幽霊も助手も厄介すぎる!クールなゴーストバスターの騒がしくて泣ける日常

Gaku

文字の大きさ
6 / 23

第6話:届かなかった手紙の行方

しおりを挟む


七月も半ばを過ぎ、空はどこまでも高く、そして容赦のない青に染まっていた。梅雨明け宣言と共に訪れたのは、生命を茹だ上がらせるような、暴力的なまでの猛暑だった。アスファルトは陽炎を立ち上らせ、遠くのビル群を蜃気楼のように揺らしている。世界全体が、巨大な熱の塊の中に閉じ込められてしまったかのようだった。
「師匠、あんまり腕、動かしちゃダメですよ!安静第一!」
「……分かってるよ」
事務所のソファにふんぞり返りながら、俺はミソラの鋭い視線から逃れるように、ぶっきらぼうに答えた。あの廃工場での戦いから、五日が経っていた。俺の左腕は、肘から手首までを白いギプスでがっちりと固められ、首から三角巾で吊るされている。全治一ヶ月。医者はそうこともなげに言ったが、霊的な存在から受けた傷は、普通の怪我より治りが遅いことを俺は知っていた。疼くような鈍い痛みが、夏の暑さといっしょになって、じっとりと体力を奪っていく。
窓の外では、蝉時雨が事務所の壁をビリビリと震わせている。エアコンはフル稼働しているが、窓際だけは別世界のようだ。ミソラが買ってきた麦茶の入ったグラスの表面には、びっしりと水滴が浮かんでいる。
俺がこのザマなので、この数日、事務所は開店休業状態だった。ミソラは、まるで負い目でも感じているかのように、甲斐甲斐しく俺の世話を焼いた。三食昼寝付きとはこのことか、と思うくらい、上げ膳据え膳の生活だ。朝は栄養バランスの考えられた(そして少し味の薄い)朝食が出てくるし、昼は俺が飽きないようにと日替わりでテイクアウトの店を探してくる。夜は、俺がソファでうたた寝をしていると、いつの間にかタオルケットが掛けられていた。正直、照れくさくて、居心地が悪くて、そして、少しだけ申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
そんな俺たちの様子を、部屋の隅からじっと見つめる気配があった。助手2号、サキだ。彼女は、俺が怪我をしたのは自分のせいだと思い込んでいる節があった。あの日、彼女が俺を助けるために力を使い、結果として俺が負傷した。その事実が、彼女の小さな心を重くしているのだろう。彼女の気配は、この数日、しょんぼりと萎むように沈んでいた。まるで、夏の暑さにぐったりとした日陰の花のように、部屋の隅でいつもより小さくなっている。
このままではいけない。俺の怪我のせいも、サキのせいでも、この事務所の空気が淀んでいくのはごめんだ。俺は、疼く腕の痛みをこらえながら、ソファから身を起こした。
「よし、お前ら、仕事だ」
俺がそう言うと、キッチンで洗い物をしていたミソラが、目を丸くして振り返った。
「仕事って……師匠、その腕じゃ無理ですよ!」
「除霊じゃない。調査だ」
俺は、部屋の隅にいるサキの気配に向かって、はっきりと告げた。
「動けない今のうちに、お前の心残りを片付けるぞ。サキ」
停滞した空気を、打破する。俺たち三人の、新しい目標だった。

「手がかりは、あまりにも少ないですね……」
事務所のローテーブルに、一枚の大きな紙を広げ、ミソラが唸った。俺とミソラ、そして俺の隣に座るサキの気配。奇妙な三人の作戦会議が始まった。
分かっていることは三つだけ。
一つ、彼女の名前が「サキ」であること。だが、苗字は分からない。
二つ、彼女の幼馴染が「ユウ君」という名前であること。こちらも、もちろん苗字は不明だ。
三つ、彼女たちが住んでいた古い家の場所。幸い、これだけは依頼資料からはっきりと分かっている。
「時代は、サキちゃんの記憶からすると、おそらく三十年から四十年前くらい。ネットで名前を検索したって、出てくるはずないですよね」
ミソラが言う通りだった。デジタルの網の目から、完全にこぼれ落ちてしまった時代の話だ。
「アナログで調べるしかないな。当時の新聞、役所の記録、図書館の郷土資料。そのあたりを虱潰しに当たる」
「うへぇ、気が遠くなりそう……」
ミソラがげんなりとした顔をした、その時だった。俺の隣で、サキの気配がふわりと揺れた。そして、俺の脳内に、断片的な映像が流れ込んできた。
『……ピンク色の、花びら……たくさん』
『……茶色い屋根の、小さなお店……いい匂いがした』
『……オルゴールの、優しい音色』
「どうした、師匠?」
俺が急に黙り込んだので、ミソラが心配そうに顔を覗き込む。
「……サキの記憶だ。桜並木があったらしい。それと、パン屋かケーキ屋みたいな、いい匂いのする店。あと、オルゴールだ」
俺がそれを伝えると、ミソラは目を輝かせた。
「それ、すごい手がかりじゃないですか!桜並木が有名だった場所なら、昔の観光案内とかに残ってるかも!」
ここから、俺たちの奇妙な連携プレーが始まった。
サキが、自分の微かな記憶を、映像や音、匂いの断片として俺に送る。俺が、その感覚的な情報を言語化してミソラに伝える。そして、ミソラが、そのキーワードを元に、ノートパソコンで検索をかけていく。それは、まるで三つの点が、一本の見えない線で繋がったかのような、不思議な作業だった。

数日後、俺たちは市立図書館の、ひんやりとした静寂の中にいた。
外は、アスファルトさえも溶かしてしまいそうな灼熱地獄だ。だが、この建物の中だけは、まるで時間が止まったかのように穏やかで、涼しい空気が流れていた。高い天井、ずらりと並んだ本棚、そして、古い紙とインクの匂い。聞こえるのは、誰かがページをめくるかすかな音と、空調の低い唸り声だけだった。窓の外では、ケヤキの木が夏の強い光を浴びて、地面に濃い影を落としている。
俺たちは、郷土資料室の隅の席で、膨大な資料の山と格闘していた。古い住宅地図、分厚い新聞の縮刷版、地域の文集。その一つ一つを、ミソラと二人で手分けして調べていく。サキの気配は、俺の隣で静かに揺れていた。
「ダメだ……。それらしき記述は、まったく見つからないな」
数時間が経ち、俺は乾いた目にうんざりしながら、背もたれに体を預けた。資料の山は、まるで減っていないように見える。
「こっちもです。桜並木があったっていう記録はあるんですけど、場所が広すぎて特定できません」
ミソラも、疲れ果てたように大きなため息をついた。
その時だった。ミソラが、ふと、俺の隣にいるサキの気配に向かって、優しく話しかけた。
「ねえ、サキちゃん。この写真、見覚えある?」
彼女が指差したのは、古い新聞に載っていた、地域の「桜祭り」の白黒写真だった。大勢の人々が、満開の桜の下で楽しそうに笑っている。
その写真を見た瞬間、サキの気配が、これまでになく強く、激しく揺れた。そして、俺の脳内に、再び鮮明な映像が流れ込んできた。
『……わたあめ…甘い匂い…』
『…ユウ君が、りんご飴、買ってくれた…』
『…あの角を曲がったところに、オルゴールのお店が…』
「どうした、サキ!?」
俺の声に、ミソラが顔を上げる。
「桜祭りの記憶だ。『角を曲がったところにオルゴールのお店があった』って言ってる!」
「角……!」
ミソラは、すぐさま住宅地図と新聞の写真を照らし合わせ始めた。彼女の指が、地図の上を素早く滑っていく。
「この桜並木の、この角……!ここに、昔、『響天堂』っていう名前のお店があったみたいです!これ、オルゴールのお店じゃないでしょうか!?」
「……ビンゴだ」
俺たちは、思わず顔を見合わせて、笑った。長いトンネルの先に、ようやく小さな光が見えた気がした。

その夜、調査の興奮も冷めやらぬまま、俺たちは事務所に戻った。夜になっても気温は一向に下がらず、窓の外からは、昼間の蝉時雨に代わって、涼しげな虫の声が聞こえてくる。熱帯夜、というやつだ。
俺たちは、近所のコンビニで買ってきたアイスを片手に、ささやかな祝杯をあげていた。
「いやー、大きな一歩でしたね!『響天堂』かぁ」
ミソラが、ソーダ味のアイスバーをかじりながら、満足そうに言った。
「ああ。だが、問題はそこからだ。その店が、ユウ君とどう繋がるか……」
俺が腕を組んで唸っていると、ミソラがノートパソコンを開いた。
「ダメ元で、調べてみましょうか。『響天堂』『オルゴール』、それと……サキちゃんの記憶にあった場所の、昔の町名で」
彼女がいくつかのキーワードを打ち込み、検索ボタンをクリックする。どうせ、何も出てこないだろう。俺は、溶けかけたチョコアイスを口に運びながら、ぼんやりと画面を眺めていた。
検索結果のリストが、ずらりと表示される。そのほとんどは、無関係な情報だった。だが、リストの下の方に、一つだけ、俺たちの目を引くタイトルがあった。
『今はなき、あの町の桜並木と、響天堂の思い出』
「……これ」
ミソラが、呟いた。
それは、数年前に更新が止まっている、個人のブログ記事だった。地元の歴史を調べているという、一人の老人が運営している、地味で、飾り気のないブログ。
俺たちは、吸い寄せられるように、その記事のリンクをクリックした。
そこには、色褪せた写真と共に、筆者の思い出が綴られていた。子供の頃に見た、見事な桜並木のこと。そして、その桜並木のそばに、ぽつんと建っていた、手作りのオルゴール工房『響天堂』のこと。
『……店主は、たしか、結城(ゆうき)さんと言ったかな。無口で、職人気質の頑固な親父さんだったが、その息子は、人懐っこい、利発な子だった。名前は、確か……』
俺とミソラは、息を呑んだ。心臓が、大きく脈打つ。
ブログの文章は、こう締めくくりられていた。
『――息子の、ユウキ君。彼は、病弱な隣の家の女の子のために、それはそれは美しいオルゴールを作っていたのを、今でも鮮明に覚えている』
「……見つけた」
俺は、震える声で言った。
ユウ君。本名は、結城(ゆうき)。彼の父親が、オルゴール工房の店主だったのだ。
「やった……!やりましたよ、師匠!」
ミソラが、声を上げてガッツポーズをした。その声に呼応するように、サキの気配が、事務所の中を、まるで嬉しくて飛び回る蝶のように、くるくると舞い始めた。棚の上の書類が数枚、ぱらぱらと宙を舞う。だが、今の俺には、それを咎める気力もなかった。腕の痛みも忘れ、ただ、込み上げてくる熱い感情に、思わず笑みがこぼれた。

興奮が冷め、静けさが戻った深夜の事務所。窓の外では、煌々と月が輝いていた。その月明かりが、室内に差し込み、俺たちの影をぼんやりと床に落としている。
ミソラは、疲れてソファで眠ってしまった俺の隣で、穏やかな寝息を立てていた。その手には、まだノートパソコンが握られている。
ふと、俺は、眠るミソラのすぐそばに、サキの気配が寄り添っているのを感じた。それは、とても温かく、穏やかな気配だった。
ミソラの寝顔を、愛おしそうに見つめている。まるで、姿は見えなくとも、そこに確かな友情が芽生えているかのように。
今まで、お互いをライバルのように意識していた二人が、共通の目的のために協力し、そして、今、こうして静かに心を寄せ合っている。
自分の怪我が、皮肉にも、この二人の距離を縮めるきっかけになったのかもしれない。
そう思うと、不思議と、腕の痛みも悪くないものだと思えた。
だが、同時に、胸に一抹の寂しさがよぎる。
サキの心残りを解消する。それは、彼女の解放を意味すると同時に、この奇妙で、騒々しくて、そして、どうしようもなく愛おしい「家族」の、終わりの始まりを意味するのだ。
俺は、自分の左腕を吊るすギプスを見つめた。そして、静かに決意を新たにした。
必ず、見つけ出してやる。結城ユウキを。
そして、お前の数十年にわたる長い待ち時間を、終わらせてやる。
それは、もはや単なるゴーストバスターとしての使命感じゃない。
サキへの、兄のような情と、そして、隣で眠るこの騒々しいパートナーとの、言葉にはしない約束を果たすための、俺個人の、固い誓いとなっていた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

女帝の遺志(第二部)-篠崎沙也加と女子プロレスラーたちの物語

kazu106
大衆娯楽
勢いを増す、ブレバリーズ女子部と、直美。 率いる沙也加は、自信の夢であった帝プロマット参戦を直美に託し、本格的に動き出す。 一方、不振にあえぐ男子部にあって唯一、気を吐こうとする修平。 己を見つめ直すために、女子部への入部を決意する。 が、そこでは現実を知らされ、苦難の道を歩むことになる。 志桜里らの励ましを受けつつ、ひたすら練習をつづける。 遂に直美の帝プロ参戦が、現実なものとなる。 その壮行試合、沙也加はなんと、直美の相手に修平を選んだのであった。 しかし同時に、ブレバリーズには暗い影もまた、歩み寄って来ていた。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ト・カ・リ・ナ〜時を止めるアイテムを手にしたら気になる彼女と距離が近くなった件〜

遊馬友仁
青春
高校二年生の坂井夏生(さかいなつき)は、十七歳の誕生日に、亡くなった祖父からの贈り物だという不思議な木製のオカリナを譲り受ける。試しに自室で息を吹き込むと、周囲のヒトやモノがすべて動きを止めてしまった! 木製細工の能力に不安を感じながらも、夏生は、その能力の使い途を思いつく……。 「そうだ!教室の前の席に座っている、いつも、マスクを外さない小嶋夏海(こじまなつみ)の素顔を見てやろう」 そうして、自身のアイデアを実行に映した夏生であったがーーーーーー。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...