崖から飛び降りたら、魔族に襲われる絶世の美少女(王女)がいたので助けた。俺のワンパン、どうやら世界を救うらしい。

Gaku

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五部

第26話:静寂のリリス

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 魔族の村での一夜は健太たちにとって驚きとそして戸惑いの連続だった。
 村の名前は『ルナ・コピア』。
 二つの月がその豊かな土壌を等しく照らす場所という意味らしい。
 村人たちは健太たち特に人間であるフィーナやセシルを最初は珍しい生き物でも見るように遠巻きにしていた。だがその瞳には人間界で感じたような恐怖や憎悪の色は一切なかった。そこにあるのはただ純粋な子供のような好奇心だけだった。
 村の子供たちが最初におずおずと近づいてきた。蜥蜴のような鱗を持つ少年がゴルドの見事に編み込まれた立っぱな髭に興味津々で手を伸ばす。羊のような角を持つ少女がルミナの長く尖った耳を不思議そうにじっと見つめている。
 そのあまりにも無垢な振る舞いに一行の心の内にあった魔族への警戒心は少しずつ解きほぐされていった。
 その夜村の中央にある広場で歓迎の宴が開かれた。
 村長を務めるという小鬼のような腰の曲がった老人がしわくちゃの顔に人の良い笑みを浮かべて一行をもてなしてくれた。
「いやあようこそおいでなすった。人間の方々がこの村を訪れるのは実に数百年ぶりのことじゃて」
 広場には巨大なキノコの傘をテーブル代わりに見たこともないしかしどれも滋味あふれる素朴な料理が並べられた。
 青白く光るキノコのバターのような風味のソテー。巨大な芋虫のように見えるが実は植物の根だという甘くほくほくとした蒸し焼き。そして発酵させた木の実から作ったという少し酸味のある不思議な香りの酒。
 健太はその物珍しい料理の数々を「うめー!」「これなんだ!?」と大喜びで次々と平らげていく。
 フィーナやセシルは最初こそその奇妙な見た目の料理に戸惑っていたが健太のあまりにも幸せそうな食べっぷりにつられて恐る恐る口に運びそしてその素朴で優しい味わいに目を見開いた。
 宴が盛り上がるにつれて村人たちも一行に打ち解けていった。
 彼らは歌い踊りそして語った。
 このルナ・コピアの村がいかに平和で穏やかな場所であるか。大地の実りに感謝し二つの月の巡りに合わせて種を蒔き収穫をする。彼らの生活は人間たちのそれと何も変わらなかった。
 ただ一つ。
 その平和な光景に暗い影を落としている問題を除いては。
 フィーナは見てしまったのだ。
 宴の輪から少し離れたキノコの家の中で静かに横たわっている一人の若い魔族の女性を。
 彼女の美しいはずの肌の一部がまるでガラスのように青白く結晶化していた。彼女は時折苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。その瞳には生気がなくただ虚ろに天井を見つめていた。
「…あれは…?」
 フィーナの問いに村長の好々爺然とした顔が深く曇った。
「…あれが我ら魔族を蝕む不治の病。『光の病』じゃ…」
 村長は悲しげに語った。
「原因は誰にも分からん。じゃが数百年前から少しずつ我らの同胞を蝕み始めた。一度発症すれば身体が徐々に光の結晶へと変わっていき最後には意思も魂も失ってただの美しい石になってしまう恐ろしい病じゃ…」
「そんな…」
「魔王様は我らをこの呪いから救うために戦っておられる。人間界に伝わるという『聖なる血』。それさえ手に入れればこの病を癒すことができると…。我らはただそれを信じて祈ることしかできんのじゃ…」
 村長のその言葉にフィーナは頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
 魔族の侵攻。その根源にあったのは征服欲でも破壊衝動でもない。ただ己の同胞を救いたいという切実な願いだったというのか。
 では自分たちが戦ってきたものは一体何だったのだろう。
 正義とは何なのだろう。悪とは一体誰なのだろう。
 フィーナの心は大きく揺れていた。
 ***
 奇妙でしかし穏やかな宴の雰囲気が一変した。
 夜が最も深くなった頃だった。
 ふっと何の予兆もなく村の全ての音が消えた。
 ぱちぱちと陽気に爆ぜていた焚き火の音。
 村人たちの楽しげな笑い声。
 遠くで聞こえていた不思議な楽器の音色。
 そよ風が巨大なキノコの傘を揺らす音さえも。
 その全てがまるで分厚いガラスの壁に遮断されたかのように完全に消失した。
 絶対的な無音の世界。
 村人たちは何が起きたのか分からず互いに顔を見合わせ声にならない口をぱくぱくと動かしている。その顔には急速に恐怖の色が広がっていった。
 健太たちもまたその異常な現象に身構えた。
「…なんだこりゃあ…!?」ゴルドが叫ぼうとしたがその声は音となって彼の喉から出ることはなかった。
「…空間そのものから『音』という概念が奪われている…!」ルミナが驚愕の表情で心の中で呟いた。「こんな高度な理への干渉…まさか…!」
 彼女の最悪の予感が的中する。
 村の入り口。
 そこにいつの間にか一人の女性が音もなく立っていた。
 月光を吸い込んだかのような銀色の長い髪。
 感情というものが最初から存在しないかのように完璧に整った人形のような貌。
 その身に纏う漆黒のドレスはまるで夜の闇そのものを織り上げて作られたかのようだ。
 彼女がただそこに立っているだけで周囲の空間から存在感という概念そのものが希薄になっていくような奇妙な感覚。
 そのあまりにも異質な存在感を前にして村人たちは本能的な恐怖に支配された。彼らはその場にひれ伏しただ震えることしかできなかった。
 四天王『静寂』のリリス。
 彼女はその虚ろなガラス玉のような瞳でひれ伏す村人たちには一瞥もくれることなくただまっすぐに健太たち一行を見つめていた。
 彼女の呼吸は聞こえない。
 いやそもそも彼女が呼吸という生命活動を行っているのかさえ定かではない。彼女の周りだけ空気の動きが完全に静止していた。
 ***
 リリスは動かなかった。
 詠唱も印も何の予備動作もない。
 ただ彼女がその虚ろな瞳で健太を「敵」として認識したその瞬間。
 世界が軋んだ。
 健太の周囲の空間がまるで熱せられたガラスのようにぐにゃりと歪み始めた。
 フィーナたちの目には健太の姿が陽炎のようにゆらゆらと揺らめきその輪郭が徐々に曖昧になっていくように見えた。
「ケンタさん!」
 フィーナは叫ぼうとした。だが声が出ない。音という概念がこのリリスが作り出した結界の中では存在を許されていないのだ。
 これは物理的な攻撃ではない。
 もっと根源的な世界の法則に直接干渉する概念的な攻撃。
 音を消し光を屈折させ因果律を捻じ曲げ対象の「存在」そのものをこの世界から静かに「削除」する。
 それこそがリリスの権能『静寂の世界(サイレント・ワールド)』の真の恐ろしさだった。
 ベルガの破壊の力が嵐だとするならばリリスの静寂の力は全てを飲み込む真空だった。
 だが。
 その絶対的なはずの権能のど真ん中で。
 当の健太本人は。
「……あれ?」
 と不思議そうに首を傾げていた。
「なんか急に静かになったな。みんなどうしたの?喉でも痛めた?」
 彼は自分の身に何が起きているのか全く気づいていない。
 いや気づいていないのではない。
 彼にとってそれは「何も起きていない」ことと同義だったのだ。
 リリスの世界の理を書き換えるほどの強力な権能。それさえも健太の無敵の能力『絶対不干渉』の前では意味をなさない。
「その現象はこの男には適用されない」
 というより上位の絶対的な理によって全てが彼に到達する前に「なかったこと」にされてしまうのだ。
 その信じがたい事実に初めてリリスの人形のような顔に明確な感情が浮かんだ。
 それは「混乱」と「驚愕」だった。
 自分の最強の権能が全く通用しない。それどころか相手は攻撃されていることにさえ気づいていない。
 そんな事態は彼女が生まれてから一度も経験したことのない未知の領域だった。
 彼女が動揺したその一瞬。
 健太が彼女に向かって一歩踏み出した。
「ねえもしかしてあんたがやったの?急にみんなを黙らせたの」
 彼が一歩踏み出す。
 それだけでリリスが作り出した完璧なはずの「無音の世界」にぴしりと亀裂が入った。
 健太がもう一歩踏み出す。
 亀裂はさらに広がりそこから本来あるべきだった世界の音が微かに漏れ出してくる。焚き火の爆ぜる音。風の唸る音。
 健太の存在そのものが彼女の作り出した歪んだ理をいともたやすく破壊していく。
「ちょちょっと聞こえないんだけど!もうちょい大きい声で喋ってくんない!?」
 健太はさらにリリスに近づいていく。
 そしてついに彼はリリスの目の前まで歩み寄りそのか細い肩にぽんと優しく手を置いた。
「だからさ大丈夫?顔色悪いぜ?腹でも痛いの?」
 そのあまりにも間の抜けたしかし純粋な心配の言葉。
 そして彼のその手が彼女に触れたその瞬間。
 リリスの『静寂の世界』はまるでシャボン玉が弾けるようにパァンと音を立てて完全に崩壊した。
 村に音が戻ってきた。
 人々は我に返り何が起きたのか分からずただ騒然としている。
 そしてリリスは。
 自らの絶対の力がいともたやすく破られたその衝撃に。
 そして目の前のこの底知れないしかしどこまでももお人好しな男の存在感に完全に当てられて。
 その場に膝からがくりと崩れ落ちた。
 ***
「だから大丈夫だって。立てる?」
 健太は膝をついたリリスの前にしゃがみ込み不思議そうにその美しい顔を覗き込んでいた。
 リリスは生まれて初めて理解不能なものに出会った。
 力ではない。魔法でもない。
 世界の理そのものをまるで自分の手足のように無自覚にそして無邪気に書き換えてしまう存在。
 それは恐怖を通り越して彼女の凍り付いていた心に一つの激しい感情を呼び覚ました。
 探究心。
 この男は何?この力は何?
 知りたい。理解したい。その根源をこの目で見届けなければ私は私が自分でいられなくなる。
 彼女はゆっくりと立ち上がった。
 そして健太に向かってそのか細い身体には似つかわしくないほど深く深く頭を下げた。
「…私の完敗です。殺しなさい」
 その潔い言葉に健太はきょとんとした。
「は?なんで?別に何にもされてないし殺す理由ないじゃん」
 その答えはリリスにとってまたしても予測不能なものだった。
「…なぜ殺さないのですか?私はあなたの敵である魔王軍四天王の一人。あなたを排除するためにここへ来たのです」
「えー…」健太は心底面倒くさそうに頭を掻いた。「だって面倒くさいし。それにあんた見た感じそんなに悪い奴には見えないしな」
 その理由になっていない理由。
 リリスは決意した。
 彼女は顔を上げるとその感情のないはずのガラス玉のような瞳に初めて強い強い意志の光を宿して言った。
「―――ならば私もあなたたちの旅に同行させてもらう」
「「「「はああああああああ!?」」」」
 その場にいた健太以外の全員の声が綺麗にハモった。
 フィーナもルミナもゴルドもセシルもそして遠巻きに見ていた村人たちも全員が信じられないといった顔でリリスを見ている。
 敵であるはずのあの恐ろしい四天王が今何を言った?
「あなたが何者なのか。その力の正体が何なのか。それを見極めるまで私はあなたの影としてついていく。それが私に課せられた新たな使命だ」
 リリスは一方的にそう宣言した。
 仲間たちが大混乱に陥る中。
 健太だけがその申し出に満面の笑みを浮かべた。
「お、マジで!?また美少女が増えるのか!やったぜ!ハーレム計画絶好調!」
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