アストラル・チューニング・ソリューションズ

Gaku

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エピローグ 世界はこんなにも、賑やかだ

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 あの壮絶な決戦から一年が過ぎた。
 十月最後の土曜日、川口の空は完璧な秋晴れだ。空気が澄み渡り遠くの建物の輪郭までくっきりと見渡せる。どこからか運ばれてくる金木犀の香りが甘く鼻腔をくすぐり、公園の木々は赤や黄色に色づいた葉をきらきらと陽光に輝かせていた。絶好のパーティー日和である。

「だーかーらー! なんで俺が朝から焼きそば用のキャベツを千切りにしなきゃなんねえんだよ!」
 俺、佐藤健太は腰に妙にファンシーなクマさんのエプロンを巻きつけ涙目で叫んでいた。ここは俺たちの新しい職場『株式会社アストラル・チューニング・ソリューションズ』の広々としたテラス。本日は我が社の法人化一周年を記念した『地域住民感謝祭』が盛大に開催されるのだ。そして俺の役職は現場チーフ(仮)兼、焼きそば屋台のキャベツ千切り担当である。どうなってんだ俺のキャリアパスは。

「文句言わないの、佐藤先輩! ほら、人参もお願いします!」
「ぴゅい!」
 俺の隣ではすっかりATSの正式職員となった橘ひかりちゃんと、その周りを飛び交うキラポコたちが山のような野菜と格闘している。ひかりちゃんがにこりと笑うたびにキラポコたちが人参のヘタをちゅんちゅんと突いて応援している。尊いが戦力にはならない。

 見渡せばパーティー会場はすでに俺の理解を超えたカオスと化していた。
 テラスの中央では代表取締役になったはずの鬼頭さんが、ねじり鉢巻き姿で巨大な鉄板を前に汗だくで焼きそばを焼いている。
「へい、らっしゃい! ATS特製、周波数焼きそばだよ! 食えば心も体もいい感じにチューニングされるぜ!」
 その姿はもはやIT企業の社長ではなく夏祭りのテキ屋の親父そのものだ。

 その隣では技術開発部長の姫川さんが子供たちに囲まれてヒーローショーさながらのパフォーマンスを披露していた。
「さあお嬢ちゃん、よく見てな! このあたしの『アイアンクロー・ファイナル』の力にかかれば…!」
 彼女は新型ガントレットを装着した腕をリンゴに向かって振り下ろす。次の瞬間リンゴは皮だけが美しい螺旋状に剥かれ、中身は完璧なウサギさんの形にカットされていた。
「すっごーい!」「うさぎさんだー!」
 子供たちの歓声に姫川さんは「ふん、当然だ」と満更でもない顔をしている。その女子力、完全に使い方を間違っている。

 会場の隅では犬飼さんがパイプ椅子に座り『エクトお悩み相談室』という怪しげな看板を掲げていた。
「…なるほど。奥さんのポメラニアンのエクトが最近言うことを聞かない、と」
 相談に来たおばあさんの腕の中で半透明の犬のエクトがそっぽを向いている。犬飼さんはそのエクトの声をじっと聞いている。
「…彼は言っています。『最近ご主人が自分よりテレビの野球中継ばかり見ているのが不満だ』と」
「まあ! あのスケベじじい!」
 おばあさんは何かに納得したように犬飼さんに深く感謝して帰っていった。犬飼さん、いつの間にそんなニッチな能力を開花させたんだ。

 パーティー会場はまさに異種格闘技戦の様相を呈していた。
 田中住職は「ありがたい説法付きスーパーボールすくい」の屋台で子供相手に般若心経の奥義を説いている。神代と周防はパーティーそっちのけで招待客の投資家たちを捕まえては「我々のこの量子通信ネットワーク『スピリッター』に投資すればあなたの資産は10の23乗倍になります」「いえ彼の計算は希望的観測です。正確には10の19乗倍です」と夫婦漫才のようなプレゼンを繰り広げている。

 そしてメインステージではスペシャルゲストである星野キララのミニライブが始まろうとしていた。
「みんなー! 今日は来てくれてありがとー! 私の歌でみんなの心もエクトちゃんたちもみーんなハッピーにしちゃうよー!」
 その天使の歌声に会場のボルテージは最高潮に達する。その華やかなステージの設営費やパーティーの費用を全てポケットマネーで賄っている大スポンサーの西園寺かおりはといえば、「あなたたち、ちゃんと働きなさいよ!」とテラスの隅でシャンパングラスを片手に優雅に俺たち下々の者を見下していた。

 俺は山積みのキャベツを前に天を仰いだ。なんだこの会社。なんだこのごった煮のような最高にハッピーな空間は。

 そんなパーティーの真っ最中、小さなしかし見過ごせない事件が起きた。
 キララのライブの一番盛り上がるサビの部分で、突如ステージの音響機材がぷつんと全ての音を止めてしまったのだ。
「あれ?」
 会場が一瞬ざわつく。
「周防さん、どうした!」俺がインカムで叫ぶ。
『…ダメです! 会場の電源を管理している電源ボックスのエクトがへそを曲げてストライキを起こしてます!』
「なんだそりゃ!」
『原因は不明。ですが彼は今、『誰にも俺の気持ちなんて分かりっこない』と完全に心を閉ざしています!』

 絶体絶命のピンチ。だが今の俺たちには最高の仲間がいる。
「よし、あたしに任せな!」姫川さんがガントレットを構える。「物理的に電源を叩き起こす!」
「待つんだ姫川殿!」田中住職がそれを制する。「彼のその歪んでしまった心をまずはわしのありがたい説法で…」
「二人とも待って!」キララがマイクを握りしめる。「彼の気持ち、私には少し分かる気がする。…私に歌わせて」

 キララは音の出ないステージの上でアカペラで静かに歌い始めた。
 それは新曲でもヒット曲でもない。ただ優しく語りかけるようなバラード。
『頑張らなくていいんだよ。疲れた時は休んでいいんだよ』
 その歌声は会場の誰にでもなく、たった一人心を閉ざした小さなエクトのためだけに捧げられていた。

 すると奇跡が起きた。
 電源ボックスがぽうっと温かいオレンジ色の光を放ち始めたのだ。そして止まっていた音響機材から再びクリアなサウンドが会場に響き渡った。ストライキを起こしていたエクトの心がキララの歌声によって見事に『調律』された瞬間だった。
「やったー!」
 会場は今日一番の歓声と拍手に包まれた。

 夕暮れ時、パーティーがお開きになり俺たちは後片付けをしていた。
 西の空は息を呑むようなオレンジと紫のグラデーションに染まっている。一番星が瞬き始めていた。
「…先輩、お疲れ様です」
 ひかりちゃんが俺の隣に来て冷たい缶コーヒーを手渡してくれた。
「おう。お前もお疲れ」
 俺たちはしばらく二人で黙って美しい夕焼けを眺めていた。

「…私、決めたんです」ひかりちゃんが不意に言った。「私も大学で周波数とかエネルギーのことをもっと専門的に勉強しようって。そしていつか周防さんや神代さんみたいに、このチームのもっと力になれる存在になりたいんです」
「…そっか。お前ならきっとなれるさ」
「はい! …だからその…」
 彼女は顔を真っ赤にしながら俺の作業で汚れた大きな手を、その小さな両手できゅっと握りしめた。
「…卒業しても先輩の隣にいさせてください…!」
 そのあまりにもまっすぐな告白。俺はもう照れ隠しにコーヒーをすすることもできなかった。ただその温かい手を強く強く握り返すことしかできなかった。

 俺はこのかけがえのない愛おしい日常を守り続けていきたいと心の底から思った。俺の隣で、はにかむこの最高の相棒と一緒に。

 事務所からの帰り道、すっかり夜の帳が下りた見慣れた道を歩きながら俺は考えていた。
 この世界は俺たちの目に見えるものが全てじゃない。聞こえる音や肌で感じるものが全てじゃない。そんな当たり前の事実にほとんどの人間は気づかずに一生を終える。…だけどたぶん、それでいいんだろう。

 見えない世界は確かにここにあって、俺たちの日常とぴったりと隣り合わせで息づいている。
 それは時々牙を剥いて俺たちを恐怖のどん底に突き落とす。でもそのほとんどは、ひかりちゃんの周りを嬉しそうに飛び交うキラポコみたいに、夜中の公園でただブランコに乗りたかったあの小さな子供みたいに、悪意なくただそこに『いる』だけなのだ。

 俺たちの仕事はそんな二つの世界のほんの僅かな『ズレ』を見つけ出してそっと元に戻してやること。優しく『調律(チューニング)』してやること。
 まあ相も変わらず月給分の苦労は絶えないし、あの個性しか取り柄のないような愉快な仲間たちに毎日振り回されるドタバタな日々だけどな。

 俺は隣を歩くひかりちゃんの嬉しそうな横顔を盗み見た。
 彼女も俺に気づいてにこりと世界で一番美しい笑顔を向けてくれた。
 俺はふっと笑みがこぼれるのをどうすることもできなかった。

 悪くない。
 いや。
 最高に面白いじゃないか。
 このどこまでも騒がしくてどこまでも面倒で、そして途方もなく美しい世界で生きていくというのも。
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