『空っぽの英雄叙事詩。~幸運がすぎる僕の周りで、なぜか世界が救われていく件~』

Gaku

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第2部:王都への道

第15話『近道はだいたい近道ではなく、不良少女は時として幽霊と会話する』

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人生における「近道」という言葉には、二種類の意味がある。  一つは、時間と労力を節約する賢い選択。  もう一つは、「急がば回れ」という先人の教訓を無視した結果、地獄のような泥沼にはまり込む罠である。  そして残念ながら、冒険において提示される近道は、九割九分が後者であるという法則がある。

 砦を出発しようとした矢先、兵士からもたらされた情報は、まさにその「罠」への招待状だった。

「英雄殿、申し訳ない。街道が……魔獣の大群によって封鎖されました」

 兵士は顔面蒼白で告げた。  王都へ続く正規の街道は、魔族の先遣隊によって完全に塞がれているという。正面突破を試みれば、数千の魔獣と正面衝突することになる。

「ならば、道は一つしかないな」  ヴァレリウスが、砦の壁に貼られた古地図を指差した。  正規ルートの脇に広がる、広大な森林地帯。 「『嘆きの森』。ここを抜ければ、魔獣の包囲網を回避して、王都の裏手に出られる」

 その名前を聞いた瞬間、周囲の兵士たちが一斉にざわめき、数人が十字を切るような仕草をした。

「お、お待ちください! あそこは絶対の禁足地、『魔の森』です!」  兵士長が震える声で止める。 「かつての大戦で数万の兵士が命を落とした古戦場……。濃霧が晴れることはなく、生きて戻った者はいないと言われる、呪われた土地です。亡霊たちの怨嗟(えんさ)の声が、旅人の精神を狂わせるとか……」

(はい、決定。絶対に行かない)

 ルーシャン・アークライトは心の中で即決した。  幽霊? 呪い? 精神汚染?  お断りだ。物理的な熊や狼でさえ勘弁願いたいのに、実体のないホラー系は専門外もいいところだ。  彼はすかさず手を挙げた。

「じゃあ、ここで待ちましょう」  ルーシャンは満面の笑み(ひきつっている)で提案した。 「無理に進むことはない。魔獣がいなくなるまで、この砦で安全にお茶でも飲んで……」

「いいや、行けるぜ」  その提案を一蹴したのは、セラフィーナだった。  彼女は窓の外、鬱蒼(うっそう)と広がる黒い森を、獲物を狙う猫のような目で見つめていた。 「魔獣の大群と正面衝突するより、幽霊の相手をする方がまだマシだ。それに……」  彼女は鼻をくんくんと鳴らした。 「あの森、臭うんだよ。ただの腐敗臭じゃねぇ。もっとヤバいもんが隠れてる気配がする」

「え、臭うの? 僕は何も感じないけど……」  アルフォンスが不思議そうにする。

「アタシの鼻は特別製なんでね。行くぞ、英雄サマ。アンタなら幽霊の一匹や二匹、デコピンで除霊できるんだろ?」

 できません。塩撒いて逃げるだけです。

 だが、アウレリアも決意の表情で頷いてしまった。 「急ぎましょう。井戸に毒が撒かれた以上、王都の猶予はないわ」

 多数決の原理(民主主義という名の暴力)により、ルーシャンの意見は黙殺された。  ロバのポテトだけが、「またかよ」と深いため息をつき、ルーシャンの袖を甘噛みして同情を示した。

          * * *

 「嘆きの森」は、物理的に「濡れて」いた。  足を踏み入れた瞬間から、空気が変わった。肌にまとわりつくような濃密な湿気。視界を遮る乳白色の霧は、まるで生き物のようにゆらゆらと蠢(うごめ)き、方向感覚を狂わせる。  上空は高い木々に覆われ、昼間だというのに薄暗い。  そして何より、静かすぎた。  鳥の声も、虫の声もしない。ただ、自分たちの足音と、ポテトの蹄の音だけが、水底のように響いている。

「……寒い」  クロエが身を震わせて、神官服の襟を合わせた。  気温が低いわけではない。体の芯が冷えるような、生理的な寒気だ。

 ルーシャンは、ポテトの尻尾を握りしめて歩いていた。  怖い。  何が怖いって、何も起きないのが怖い。  お化け屋敷で、お化けが出てくる前の静けさが一番怖いのと同じ理屈だ。  この世界は「苦(ドゥッカ)」でできている。つまり、この静けさは、次に訪れるドデカい不幸への「タメ」に過ぎないのだ。

 その時だった。

『…………ぇ……』

 耳元で、何かが聞こえた。  風の音? いや、違う。  誰かの話し声のような、掠(かす)れた音。

「……ねえ、今、何か言わなかった?」  ルーシャンはビクリとして周囲を見回した。  仲間たちは怪訝(けげん)な顔をしている。

「いいえ? 風の音だけですけど」とアウレリア。 「君、疲れてるんじゃないかい?」とヴァレリウス。

 気のせいか。  ルーシャンは安堵の息を吐こうとした。

『……かえ……せ……』 『……うらぎ……り……もの……』 『……いたい……さむい……』

 いや、聞こえる。  今度はもっとはっきりと。一人や二人じゃない。  数百、いや数千の人々が、耳元でブツブツと恨み言を呟いているような、不快極まりないノイズ。

「うっ……!」  ルーシャンは両手で耳を塞いだ。  うるさい。なんだこれ。  頭の中に直接響いてくる。まるで、調子の悪いラジオの周波数を合わせようとして、ザーザーという雑音(ノイズ)を大音量で聞かされているようだ。

「……聞こえてんのか、アンタ」

 隣を歩いていたセラフィーナが、鋭い視線を投げてきた。  彼女の顔色は悪い。いつもは不敵な彼女が、額に脂汗を浮かべ、虚空のあちこちを睨みつけている。

「セ、セラフィーナ? 君も聞こえるの?」

「聞こえるどころか、見えてるよ」  彼女は吐き捨てるように言った。 「うじゃうじゃいんのさ。そこにも、あそこにも。昔死んだ兵士の成れの果てが、行列作ってアタシらを見てやがる」

 ヒィッ!!  ルーシャンは飛び上がった。  見えない。僕には見えない。でも、音だけが聞こえる。  これは「行苦(ぎょうく)」――存在の底に流れる、不安なBGMのような苦しみだ。  姿が見えない分、想像力が恐怖を増幅させる。

『……こっちへ……おいで……』 『……お前も……こっちへ……』

 霧が濃くなる。  仲間たちの姿が霞んでいく。  アウレリアたちが「ルーシャン? どこ?」と呼ぶ声が遠くなる。  代わりに、冷たい手が首筋に触れたような感覚。

「や、やめろ……来るな……」  ルーシャンは後ずさった。  精神力が削られていく。  六歳児のメンタル(中身は老人だが、老人も孤独や不安には弱い)には限界だった。

「チッ、囲まれたか」  セラフィーナがナイフを構え、ルーシャンの背中を護るように立った。 「おい英雄、しっかりしろ! 取り憑かれたら戻ってこれなくなるぞ!」

「む、無理だ……。怖い……帰りたい……静かにしてくれ……」

 ルーシャンの願いは、英雄的な勝利ではない。  ただ、この不快なノイズを消してほしい。  静かな部屋で、温かいお茶を飲んで、古本を読んでいたい。  そのささやかな「平穏(涅槃)」を乱すものは、なんであれ許せない。

 ノイズは大きくなる。  頭が割れそうだ。  『恨めしい』『悔しい』『痛い』  他人のネガティブな感情が、ゴミ箱から溢れたゴミのように雪崩れ込んでくる。

(もう、限界だ)

 ルーシャンの中で、何かがプツンと切れた。  恐怖が一周回って、キレたのだ。  近所の工事現場の騒音に耐えかねた頑固ジジイのように、彼は爆発した。

「――うるさァァァァァいッ!!!!」

 ルーシャンは叫んだ。  魔力など込めていない。ただの、心からの絶叫。  「黙れ!」「静かにしろ!」「僕を一人にしてくれ!」  その、純粋培養された「静寂への渇望(=滅諦への執着)」が、言葉という形をとって放出された。

 瞬間。

 キィィィィィィィン……。

 空気が凍りついたような高い音が鳴り、森全体が震えた。  霧が、まるで巨大な換気扇に吸い込まれるように、一瞬で晴れた。

 そして、耳障りなノイズが、プツリと消えた。  静寂。  本当の、完全な静寂が訪れた。

「……え?」

 ルーシャンは、ハァハァと息を切らしながら目を開けた。  目の前には、ただの静かな森が広がっていた。  幽霊の気配も、寒気も、湿った空気さえも消え失せ、木漏れ日が優しく差し込んでいる。

「……あ?」  セラフィーナが、ポカンと口を開けていた。  彼女の目には見えていたのだ。  ルーシャンの叫びが波紋となって広がり、無数に群がっていた亡霊たちが、その波に触れた瞬間、「あ、はい。すみません」といった感じで、驚きと共に成仏(消滅)していく様が。

 それは、高位の聖職者が行う「浄化」や「説得」ではない。  「有無を言わせぬ強制排除」だった。  「私の平穏を邪魔するな」というルーシャンのエゴが強すぎて、死者の怨念(エゴ)すらも上書きしてねじ伏せたのだ。  最強の自己中は、幽霊すらビビらせる。

「……消え……た……?」  セラフィーナが震える手でナイフを収めた。 「おい、アンタ……今、何やったんだ?」

「え? いや、うるさかったから……大声出しただけだけど」  ルーシャンは涙目で鼻をすすった。 「喉が痛い……」

 セラフィーナは戦慄した。  この少年は、魔力ゼロの落ちこぼれなどではない。  霊的な存在に対して、物理的な叫び声(言霊)だけで「存在の否定」を叩きつける、規格外の「祓魔師(エクソシスト)」だ。  彼女の勘違い(色眼鏡)は、ここで決定的なものとなった。

「……マジかよ。幽霊どもが『すんませんしたァ!』って逃げてったぞ」 「えっ、本当に? やった! 助かった!」  ルーシャンは無邪気に喜んだ。偶然だ。たまたま幽霊たちが帰る時間だったに違いない。

 霧が晴れた森の奥から、遅れてアウレリアたちが駆け寄ってきた。 「ルーシャン! セラフィーナ! 大丈夫!?」 「急に霧が晴れて……何があったの?」

「いや、なんでもねぇよ」  セラフィーナは、どこか畏敬の念を含んだ目でルーシャンを見つめ、ニヤリと笑った。 「ただ、こいつの『一喝』が、森の空気を入れ替えただけさ。……とんでもねぇ掃除機だぜ」

 誤解が深まる中、セラフィーナはふと、真顔に戻って呟いた。 「でもな、消える直前、奴ら変なことを言ってやがった」

「変なこと?」

「ああ。『障壁が……裏切り者が……』ってな」  彼女は、王都の方角を睨んだ。 「この森で死んだ兵士たちは、ただ戦死したんじゃねぇ。味方に背中から撃たれたんだ。王都の『障壁』を守ろうとして、何者かに裏切られて死んだ……そんな悔しさが残ってた」

 ルーシャンは、背筋が寒くなった。  幽霊は消えても、現実は消えない。  王都で何が起きているのか。井戸の毒、トロールの地図、そして亡霊の遺言。  全てのピースが、一つの巨大な悪意(システム)を指し示している。

「……セラフィーナさん、詳しいんだね」  アウレリアが尋ねる。「幽霊の言葉が分かるの?」

「……まあな」  セラフィーナは少しバツが悪そうにそっぽを向いた。 **「アタシの実家、代々こういう場所の『墓守』やってたんだよ。**ガキの頃から、生きた人間より死人と話す方が多かったからな」

 彼女の不良っぽい態度の裏にある、孤独な生い立ち(生苦)が垣間見えた瞬間だった。  ルーシャンは、少しだけ彼女に親近感を覚えた。  彼女もまた、「見えすぎてしまう」という苦しみを背負って生きているのだ。

「ま、今はこいつ(ルーシャン)がいるなら安心だ」  セラフィーナはルーシャンの頭を乱暴に撫でた。 「頼りにしてるぜ、最強のエクソシスト!」

「やめて! 髪がボサボサになる!」  ルーシャンは抗議したが、その抵抗も虚しく、彼は「対霊戦闘の切り札」という新たなレッテル(想)を貼られてしまったのだった。

 一行は、浄化された森を抜けていく。  木々の間から差し込む光は美しいが、その先には、亡霊たちが警告した「裏切り者の巣窟(王都)」が待っている。  ルーシャンの「帰りたい」という願いが叶う日は、まだ当分来そうにない。
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