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第六章 すれ違う
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「はあ……」
家の扉を閉めると、グレティアは大きく息を吐いた。まさかあんな物騒な空気になるなんて思いもしなかった。
温厚でいつもにこにこしていて、皆からの人望も厚く、村の少女たちからは憧憬の的となっているイーライにあんな一面があったとは――。
(びっくりした……)
ちらりと隣を見ればシャルヴァがいる。視線に気づいたのか鳶色の瞳がこちらを向いた。
「どうした?」
「その……。さっきの。イーライにあんなこと言ってよかったの?」
「あんなこと?」
「俺が守るとか俺のものとか……。そういうの……」
ごにょごにょとグレティアの声は小さくなっていった。
あの宣言はなんだかまるで恋人がするそれみたいだった。
自分以外の他の人にあんなにはっきり断言されると、言葉の意味以上の気持ちがあるのではないかと期待してしまう。
「ああ。あれくらい言っておかないと余計なちょっかいをかけてきそうだからな」
「ちょっかい?」
「――……なんだ、気づいていないのか」
「え……?」
「いや、なんでもない。――おまえはああ言われては困るのか?」
質問を返されてグレティアは目を丸くした。
「こ、困るわけじゃないけど……」
しどろもどろに答えると、シャルヴァが畳み掛けてくる。
「――あいつに惚れてるのか?」
「えぇっ⁉」
思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
それくらいシャルヴァの質問はグレティアの予想外なものだった。
イーライのことは優しくていい人だと思っているが、好きとか恋などといった感情はない。
シャルヴァがなぜそんなことを気にしたのか不可解で、グレティアは返答に一瞬の間が空いた。その刹那の沈黙を別の意味に受け止めたのか、シャルヴァは一つ息を吐き出した。
「まあ、どちらでもいい。関係ないしな……」
「え……」
「おまえが俺のものだという事実はかわらない」
「…………」
はっきりとそう言われた瞬間、胸の奥がずしりと重くなった気がした。
(あ、そっか……。私の考えるものとシャルヴァの言うものは違うんだ……)
シャルヴァがイーライに対して抱く敵対心は、単なる独占欲に過ぎないのだとグレティアは自分に言い聞かせるようにした。それ以上の意味を見出すことはできないし、見出してはならない。
「そ、うよね。私は兄さんを助けてもらったことへの報酬なんだものね……」
「そうだ」
きっぱりと言われて、グレティアは思わずうつむいた。
なぜシャルヴァの言動一つでこんなにも気分が沈むのか――。その理由にグレティアはうすうす気がついていた。けれど、今それを認めてしまったらきっとこの場で泣いてしまっていただろう。
「グレティア……?」
シャルヴァが近づいてくる気配を感じて、グレティアはぱっと顔を上げた。
努めて笑顔をつくると、腰に伸ばされた手をさりげなく避けた。
「そ、そろそろ晩御飯の支度するわ。シャルヴァは好きにしてて」
クレティアは口早にそう言うと、厨房の方へと足を向けた。
「……ああ」
シャルヴァの返事を背中に受けながら、グレティアは逃げるようにその場をあとにした。
◆
何気ない会話をしながら夕食を終え、片付けや風呂なども済ませるとグレティアは自室で寝間着に着替えた。そうしてそそくさとベッドに潜り込む。
シャルヴァには客室の一つを使ってもらうよう鍵を渡しておいた。
「兄さんは元気になってきてるんだもの。落ち込むのはやめよう」
小さく呟いて目を瞑ったときだった。
「――グレティア」
ノックと同時に扉の向こうから聞こえてきた声にグレティアはすぐに身を起こした。
「シャルヴァ……。どうしたの?」
「入ってもいいか?」
シャルヴァの問いかけに、グレティアは少し迷ってからベッドから降りて扉を開けに行った。
「なにか足りないものがあった?」
「いや、大丈夫だ……」
グレティアが訊ねるとシャルヴァは静かに首を横に振った。そのまま彼はじっとグレティアを見つめてきて、やがてその端正な顔が近づいてきた。
「――っ」
口づけをされると思ったグレティアは反射的に顔をそらした。
しかし、唇になにかが触れることはなくて、かわりに首筋に柔らかいものが触れた。次いでそこを濡れた何かが這う感覚がして、グレティアは思わずぴくりと震えた。
「っん……」
首元に口づけられるたびに、くすぐったくてむず痒いのに、なぜかそこから全身に甘い痺れが広がっていく。
「やっ……」
グレティアはぐっとシャルヴァの胸を押した。けれど彼の身体はびくともせず、逆に背中にまわされた腕に力が込められる。
そのまま身体が押されて、ベッドに倒れ込んだ。
「やだ、シャルヴァ……っ」
覆いかぶさってくるシャルヴァにグレティアはなおも抵抗したが、指を絡めるように手をベッドに押さえつけられてしまえばもう為す術はなかった。
「グレティア……」
低く甘い声が鼓膜を震わせる。熱のこもった口調で名前を呼ばれると、グレティアの全身にぞくりとしたものが駆け巡った。
「――んっ」
再び首筋を舐められて、グレティアは小さく声を漏らした。その声が恥ずかしくて思わず唇を引き結べば、咎めるようにシャルヴァの手が胸に触れた。
寝間着越しに大きな掌が乳房を包み込んだ瞬間、胸の奥がどきりとはねた。同時に顔に熱が集まってくる。
シャルヴァの唇や指が触れたところはどこもかしこも熱を宿し、気持ちよくなってしまう。
まるで本当に魔法をかけられてしまっているみたいな感覚だった。
それこそ、耳元で名を呼ばれるだけで背筋をぞくぞくとしたものがかけのぼってくるのだ。
「やっ、シャルヴァ、やめ、て……」
シャルヴァの長い指にゆるゆると乳房を揉みこまれ、グレティアはいやいやと小さく首を振った。
愛撫が痛かったからでも、不快だったからでもない。むしろ身体は快感に震えっぱなしだった。
だけど——。
こんなもやもやとした気持ちのまま抱かれるのはいやだった。
しかし、その直後グレティアは自分の間違いに気がついた。
シャルヴァと肌を重ねることは、兄の回復への報酬なのだ。そもそも、そこにグレティアの気持ちは関係ない。
そう理解した瞬間、悩んでいたことが虚しく思えた。
「——っ」
「グレティア……?」
それまで身体をこわばらせていたグレティアが急に脱力したのを怪訝に思ったのか、シャルヴァが顔を覗き込んできた。
「あいつになにか言われたのか?」
「え……?」
「様子がおかしい」
「そんなこと、ないわ……」
グレティアはゆるりと首を横に振った。その拍子にじわりと瞳に涙が滲む。
「――甘い言葉でも囁かれたか?」
グレティアの潤んだ瞳に気づいたからか、シャルヴァはグレティアに触れていた手を引っ込め、身体を起こした。
「なに言って――」
「さっきからずっとなにか考えているだろう」
「…………」
心を見透かされて、グレティアは押し黙った。
「答えられないか?」
「…………」
沈黙を貫くグレティアに痺れを切らしたのか、シャルヴァが長い息を吐き出した。それから彼は立ち上がり、グレティアに背中を向けた。
「俺に触れられるのが泣くほど嫌なら仕方ない」
「え⁉ ちがっ――」
「興が醒めた。寝る」
「シャル――っ」
シャルヴァを追いかけて、グレティアは急いで身体を起こしたが、彼は一度も振り返らずに部屋を出ていってしまった。
家の扉を閉めると、グレティアは大きく息を吐いた。まさかあんな物騒な空気になるなんて思いもしなかった。
温厚でいつもにこにこしていて、皆からの人望も厚く、村の少女たちからは憧憬の的となっているイーライにあんな一面があったとは――。
(びっくりした……)
ちらりと隣を見ればシャルヴァがいる。視線に気づいたのか鳶色の瞳がこちらを向いた。
「どうした?」
「その……。さっきの。イーライにあんなこと言ってよかったの?」
「あんなこと?」
「俺が守るとか俺のものとか……。そういうの……」
ごにょごにょとグレティアの声は小さくなっていった。
あの宣言はなんだかまるで恋人がするそれみたいだった。
自分以外の他の人にあんなにはっきり断言されると、言葉の意味以上の気持ちがあるのではないかと期待してしまう。
「ああ。あれくらい言っておかないと余計なちょっかいをかけてきそうだからな」
「ちょっかい?」
「――……なんだ、気づいていないのか」
「え……?」
「いや、なんでもない。――おまえはああ言われては困るのか?」
質問を返されてグレティアは目を丸くした。
「こ、困るわけじゃないけど……」
しどろもどろに答えると、シャルヴァが畳み掛けてくる。
「――あいつに惚れてるのか?」
「えぇっ⁉」
思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
それくらいシャルヴァの質問はグレティアの予想外なものだった。
イーライのことは優しくていい人だと思っているが、好きとか恋などといった感情はない。
シャルヴァがなぜそんなことを気にしたのか不可解で、グレティアは返答に一瞬の間が空いた。その刹那の沈黙を別の意味に受け止めたのか、シャルヴァは一つ息を吐き出した。
「まあ、どちらでもいい。関係ないしな……」
「え……」
「おまえが俺のものだという事実はかわらない」
「…………」
はっきりとそう言われた瞬間、胸の奥がずしりと重くなった気がした。
(あ、そっか……。私の考えるものとシャルヴァの言うものは違うんだ……)
シャルヴァがイーライに対して抱く敵対心は、単なる独占欲に過ぎないのだとグレティアは自分に言い聞かせるようにした。それ以上の意味を見出すことはできないし、見出してはならない。
「そ、うよね。私は兄さんを助けてもらったことへの報酬なんだものね……」
「そうだ」
きっぱりと言われて、グレティアは思わずうつむいた。
なぜシャルヴァの言動一つでこんなにも気分が沈むのか――。その理由にグレティアはうすうす気がついていた。けれど、今それを認めてしまったらきっとこの場で泣いてしまっていただろう。
「グレティア……?」
シャルヴァが近づいてくる気配を感じて、グレティアはぱっと顔を上げた。
努めて笑顔をつくると、腰に伸ばされた手をさりげなく避けた。
「そ、そろそろ晩御飯の支度するわ。シャルヴァは好きにしてて」
クレティアは口早にそう言うと、厨房の方へと足を向けた。
「……ああ」
シャルヴァの返事を背中に受けながら、グレティアは逃げるようにその場をあとにした。
◆
何気ない会話をしながら夕食を終え、片付けや風呂なども済ませるとグレティアは自室で寝間着に着替えた。そうしてそそくさとベッドに潜り込む。
シャルヴァには客室の一つを使ってもらうよう鍵を渡しておいた。
「兄さんは元気になってきてるんだもの。落ち込むのはやめよう」
小さく呟いて目を瞑ったときだった。
「――グレティア」
ノックと同時に扉の向こうから聞こえてきた声にグレティアはすぐに身を起こした。
「シャルヴァ……。どうしたの?」
「入ってもいいか?」
シャルヴァの問いかけに、グレティアは少し迷ってからベッドから降りて扉を開けに行った。
「なにか足りないものがあった?」
「いや、大丈夫だ……」
グレティアが訊ねるとシャルヴァは静かに首を横に振った。そのまま彼はじっとグレティアを見つめてきて、やがてその端正な顔が近づいてきた。
「――っ」
口づけをされると思ったグレティアは反射的に顔をそらした。
しかし、唇になにかが触れることはなくて、かわりに首筋に柔らかいものが触れた。次いでそこを濡れた何かが這う感覚がして、グレティアは思わずぴくりと震えた。
「っん……」
首元に口づけられるたびに、くすぐったくてむず痒いのに、なぜかそこから全身に甘い痺れが広がっていく。
「やっ……」
グレティアはぐっとシャルヴァの胸を押した。けれど彼の身体はびくともせず、逆に背中にまわされた腕に力が込められる。
そのまま身体が押されて、ベッドに倒れ込んだ。
「やだ、シャルヴァ……っ」
覆いかぶさってくるシャルヴァにグレティアはなおも抵抗したが、指を絡めるように手をベッドに押さえつけられてしまえばもう為す術はなかった。
「グレティア……」
低く甘い声が鼓膜を震わせる。熱のこもった口調で名前を呼ばれると、グレティアの全身にぞくりとしたものが駆け巡った。
「――んっ」
再び首筋を舐められて、グレティアは小さく声を漏らした。その声が恥ずかしくて思わず唇を引き結べば、咎めるようにシャルヴァの手が胸に触れた。
寝間着越しに大きな掌が乳房を包み込んだ瞬間、胸の奥がどきりとはねた。同時に顔に熱が集まってくる。
シャルヴァの唇や指が触れたところはどこもかしこも熱を宿し、気持ちよくなってしまう。
まるで本当に魔法をかけられてしまっているみたいな感覚だった。
それこそ、耳元で名を呼ばれるだけで背筋をぞくぞくとしたものがかけのぼってくるのだ。
「やっ、シャルヴァ、やめ、て……」
シャルヴァの長い指にゆるゆると乳房を揉みこまれ、グレティアはいやいやと小さく首を振った。
愛撫が痛かったからでも、不快だったからでもない。むしろ身体は快感に震えっぱなしだった。
だけど——。
こんなもやもやとした気持ちのまま抱かれるのはいやだった。
しかし、その直後グレティアは自分の間違いに気がついた。
シャルヴァと肌を重ねることは、兄の回復への報酬なのだ。そもそも、そこにグレティアの気持ちは関係ない。
そう理解した瞬間、悩んでいたことが虚しく思えた。
「——っ」
「グレティア……?」
それまで身体をこわばらせていたグレティアが急に脱力したのを怪訝に思ったのか、シャルヴァが顔を覗き込んできた。
「あいつになにか言われたのか?」
「え……?」
「様子がおかしい」
「そんなこと、ないわ……」
グレティアはゆるりと首を横に振った。その拍子にじわりと瞳に涙が滲む。
「――甘い言葉でも囁かれたか?」
グレティアの潤んだ瞳に気づいたからか、シャルヴァはグレティアに触れていた手を引っ込め、身体を起こした。
「なに言って――」
「さっきからずっとなにか考えているだろう」
「…………」
心を見透かされて、グレティアは押し黙った。
「答えられないか?」
「…………」
沈黙を貫くグレティアに痺れを切らしたのか、シャルヴァが長い息を吐き出した。それから彼は立ち上がり、グレティアに背中を向けた。
「俺に触れられるのが泣くほど嫌なら仕方ない」
「え⁉ ちがっ――」
「興が醒めた。寝る」
「シャル――っ」
シャルヴァを追いかけて、グレティアは急いで身体を起こしたが、彼は一度も振り返らずに部屋を出ていってしまった。
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