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終章
同じ空(2/2)
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王城の長い廊下を一同が行く、
「ギルドの記録と、各教会の資料や伝聞を頼りに調べたのですが……」
イルゼが手元の資料を捲る。直接戦えない彼女も、彼女なりにいろいろと手を回してくれていたようだ。
「神を捨てた神官、というのは過去にも存在したようです。もちろんほとんど例はなく、教会としては秘匿したい事実のようでしたが……」
神と魔族は絶対的な敵対関係にある。だがエリクは彼らに神の力を借りて発現させる術である信仰術を行使し、自身の口から神を捨てたと言葉にした。
神の力無くして信仰術はあり得ない。では、エリクの用いる術はいったいなんなのか。
「もともと〈光輝〉を複数、あるいは自身に用いたり、〈星域〉の常識外れな規模での展開など、本来の信仰術から逸脱した使い方をしていたのはそもそも神の力を借りずに、自分自身の力で行使していたからではないかと推測されます。つまり、信仰術という体裁ではあるものの、根源からして違う術を用いていた。そういった神に祈ることなく術を行使できる者はたびたび現れるそうで、教会では本人にそのことは伝えず普通の神官として教育するそうです」
神の力を直接借り受ける信仰術、神が授けてくれた星から力を引き出す星術。
では、自分自身の力のみを使って行使する術とは。
「神も星も切り捨てて、己自身のみを信じその力で世界に干渉する。そういった術を魔術と呼ぶそうです。そしてその使い手を魔術師と」
「魔術師、ねぇ……」
神を捨てた者。魔族の側についた者にとってはこの上ない呼称のように思えた。
「じゃああたしたち、ずっと魔術で強くなってたんだ。ぞっとするわね……」
ミアが思わず身震いした。信仰心の厚さに関わらず、この世界に生きる人間にとって神は身近な存在である。その力の一旦である星との繋がりは人間である以上必ず意識するものであるし、どんな悪人であろうと神から目を背けはしても存在を疑いはしないのだ。
「それは、某らは知らず知らずのうちに神を冒涜していたということになるのでは……」
不安に思ったシャラが女神アリエの神官であるナナカを振り返るが、
「大丈夫ですよ。神はそんなに心が狭くありません。罪を罪と知っていてなお行うことが悪なのです。それに、自分自身の力を頼りにすることそのものに罪はありません」
だからこそ教会は祈りなくして術を扱う者、いわば魔術師の卵をそれと知りつつ神官として教育するのだろう。気づかなければ力の源がどこであろうと問題はない。重要なのは神を敬っているかどうかだ。
ナナカは足を止めて、城の窓から空を仰ぎ見た。気持ちよさそうに青の中を雲が泳いでいる。夜には満天の星空になるに違いない。
「神々が我らに授けたもうた星。それは我らの道を照らす光。目指すべき行き先を示す羅針盤。それを捨て、道を違えた先には暗闇が広がっています。そこを行けば理性や知性が示す理想の世界から遠く離れていく……。全ての人々が同じ方向に向かってこそ、我らは真の幸福に満ちた理想郷へと近づけるのです。そこを目指し歩みを進めることこそが我ら人間の歩みです。ですから――」
古き神々の教え。太古の昔から続く信仰。それらが示す絶対的な答え。
「暗闇から我らの道を邪魔する者、星を裏切った者、魔族は倒さねばならない敵なのです」
「そうだな……」
フォルもナナカの隣へと歩み寄り空を眺めた。理想郷だなんだというのはフォルには少々難しい話だ。だが、神々が授けてくれた恩恵で今の人間があるのは分かる。
信仰というのものはいわば倫理そのものだ。仲間を傷つけるのは悪いこと、怪我をした人を助けるのは善いこと。そんな単純な善悪の区分を神が星を介して人間に授けてくれたのだ。神が在るから人が在る。それを敬うことはなんら不自然なことではない。
もうあの魔術師はフォルたちと同じ夜の空を見ることはできない。何の道しるべもなく、暗黒の道行を自身の直感だけで進む。終わりが、目的地があるのかすら分からない虚無への道を自ら選んだのだ。
「なぁ、こういうこと言うと不謹慎なのかもしれないけどさぁ。魔族との戦いって、いつになったら終わるんだろうな」
「それはもちろん魔族が全て滅んだら、です」
澱みない返答。決まりきった答え。
「人間と魔族はこの世に生まれ落ちた瞬間から争うことが宿命づけられているのです。狼が羊を襲うように、私たちの魂に刻み込まれた本能と言ってもいいでしょう。それは魔族も同じ事。我らが人間である限り、彼らが魔族である限り、戦いは終わりません」
人間を斬ることに大きな躊躇いを感じるフォルだが、魔族を斬ることには何ら痛痒も感じない。相手も言葉を介すし、意思を持っていると分かっているのに、だ。
生きるために動物や植物を喰らうことを、殺すことを躊躇う者がいようか。生きるということは常に何かの命の上にある。それをおかしいと罵る者こそ異端であろう。
人間と魔族の関係性はそういうことなのだ。殺し殺され、憎しみを越えた生存競争という闘争がそこにはある。和解するにはもう血が流れ過ぎた。
〈ポラリス〉の面々の遺体は見つからなかった。荒野のどこかに埋められたとするならばもう見つけることはできないだろう。代わりに城内からは砕かれた斧や、あの持ち主の体躯に合わない両手剣が見つかったそうだ。鉄は溶かせば資源になるためとっておいたのだと思われる。
同僚を喪うのは初めての経験ではない。〈瑠璃の兜亭〉に帰って来なかった冒険者をフォルは何人も知っている。そしてその全ての顔と名前をフォルは覚えていた。
「ちょっと。何二人で黄昏てんの」
廊下の先でミアが不機嫌そうに腕を組んで仁王立ちしている。
「ところでフォル。あの依頼だが、増援に来てくれた他の冒険者たちへの報酬はどうするのだ?」
「あ……」
シャラの指摘により忘れていたことを思い出す。呆れた様子のイルゼが溜息を一つ。
「何も考えていなかったのですか。これに関してはギルドは関与しませんよ。ご自身たちでなんとかしてください」
「〈瑠璃の兜亭〉の冒険者ほとんど来てましたよね……。全員分にちゃんとした報酬を支払おうとしたら結構な額になるんじゃ……」
ナナカがひぃふぅと人数を数え始めるが、途中で青ざめて考えるのを止めた。
「ちょっとフォル! アンタが依頼出す時に人数指定とかしなかったからこんなことになったんでしょ! どうすんのよ!?」
「とりあえず……全員に酒奢るか!」
がくんとずっこけたミアだったが、立ち上がると苦笑して頷いた。
「――そうね。とりあえずそうしましょ! そしてあわよくばなあなあに……」
「助けに来てくれた人たちにそれはどうかと……」
呆れ顔のナナカ。その後、結局フォルたちがアザミル城塞跡地奪還で得た報奨金は全て〈瑠璃の兜亭〉の冒険者たちに分配されることなる。
「とにかく考えるのは後にしようぜ! 皆〈瑠璃の兜亭〉で待ってる。今日は宴だぁ! 朝まで呑むぞ!!」
「おー!!」
「ええ……今まだ昼ですよ……」
「酔い潰れたお前たちを宿屋まで運ぶのは某なんだが……」
「交友関係を深めるのは結構ですが、どうか冒険者の品位だけは落とさぬように頼みますよ」
イルゼの警告もどこ吹く風。〈フォーマルハウト〉の面々は駆けつけてくれた仲間たちの待つ〈瑠璃の兜亭〉へと急いだ。
その日の〈瑠璃の兜亭〉はここ数年で最も騒がしい一日となった。多くの冒険者たちが酒を酌み交わしてのどんちゃん騒ぎ。最終的にはあの冷静なハウラや、普段酔い潰れることのないシャラでさえ撃沈したのだからその騒ぎようは推して知るべし。
その杯は今回の勝利を祝うためだけでなく、最近命を喪った若き冒険者たちやメイシス王国の兵士たちへの追悼の意味も込められていた。だからルッツも馬鹿騒ぎを止めることはない。
自由気ままに見える冒険者稼業。その実、いつ命を喪ってもおかしくはない危険な生き方。
だから彼らは酒を呑む。今日も生きていることを喜びあうために、喪った仲間の空白を埋めるために。
そこで得た縁がその身を助けることもあるのだから。
空に満天の星が輝いている。その一つ一つがこの世界に生きる人間の道行を照らしている。
ただただ漆黒の空に月だけがぽつねんと浮いている。示される道などない。それは己が決めること。
同じ空の下にあって、同じ空は見えない。
されど、別の道を往く彼らの道が再び交差するのはそう遠くない未来の話である。
星誓のフォーマルハウト・了
「ギルドの記録と、各教会の資料や伝聞を頼りに調べたのですが……」
イルゼが手元の資料を捲る。直接戦えない彼女も、彼女なりにいろいろと手を回してくれていたようだ。
「神を捨てた神官、というのは過去にも存在したようです。もちろんほとんど例はなく、教会としては秘匿したい事実のようでしたが……」
神と魔族は絶対的な敵対関係にある。だがエリクは彼らに神の力を借りて発現させる術である信仰術を行使し、自身の口から神を捨てたと言葉にした。
神の力無くして信仰術はあり得ない。では、エリクの用いる術はいったいなんなのか。
「もともと〈光輝〉を複数、あるいは自身に用いたり、〈星域〉の常識外れな規模での展開など、本来の信仰術から逸脱した使い方をしていたのはそもそも神の力を借りずに、自分自身の力で行使していたからではないかと推測されます。つまり、信仰術という体裁ではあるものの、根源からして違う術を用いていた。そういった神に祈ることなく術を行使できる者はたびたび現れるそうで、教会では本人にそのことは伝えず普通の神官として教育するそうです」
神の力を直接借り受ける信仰術、神が授けてくれた星から力を引き出す星術。
では、自分自身の力のみを使って行使する術とは。
「神も星も切り捨てて、己自身のみを信じその力で世界に干渉する。そういった術を魔術と呼ぶそうです。そしてその使い手を魔術師と」
「魔術師、ねぇ……」
神を捨てた者。魔族の側についた者にとってはこの上ない呼称のように思えた。
「じゃああたしたち、ずっと魔術で強くなってたんだ。ぞっとするわね……」
ミアが思わず身震いした。信仰心の厚さに関わらず、この世界に生きる人間にとって神は身近な存在である。その力の一旦である星との繋がりは人間である以上必ず意識するものであるし、どんな悪人であろうと神から目を背けはしても存在を疑いはしないのだ。
「それは、某らは知らず知らずのうちに神を冒涜していたということになるのでは……」
不安に思ったシャラが女神アリエの神官であるナナカを振り返るが、
「大丈夫ですよ。神はそんなに心が狭くありません。罪を罪と知っていてなお行うことが悪なのです。それに、自分自身の力を頼りにすることそのものに罪はありません」
だからこそ教会は祈りなくして術を扱う者、いわば魔術師の卵をそれと知りつつ神官として教育するのだろう。気づかなければ力の源がどこであろうと問題はない。重要なのは神を敬っているかどうかだ。
ナナカは足を止めて、城の窓から空を仰ぎ見た。気持ちよさそうに青の中を雲が泳いでいる。夜には満天の星空になるに違いない。
「神々が我らに授けたもうた星。それは我らの道を照らす光。目指すべき行き先を示す羅針盤。それを捨て、道を違えた先には暗闇が広がっています。そこを行けば理性や知性が示す理想の世界から遠く離れていく……。全ての人々が同じ方向に向かってこそ、我らは真の幸福に満ちた理想郷へと近づけるのです。そこを目指し歩みを進めることこそが我ら人間の歩みです。ですから――」
古き神々の教え。太古の昔から続く信仰。それらが示す絶対的な答え。
「暗闇から我らの道を邪魔する者、星を裏切った者、魔族は倒さねばならない敵なのです」
「そうだな……」
フォルもナナカの隣へと歩み寄り空を眺めた。理想郷だなんだというのはフォルには少々難しい話だ。だが、神々が授けてくれた恩恵で今の人間があるのは分かる。
信仰というのものはいわば倫理そのものだ。仲間を傷つけるのは悪いこと、怪我をした人を助けるのは善いこと。そんな単純な善悪の区分を神が星を介して人間に授けてくれたのだ。神が在るから人が在る。それを敬うことはなんら不自然なことではない。
もうあの魔術師はフォルたちと同じ夜の空を見ることはできない。何の道しるべもなく、暗黒の道行を自身の直感だけで進む。終わりが、目的地があるのかすら分からない虚無への道を自ら選んだのだ。
「なぁ、こういうこと言うと不謹慎なのかもしれないけどさぁ。魔族との戦いって、いつになったら終わるんだろうな」
「それはもちろん魔族が全て滅んだら、です」
澱みない返答。決まりきった答え。
「人間と魔族はこの世に生まれ落ちた瞬間から争うことが宿命づけられているのです。狼が羊を襲うように、私たちの魂に刻み込まれた本能と言ってもいいでしょう。それは魔族も同じ事。我らが人間である限り、彼らが魔族である限り、戦いは終わりません」
人間を斬ることに大きな躊躇いを感じるフォルだが、魔族を斬ることには何ら痛痒も感じない。相手も言葉を介すし、意思を持っていると分かっているのに、だ。
生きるために動物や植物を喰らうことを、殺すことを躊躇う者がいようか。生きるということは常に何かの命の上にある。それをおかしいと罵る者こそ異端であろう。
人間と魔族の関係性はそういうことなのだ。殺し殺され、憎しみを越えた生存競争という闘争がそこにはある。和解するにはもう血が流れ過ぎた。
〈ポラリス〉の面々の遺体は見つからなかった。荒野のどこかに埋められたとするならばもう見つけることはできないだろう。代わりに城内からは砕かれた斧や、あの持ち主の体躯に合わない両手剣が見つかったそうだ。鉄は溶かせば資源になるためとっておいたのだと思われる。
同僚を喪うのは初めての経験ではない。〈瑠璃の兜亭〉に帰って来なかった冒険者をフォルは何人も知っている。そしてその全ての顔と名前をフォルは覚えていた。
「ちょっと。何二人で黄昏てんの」
廊下の先でミアが不機嫌そうに腕を組んで仁王立ちしている。
「ところでフォル。あの依頼だが、増援に来てくれた他の冒険者たちへの報酬はどうするのだ?」
「あ……」
シャラの指摘により忘れていたことを思い出す。呆れた様子のイルゼが溜息を一つ。
「何も考えていなかったのですか。これに関してはギルドは関与しませんよ。ご自身たちでなんとかしてください」
「〈瑠璃の兜亭〉の冒険者ほとんど来てましたよね……。全員分にちゃんとした報酬を支払おうとしたら結構な額になるんじゃ……」
ナナカがひぃふぅと人数を数え始めるが、途中で青ざめて考えるのを止めた。
「ちょっとフォル! アンタが依頼出す時に人数指定とかしなかったからこんなことになったんでしょ! どうすんのよ!?」
「とりあえず……全員に酒奢るか!」
がくんとずっこけたミアだったが、立ち上がると苦笑して頷いた。
「――そうね。とりあえずそうしましょ! そしてあわよくばなあなあに……」
「助けに来てくれた人たちにそれはどうかと……」
呆れ顔のナナカ。その後、結局フォルたちがアザミル城塞跡地奪還で得た報奨金は全て〈瑠璃の兜亭〉の冒険者たちに分配されることなる。
「とにかく考えるのは後にしようぜ! 皆〈瑠璃の兜亭〉で待ってる。今日は宴だぁ! 朝まで呑むぞ!!」
「おー!!」
「ええ……今まだ昼ですよ……」
「酔い潰れたお前たちを宿屋まで運ぶのは某なんだが……」
「交友関係を深めるのは結構ですが、どうか冒険者の品位だけは落とさぬように頼みますよ」
イルゼの警告もどこ吹く風。〈フォーマルハウト〉の面々は駆けつけてくれた仲間たちの待つ〈瑠璃の兜亭〉へと急いだ。
その日の〈瑠璃の兜亭〉はここ数年で最も騒がしい一日となった。多くの冒険者たちが酒を酌み交わしてのどんちゃん騒ぎ。最終的にはあの冷静なハウラや、普段酔い潰れることのないシャラでさえ撃沈したのだからその騒ぎようは推して知るべし。
その杯は今回の勝利を祝うためだけでなく、最近命を喪った若き冒険者たちやメイシス王国の兵士たちへの追悼の意味も込められていた。だからルッツも馬鹿騒ぎを止めることはない。
自由気ままに見える冒険者稼業。その実、いつ命を喪ってもおかしくはない危険な生き方。
だから彼らは酒を呑む。今日も生きていることを喜びあうために、喪った仲間の空白を埋めるために。
そこで得た縁がその身を助けることもあるのだから。
空に満天の星が輝いている。その一つ一つがこの世界に生きる人間の道行を照らしている。
ただただ漆黒の空に月だけがぽつねんと浮いている。示される道などない。それは己が決めること。
同じ空の下にあって、同じ空は見えない。
されど、別の道を往く彼らの道が再び交差するのはそう遠くない未来の話である。
星誓のフォーマルハウト・了
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