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言葉で傷つける世界と癒しの言葉
しおりを挟むこの世界では、言葉に魔力が宿る。
罵倒は呪いとなり、相手の魔力を削り、心を蝕む。「ゴミ」「役立たず」「死ね」「消え失せろ」は日常の挨拶であり、戦場でも酒場でも、職場でも、誰もが互いに呪いの言葉を投げかけ合うのが常識だった。
優しい言葉は弱さの象徴。 「よくやった」「お疲れ」「ありがとう」は、 言った本人の魔力を自ら削る愚かな行為とされ、そんな言葉を口にする者は「魔力浪費者」と蔑まれ、村八分にされることも珍しくなかった。
そんな世界に、 ぽつりと落ちてきた私は転移直後の一週間で心が四回死にました。
そして決めた。
こんな世界、もう耐えられない。
だったら私が、癒しをみんなに与えてやる。
―――
森の外れ、枯れかけた古木の広場。そこに一本だけ、異様に青々とした大樹が立っていた。
私はその木の下に、木を削って簡素な看板をナイフで刻んで作った。
『癒しの言葉』
『銀貨5枚』
周囲に店も建物もない。ただ座って待つだけ。いつか誰かがたどり着くことを待ちわびて。
初日。誰も来なかった。
三日目。鎧をガチャガチャ鳴らしながら、フルアーマーの男性が来た。こちらを警戒している様子だ。
「……本当に、ここで何かしているのか?」
「はい。人を癒しています。座ってください」
「……ふざけるな。俺はそんな軟弱な――」
「銀貨5枚です」
剣士は舌打ちしながらも、興味半分なのか、渋々銀貨を投げて、地面にどっかり腰を下ろした。距離を詰めて隣に座り、手を握って温める。冷たい手は少しずつ熱が伝わって温かくなる。
「……よしよし」
「……は?」
「よしよし。よく戦ってきたね」
「……何だその、気持ち悪い……」
「よしよし。今日も生きて帰ってこれて、えらいよ」
「……っ」
剣士の肩が、微かに震えた。それを見逃さない。多くの剣士は命懸けで戦場に出て、人間や魔物と戦い、いつ死ぬか分からない職種。そんな職種が辛くないわけない。
「……よしよし。誰も褒めてくれなくても、自分がやらなきゃって、ずっと頑張ってきたよね」
「……うるさい……黙れ……」
「嫌だったら怒っていいよ。よしよし」
鎧の中から、グスングスンと鼻をすする音が聞こえてくる。頭の装備を外し、端正な顔立ちの男性の顔が出てくる。驚くが容姿で対応は変えてはいけないと視線を逸らして手を温め、撫で続ける。
「……俺は……もう……限界なんだよ……っ」
「知ってるよ。たくさん頑張ってきたもんね。よしよし」
夕日が沈みかける頃まで、彼は泣き続け、弱音を吐いた。己の弱点を初対面の女に晒し続けるほど頑張ってきた剣士に優しい心しか持てなかった。
―――
それからというもの、『癒しの言葉』は噂だけが大袈裟に広がっていった。彼は顔が広かったようで、誰も来なかった日々が嘘のように、連日色んな人が代わる代わるやってくるようになった。
冒険者ギルドの受付嬢が、魔導士ギルドの落ちこぼれが、辺境の領主の四男が──
そして──ついには、鉄の仮面と呼ばれる近衛騎士団長までが、夜陰に乗じてやってくるようになった。
「よしよし」
「よしよし、よく耐えたね」
「よしよし、えらいえらい」
私は同じ言葉を繰り返す。「えらいね」「頑張ったよね」よしよしという魔法の言葉と共に。言葉のレパートリーがないとかではない。
ある夜、黒いマントを深く被った男が現れた。
「……お前が、例の『癒し屋』か」
「はい。癒しをご希望ですか?」
「……俺をそう簡単に懐柔できると思うなよ。俺は魔王直属の──」
「銀貨5枚です。座ってください」
フンッ、と息を吐き捨てながら男は無言で銀貨を置いた。魔王軍だろうがなんだろうが、俺はいつものように、 そっと手を握り温める。そして頭を撫でて、
「……よしよし」
「……っ」
「よしよし。ずっと、ずっと頑張ってきたね」
「……何を……知ったような口を……」
「よしよし。もう、全部背負わなくていいよ。ここでは、誰も責めないから」
額を地面につけて、声を殺して泣きじゃくった。平均的な人間よりだいぶ大きな人だとは思ったけど、縮こまってもこんなに大きいままだとは。魔王軍と言われ危ないかもなど思った心はどこへやら、疲れを癒したいという気持ちが圧倒的に優先された。
「……俺は……もう……疲れた……っ」
「うん。よしよし頑張ってきてえらいね」
◆
それからさらに月日が流れた。
『癒しの言葉』は、この大陸で最も危険で、最も尊い場所と呼ばれるようになった。
誰もが一度は「よしよしされたい」と思い、そして一度来たら、「必ずまた来たい」と思う場所。そう思って貰えるように毎日ひっきりなしに来る人達と話す。
私はただ「よしよし」するだけ。
この世界では、罵倒が魔力であり、傷つけ合うことが強さであり、優しさが罪だった。それでも。たった一言の「よしよし」が、誰かの折れた心を、ほんの少しだけ、温め直してくれるなら──
私はこの木の下で、死ぬまで、いや死んでも永遠に座り続けようと思う。
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