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第13話 決戦 -荒川のレクイエム-*
しおりを挟む姫川さんの意識が戻り、俺たちの心が、再び一つの方向を向いてから、数週間が過ぎた。
九月も半ば。あれほど猛威を振るった夏の暑さは、ようやくその勢いを失い、世界は、ゆっくりと、しかし確実に、秋の色へと染まり始めていた。空は、どこまでも高く、そして吸い込まれるように青い。道端には、燃えるような色の彼岸花が咲き始め、夕暮れ時には、赤とんぼの群れが、茜色の空を優雅に舞っている。夜になれば、草むらから聞こえてくる虫の声も、蝉のけたたましい合唱から、コオロギやスズムシが奏でる、どこか物悲しい、しかし心地よい音色へと変わっていた。
季節は巡る。だが、俺たちの時間は、あの日、あの治水施設で、一度止まったままだった。
決戦前夜。ATSの事務所は、静かな、しかし、確かな熱気に満ちていた。それは、文化祭の前夜のような、あるいは、大きな試合に臨む、部室のような、独特の匂いを持った空気だった。
俺、佐藤健太は、事務所の隅で、鬼頭さん直伝の、基礎体力トレーニングの最後の仕上げを行っていた。腕立て、腹筋、スクワット。数週間前なら、十回で音を上げていたはずのメニューを、今では、汗だくになりながらも、なんとかこなせるようになっている。体つきも、心なしか、少しは、引き締まった気がする。まあ、気のせいかもしれないが。
「…よし、今日はここまでだ」
鬼頭さんの言葉に、俺は、床に崩れ落ちるように、大の字になった。
「お疲れ、佐藤」
差し出されたタオルを受け取りながら、俺は、鬼頭さんの顔を見上げた。その表情は、以前のような、復讐に囚われた暗いものではなく、ただ、静かに、明日を見据える、リーダーの顔つきだった。
事務所の他のメンバーも、それぞれの持ち場で、最後の準備を進めている。
姫川さんは、退院したばかりの体で、しかし、爛々とした目で、新しい相棒の最終調整を行っていた。西園寺かおりが、世界中のラボの技術を結集させて作り上げた、新型のガントレット。以前のものより、一回り大きく、そして、流線型の、美しいフォルムをしている。その表面には、青いエネルギーラインが、まるで生き物の血管のように、静かに脈打っていた。
「…いい子だ…。明日、あたしと一緒に、派手に暴れてもらうからな…」
彼女は、まるで愛馬を撫でるように、そのガントレットを、優しく、磨き上げていた。
デジタル部門では、神代と周防が、モニターに映し出された、敵アジトの、完璧な3Dマップを前に、最後のシミュレーションを繰り返している。
「…よし、カウンター・ジャミング・システムの最終プロトコル、入力完了。これで、奴らの妨害電波は、98.7%の確率で無効化できるはずだ」
『甘いです、神代さん。私の計算では、99.2%。あなたのその悲観的な予測は、士気に関わります』
「うるせえ! 誤差の範囲だろ! それより、そっちのリアルタイム索敵システムは、大丈夫なんだろうな!?」
『当然です。半径500メートル以内の、あらゆる周波数の乱れを、ナノ秒単位で検知します。…あなたの、その無駄に多いタイピングミスさえも』
「なんだと、こら!」
決戦前夜だというのに、この二人は、相変わらずである。だが、その、軽口を叩き合える関係性こそが、彼らの最高のパフォーマンスを引き出すのだと、俺は、もう知っていた。
そして、休憩スペースでは、ひかりちゃん、キララ、そして、田中住職の三人が、静かに、精神を統一していた。
「…ひかり殿の『引力』と、キララ殿の『癒やし』。そして、わしの『言霊』。この三つの周波数を、完全に調和させるのです。さすれば、それは、何者にも破れぬ、最強の『守りのハーモニー』となりましょう」
三人の周りには、穏やかで、温かい、黄金色のオーラが、まるで、ドームのように、形成されつつあった。
鬼頭さんが、パン、と、一つ、手を叩いた。
全員の視線が、リーダーへと集まる。
「最終ブリーフィングだ。…いいか、お前ら。俺は、もう、復讐のために戦うんじゃない。あいつ、夜月に、囚われたままの、あいつの魂を、解放するため。そして、あいつのせいで失われた、小夜や、仲間たちの、無念を、晴らすためだ。…いや、違うな」
鬼頭さんは、一度、言葉を切ると、俺たち一人一人の顔を、ゆっくりと、見渡した。
「…俺たちは、俺たちの、未来を取り戻すために、戦う。ただ、それだけだ。絶対に、全員で、生きて、ここに帰ってくるぞ!」
「「「応!!」」」
俺たちの、力強い声が、決戦前夜の、静かな事務所に、響き渡った。
***
決戦当日。
空は、まるで、俺たちの覚悟を、試すかのように、朝から、冷たい秋雨を、地上に降らせていた。気温も、肌寒いくらいだ。
俺たちは、再び、あの、白いハイエースに乗り込み、決戦の地、旧・第一治水施設へと、向かっていた。
車内の空気は、張り詰めていた。だが、それは、前回の、絶望的な重さとは、全く違う。緊張の中にも、互いの背中を預けられるという、確かな信頼と、そして、静かな闘志が、満ち満ちていた。
「…先輩」
隣に座るひかりちゃんが、俺の袖を、くいっと、引っ張った。
「はい、これ。お守りです」
彼女が、俺の手に握らせてくれたのは、小さな、手作りの、不格好な巾着袋だった。中には、彼女の髪が一筋と、お寺で清めてもらったという、小さな水晶が入っているらしい。
「あの…今度は、私が、先輩のこと、守りますから…!」
「ば、馬鹿野郎。お前は、後方支援だろ。それに、俺だって、特訓したんだ。今度は、俺が、お前を守る」
「…はい!」
ひかりちゃんは、顔を真っ赤にしながら、それでも、嬉しそうに、微笑んだ。
くそっ、こんな時に、なんて破壊力だ。俺の心臓が、不規則なビートを刻み始めた。
やがて、ハイエースは、雨に煙る、巨大なコンクリートの廃墟の前に、到着した。
雨に濡れたその姿は、前回見た時よりも、さらに、禍々しく、そして、巨大な墓標のように、俺たちの前に、立ちはだかっていた。
「…来たか」
鬼頭さんが、静かに、呟いた。
「さあ、始めようぜ。俺たちの、リベンジマッチをな」
***
「作戦開始!」
鬼頭さんの号令と共に、新生ATSの、反撃の狼煙が、上がった。
『こちら神代! カウンター・ジャミング・システム、起動! 敵の妨害周波数を、中和します!』
ハイエースの屋根に設置された、パラボラアンテナのような装置が、静かに回転を始め、目には見えない、逆位相の周波数を、施設全体へと、放射していく。
俺が、スペクターゴーグルを装着すると、前回、視界を覆った、あの忌まわしい砂嵐のようなノイズが、すぅっと、晴れていくのが分かった。
「よし! 視界クリア! 装備も、フルスペックで使えるぞ!」姫川さんが、快哉を叫ぶ。
『こちら、ひかり、キララ、田中です! 皆さんを、お守りします!』
次に、後方支援チームの、美しいハーモニーが始まった。ひかりちゃんの純粋な引力、キララの癒やしの歌声、そして、田中住職の、重厚な言霊。その三つの周波数が、完璧に共鳴し、俺たちアタックチームの周囲に、黄金色の、半透明の、防御結界を形成した。
その光に包まれていると、不思議と、恐怖が和らぎ、力が、体の内側から、湧いてくるようだった。
「準備は整ったな」鬼頭さんが、キャプチャーガンを構える。「アタックチーム、突入する!」
俺たちは、再び、あの、暗く、冷たい、獣の口の中へと、足を踏み入れた。
だが、今回は、前回とは、訳が違う。
俺たちは、もはや、無力な獲物じゃない。牙を研ぎ、爪を磨いた、誇り高き、狩人なのだ。
***
「来たな、雑魚どもが!」
施設内部では、予想通り、大量の黒いエクトが、まるで、黒い津波のように、俺たちを待ち構えていた。
だが、俺たちは、もう、怯まない。
「行くぜ、お前ら! フォーメーションB!」
鬼頭さんの号令で、俺たちは、即座に、訓練通りの陣形を組んだ。
前衛は、鬼頭さんと姫川さん。左右の遊撃を、犬飼さんと俺が固める。
「うおおおおお!」
鬼頭さんのキャプチャーガンが、轟音と共に、閃光を放つ。敵の第一陣が、まとめて、光の中に消し飛んだ。
「あたしの新しいオモチャの、味見をさせてやるよ!」
姫川さんの新型ガントレットが、唸りを上げる。彼女が、その腕を振るうたびに、青い衝撃波が、竜巻のように、敵を薙ぎ払っていく。
そして、俺も。
「はあああああっ!」
俺は、もう、ただ、震えているだけの、元無職じゃない。
鬼頭さんの地獄の特訓が、俺の体に、その動きを、叩き込んでいた。
敵の攻撃が来る。その、予備動作を読む。重心の移動を見切る。そして、最小限の動きで、避ける!
「…そこだ!」
攻撃をかわした、一瞬の隙。がら空きになった、敵の懐。そこに、俺は、エクト・スイーパーのノズルを、正確に、叩き込んだ。
「ぴぎゃあああっ!」
黒いエクトが、断末魔の悲鳴を上げて、吸い込まれていく。
「…やった…!」
「やるじゃねえか、新人!」
背後から、姫川さんの、楽しげな声がした。
「見直したぜ! あたしの背中は、お前に預けた!」
「…はい!」
認められた。この、最強の姉貴分に。
その事実が、俺の心に、熱い、熱い、勇気の炎を、灯してくれた。
***
俺たちは、破竹の勢いで、施設の深部へと、突き進んでいった。
敵も、ただ、やられてはいない。より強力な、中ボス級のエクトや、床や壁に仕掛けられた、周波数トラップが、俺たちの行く手を阻む。
だが、今の俺たちには、最強の、サポートチームがついている。
『左翼、壁の向こうに、ステルス型の伏兵が三体! 気をつけて!』
犬飼さんの、常人離れした聴覚が、隠れた敵の位置を、正確に、暴き出す。
『前方、三十メートル! 高エネルギー反応! トラップです! 神代さん!』
『任せろ、周防っち! そのトラップの制御システム、今から、ハッキングして、無効化してやる! …よし、OKだ!』
神代の、神業のようなハッキングが、俺たちの進路を、切り開いていく。
そして、俺たちが、最大のピンチに陥ったのは、巨大なポンプ室を、抜けようとした時だった。
一体の、ひときわ巨大な、まるで、戦車のような、重装甲型のエクトが、俺たちの前に、立ちはだかったのだ。
「ちっ、硬え!」
鬼頭さんや姫川さんの攻撃すら、その分厚い装甲に、弾かれてしまう。
そして、その重装甲型は、その巨大な口を開くと、凄まじいエネルギーを、チャージし始めた。
「まずい! 全員、伏せろ!」
鬼頭さんが叫んだ、その時。
『させません! 皆さん、私たちの声を、信じて!』
インカムから、ひかりちゃんとキララの、決意に満ちた声が響いた。
そして、俺たちの周囲を覆っていた、黄金色の防御結界が、その輝きを、一気に、増した。
直後。
重装甲型エクトから、全てを薙ぎ払うかのような、破壊のビームが、放たれた。
俺は、死を覚悟し、固く、目をつぶった。
だが、衝撃は、来なかった。
恐る恐る目を開けると、俺たちの目の前で、黄金色の結界が、敵の破壊光線を、まるで、柳のように、受け流しているではないか。
ひかりとキララの、そして、田中住職の、三人の「想い」が、俺たちを、確かに、守ってくれたのだ。
「…すげえ…」
俺は、ただ、その、神々しい光景に、圧倒されていた。
***
俺たちは、ついに、施設の最深部。あの、巨大な、球形の装置が鎮座する、チャンバー室へと、たどり着いた。
雨音は、もう聞こえない。ただ、装置が発する、「ブゥゥゥン…」という、低い、不気味な駆動音だけが、その、だだっ広い空間に、響き渡っていた。
そして、その、巨大な装置の前で。
一人の男が、背中を向けたまま、静かに、立っていた。
前回のような、ホログラムではない。確かな質量を持った、生身の、人間。
夜月景。
彼は、俺たちの足音に気づくと、ゆっくりと、こちらを、振り返った。
その顔は、十五年前の写真で見た、若き日の天才科学者の面影を残していた。だが、その瞳に宿っているのは、知的な光ではなく、全てを見下し、全てに絶望した、深く、そして、冷たい、虚無の色だった。
「…よく来たな、鬼頭」
彼の声は、凪いだ湖面のように、静かだった。
「そして、君の集めた、愚かで、しかし、どこか、愛おしい、ハエども」
彼は、ふっと、まるで、旧友に再会したかのように、穏やかに、微笑んだ。
だが、その笑顔は、俺の背筋を、凍りつかせるには、十分すぎた。
「夜月ぃぃぃぃぃぃっ!!」
鬼頭さんの、十五年分の、怒りと、悲しみを込めた、絶叫が、チャンバー室に、木霊した。
因縁の、再会。
世界の運命を賭けた、最後の戦いが、今、まさに、始まろうとしていた。
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