君住む街

和久ツカサ

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第一話「プロローグ」

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 ガギャッ

 アパートのドアの鍵を閉める音が冷たく達也たつやの鼓膜の奥の奥にまで響いていく。ギターで弾くマイナーコードのように暗く、ディミニッシュコードのように不安定なその音はこれからの達也の生活を暗示しているようだ。
 達也は大学進学に合わせて上京してきてから今日までの約六年間をこの中野のアパートで住み続けたことになる。しかし今日以降ここに帰ることはもう、ない。
 
 風呂付きで三万円台という格安だった家賃に惹かれて住むことに決めたこのアパートはボロい。とにかくボロい。「ことぶき荘」なんておめでたそうな名前も一瞬で吹き飛ばしてしまうほどにボロいのだ。
 外観の壁には白から黒への絶妙なタッチのグラデーション。塗装は剥がれ落ち、錆びた鉄が剥き出しになって演出される外階段のヴィンテージ感。部屋と部屋とを仕切る薄い壁から聴こえてくる隣人の喋り声や生活音はまるでドキュメント番組のようだったし、六帖ワンルームの畳は部分部分に激しく擦れていてまるでQRコードのようだと達也は思った。

 人間の慣れは恐ろしくも素晴らしい。達也は住み始めて二か月も経てばその外観の壁や外階段の塗装の剥がれ具合も気にしなくなっていた。週末の夜になれば隣人が部屋に連れ込む彼女との情事の音声を心から楽しんでいたし、QRコードみたいな畳には万年床と洋服が乱雑に敷かれている。更にその上には趣味で収集したUKロックバンドのCDとギターのコード譜が散乱しており、携帯のカメラをかざしてみようかという気も起らなくなっていたのだった。
 達也はそんなアパートの老朽化を、えくぼや八重歯といった女性のチャームポイントのようにさえ思えていた。

 彼は心の中で呟く。

『僕は青春時代を過ごしたこのアパートを間違いなく

 ん? 愛していた? なんかおかしくね? 

 どこかこの言葉にしっくりきていない読者がいたとしたら著者はその読者を肯定したい。

 もし仮に青春時代の容れ物といえる学生時代のアパートに向けた愛着を「愛していた」などという言葉で片付けてしまう詩人がいたとしたならば、その詩人は間違いなく三流の詩人と言えるだろう。
 今の時点での達也は感情や情熱を表現する力や創造する力に乏しいと言える。そんな達也の自己表現する力、新しく何かを創造するという力の欠落がアパートを引き払うことになった原因の一つであると言ってもいい。

 大学に入学して間もない六年前の五月の終わりに、達也の夢への扉はノックされた。授業の合間に中庭で仲間とだべっていた所に軽音楽サークルのメンバー数名が達也の元に現れて、サークルへの勧誘を始めたのだ。それは達也がバンド経験者であることが、知らない間に軽音楽サークルのメンバーの情報網にまで届いていたからであった。

 プロのミュージシャンになることが達也の子どもの頃からの夢だった。高校時代には自分がギターボーカルを務めるバンドを組んだのだが卒業後の進学や就職でメンバーが散り散りになった為に解散。その後、ギターに触る頻度さえも少しずつ減っていた。ここらで肩を鳴らすのも悪くないと達也は思った。
 二つ返事で入部し、最初は集団行動が苦手で周りに馴染めなかった達也だったが、バンド経験者であるという経歴のお陰で先輩からもちやほやと甘やかされ、どんどんまんざらでもない感じになっていく。

 しばらく経てば達也自身がサークル内で集めた自分に従順な同級生メンバー三人(ギターの健二けんじ、ベースの五郎ごろう、ドラムの信也しんや)と共に結成したバンド「the brand new lover(身の毛もよだつダサいバンド名のために以下BNLと略す)」で達也はギターボーカルを担当することとなった。
 先程述べたように達也に従順であった他のメンバー三人は達也の後ろで演奏できることに感動すらしていた。特に当時の健二は「たっちゃんが歌うバンドでギターを弾けるならプロになれる気がする」と本気で思っていたほどだった。

 今となればここからもう既に達也は少しずつ喪失の深淵しんえんへと転がり始めていたのかもしれない。
 しかしまだこの頃は青よりもあおく、猿よりも三大欲求に忠実な童貞だった達也は悪い予感など微塵も感じておらず、とにかく女の子にモテたかった。
 激しく、狂おしく、その為になら世界中の野郎を敵にまわせるほどに。
 四人編成バンドでセンターボーカルを務めるとなれば学内の天使ちゃん(ヤリマンの意味)達も自分を放っておくはずがないと達也は信じていた。

 世間一般の「バンドマンであること=モテる」という方程式は大きな間違いである。バンドを組んでてモテている男は、もしバンドを組んでなかったとしてもある程度はモテている男なのだ。

 しかし、そんな男がバンドなんて組んでしまえば地で行くより倍以上に女の子からモテてしまう!

 逆を言えば元々にモテる素質の無い男がバンドを組んだとしてもモテることはない。世の中には当たり前に不平等という石ころが転がっている。石ころに躓いてこけることだってあるのだ。

 つまり正しい方程式は「本人の魅力×バンドマンであること=解」であり、話を急ぐためにここでの結論をさらっと述べると達也は絶対的に後者のタイプの男であった。

 ミスチルをこよなく愛する達也はBNLを初期のミスチルみたいなフォークロックのバンドにしたかった。従順なメンバーもそれを聞いて納得し、賛成した。しかし少しずつ、日を追う毎に確かに、達也主体のバンドの音楽性に変化が訪れていく。それは時間の問題だった。
 達也のボーカルセンスを信頼し、それに追い付きたいと努力を惜しまなかった達也以外のメンバーによる熱心な、言い換えれば暴走的にストイックな練習姿勢に、経験者でありバンドのリーダーだった達也は徐々に圧倒されてしまう。

 日を追うごとに如実に演奏力を上げていくメンバーたちを目の前にした達也が、バンド内でただのイェスマンとなってしまうにはそう時間も掛からなかった。それでもメンバーは純粋に達也のことが大好きだったし、バンドのメンバーとして自分を迎え入れてくれた達也に感謝していた。

 驚異的なスピードで演奏テクニックを向上させた達也以外のメンバーたちのスキルと感性には既存の音楽ジャンルでは収まらない何かがあった。特にギターの健二はバンドの音楽性を転換させるきっかけを常に模索しているようだった。

 結成から二年。最初はミスチルのコピーバンドから始まったBNLだったが、ギターの健二による楽曲制作における斬新な提案と、それに気圧されたリーダー達也の「うんうん」「別にいいよ」「なるほど」という気弱で優柔不断な言葉を積み重ねていうちに、その音楽性からはフォークロックのフォの字さえも失っていく。
 徐々に革命的な音楽性の変化を遂げたBNLは「ハードコア演歌」という新し過ぎるミクスチャーロックに辿り着いてしまい、高円寺・中野あたりのライブハウスシーンで熱狂的な信者ファンを作ってしまう。

 そして「日本文化を継承する現代の若者」というコンセプトでドキュメント番組を制作しているNHKのテレビスタッフがBNLの噂を嗅ぎつけ、彼らの活動に密着取材したいと申し出てきたことにより、彼らの運命の歯車が大きく動き始める。

 最初は関東ローカルでのみの放送だったこの番組が奇跡的に高視聴率を記録し、後に全国で再放送されたことによって彼らのパフォーマンスとオリジナル曲が幅広い世代層の目と耳に届くこととなった。
 番組内のライブ演奏で披露した彼らの代表曲「Fuck the OFUKUROSAN」は全国放送中に一時的ではあったが曲名がツイッターでトレンド入りしてしまう。

 そして放送をたまたま見ていた有名なロックの評論家は「まさか自分が生きている間に森進一とジ・エクスプロイテッドのミクスチャーロックバンドが現れるとは!」とBNLを絶賛。
 日本人なら誰もが知る演歌界の大御所S・Kは「天国の川内康範先生も喜んでいると思います」などとコメントする。

 BNLという新鋭バンドの出現によって関東のインディーズバンドシーンは激しく震撼していた。メンバー全員が「あれ?なんか目指してたとこと違うくね?」と疑問を抱き始めた時にはもう後戻りができなくなっていたのである。

 その後間もなく大手レコード会社のサンズレコードの完全バックアップによる試験的な楽曲制作とレコーディング、全国ツアーを経験し、千枚限定でプレス生産した自主製作アルバム「YOKOHAMA・KUTABARE!」は手売りで一年も経たずに完売してしまう。ツアーファイナルのワンマンライブではコアなロックファンのみに限らず、彼らのライブを一目見たいという高齢の森進一、五木ひろしファンが多く会場に駆け付けるというカオスな事態になる(チケットはソールドアウト)。
 アンコールでは既成のハードコアバンドによるライブではありえない手拍子と合いの手が入るという異例のオーディエンスからのレスポンスに達也は素直に感動し、ステージ上で号泣する。ライブ後のアンケートでは「冥土の土産になりました」や「おかげさんで長生きできそうです」といったコメントが多く寄せられ、メンバー全員が人間の生死について深く考えさせられることとなる。これにはさすがに達也も、戸惑う。

 BNLの快進撃は飛ぶ鳥を落とすどころか蹴散らす勢いだった。

 しかし、それも長くは続かない。

 ある日突然に事件は起きてしまった。そして不幸な事件は雪崩のように続いてしまう。それが人の人生というドラマの常である。BNLのメンバーは揃って四年で大学を卒業し、活動をバックアップしてくれていたサンズレコードからの正式なメジャーデビューも決まりかけていた時期だった。

 ギターの健二が彼女のえっちゃんとの夜の営みで避妊を怠り、えっちゃんが妊娠してしまった。健二は悩んだ末にBNLを脱退することになる。誰よりも強くバンドの成功を願って作詞作曲を行い、事務作業もこなしていた健二だったが、それ以上にえっちゃんへの愛と責任感も強かった。誰よりもバンドの為に尽力してきた健二の決断を否定する事など同じメンバーであっても誰も出来るはずがなかった。
 健二の脱退理由は徐々にネット上で広まってしまい、その結果、一時的にではあるが匿名掲示板やSNSでは「彼女が妊娠!健二がbrand new lover!www」などというバンド名があだになった誹謗や中傷が飛び交うこととなる(後にえっちゃんは長男を無事に出産。二人は幸せな家庭を築いている)。

 健二に続いてベースの五郎が脱退。ほぼ全ての楽曲の作詞作曲を手掛けていた健二がいなくなったこと、そしてサンズレコードからのデビューが白紙になってしまったことによってバンドへのモチベーションを維持することが難しくなり、脱退してしまう。

 バンマスでドラムの信也は二人の脱退によって受けた精神的なショックのあまりに引きこもるようになる。以前から生真面目で悩みやすい信也をマークしていて、この時を待っていたかのように彼の住む阿佐ヶ谷のアパートを尋ねてきた一人の男がいた。信也のアパートの近所に住んでいたカルト宗教団体「スペース・カルボナーラ教」の幹部会員の新田にったさんだ。

「宇宙の中で起こる事象なんて大小問わず、全て一皿のカルボナーラのような儚き物なのです。さぁ、お食べなさい」

 そう言いながら差し出された新田さんお手製のカルボナーラに信也は心と胃袋を掴まれてしまう。カルボナーラよりペペロンチーノ派だった信也だが素直にそれを懺悔し、悔い改めてスペース・カルボナーラ教に入会。団体の教義の通りに日夜布教に励みながらパスタを茹で、空き地や公園で炊き出しを始めた。
 一時的に精神的な回復を遂げた信也であったが、自身も毎日過剰な量のカルボナーラを食べ続け激太りし、遂には心身の身までもを病んでしまう(痛風)。果てに独り暮らしが困難になってしまい、療養の為に福岡の実家に帰ることになる(後に実家の老舗ラーメン店を継ぎ、三代目店主となる)。

 一人残った達也のソロプロジェクトと化してしまったBNLはサポートミュージシャンを迎えて達也の達也による達也のためのバンドとなる。絶大な支持を得ていたハードコア演歌から、BNL結成当初の本来の姿であったミスチル風フォークロックに舵を切り直して楽曲制作を始めた達也は「Future never knows」、「名も無き花」、「北へ南へ」などの新曲をライブで発表する。
 しかし、BNLファンのほぼ百パーセントを占めるハードコア演歌信者や、バンドを気にかけてくれていたサンズレコードの新人発掘部門のスタッフは絵に書いたようなポカン顔を浮かべて彗星すいせいごとく達也の前から消えていくのであった(願い事をする間も無く)。
 初めてのワンマンライブでBNLのライブを見てから亡き夫の遺影を片手にリハビリがてらライブに足繁あししげく通ってくれていたうめさん(78歳)も、変わり果てたBNLの姿にただただ泣きながら合掌していた(アンケートには「死ぬまでにもう一度だけあの爆音を全身で浴びたかった」とのメッセージが)。
 もしミスチルをよく知らない読者がいたらウィキペディアででもミスチルの代表曲を調べてみてほしい。その後で達也が書いた新曲の曲名を見れば、実際に曲を聴いていない読者にもこの頃の達也の表現力、創造力がいかほどの物なのかが分かるだろう。

 青春とは嘘と痛みが付き物だと誰かが言う。しかし痛みを恐れて自分の心のまま動けば動くほど代償のように痛みが強くなり、自身のありのままを疑うようになることが確かにある。達也自身が信じた使い損ねの光の羽根はあっけなくへし折られてしまった。

 健二が事務作業と経理作業を一手に引き受けてくれていた時にコツコツと貯めていたCDやグッズの売り上げの貯金があった。その貯金を健二が懸命にやりくりをしながら、レコーディングやCDの自主制作、グッズ開発や機材車のレンタカー代などに充てる為の運営資金にしていたのだ。
 
 状況は変わってしまっていた。

 メンバーがいない以上、バンドを続けていくにはギタリスト、ベーシスト、ドラマーと三人のサポートミュージシャンを雇い、彼らにライブ一本単価でギャランティを支払わなければならない。BNLのライブを見に来る客は、達也とサポートミュージシャンの彼女以外はほとんどゼロとなっており、収益どころかライブハウスから課せられるチケットのノルマがさばけず、ライブをする度に大きな赤字になっていった。

 読者もお察しの通り、財政は火の車であった。

 次第に健二が残してくれていた運営資金は底を尽き、サポートミュージシャンへのギャラはおろかライブハウスのレンタル代さえも払えなくなってしまった。結果、達也は消費者金融に手を出し、借金を雪だるま式に膨らませていく。
 最終的に消費者金融から達也の実家にまで連絡が届くようになってしまい、両親に諭され、実家に身を寄せて就職活動をすることになったのである。
 
 『健二ほどではなくとも、僕にオリジナリティや表現の才能があったら・・・』

 達也は何度もそう思っては健二と自分の才能の違いを比較し、そんなことを考えてしまう自分の心の弱さを恥じた。
 
 大家のおばさんにアパートの鍵をを返しに行くと「寂しくなるねぇ」なんて言いながら一瞬は同情の素振りを見せるも、敷金以上の修繕費とハウスクリーニング代などの説明を長々と話し始めた。金を払ったとしてもその金はあのアパートの修繕費に使われることはないだろう。なんだかいたたまれない気持ちになり、達也は大家のおばさんの説明の途中で携帯でラインを開いた。

<たっちゃんのライブでなうちオバケ見えてん ほんまに ほんまやで たっちゃんは絶対売れる うち信じてる>

 かつての恋人の桃子ももこからのメッセージだ。達也と桃子が別れてから、もう半年近くなる。達也は桃子と別れてからもこのメッセージをお守りのように何度も見つめては読み直していた。このメッセージの中にあるについては後々触れていくことになるので、読者は今はまだその意味を深く気にしないでいただきたい。達也は寂しい時、悲しい時、苦しい時、悔しい時、腹が立つ時にこのメッセージを読んではなんとか持ちこたえてきたが、BNLのメンバーがいなくなってからは寝ている時以外、これらに気持ちに当てはまらない時などは無かった。我々人間だけでなく多くの動物が持っている生物としての防衛本能によって、達也の東京生活というシーンはカットのカチンコを鳴らされてしまった。達也は精神的にも経済的にも、もうとっくに限界を迎えていた。

 自分の都合のいい支払い説明を終えた大家のおばさんは満足そうな顔をして達也に、そっとみかんを一つ手渡した。修繕費とハウスクリーニング代の数万円で一つのみかんを買っているようなこのシチュエーションに、達也の鳩尾みぞおちはスーッと冷たくなっていく。

 十月のまだ暖かい空気。右手にみかん。左手で持つキャリーバッグは田舎から上京してきた時よりも悲しいくらいに軽く感じた。

 眼に映る中野の街では今日も多くの人たちが歩いている。ギターのケースを持って歩く自分より少し若そうなバンドマンを見かけた。通りかかった公園では若手のお笑い芸人がネタ合わせをしている。

その風景の眩しさに達也は歩きながらそっと眼を閉じた。

 達也は駅に向かって足を、進める。
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