星乙女の涙 〜最強魔導士の歪な溺愛と堅物騎士の監視〜

桜雨ゆか

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プロローグ

 かつて世界を救った人魚の涙は、星の欠片となって乙女たちの身に宿ったという。
 星乙女――。
 彼女たちは、枯渇した魔導士の魔力を再生させ、癒やしをもたらす生きた奇跡だ。
 けれど、あまりに強すぎる光は、時として人の欲と執着を狂わせる。ゆえに、彼女たちは教会と魔導ギルドの厳重な管理下に置かれていた。それは『保護』という名の監禁であり、『監視』という名の飼育でもある。

 白い石壁に囲まれた小さな庭。
 教会の裏庭は、表通りの喧騒が嘘のように静まり返っている。
 正門の喧騒は届かず、昼下がりになると、柔らかな光が蔦の葉を透かして落ちてくる。噴水の水音と、風に揺れる草の擦れる音だけが、静かに時を刻んでいた。
 この場所はシエルカ・イルネシアにとって唯一、息を吐ける場所だった。

「……今日も、これでおしまい」

 シエルカは手にした箒を立てかけ、ふう、と小さく息をついた。
 淡い銀色の長い髪は、背中に流れるように落ち、光を受けるたび星屑を散らしたようにきらめく。大きな瞳は澄んだ空色で、感情がそのまま映るせいか、どこか危うい柔らかさを宿していた。
 華奢な身体つき。白を基調とした星乙女の衣は、清らかさを象徴するはずのものなのに、彼女が纏うとどこか儚く、壊れやすい印象を与える。

 ――守られるべきだ。

 それが彼女を見た者の、多くが抱く感想だった。

「…………」

 今日も、自分から願い出てなんとかもらえた仕事は雑務ばかりだ。
 書類の整理、受付対応、祈祷具の洗浄。
 星乙女の中でも最上位の力を持つと評価されながら、その強すぎる力のせいで実務ができないでいる。
 星脈適性があまりにも高く、回復力が突出している。その反面、感情の揺れがそのまま星魔法の暴走に繋がる危険性があるのだ。

『君はそこに座っているだけでいいんだ』
『無理に働かなくていい、君の身に何かあったら大変だから』

 周囲の優しさは、彼女を大切に想うがゆえの言葉だ。けれど、何もしないまま『特別』として扱われることは、シエルカにとって何よりの苦痛だった。だからこそ、彼女は周囲を説得し、疎まれがちな裏方の仕事を引き受けている。
 シエルカは衣の襟元を無意識に押さえた。指先に触れる鎖骨のあたり、そこに浮き出た硬く小さな銀の輝き――『鱗』の感触が、最近ひどく疼く。自分は本当に、誰かの役に立てる存在なのだろうか。

 裏庭に来ると、胸の奥に絡みついていた重さが、少しだけほどける。シエルカはそっと目を閉じ、小さく歌い始めた。それは教会で教わった聖歌ではない。もっと古く、もっと曖昧な旋律。星乙女の力の源だと語られる、人魚伝説に由来する歌。
 歌い始めると、風の流れが変わる。ざわついていた星脈がなだめられるように静まり、空気が澄んでいく。いつの間にか、小鳥が塀の上にとまり、白い猫が噴水の縁で丸くなっていた。
 当たり前のように彼女のそばに集まってくる。
 シエルカはそれに気づいて、少しだけ微笑んだ。

「……ごめんね。うるさくなかった?」

 答えが返ることはない。
 けれど、猫が尾を揺らし、小鳥が羽を膨らませる。
 そのときだった。
 庭の奥、低木の影から、不自然な音がした。

「……?」

 歌を止め、シエルカはそちらを見る。
 次の瞬間、彼女は息を呑んだ。
 そこにいたのは、魔獣だった。
 灰色の毛並みを持つ、狼に似た姿。
 だが体のあちこちに傷があり、片脚は血に濡れている。
 人の仕掛けた罠にかかったのだろうか、裂傷は深そうだ。
 黄金色の瞳が必死に何かを訴えるように揺れている。

「おいで……? 怖かったね……」

 普通なら、叫び声を上げて人を呼ぶ場面だ。
 けれど、シエルカはゆっくりとしゃがみ込み、距離を保ったまま歌を続けた。
 歌声に呼応し、シエルカの肌が淡く発光する。それと同時に、胸の奥をせり上がるような、甘く熱い疼きが彼女を襲った。

(……っ、また、この熱……)

 必死に声を震わせないよう歌い続けると、傷が目に見えて塞がり、荒れていた魔力が落ち着いていく。
 魔獣は身体をゆっくりと地面に伏せた。



 静まり返った裏庭を、二人の男が、異なる色の執着を持って見つめていた。

「……見つけたよ。僕の、愛しい人魚姫」

 影の中から見つめるのは魔導ギルドS級魔導士ルシオン・アルヴェリオ。

 彼は穏やかな笑みを浮かべ、空いた手のひらを、まるで見えない宝物を包み込むようにゆっくりと握りしめた。
 その瞳は、シエルカを外界から隠し、自分だけの檻に閉じ込めたいという強烈な独占欲に濁っている。
 彼女という清らかな器が、自分の魔力で染まり、熱に浮かされ、その果てに極上の輝きを産み落とす瞬間――。
 彼はまだ見ぬその『奇跡』への渇望に、喉を鳴らして熱い吐息を漏らした。


 一方で、高い塔の窓から魔導具を覗き込んでいたのは、同じく教会所属の騎士ロウル・クラファスだ。

「……やはり出力が異常だな。あの『鱗』が全身に回るまで、あとどれくらい保つのか」

 彼は冷徹に、シエルカの衣を透過して、その柔肌に忍び寄る銀の紋様を記録し、その『価値』を測っていた。
 彼の興味はただひとつ、彼女の持つ能力の『効率』と『寿命』だ。


 二人の男の歪んだ眼差しは、それぞれ異なる欲望を秘め、共通の獲物を狙っていた。



 当のシエルカは何も知らず、優しく微笑む。
 魔獣は、完全に傷が消えると、じっとシエルカを見つめ、それから静かに茂みへ消えていった。

(……きっと、大丈夫。またどこかで、生きていける)

 シエルカはほっと胸を撫で下ろすと、立ち上がり、空を見上げた。
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