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第1部:出会いと勘違いの旅路
第19話:君も勇者を探すのかい?(だからアンタが勇者なんだってば!)
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事件の暗い影が嘘だったかのように、冒険者の街ロックベルには、晴れやかな活気が戻っていた。
空は高く澄み渡り、春の柔らかな日差しが、真新しい洗濯物のように清潔な空気をきらきらと照らしている。石畳の道を走り回る子供たちの屈託のない笑い声。市場の売り子たちの威勢のいい呼び声。そして、道行く人々の顔には、数日前までの不安の色はなく、穏やかな日常が戻ってきたことへの、心からの安堵が浮かんでいた。
風が街路を吹き抜ける。それはもう、何かの気配を運ぶ不吉なものではなく、パン屋から漂う香ばしい匂いや、花屋の店先の瑞々しい花の香り、そして人々の陽気なざわめきを優しく運んでくる、生命力に満ちた春の息吹そのものだった。
そして、その活気の中心地、冒険者ギルドの酒場は、昼間から祝祭の様相を呈していた。
「飲めや歌えや!ロックベルの平和に祝杯を!」
誰かのそんな叫び声を合図に、木製のジョッキがそこかしこで打ち鳴らされ、琥珀色のエールが惜しげもなく床に撒かれたおが屑へと降り注ぐ。中央の巨大な暖炉では、鹿の丸焼きがパチパチと音を立てながら、食欲をそそる匂いをあたりにまき散らしていた。テーブルからテーブルへと飛び交うのは、下品な冗談と、尾ひれがつきまくった武勇伝。そして、隅のステージに陣取った吟遊詩人は、リュートをかき鳴らしながら、今回の事件を元にした即興の英雄譚を、それはもう朗々と歌い上げていた。
その歌によれば、絶世の美女である女魔術師の甘い罠に、敢然と立ち向かったのは我らがSランクパーティ『ドラゴンスレイヤーズ』。リーダー・アレクの竜をも屠る剣技が敵の結界を砕き、魔法使いレオンの放つ業火が闇を焼き払い、僧侶ゴードンの祈りが仲間たちを死地から救い出したのだという。ちなみに、ユウとシルフィアの名前は、なぜか「勇敢なる協力者の若者A」と「謎の美しき同行者B」くらいの扱いであった。
その、物語の主役(ということになっている)一行が陣取るテーブルは、ひときわ大きな盛り上がりを見せていた。
「いやー、しかし見事だったな、お前たち!」
「さすがはSランクだ!」
次々と注がれるエールを浴びるように飲みながら、アレクは「当然だ!正義は必ず勝つ!」と上機嫌に胸を張り、レオンは「まあ、俺にかかればあんなものだ」とクールに髪をかき上げ、ゴードンは「み、皆さんの応援のおかげですぅ」と巨体を縮こませながら照れていた。
そんな仲間たちの姿を、シルフィアは頬杖をつきながら、穏やかな気持ちで眺めていた。
(まあ、色々ありましたけれど、結果として街は平和になりましたし、子供たちも無事に家族の元へ帰れたのですから、よしとすべきですわね……)
事件の真相は、吟遊詩人の歌とはだいぶ、いや、根底から異なっているが、それを今さら訂正するのも野暮というものだろう。彼女は、目の前の骨付き肉の盛り合わせに、静かにフォークを伸ばした。
そんな彼女の隣で、ユウは既に三皿目の猪肉のシチューを、実に幸せそうな顔で口へと運んでいた。彼にとって、世界の平和も、事件の真相も、この熱々のシチューの前では些末なことに過ぎないのかもしれない。
宴もたけなわ、すっかり上機嫌になったアレクが、ガタリと音を立てて立ち上がった。その顔は、エールのせいか、興奮のせいか、真っ赤に上気している。彼は、もはや兄弟分とでも言わんばかりの親密さで、ユウの肩に腕を回した。
「ユウッ!」
「んぐっ……なに、アレク?」
口いっぱいにシチューを頬張っていたユウが、なんとかそれを飲み込んで応える。
「今回の事件、お前がいなければ、俺たちは危なかったかもしれん!正直に礼を言う!ありがとう!」
「ん、どういたしまして」
「だがな!」
アレクの声が、一段と大きくなる。
「だが、俺はまだお前のことを何も知らん!お前は一体、何者なんだ!?あのアダマンタイトのゴーレムを、まるで子供が砂遊びの山でも崩すかのように、指一本で……!信じられん!あんな芸当、神話の中の神々でも不可能だ!」
その言葉に、周りのテーブルで飲んでいた冒険者たちも「そうだそうだ!」「あれは一体どうやったんだ!」と興味津々に身を乗り出してくる。シルフィアは(あ、少し面倒なことになりそうですわね)と、そっとエールのジョッキを口に運んだ。
アレクは、燃えるような瞳でユウを真っ直ぐに見つめると、高らかに宣言した。
「だが、まあいい!お前が何者であろうと、俺の目標は変わらん!俺はいつか、必ずお前を超える!そして、この俺こそが、吟遊詩人に歌われる本物の『勇者』になってみせる!お前は、俺の生涯の好敵手(ライバル)だ!」
ビシッと突きつけられた人差し指。完璧なまでに熱血なライバル宣言。
しかし、その熱量に対し、ユウの反応はあまりにも、あまりにもクールだった。
「ははは、頑張れよー」
ユウは、アレクの宣言を柳に風と受け流し、再びシチューの皿へと視線を戻すと、残っていた最後の一口をスプーンですくい、ぱくりと食べた。彼の興味は、生涯のライバルよりも、皿の底に残ったニンジンのかけらにあった。
自分の熱い想いが全く響いていないことに、アレクは一瞬「ぐぬぬ」と顔を歪ませたが、すぐに気を取り直すと、今度は真剣な表情で、最も核心的な質問を投げかけた。
「……それで、ユウ。お前たちは、これからどうするんだ?この街に留まるのか?それとも、またどこかへ旅に出るのか?」
その問いに、ギルド中が静まり返る。誰もが、この規格外の力を持つ謎の青年の、今後の動向に注目していた。
ユウは、綺麗に空になったシチューの皿を名残惜しそうに見つめた後、ふぅ、と満足げな息をついた。そして、アレクの真剣な眼差しに応えるように、にこりと人の好い笑みを浮かべる。
彼は、シルフィアの方をちらりと見て、うん、と一つ頷くと、悪気ゼロ、純度百パーセントの善意と、一点の曇りもないキラキラとした瞳で、そして。
ギルドの喧騒を突き抜け、梁の埃を震わせるほどの、朗々とした声で、高らかに、それはもう高らかに、宣言した。
「俺はシルフィアと一緒に、この世界のどこかにいるっていう『伝説の勇者』を探す旅を続けるんだ!」
その瞬間。
シルフィアの世界から、音が消えた。
彼女は、喉の渇きを潤すために口に含んだばかりの、冷たくて、泡が心地よいエールを、危うく芸術的な角度で、目の前に座るレオンの完璧な顔面に向かって噴射しそうになった。
「ぶふぉっ……!」
声にならない悲鳴が、喉の奥で炸裂する。彼女は、淑女として長年培ってきた、ありとあらゆる自制心と、王族としての誇りの全てを総動員し、その黄金色の液体が外界へと解き放たれるのを、超人的な精神力で食い止めた。
ごくり、と。
本来ならば味わうべきではない速度と量で、エールが食道を駆け下りていく。その灼けるような感覚と、炭酸が鼻の奥で暴れ回るむせ返るような苦しみに耐えながら、彼女の頭の中では、言葉にならない魂の叫びが、無限に木霊していた。
(だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!)
(ちーがーうーのーよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!)
(ちがいますの!違いますのよユウ様!その、わたくしが探しております『伝説の勇者』とやらはですね!何を隠そう!今まさに!目の前で!高らかに『勇者を探す』などと頓珍漢な宣言をなさっている!貴方様ご本人様のことでしてぇぇぇぇぇぇぇ!ああもう!)
(なぜ!なぜ誰も気づいてくださらないのですか!?目の前で、常識という名の壁紙を片っ端からビリビリに破り捨てているこの方が、その勇者様でなくて一体誰だとお思いでして!?そこの脳まで筋肉で出来ていそうな戦士様も!あちらの致命的なまでに方向感覚が欠如していらっしゃる魔法使い様も!あちらの小動物よりか弱い心臓をお持ちの僧侶様も!皆様、揃いも揃って節穴でいらっしゃいますの!?)
(そして何より!何よりも!どうして!あなた様ご自身が!一番!微塵も!ミジンコの内臓ほども!ご自身の正体に気づいていらっしゃらないのでございますかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?)
彼女の完璧な淑女の笑みを浮かべた顔面。その裏側で、このような阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられていることなど、誰も知る由もなかった。ただ、彼女の白魚のような手が握りしめたミスリル銀のフォークが、ミシミシと悲鳴を上げ、そのこめかみに、血管がぴくぴくと、まるでモールス信号でも打つかのように痙攣しているのを、隣のユウが「あれ、なんか顔色悪くない?」と不思議そうに眺めていただけだった。
シルフィアの内心がメルトダウンを起こしている間にも、物語は、彼女にとって最も絶望的な方向へと、猛スピードで転がり始めていた。
ユウの爆弾発言に、一瞬静まり返っていたギルド。その沈黙を破ったのは、アレクの驚愕に満ちた声だった。
「な……なんだとぉっ!?」
彼は、カッと目を見開き、わなわなと震える指でユウを指さす。
「で、伝説の勇者だと!?あの、神話の時代に魔王を封印したという、本物の伝説の勇者が、まだこの世に実在したというのか!」
その言葉に、ギルド中が「おおおおお!」とどよめく。吟遊詩人は、興奮のあまりリュートの弦を一本引きちぎっていた。
アレクは、もはやユウのことなど頭になかった。彼の脳内は、憧れの「勇者」という存在へのロマンで完全に飽和している。彼は、興奮のあまりテーブルを乗り越えると、仲間たちの方を振り返った。
「レオン!ゴードン!聞いたか!これは、女神様が我らに与えたもうた天啓に違いない!我らが目指す、勇者の道の頂点!そのご本人に、この目でお会いできるやもしれんのだぞ!」
「ふむ、確かに興味深いな。神話の存在が、現代にどのような力を持つのか、この目で見てみたいものだ」
レオンが、クールな表情を崩さずに、しかしその瞳の奥に強い好奇心を宿らせて頷く。
「ゆ、勇者様……!わ、わたくしのような者が、お会いしてもよろしいのでしょうか……!」
ゴードンは、もはや感激のあまり、ぶるぶると巨体を震わせて涙ぐんでいた。
三人の意見が完全に一致したことを確認すると、アレクは再びユウの方へ向き直り、その両肩を、岩をも砕く力で、ガシッ、と掴んだ。
「頼む、ユウッ!」
「い、痛い痛い痛い!」
「俺たちも、その勇者探しの旅に、同行させてはくれまいか!勇者とはどういう存在なのか、どういう生き様なのか、その全てを、この目で見届けたいんだ!」
真剣な、あまりにも真剣な眼差し。その瞳には、一点の曇りもない、純粋な憧れが燃え盛っていた。
その熱意に押され、ユウはあっけらかんと言った。
「え?いいの?賑やかになるなら、俺は全然、大歓迎だぜ!」
ここに、契約は成立した。
シルフィアが、エールと絶望で飽和した脳みそを再起動させ、何かを言い出す、そのほんの数秒前の出来事だった。
(あ……ああ……)
もはや、訂正の機会は、完全に、永遠に失われた。
彼女の心の中で、何かが、ぷつり、と切れる音がした。
シルフィアは、もはや何も言う気力をなくし、遠い目をしながら、テーブルに置かれたエールのジョッキを掴むと、それを水でも飲むかのように一気に、一息に、喉へと流し込んだ。
ぷはー、と。およそ王女とは思えぬ、豪快な息を吐き出した彼女は、空になったジョッキを、ドンッ、とテーブルに叩きつける。
「……神様。わたくしは、もう、疲れましたわ」
その小さな、しかし絶望に満ちた呟きは、再び始まった祝杯の喧騒の中に、儚く消えていった。
こうして、一人の男の壮大な勘違いは、三人の新たな勘違い仲間を巻き込み、雪だるま式に、もはや誰にも止められない規模へと、見事に進化を遂げたのであった。
空は高く澄み渡り、春の柔らかな日差しが、真新しい洗濯物のように清潔な空気をきらきらと照らしている。石畳の道を走り回る子供たちの屈託のない笑い声。市場の売り子たちの威勢のいい呼び声。そして、道行く人々の顔には、数日前までの不安の色はなく、穏やかな日常が戻ってきたことへの、心からの安堵が浮かんでいた。
風が街路を吹き抜ける。それはもう、何かの気配を運ぶ不吉なものではなく、パン屋から漂う香ばしい匂いや、花屋の店先の瑞々しい花の香り、そして人々の陽気なざわめきを優しく運んでくる、生命力に満ちた春の息吹そのものだった。
そして、その活気の中心地、冒険者ギルドの酒場は、昼間から祝祭の様相を呈していた。
「飲めや歌えや!ロックベルの平和に祝杯を!」
誰かのそんな叫び声を合図に、木製のジョッキがそこかしこで打ち鳴らされ、琥珀色のエールが惜しげもなく床に撒かれたおが屑へと降り注ぐ。中央の巨大な暖炉では、鹿の丸焼きがパチパチと音を立てながら、食欲をそそる匂いをあたりにまき散らしていた。テーブルからテーブルへと飛び交うのは、下品な冗談と、尾ひれがつきまくった武勇伝。そして、隅のステージに陣取った吟遊詩人は、リュートをかき鳴らしながら、今回の事件を元にした即興の英雄譚を、それはもう朗々と歌い上げていた。
その歌によれば、絶世の美女である女魔術師の甘い罠に、敢然と立ち向かったのは我らがSランクパーティ『ドラゴンスレイヤーズ』。リーダー・アレクの竜をも屠る剣技が敵の結界を砕き、魔法使いレオンの放つ業火が闇を焼き払い、僧侶ゴードンの祈りが仲間たちを死地から救い出したのだという。ちなみに、ユウとシルフィアの名前は、なぜか「勇敢なる協力者の若者A」と「謎の美しき同行者B」くらいの扱いであった。
その、物語の主役(ということになっている)一行が陣取るテーブルは、ひときわ大きな盛り上がりを見せていた。
「いやー、しかし見事だったな、お前たち!」
「さすがはSランクだ!」
次々と注がれるエールを浴びるように飲みながら、アレクは「当然だ!正義は必ず勝つ!」と上機嫌に胸を張り、レオンは「まあ、俺にかかればあんなものだ」とクールに髪をかき上げ、ゴードンは「み、皆さんの応援のおかげですぅ」と巨体を縮こませながら照れていた。
そんな仲間たちの姿を、シルフィアは頬杖をつきながら、穏やかな気持ちで眺めていた。
(まあ、色々ありましたけれど、結果として街は平和になりましたし、子供たちも無事に家族の元へ帰れたのですから、よしとすべきですわね……)
事件の真相は、吟遊詩人の歌とはだいぶ、いや、根底から異なっているが、それを今さら訂正するのも野暮というものだろう。彼女は、目の前の骨付き肉の盛り合わせに、静かにフォークを伸ばした。
そんな彼女の隣で、ユウは既に三皿目の猪肉のシチューを、実に幸せそうな顔で口へと運んでいた。彼にとって、世界の平和も、事件の真相も、この熱々のシチューの前では些末なことに過ぎないのかもしれない。
宴もたけなわ、すっかり上機嫌になったアレクが、ガタリと音を立てて立ち上がった。その顔は、エールのせいか、興奮のせいか、真っ赤に上気している。彼は、もはや兄弟分とでも言わんばかりの親密さで、ユウの肩に腕を回した。
「ユウッ!」
「んぐっ……なに、アレク?」
口いっぱいにシチューを頬張っていたユウが、なんとかそれを飲み込んで応える。
「今回の事件、お前がいなければ、俺たちは危なかったかもしれん!正直に礼を言う!ありがとう!」
「ん、どういたしまして」
「だがな!」
アレクの声が、一段と大きくなる。
「だが、俺はまだお前のことを何も知らん!お前は一体、何者なんだ!?あのアダマンタイトのゴーレムを、まるで子供が砂遊びの山でも崩すかのように、指一本で……!信じられん!あんな芸当、神話の中の神々でも不可能だ!」
その言葉に、周りのテーブルで飲んでいた冒険者たちも「そうだそうだ!」「あれは一体どうやったんだ!」と興味津々に身を乗り出してくる。シルフィアは(あ、少し面倒なことになりそうですわね)と、そっとエールのジョッキを口に運んだ。
アレクは、燃えるような瞳でユウを真っ直ぐに見つめると、高らかに宣言した。
「だが、まあいい!お前が何者であろうと、俺の目標は変わらん!俺はいつか、必ずお前を超える!そして、この俺こそが、吟遊詩人に歌われる本物の『勇者』になってみせる!お前は、俺の生涯の好敵手(ライバル)だ!」
ビシッと突きつけられた人差し指。完璧なまでに熱血なライバル宣言。
しかし、その熱量に対し、ユウの反応はあまりにも、あまりにもクールだった。
「ははは、頑張れよー」
ユウは、アレクの宣言を柳に風と受け流し、再びシチューの皿へと視線を戻すと、残っていた最後の一口をスプーンですくい、ぱくりと食べた。彼の興味は、生涯のライバルよりも、皿の底に残ったニンジンのかけらにあった。
自分の熱い想いが全く響いていないことに、アレクは一瞬「ぐぬぬ」と顔を歪ませたが、すぐに気を取り直すと、今度は真剣な表情で、最も核心的な質問を投げかけた。
「……それで、ユウ。お前たちは、これからどうするんだ?この街に留まるのか?それとも、またどこかへ旅に出るのか?」
その問いに、ギルド中が静まり返る。誰もが、この規格外の力を持つ謎の青年の、今後の動向に注目していた。
ユウは、綺麗に空になったシチューの皿を名残惜しそうに見つめた後、ふぅ、と満足げな息をついた。そして、アレクの真剣な眼差しに応えるように、にこりと人の好い笑みを浮かべる。
彼は、シルフィアの方をちらりと見て、うん、と一つ頷くと、悪気ゼロ、純度百パーセントの善意と、一点の曇りもないキラキラとした瞳で、そして。
ギルドの喧騒を突き抜け、梁の埃を震わせるほどの、朗々とした声で、高らかに、それはもう高らかに、宣言した。
「俺はシルフィアと一緒に、この世界のどこかにいるっていう『伝説の勇者』を探す旅を続けるんだ!」
その瞬間。
シルフィアの世界から、音が消えた。
彼女は、喉の渇きを潤すために口に含んだばかりの、冷たくて、泡が心地よいエールを、危うく芸術的な角度で、目の前に座るレオンの完璧な顔面に向かって噴射しそうになった。
「ぶふぉっ……!」
声にならない悲鳴が、喉の奥で炸裂する。彼女は、淑女として長年培ってきた、ありとあらゆる自制心と、王族としての誇りの全てを総動員し、その黄金色の液体が外界へと解き放たれるのを、超人的な精神力で食い止めた。
ごくり、と。
本来ならば味わうべきではない速度と量で、エールが食道を駆け下りていく。その灼けるような感覚と、炭酸が鼻の奥で暴れ回るむせ返るような苦しみに耐えながら、彼女の頭の中では、言葉にならない魂の叫びが、無限に木霊していた。
(だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!)
(ちーがーうーのーよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!)
(ちがいますの!違いますのよユウ様!その、わたくしが探しております『伝説の勇者』とやらはですね!何を隠そう!今まさに!目の前で!高らかに『勇者を探す』などと頓珍漢な宣言をなさっている!貴方様ご本人様のことでしてぇぇぇぇぇぇぇ!ああもう!)
(なぜ!なぜ誰も気づいてくださらないのですか!?目の前で、常識という名の壁紙を片っ端からビリビリに破り捨てているこの方が、その勇者様でなくて一体誰だとお思いでして!?そこの脳まで筋肉で出来ていそうな戦士様も!あちらの致命的なまでに方向感覚が欠如していらっしゃる魔法使い様も!あちらの小動物よりか弱い心臓をお持ちの僧侶様も!皆様、揃いも揃って節穴でいらっしゃいますの!?)
(そして何より!何よりも!どうして!あなた様ご自身が!一番!微塵も!ミジンコの内臓ほども!ご自身の正体に気づいていらっしゃらないのでございますかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?)
彼女の完璧な淑女の笑みを浮かべた顔面。その裏側で、このような阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられていることなど、誰も知る由もなかった。ただ、彼女の白魚のような手が握りしめたミスリル銀のフォークが、ミシミシと悲鳴を上げ、そのこめかみに、血管がぴくぴくと、まるでモールス信号でも打つかのように痙攣しているのを、隣のユウが「あれ、なんか顔色悪くない?」と不思議そうに眺めていただけだった。
シルフィアの内心がメルトダウンを起こしている間にも、物語は、彼女にとって最も絶望的な方向へと、猛スピードで転がり始めていた。
ユウの爆弾発言に、一瞬静まり返っていたギルド。その沈黙を破ったのは、アレクの驚愕に満ちた声だった。
「な……なんだとぉっ!?」
彼は、カッと目を見開き、わなわなと震える指でユウを指さす。
「で、伝説の勇者だと!?あの、神話の時代に魔王を封印したという、本物の伝説の勇者が、まだこの世に実在したというのか!」
その言葉に、ギルド中が「おおおおお!」とどよめく。吟遊詩人は、興奮のあまりリュートの弦を一本引きちぎっていた。
アレクは、もはやユウのことなど頭になかった。彼の脳内は、憧れの「勇者」という存在へのロマンで完全に飽和している。彼は、興奮のあまりテーブルを乗り越えると、仲間たちの方を振り返った。
「レオン!ゴードン!聞いたか!これは、女神様が我らに与えたもうた天啓に違いない!我らが目指す、勇者の道の頂点!そのご本人に、この目でお会いできるやもしれんのだぞ!」
「ふむ、確かに興味深いな。神話の存在が、現代にどのような力を持つのか、この目で見てみたいものだ」
レオンが、クールな表情を崩さずに、しかしその瞳の奥に強い好奇心を宿らせて頷く。
「ゆ、勇者様……!わ、わたくしのような者が、お会いしてもよろしいのでしょうか……!」
ゴードンは、もはや感激のあまり、ぶるぶると巨体を震わせて涙ぐんでいた。
三人の意見が完全に一致したことを確認すると、アレクは再びユウの方へ向き直り、その両肩を、岩をも砕く力で、ガシッ、と掴んだ。
「頼む、ユウッ!」
「い、痛い痛い痛い!」
「俺たちも、その勇者探しの旅に、同行させてはくれまいか!勇者とはどういう存在なのか、どういう生き様なのか、その全てを、この目で見届けたいんだ!」
真剣な、あまりにも真剣な眼差し。その瞳には、一点の曇りもない、純粋な憧れが燃え盛っていた。
その熱意に押され、ユウはあっけらかんと言った。
「え?いいの?賑やかになるなら、俺は全然、大歓迎だぜ!」
ここに、契約は成立した。
シルフィアが、エールと絶望で飽和した脳みそを再起動させ、何かを言い出す、そのほんの数秒前の出来事だった。
(あ……ああ……)
もはや、訂正の機会は、完全に、永遠に失われた。
彼女の心の中で、何かが、ぷつり、と切れる音がした。
シルフィアは、もはや何も言う気力をなくし、遠い目をしながら、テーブルに置かれたエールのジョッキを掴むと、それを水でも飲むかのように一気に、一息に、喉へと流し込んだ。
ぷはー、と。およそ王女とは思えぬ、豪快な息を吐き出した彼女は、空になったジョッキを、ドンッ、とテーブルに叩きつける。
「……神様。わたくしは、もう、疲れましたわ」
その小さな、しかし絶望に満ちた呟きは、再び始まった祝杯の喧騒の中に、儚く消えていった。
こうして、一人の男の壮大な勘違いは、三人の新たな勘違い仲間を巻き込み、雪だるま式に、もはや誰にも止められない規模へと、見事に進化を遂げたのであった。
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ある日、突然クラスが光輝き俺のいる3年1組は異世界へと召喚されることになった。
だが、俺はそこへ転移する前に神様にお呼ばれし……。
クラスの奴らよりも強くなった俺はクラスの奴らに復讐します。
まだまだ未熟者なので誤字脱字が多いと思いますが長〜い目で見守ってください。
閑話の時系列がおかしいんじゃない?やこの漢字間違ってるよね?など、ところどころにおかしい点がありましたら気軽にコメントで教えてください。
追伸、
雫ストーリーを別で作りました。雫が亡くなる瞬間の心情や死んだ後の天国でのお話を書いてます。
気になった方は是非読んでみてください。
異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします
Dakurai
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クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。
相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。
現在、第四章フェレスト王国ドワーフ編
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