いだッ!」
俺は残った右手にすべての力を込め、最後の祝詞を込めた短刀を、闇の中心にある、ひときわ濃い核へと突き刺した。
『ギ……イイイイイイイイイイイイイアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』
獣は、断末魔の絶叫を上げた。その体は、内側から浄化の光に焼かれ、一瞬にして霧散した。
後には、静寂と、錆びた機械油の匂いだけが残されていた。
それと同時に、俺の意識も、そこで途切れた。

気がつくと、俺は車の後部座席に横たわっていた。運転席にはミソラ。外は、いつの間にか激しい夕立になっていた。叩きつけるような雨音が、車の屋根を激しく打っている。
「……師匠!気がつきましたか!?」
ミソラが、泣き濡れた顔で振り返る。
俺の左腕には、彼女が巻いてくれたのであろう、拙いながらも、きつく締められた包帯があった。じんじんと、熱を持った痛みが続いている。
「ごめんなさい……私のせいで……私が戻ってきたりしたから……」
ぽろぽろと、大粒の涙をこぼすミソラに、俺はかぶりを振った。
「……お前のせいじゃねえ。俺が、勝手にやったことだ」
本当だった。あの瞬間、俺は、ミソラを守れたことに、心の底から安堵していたのだ。
「……だから、言っただろ」
俺は、途切れ途切れの息で言った。
「俺に関わると、こういうことになる。もう、辞めろ。お前には、普通の、安全な人生があるはずだ」
これが、俺の本心だった。これ以上、こいつを危険な目に合わせたくない。
だが、ミソラは、涙をぐいっと手の甲で拭うと、バックミラー越しに、俺の目を真っ直ぐに見つめ返した。その瞳には、もう迷いはなかった。
「嫌です。辞めません」
彼女は、はっきりと言った。
「だって、私は、師匠のパートナーですから。今日、それがよく分かりました。私は、ただ守られてるだけじゃダメなんですね。師匠と一緒に戦えるくらい、もっと強くならなきゃいけないんですね」
その言葉に、俺は何も返せなかった。
恋だの、憧れだの、そんな生半可なものじゃない。こいつは、腹を括ったのだ。俺という人間の、光も闇も、すべて引き受ける覚悟を。
俺は、何も言えず、ただ流れていく窓の外の景色を眺めていた。雨上がりの夜道。車のヘッドライトが、濡れたアスファルトを、どこまでも照らし出している。
厄介なことになった。
俺は心の中で呟いた。
でも、この覚悟を決めた少女を、俺はもう、手放すことなんてできそうになかった。
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