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第五章 嫉妬
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昼食もそこそこにグレティアはリゼオンの着替えを何着か持って診療所に向かうことにした。
シャルヴァに声を掛けると、彼はそれが当たり前のようにグレティアと一緒に行くと言いだした。
イーライとのことが少しだけ気がかりではあったが、断る理由もなかったので彼を伴い、グレティアは家を出た。
診療所に向かう道すがら、近所の人たち何人かから声をかけられた。
そのほとんどは兄のことを心配しての気遣いの声掛けだったが、一部は例外もあった。
例外というのは、遠巻きにシャルヴァのことを見てきゃっきゃっとはしゃぐ少女たちが幾人もいたことだ。
彼女たちの目当てはシャルヴァだった。
そんな少女たちの様子をグレティアは少し複雑な気持ちで見ていた。
シャルヴァは非常に整った――いや、整いすぎた容姿をしている。
グレティアの目から見てもとても美しい男だと思う。
そんな人がなぜ自分を欲するのか、今なおグレティアは理解できずにいた。
「…………」
今だって遠巻きにこちらを見ている少女たちの中には村でも評判の美しい娘が何人かいる。
もしも彼女たちの誰かがシャルヴァに声をかけて、彼がその気になったら――。
「――……ばかみたい」
グレティアは小さく呟いて頭を振った。
シャルヴァとは恋人同士じゃない。夫婦だとか妻だとか言われたけれど、愛を告白されたわけではないのだ。あくまでも報酬として求められただけ。満足したら、グレティアのことなんて飽きるかもしれない。彼の考えが変わったところで自分がとやかく言うことではない。少なくとも兄を助けてもらうという目的は果たしているのだから――。
(私だって別に好きとかそういうんじゃないもの……)
今朝は初めての出来事に少し浮き立ってしまっていただけ。
胸の内がざわざわして、グレティアはもう一度、ふるふると首を横に振った。
「グレティア?」
「え……?」
呼ばれて顔を上げると、シャルヴァが怪訝そうにこちらを見ていた。
いつの間にか歩く足も止まっていたようだ。
「どうした? 顔色が悪いぞ」
シャルヴァがそう言って手を伸ばしてきた。
少し冷たい指先が頬に触れる。その感触にぽっと心が温まる。けれど同時になぜだか落ち着かない気持ちにもなった。
「大丈夫。なんでもない」
グレティアは口早に言って歩き出した。
シャルヴァもそれ以上はなにも言わなかった。
◆
診療所に到着すると、ちょうど患者が途切れた頃合いだったのかイーライが玄関から出てきたところだった。
グレティアは声をかけながら小走りで彼に近づいた。
「兄さんの着替えを持ってきたの」
「やあ……」
笑顔で出迎えてくれたイーライはグレティアの隣にシャルヴァがいることに気がつくと柔和な微笑みはそのままにわずかに目を細めた。それから短く息を吐く。
「――おかげさまでリゼオンさんの容態は安定してます」
「ああ。それならよかった」
「わざわざ来ていただかなくても大丈夫ですよ? ちゃんと僕がそばにいますから」
にっこりと続けたイーライの言葉には暗に来るなという意が込められていることは明らかで、グレティアはシャルヴァの隣でハラハラとしていた。
イーライはシャルヴァのことを得体が知れないよそ者だと快く思っていない。
シャルヴァもそのことには気づいているはずだ。けれど彼はなにを言うでもなく肩をすくめただけだった。
「ええっと……。イーライ、兄さんに会っていっても大丈夫かな?」
居心地の悪い空気を払拭するようにグレティアは言った。すると、イーライがシャルヴァに向ける笑みとは別の笑顔で大きく頷いた。
「――……もちろんだよ。まだ眠ってるけど熱も腫れも随分と治まってきてる」
「ありがとう」
イーライの案内でグレティアとシャルヴァは診療所の中へと入った。
そのままリゼオンの眠っている部屋へと直行する。
「僕は診察室で父の手伝いをしてるけど、なにかあったら呼んでくれてかまわない」
「わかった」
離れていくイーライに手を振ったあと、グレティアはリゼオンが眠るベッドのカーテンをゆっくりと開いた。
「よかった……」
先日までと比べて随分と顔色も良くなり、呼吸も楽そうになった兄の姿を見て、グレティアは安堵のため息をついた。
ベッド脇の備え付けの棚に持ってきた着替えを置き、グレティアは近くの椅子に腰を下ろした。
「…………」
それから恐る恐る手を伸ばして、リゼオンの上掛けの足元の方をまくる。
数日前には風船のように不気味に膨れ上がっていた右足首は、まだ少し血色が悪かったけれど腫れはほとんど引いていた。
あらためてほっと息を吐いたグレティアの隣でシャルヴァが首をひねる。
「――赤拷に咬まれたと言っていたな」
「ええ……」
グレティアが頷くと、シャルヴァはふむと頷いたあと、考え込むように顎に手を添えた。
「昨日、術を施したときにも思ったが症状が随分とひどいようだが……」
「トマス先生は毒の強い砂赤拷だって言ってた。中和薬も効かないって」
「砂赤拷はもっと砂漠地方に生息している虫だろう?」
「ええ、そうらしいけど、ここしばらく村では被害が出てて……。みんなは旅人の荷物に紛れ込んできたんじゃないかって言ってる」
「――どこで咬まれたんだ?」
「広場に水を汲みに行ったとき。井戸のそばよ」
「…………」
「シャルヴァ?」
「やはり妙だな」
束の間の沈黙ののち、シャルヴァがおもむろに口を開く。
「赤拷種の中でも砂赤拷は水や湿気を嫌う。井戸の近くで出るのは不自然だ」
「でも、兄さんは実際に……」
「ああ、そうだな。本来ならいないはずの毒虫に咬まれた上に進行があり得ないほど早かったんだろう」
「――――っ」
シャルヴァの言わんとしていることがわかって、グレティアは彼の横顔を凝視した。
しかし整った横顔は前を向いたまま押し黙っている。
「――つまり、わざと赤拷を持ち込んだ人物がいると思ってるの?」
「…………」
シャルヴァからの返事はなかったけれど、彼の無言は肯定を示していた。
「なんのために……?」
「さあな……」
グレティアの問いに、シャルヴァは素っ気なく肩をすくめた。
「でも本当に誰かのせいで兄さんが死にかけたなら――」
――絶対に許せない。
グレティアは無意識に唇を嚙み締めた。
と、そのときだった。
「う……」
ベッドの上のリゼオンが眉間に深いしわを刻み身じろいだ。
「兄さんっ⁉」
グレティアがすぐに声をかけると、リゼオンがゆっくりとまぶたを上げた。
「グレ、ティア……?」
よく知る新緑色の瞳が見えて、グレティアは安堵の息を吐き出した。
シャルヴァに声を掛けると、彼はそれが当たり前のようにグレティアと一緒に行くと言いだした。
イーライとのことが少しだけ気がかりではあったが、断る理由もなかったので彼を伴い、グレティアは家を出た。
診療所に向かう道すがら、近所の人たち何人かから声をかけられた。
そのほとんどは兄のことを心配しての気遣いの声掛けだったが、一部は例外もあった。
例外というのは、遠巻きにシャルヴァのことを見てきゃっきゃっとはしゃぐ少女たちが幾人もいたことだ。
彼女たちの目当てはシャルヴァだった。
そんな少女たちの様子をグレティアは少し複雑な気持ちで見ていた。
シャルヴァは非常に整った――いや、整いすぎた容姿をしている。
グレティアの目から見てもとても美しい男だと思う。
そんな人がなぜ自分を欲するのか、今なおグレティアは理解できずにいた。
「…………」
今だって遠巻きにこちらを見ている少女たちの中には村でも評判の美しい娘が何人かいる。
もしも彼女たちの誰かがシャルヴァに声をかけて、彼がその気になったら――。
「――……ばかみたい」
グレティアは小さく呟いて頭を振った。
シャルヴァとは恋人同士じゃない。夫婦だとか妻だとか言われたけれど、愛を告白されたわけではないのだ。あくまでも報酬として求められただけ。満足したら、グレティアのことなんて飽きるかもしれない。彼の考えが変わったところで自分がとやかく言うことではない。少なくとも兄を助けてもらうという目的は果たしているのだから――。
(私だって別に好きとかそういうんじゃないもの……)
今朝は初めての出来事に少し浮き立ってしまっていただけ。
胸の内がざわざわして、グレティアはもう一度、ふるふると首を横に振った。
「グレティア?」
「え……?」
呼ばれて顔を上げると、シャルヴァが怪訝そうにこちらを見ていた。
いつの間にか歩く足も止まっていたようだ。
「どうした? 顔色が悪いぞ」
シャルヴァがそう言って手を伸ばしてきた。
少し冷たい指先が頬に触れる。その感触にぽっと心が温まる。けれど同時になぜだか落ち着かない気持ちにもなった。
「大丈夫。なんでもない」
グレティアは口早に言って歩き出した。
シャルヴァもそれ以上はなにも言わなかった。
◆
診療所に到着すると、ちょうど患者が途切れた頃合いだったのかイーライが玄関から出てきたところだった。
グレティアは声をかけながら小走りで彼に近づいた。
「兄さんの着替えを持ってきたの」
「やあ……」
笑顔で出迎えてくれたイーライはグレティアの隣にシャルヴァがいることに気がつくと柔和な微笑みはそのままにわずかに目を細めた。それから短く息を吐く。
「――おかげさまでリゼオンさんの容態は安定してます」
「ああ。それならよかった」
「わざわざ来ていただかなくても大丈夫ですよ? ちゃんと僕がそばにいますから」
にっこりと続けたイーライの言葉には暗に来るなという意が込められていることは明らかで、グレティアはシャルヴァの隣でハラハラとしていた。
イーライはシャルヴァのことを得体が知れないよそ者だと快く思っていない。
シャルヴァもそのことには気づいているはずだ。けれど彼はなにを言うでもなく肩をすくめただけだった。
「ええっと……。イーライ、兄さんに会っていっても大丈夫かな?」
居心地の悪い空気を払拭するようにグレティアは言った。すると、イーライがシャルヴァに向ける笑みとは別の笑顔で大きく頷いた。
「――……もちろんだよ。まだ眠ってるけど熱も腫れも随分と治まってきてる」
「ありがとう」
イーライの案内でグレティアとシャルヴァは診療所の中へと入った。
そのままリゼオンの眠っている部屋へと直行する。
「僕は診察室で父の手伝いをしてるけど、なにかあったら呼んでくれてかまわない」
「わかった」
離れていくイーライに手を振ったあと、グレティアはリゼオンが眠るベッドのカーテンをゆっくりと開いた。
「よかった……」
先日までと比べて随分と顔色も良くなり、呼吸も楽そうになった兄の姿を見て、グレティアは安堵のため息をついた。
ベッド脇の備え付けの棚に持ってきた着替えを置き、グレティアは近くの椅子に腰を下ろした。
「…………」
それから恐る恐る手を伸ばして、リゼオンの上掛けの足元の方をまくる。
数日前には風船のように不気味に膨れ上がっていた右足首は、まだ少し血色が悪かったけれど腫れはほとんど引いていた。
あらためてほっと息を吐いたグレティアの隣でシャルヴァが首をひねる。
「――赤拷に咬まれたと言っていたな」
「ええ……」
グレティアが頷くと、シャルヴァはふむと頷いたあと、考え込むように顎に手を添えた。
「昨日、術を施したときにも思ったが症状が随分とひどいようだが……」
「トマス先生は毒の強い砂赤拷だって言ってた。中和薬も効かないって」
「砂赤拷はもっと砂漠地方に生息している虫だろう?」
「ええ、そうらしいけど、ここしばらく村では被害が出てて……。みんなは旅人の荷物に紛れ込んできたんじゃないかって言ってる」
「――どこで咬まれたんだ?」
「広場に水を汲みに行ったとき。井戸のそばよ」
「…………」
「シャルヴァ?」
「やはり妙だな」
束の間の沈黙ののち、シャルヴァがおもむろに口を開く。
「赤拷種の中でも砂赤拷は水や湿気を嫌う。井戸の近くで出るのは不自然だ」
「でも、兄さんは実際に……」
「ああ、そうだな。本来ならいないはずの毒虫に咬まれた上に進行があり得ないほど早かったんだろう」
「――――っ」
シャルヴァの言わんとしていることがわかって、グレティアは彼の横顔を凝視した。
しかし整った横顔は前を向いたまま押し黙っている。
「――つまり、わざと赤拷を持ち込んだ人物がいると思ってるの?」
「…………」
シャルヴァからの返事はなかったけれど、彼の無言は肯定を示していた。
「なんのために……?」
「さあな……」
グレティアの問いに、シャルヴァは素っ気なく肩をすくめた。
「でも本当に誰かのせいで兄さんが死にかけたなら――」
――絶対に許せない。
グレティアは無意識に唇を嚙み締めた。
と、そのときだった。
「う……」
ベッドの上のリゼオンが眉間に深いしわを刻み身じろいだ。
「兄さんっ⁉」
グレティアがすぐに声をかけると、リゼオンがゆっくりとまぶたを上げた。
「グレ、ティア……?」
よく知る新緑色の瞳が見えて、グレティアは安堵の息を吐き出した。
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