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第六章 すれ違う
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翌朝、グレティアは朝食の支度を済ませるとシャルヴァを呼びに行った。
結局、昨夜はほとんど眠れなかった。
憂鬱さを抱えたままシャルヴァの部屋の扉をノックする。
「お、おはよう、シャルヴァ。あの……、起きてる? 朝食はできてるからよかったら降りてきて?」
そう声をかけると、ややあって中から返事があった。
「ああ、今行く。食事の支度、感謝する……」
シャルヴァの声には昨夜のことなどなかったかのような普段と変わらない雰囲気が漂っていた。そのことにグレティアは救われたけれど、同時に不安にもなった。
「うん。下で待ってるね……」
彼がどんな感情でいるのかわからなくて、グレティアは逃げるように部屋の前から離れた。
その後、二人で朝食をとり、グレティアは兄の見舞いで診療所に行くことをシャルヴァに伝えた。すると彼は今までと同じ態度でグレティアに接し、一緒に行くと言い出した。
イーライとのことは気がかりだったが、変に断ってまた気まずい空気にしたくなかったグレティアは了承の言葉を口にした。
兄になにかあったときにシャルヴァがいてくれた方が心強いのも理由の一つだった。
(私、最低だ……)
診療所までの道のりを歩きながら、グレティアは自己嫌悪にかられていた。
兄を助けてほしいとシャルヴァを頼るくせに、報酬に自分を差し出すことになると、今度はそこにシャルヴァの気持ちがないことを嘆き始める。
自分がいかに欲の深い人間かを思い知らされた気分だ。
ちらりと横を歩くシャルヴァを見上げる。
彼は前を向いたまま歩いていたけれど、その横顔に違和感を覚えてグレティアは立ち止まった。
「…………」
「どうかしたのか?」
つられるように足を止めたシャルヴァが振り返る。
正面からシャルヴァを見たグレティアは違和感の正体に気がついた。
「ねえ、顔色が良くない。大丈夫……?」
グレティアはそう言って手を伸ばした。指先が頬に触れる直前で、シャルヴァにつかまれてしまう。
「大丈夫だ」
「でも……」
「少し、寝不足なだけだ」
シャルヴァはわずかにかすれた声でそう言うと、グレティアの手をゆっくりと放した。
と、ちょうどそのときだった。
「グレティア~」
名を呼ばれ、声がした方を見ると少女が三人、手を振りながら近づいてきた。
「おはよう。リゼオンさんのところに行くの?」
金色の髪を肩のあたりで切りそろえた少女がにこにこと微笑む。村長の娘のナタリーだ。両脇に立つ少女二人はナタリーといつも一緒にいるエマとヘザーである。
「おはよう。ええ、お見舞いに」
グレティアは笑みを返しながら彼女たちに向き直った。けれど、少女たちの視線はシャルヴァに注がれている。
「ねえ、グレティア。こちらの方は? 紹介していただける?」
ナタリーはシャルヴァをじっと見つめたままそう言った。
グレティアはげんなりとため息をつきながらも、三人の少女たちにシャルヴァのことを宿に泊まっている客だと紹介した。時忘れの森のことや魔導士の弟子であることなどは伏せておいた。全て話す必要もないと思ったからだ。
「まあ、そうなの。お客様だったのね。私は村長の娘のナタリーよ」
シャルヴァにぺこりと頭を下げた後、ナタリーはグレティアにちらりと視線を投げてきた。そして彼女は興味津々といった様子で口を開いた。
「お見舞いまで一緒に行ってくださるなんて優しい方なんですね」
ナタリーは再びシャルヴァを見上げ、うふふと笑う。エマとヘザーも賛同するようにきゃっきゃっとはしゃいだ。
「…………」
グレティアは彼女たちの態度にひそかに眉をひそめていた。
シャルヴァに興味を持っているのは明らかだったし、なによりグレティアの気分を害したのは当のシャルヴァがこの現状になにも言わないでいることだ。それどころか彼はまっすぐにナタリーを見つめたままだった。
そのことがグレティアをひどく苛つかせた。
ナタリーはとても可愛らしい。グレティアの知る限りでは、村の中で一番魅力的な少女だった。男性の多くが彼女に魅了されるのを知っている。
もしかしたらシャルヴァもナタリーに惹かれるかもしれない。
グレティアは二人のことをそれ以上見ていられなくて思わず顔をそらした。
「ごめんなさい。兄さんが待ってるからもう行くわ」
「え、待ってよ、グレティア」
グレティアがその場を去ろうとすると。呼び止める声と共に腕をつかまれた。
振り返ると、エマが上目づかいでじっと見上げてきていた。
「な、なに?」
「ナタリーさんと私たち、もっとシャルヴァさんとお話したいんだけど」
だからなに? と言い返したい気持ちをぐっと堪えて、そう、とだけ答える。
「ねえ、グレティアも一緒にお話ししましょうよ」
ヘザーがそっと身を寄せてきて耳元でささやいた。甘ったるい香水の匂いが鼻につく。
(……いやだ)
グレティアがシャルヴァに視線を向けると、彼はまだナタリーと目を合わせたままでこちらを見ようともしなかった。
目の前がかっと赤くなったような気がした。
「ごめんなさい。私、急ぐから」
グレティアはエマとヘザーの手を振り払うと、シャルヴァの脇を通り抜けた。それから診療所へ向かって駆け出す。
シャルヴァが背後でなにか言っていたけれど、グレティアはかまわずに走り続けた。
「っ……」
診療所の扉を乱暴に開けて転がり込んだ。心臓が激しく脈打っている。胸元に手を当ててグレティアは必死に呼吸を整えようとした。
「どうしたの⁉ 大丈夫かい⁉」
奥から現れたイーライが慌てた様子で駆け寄ってきた。
その手には乳鉢と乳棒が握られている。おそらく作業中だったのだろう。
「ごめんなさい。邪魔しちゃって……」
「邪魔なんかじゃないよ。なにかあった? 随分慌てていたみたいだけど」
「ううん。なにも……。なにもないわ」
グレティアは頭を振ると、走って乱れた髪を手ぐしで整えた。
そう、なにもない。
シャルヴァがなにをしようと、誰と親しくなろうと、なにひとつグレティアには関係がないのだ。自分はいわゆる性欲のはけ口でしかないのだから、嫉妬できる立場ではない。
(なんだ、私……)
感情を自覚してグレティアは大きく息を吐き出した。
もう考えちゃだめだ。
自分の気持と向き合えば向き合うほど辛くなってしまうから――。
結局、昨夜はほとんど眠れなかった。
憂鬱さを抱えたままシャルヴァの部屋の扉をノックする。
「お、おはよう、シャルヴァ。あの……、起きてる? 朝食はできてるからよかったら降りてきて?」
そう声をかけると、ややあって中から返事があった。
「ああ、今行く。食事の支度、感謝する……」
シャルヴァの声には昨夜のことなどなかったかのような普段と変わらない雰囲気が漂っていた。そのことにグレティアは救われたけれど、同時に不安にもなった。
「うん。下で待ってるね……」
彼がどんな感情でいるのかわからなくて、グレティアは逃げるように部屋の前から離れた。
その後、二人で朝食をとり、グレティアは兄の見舞いで診療所に行くことをシャルヴァに伝えた。すると彼は今までと同じ態度でグレティアに接し、一緒に行くと言い出した。
イーライとのことは気がかりだったが、変に断ってまた気まずい空気にしたくなかったグレティアは了承の言葉を口にした。
兄になにかあったときにシャルヴァがいてくれた方が心強いのも理由の一つだった。
(私、最低だ……)
診療所までの道のりを歩きながら、グレティアは自己嫌悪にかられていた。
兄を助けてほしいとシャルヴァを頼るくせに、報酬に自分を差し出すことになると、今度はそこにシャルヴァの気持ちがないことを嘆き始める。
自分がいかに欲の深い人間かを思い知らされた気分だ。
ちらりと横を歩くシャルヴァを見上げる。
彼は前を向いたまま歩いていたけれど、その横顔に違和感を覚えてグレティアは立ち止まった。
「…………」
「どうかしたのか?」
つられるように足を止めたシャルヴァが振り返る。
正面からシャルヴァを見たグレティアは違和感の正体に気がついた。
「ねえ、顔色が良くない。大丈夫……?」
グレティアはそう言って手を伸ばした。指先が頬に触れる直前で、シャルヴァにつかまれてしまう。
「大丈夫だ」
「でも……」
「少し、寝不足なだけだ」
シャルヴァはわずかにかすれた声でそう言うと、グレティアの手をゆっくりと放した。
と、ちょうどそのときだった。
「グレティア~」
名を呼ばれ、声がした方を見ると少女が三人、手を振りながら近づいてきた。
「おはよう。リゼオンさんのところに行くの?」
金色の髪を肩のあたりで切りそろえた少女がにこにこと微笑む。村長の娘のナタリーだ。両脇に立つ少女二人はナタリーといつも一緒にいるエマとヘザーである。
「おはよう。ええ、お見舞いに」
グレティアは笑みを返しながら彼女たちに向き直った。けれど、少女たちの視線はシャルヴァに注がれている。
「ねえ、グレティア。こちらの方は? 紹介していただける?」
ナタリーはシャルヴァをじっと見つめたままそう言った。
グレティアはげんなりとため息をつきながらも、三人の少女たちにシャルヴァのことを宿に泊まっている客だと紹介した。時忘れの森のことや魔導士の弟子であることなどは伏せておいた。全て話す必要もないと思ったからだ。
「まあ、そうなの。お客様だったのね。私は村長の娘のナタリーよ」
シャルヴァにぺこりと頭を下げた後、ナタリーはグレティアにちらりと視線を投げてきた。そして彼女は興味津々といった様子で口を開いた。
「お見舞いまで一緒に行ってくださるなんて優しい方なんですね」
ナタリーは再びシャルヴァを見上げ、うふふと笑う。エマとヘザーも賛同するようにきゃっきゃっとはしゃいだ。
「…………」
グレティアは彼女たちの態度にひそかに眉をひそめていた。
シャルヴァに興味を持っているのは明らかだったし、なによりグレティアの気分を害したのは当のシャルヴァがこの現状になにも言わないでいることだ。それどころか彼はまっすぐにナタリーを見つめたままだった。
そのことがグレティアをひどく苛つかせた。
ナタリーはとても可愛らしい。グレティアの知る限りでは、村の中で一番魅力的な少女だった。男性の多くが彼女に魅了されるのを知っている。
もしかしたらシャルヴァもナタリーに惹かれるかもしれない。
グレティアは二人のことをそれ以上見ていられなくて思わず顔をそらした。
「ごめんなさい。兄さんが待ってるからもう行くわ」
「え、待ってよ、グレティア」
グレティアがその場を去ろうとすると。呼び止める声と共に腕をつかまれた。
振り返ると、エマが上目づかいでじっと見上げてきていた。
「な、なに?」
「ナタリーさんと私たち、もっとシャルヴァさんとお話したいんだけど」
だからなに? と言い返したい気持ちをぐっと堪えて、そう、とだけ答える。
「ねえ、グレティアも一緒にお話ししましょうよ」
ヘザーがそっと身を寄せてきて耳元でささやいた。甘ったるい香水の匂いが鼻につく。
(……いやだ)
グレティアがシャルヴァに視線を向けると、彼はまだナタリーと目を合わせたままでこちらを見ようともしなかった。
目の前がかっと赤くなったような気がした。
「ごめんなさい。私、急ぐから」
グレティアはエマとヘザーの手を振り払うと、シャルヴァの脇を通り抜けた。それから診療所へ向かって駆け出す。
シャルヴァが背後でなにか言っていたけれど、グレティアはかまわずに走り続けた。
「っ……」
診療所の扉を乱暴に開けて転がり込んだ。心臓が激しく脈打っている。胸元に手を当ててグレティアは必死に呼吸を整えようとした。
「どうしたの⁉ 大丈夫かい⁉」
奥から現れたイーライが慌てた様子で駆け寄ってきた。
その手には乳鉢と乳棒が握られている。おそらく作業中だったのだろう。
「ごめんなさい。邪魔しちゃって……」
「邪魔なんかじゃないよ。なにかあった? 随分慌てていたみたいだけど」
「ううん。なにも……。なにもないわ」
グレティアは頭を振ると、走って乱れた髪を手ぐしで整えた。
そう、なにもない。
シャルヴァがなにをしようと、誰と親しくなろうと、なにひとつグレティアには関係がないのだ。自分はいわゆる性欲のはけ口でしかないのだから、嫉妬できる立場ではない。
(なんだ、私……)
感情を自覚してグレティアは大きく息を吐き出した。
もう考えちゃだめだ。
自分の気持と向き合えば向き合うほど辛くなってしまうから――。
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