塔の上で会いましょう

きどうかずき

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セファ・ワイザー

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「セファ様、すみません身体が動かなくなって」
 向かいのソファに座ったウィルバルドが言う。深く腰掛けティーカップとソーサーを持ったままの姿勢からぴくりともしない。
 それもそのはず、セファが彼の身体の自由を奪う魔術をかけたからに他ならない。
 口と視線だけは動かせるようにしたため、セファが髪紐を解くのを視線だけで追いかけてくる。髪紐を乱雑にテーブルに置いて立ち上がる。
 ウィルバルドは今から金の髪の姫君ではなく、灰色の髪のセファに無理やり想いを遂げられるのだ。
「すまない、すぐに終わるから」
 ウィルバルドの隣に立ち、一瞬だけ解除した隙に茶器を回収してまた魔術をかける。
「…セファ様? 何をなさるおつもりですか」
 セファの言動から、自分の身体が動かないのは誰のせいか分かっただろうに彼はセファを詰ることもせず心配そうに見上げてくるばかりだ。
「ウィルバルドは私を慰めてくれると言っていただろう。だから慰めてもらおうと思って」
 これで終わりにするから。
 そうしたらもう全部全部おしまい。
 お伽話になぞらえたこの関係も、終幕にするから。
 セファという紛い物は一人で塔を降りて、ウィルバルドは誰か別の姫君と塔を降りて幸せに暮らすのだ。


「どなたか、叶わない恋でもしたのですか」
 眼光を鋭くしたウィルバルドが言う。彼の意識も何もかも奪った方が良いことは分かっているが、どうしてもセファには出来なかった。きっとお互いに深く傷つくことは分かり切っているのに、正気のままのウィルバルドに触れたかった。
「そうかもね」
 手を身体の横に投げ出して腰かけたまま固められたウィルバルドの上に圧し掛かる。これでお終いだと思えば何でもできる気がした。
 ウィルバルドは自分の身体の上に乗ってきたセファに驚いた顔をしたが、それもすぐ掻き消され、また眉を顰めた顔に戻る。
「相手はどんな方ですか。セファ様に応えはしなかったのですか」
「優しくてお人よしの子だよ。でもあの子の求める相手は私じゃないから」
 紛い物のセファにも優しい気の良い青年で、でもセファでは彼の求める姫君にはなれなかった。
「だから自棄になって俺なんかに慰めてもらおうとしているのですか」
 悲しみと怒りを湛えた声音でウィルバルドが言う。
 それもそうだろう。彼が求める姫君ではない偽物に自由を奪われて好き勝手されようとしているのだから。
「…そうだね、慰めてよ」
 ――そうしたら終わりにするから。


 知らぬ間に泣いていたらしい。最近のセファはどうも涙腺が緩くなってしまったのか、酷いことをしている身だというのに逆の立場であるかのように振舞ってしまう。
「セファ様、腕だけでも解いてくれませんか」
 涙でぼやける視界でウィルバルドを見下ろすと何故か彼もまた悲し気にセファを見上げていた。
 ――こんな時まで君は優しいんだな。
 この人を誰にも渡したくなくてセファは首を振る。耳にかけていた銀の髪がゆるりと落ちてウィルバルドの横顔にもかかり視界には彼しかいなくなる。今だけはウィルバルドはセファのものだ。
「セファ様お願いです。貴方に害を与えはしません。俺がただの紛い物だとしても、どうか貴方の涙を拭わせてはくれませんか」
 唇を嚙みしめたまま声も出せずにいるセファに、ウィルバルドは尚も言い募った。
「……? 違うだろうウィルバルド、」
 ――紛い物は私の方だろう。君が望む金の髪ではない灰色の髪の紛い物は。
 どうしてそんなことを言うんだ、とセファは目を丸くさせる。驚いたことで大きな雫がウィルバルドの頬へ落ちてしまうがそんなことも気にしていられないほどに、今言われたことが理解できない。
 ぱち、と集中力が切れて彼の身体を縛る魔術が壊れたのが分かった。


 自由を奪う魔術が解け、ウィルバルドの腕が動く。
 きっと突飛ばされて終わりだろう、とセファは一瞬身を固めるが覚悟したような衝撃は訪れなかった。その代わり、長い腕がセファの背中へ回ってキツく抱き締められる。
「セファ様、セファ様。どうか泣かないでください。貴方に泣かれると我が身を切られるよりも痛いのです」
 セファが落とした涙の雫が伝って、泣いているような相貌でウィルバルドが言う。縋るような両腕にセファは混乱が隠せない。
 どうして彼は身体の自由を奪ってきた相手にこんなにも心を砕いているのだろう。
 どうしてウィルバルドはセファの涙が痛いと泣くのだろう。
「なんで、そんな、ウィルバルドがそんなことを言うんだ」
 辛うじてしゃくりあげなかった酷い声でセファは言う。涙がずっとセファの頬を伝うものだから、首の方まで雫の感触がする。
「貴方が叶わない恋をしているのが悲しくて仕方がないのです」
 ウィルバルドは身体の上に乗りあげているセファの胸の辺りから見上げて言う。胸が詰まった声は本当に悲しそうで抱き締めてやりたくなるのに、彼の真意が分からないセファは震えて動けないままだ。

 ウィルバルドはセファのその反応に傷付いたように顔を曇らせる。
「セファ様、貴方に応えない相手に自棄になってはいけません。貴方の唯一になりたいと思う人はそれこそ天上の星の数ほどいるのですから、」
 一息に言ったところでウィルバルドの言葉は切られ、躊躇いを示すように一度だけ視線をセファから逸らした。
 未だにセファの涙を伝わせたままの頬に手を添えても、彼は嫌がる素振りも見せずにセファを見上げるばかりだ。
「嫌ですね、触れられるとどんどん欲が出てくる」
 セファの手に頬を寄せてウィルバルドが言う。セファに聞かせるためではなかったのだろう。独り言ちた言葉は小さかったが、これだけ近くにいれば取りこぼすことなく聞こえてしまう。
「どんな欲…?」
 ぎゅうっ、と胸が引き絞られているのを実感しながらセファは言う。
 見下ろした紺青色の瞳の奥の金色はセファの銀髪の色と混ざりあってとろりと溶けた色をしている。なんで、どうして、と縋ってしまいたい気持ちが希望と不安の合間で揺れていた。

「貴方の星になれなくて良いと思ったのに、懲りずにそう願ってしまうのです」
 何かを諦めるように一度強く瞼を閉じたウィルバルドが言う。先ほど強くセファを抱き寄せた両腕は、今は触れるばかりに緩まっている。
 ウィルバルドの口から星になりたいと言われるのは数度目だ。だが、セファが知っている星と彼が求めるものはどこか違うような気がした。
 ――だってこの口ぶりではまるで、
 まるで自分たちがお互いに何か思い違いをしていて、あと少し手を伸ばしてしまえば恋焦がれたものが手に入るのではないか。ウィルバルドの瞳は、セファの心に希望を抱かせるには十分すぎた。
 いつの間にかセファの涙は止まっていた。


「ウィルバルド、私の恋が叶ったら君はどう思うんだ?」
 両の手でウィルバルドの頬を包んでセファは言う。
 セファが思い描く星ならば、友人として姫君を癒した天上の星ならば、姫君の恋が成就したならば煌めいて喜ぶだろう。
 ――だがもしも、もしも彼の思う星が違ったならば、
 腹の底が浮くような心地を抱えたまま返答を待つセファの胸へ、ウィルバルドが額を埋める。伏せられる寸前の顔は苦し気なように見えた。
「……貴方が幸福ならば、俺はきっと嬉しいと思わなければならないのでしょう」
 くぐもった声からはいつもの彼の朗らかさはない。
 空になっていた両手を彼の頭に添わせてみれば、ウィルバルドの腕に少しだけ力が籠もった。セファの背中へ回った腕が微かに震えているのが分かった。
 俯いたまま言われた言葉は、セファが欲しくて、でももらえるはずがないと思っていた言葉だった。

「ですが俺にはできそうにありません。セファ様……、俺は紛い物だから貴方の唯一になれないことくらい分かっています。ですがどうして俺では駄目なのですか。どうして俺は貴方の星になれないのですか」

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