塔の上で会いましょう

きどうかずき

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ウィルバルド・デニス

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 ――セファ様にお茶に誘われてしまった……。
 副長官室に備えられたキッチンにて、無言で菓子類を並べながらウィルバルドは未だに夢かもしれない、と思っていた。
 先ほど扉の前に立っていたウィルバルドに、セファはぽつりと「良い紅茶を貰ったが紅茶は好きか?」と問いかけてきた。
 セファと消灯時間に接するようになって一ヶ月ほど経つが、日々の短い時間での雑談は大抵仕事や魔術、あとはウィルバルドの故郷に関することが少しで、今回のパターンは予想もしていなかった。想定外の会話であったため返答が遅れるという失態を犯してしまったが、セファは特に気にしてはいないようで密かに胸を撫でおろした。
 正直、セファの声音で発せられた「好きだろうか?」に恋を覚えたての若者のように思考が囚われていたためセファへの返事が遅れたのだが、不名誉であるためなかったことにした。自分の失態はなかったことにはするが、セファの言葉自体はしっかりと心に刻んだこともまた人に言えない秘密に加えておいたウィルバルドである。
 セファはどうやら、お茶に誘ってしまったことに後悔をしたのか茶葉を分けてくれようとしたが、軽く混乱したウィルバルドが前のめりに共にお茶がしたいと言ったため、こうして二人でキッチンスペースに並ぶこととなったのである。


 先ほどまで雑談をしていた片恋の君は、今は沸かした湯でティーカップを温めている。
 確か生まれは貴族筋であったと記憶しているが、手つきに迷いはなく余計な手出しは邪魔だろうと盗み見るに留めている。
 ウィルバルド自身は、北方の限りなく農民に近い貴族のような家で生まれ、年の離れた妹と二人きり、または母親も含め三人で召使もなくティータイムをすることがあったためお茶には慣れている。
 ――いや、慣れているってなんだ。妹や母親とするティータイムはこんなに緊張しないし、いっそ団長や国王陛下とのお茶の方が断然いい。醜態さらしても首を落としてくれれば済む……!
 ぐるぐると考えるほどに目の前の皿に盛られる菓子の種類は増えていく。
 きっとセファ様はこれから夕飯だろうから、と必死の自制心によって量は減らしているが、ちょっとつまむで済む量は既に超えている。
 ――セファ様はお疲れなのにこんなに菓子を出して、引き留めようとしているみたいに思われないだろうか。
 一旦皿へ出してしまったものを戻すこともできず、ウィルバルドは辛うじてうめき声は出さないものの限りなく自己嫌悪に陥っていた。
 セファは、ウィルバルドが塔を閉める時間が遅くなると怒られないか? と言ってきたが、塔を閉めるのは泊まり込みをする魔術師への予防だけで盗人や火事の心配がないこの場所は、いつ閉めようが怒られはしない。
 むしろウィルバルドの方が強引に付き合わせているのではないか、と思いながらセファを見やるが、茶葉を量る横顔は嬉しそうに見える。願望が十割だろうが想い人が楽しげであるなら、もうどんな醜態を晒しても良い気がしてきたウィルバルドである。
 セファ様が疲れた顔をしたならばすぐに切り上げよう、と密かに決意した。



 セファが淹れたお茶とウィルバルドによって盛られすぎた菓子皿を、応接スペースへ運び向かい合わせに座る。何のお導きか、想い人と向き合って茶を飲むことになったウィルバルドは、実家での家族とのティータイムに猛烈に感謝をした。
 厳密にはウィルバルドにサーブをさせた上、折角やるならばと容赦なく作法を叩き込んだ自分の母親と、年齢があがるにつれ母親に似てきた妹に。
 あの頃はどうせ家族しかいないならば気にしなくていいだろう、と思っていたが、今だけはこの国の守護神に捧げるほどの感謝を言いたい。だってお陰で、セファが淹れてくれた紅茶と菓子類を応接テーブルへ運び、ウィルバルドの心行くままセファにサーブすることができた。いつもは砂糖を入れるが菓子受けがあるときはストレートだという情報まで聞いてしまった。
「紅茶が好きなんだな」
 セファが淹れてくれた紅茶を、セファと共に飲める幸せを甘受していると、勘違いしたセファが何の気なしに言ってきた。
「え、ええ。種類に詳しいというわけではないんですが、好きですね……」
 セファ様が、なんて浮いたセリフは、色男でもないのだから言えるはずもなくて、ウィルバルドは紅茶を一口飲んだ。

 セファからすればきっと何てことのない、だがウィルバルドからすれば貴重な雑談をしていると、セファの視線が菓子皿に移った。セファの手元にある皿は空になっており、次に何を食べようか思案しているように見えた。
 ――さっきは小さなスコーンと砂糖菓子を盛ったから、次はビスケットをお出しして良いだろうか……?
 副長官室に備え付けられたキッチンには菓子が数種類あり、セファにお茶を誘われて混乱したウィルバルドは、とりあえずほぼ全種類を盛った。氷の魔術がかかった箱に入れられた、明らかに人数分を購入したであろう生菓子には手出しはしなかったが、それにしても多い。
 二人の間にある大皿には、あと一回ずつそれぞれの皿に取分けられるほど菓子が残っている。
 ――もういらないだろうか? もしかして、もう切り上げたいのにまだ菓子があるから、と考えておられるのではないだろうか…?
 いらないと言われたら大人しく帰ろう、と思いながらセファにおかわりを問いかけてみる。セファは何故かちろりと眉をひそめたが大人しく皿を渡してきた。
 ウィルバルドにはセファの表情の意図は分からなかったが、不要であれば拒否するだろうとビスケットを取分けることにする。
 最初に取分けたときに好感触だった砂糖菓子も追加して彩りを加えてみる。
 星屑のような形で小指の先ほどの大きさの砂糖菓子は、ウィルバルドが生まれ育った北方が発祥だ。お伽話に出てくる星の子を模した形で、色ごとに味が変わる。
 最近王都に進出したとかでまだ知名度はないはずだが、流石にあれだけの種類が揃っていれば物珍しさで購入したのだろう。

 先ほど小さなケーキと併せて取分けてみたが、セファは砂糖菓子を口に入れて転がしたあとに少し顔を和ませていた。
 セファが食べているところを見たい一心だけで取分けたウィルバルドは、セファのその表情に得も言われぬ満足感を感じていた。セファが目を細めていたのは、注視していなければ気付けないほど僅かな時間だったが、自分の馴染み深いものを気に入ってもらえるだろうかと、期待と不安をないまぜにしつつ見ていたウィルバルドが見逃すことはなかった。
 他人の一挙一動も見逃したくないと思う気持ちなんて初めてで、ああ自分は本当にこの人を恋しく思っているのだ、とここ一ヶ月で慣れた胸の痛みを思う。
 ウィルバルドとてまだ青年の域ではあるものの、もう成人の儀も済ませた大人だ。
 だがセファを前にすると、まるで初恋のような、いやお伽話に出てくる姫君へ抱いていた憧れ混じりの淡い気持ちより余程強い、渇望じみた想いに胸を締め付けられる。
「ああ、ありがとう」
 目の前の麗しい人は、ウィルバルドがそんな思いを抱えていることも露知らず、取分けた菓子を見て穏やかに礼を言った。
 セファが皿を見る様子から、取分けた量と種類が彼の満足のいくものであったことを確信したウィルバルドは、残りの菓子を消費しようと自分の取り皿を取った。
 顔には出さない程度に機嫌よくトングを持っていたウィルバルドだったが、セファの視線が砂糖菓子を見て、それからウィルバルドに移ったのを目の端で見て、腹の底が浮くような気持ちを抱いた。
「…先ほど気に入ったようでしたので取りましたが、違う味のほうが良かったですか…?」

 自分の馴染み深いものを食べている姿がもう一度見たい、という完全に個人的な欲望で取分けたため、察して嫌悪感を抱いているのかもしれない、とウィルバルドは凍り付いた。
 断じて邪な気持ちでの行動ではない。しかし全くそういう気持ちがないとも言い切れないため粗相をした心地になる。
 もう一度取分けようか? でももう大皿には残っていないし、とおろおろとしているとセファが片手で摘まんだ砂糖菓子を振りながら言った。
「ふふっ、そういうわけではないんだ。さっき美味しかったから、…嬉しいよ」
 だからそんなに不安そうな顔をしないでくれ、とくすくす笑った顔に、ウィルバルドはしばらく呆けた心地になった。
 星屑のような紫の砂糖菓子とセファの紫紺の瞳がちらついて、眩いほどに綺麗だった。
「良かったです。……俺の、一番おすすめです」
 ウィルバルドは、何とかそう返すことができた自分を褒めてやりたい気持ちになりながら胸を撫でおろした。


「このお菓子はまるでお伽話に出てくる星屑みたいだね」
 セファが砂糖菓子を持ったまま言う。きっとモチーフになっている有名なお伽話を思い出したのだろう。
 ウィルバルドは、一番好きな物語をセファが話題にしてくれたことが嬉しくなる。
「塔の上の姫君の話ですか? 俺、この消灯当番になって塔に登るようになってから何回か思い出しました」
 実際思い出していたのは何回どころではなく毎日だが、それを言う勇気はないウィルバルドのことなど知らず、セファは頬を緩めて言った。
「私は魔術師の家系に生まれたからか、何となく迎えに来てもらいたいと思ったね。魔力があることや髪が長いことは魔術師特有のものだけど、何故かあのお伽話に重ねてしまって」
 結うことなく下ろされた髪を見るセファに、ウィルバルドは自分の心臓がばくばくと跳ねるのが分かった。
 北方ではあのお伽話になぞらえ恋人に髪紐をもらうために髪を伸ばす者が多い。一筋だけ伸ばす者や全体的に伸ばす者と様々だが、皆いつか自分だけの恋人から髪紐をもらうことを期待しているのだ。ウィルバルドも北方にいたときは後ろ髪を一束だけ伸ばしていた。最も王都へ出るときに旅立ちの意を込めて髪を切ってしまったが。
 王都では男性も女性も髪の短い人が多いため、そんな風習はないのだと思っていた。
 だが、あのお伽話が伝わっているならば…。

 ――セファ様が髪を結わずにいることに期待してもいいのではないか? このお方に髪紐を贈るような存在が今はいないのではないか?
 ウィルバルドはそう考え、外見だけは平然とした風を装って聞いた。
「そういえば魔術師殿は髪が長い人が多いですね」
 実のところ魔術師殿が髪を伸ばしているかどうかではなく、セファが髪を伸ばしていることこそが問題なのだが、恋仲でもない男が急に髪紐の話をしても気味が悪いだろう。辛うじて働いたウィルバルドの理性が押し留めた。
「それこそあのお伽話のように髪に魔力が溜まっているから伸ばしている人が多いね。慣習にも近いから伸ばさない人もいるけれど」
 ウィルバルドの問いにセファは片側に流した髪に触れて答える。ランプの灯りに照らされて柔らかな橙色が銀色を覆っている。
 ウィルバルドはセファの動作にも気を取られるが、同時に彼の返答に浮き立つような心地を抱いた。
 姫君を重ねて見ている人が、恋人もいないまま迎えに来てくれる誰かを待っていると言っているのだ。ウィルバルドにも希望があるのではないかと勘違いしてしまうのも仕方がなかった。
 だがウィルバルドが一瞬抱いた淡い期待は、続けられたセファの言葉に粉々に打ち砕かれることとなった。


「そういえば君たち消灯当番も塔の下から通う所が似ているね」
 笑みを浮かべながら銀の髪を撫でていたセファが、その穏やかな顔のままそう続けたのだ。
 あのお伽話で、姫君と塔を降りたのは天上から落ちてきた星の子で、塔の下から通っていたのは有象無象の魔の物だ。
 塔の下から通っているのは事実であるから、きっとセファ以外に言われたのならば笑って肯定していただろう。
 だが、自分こそが共に塔から降りたいと思っている相手に言われるとなると話は変わってしまう。
 ウィルバルドは自分の顔が強張っているのが分かったが取り繕うことなどできなかった。
「……俺は星にはなれませんか?」
 ――いつか貴方の手を引いて共に降りることができる星の子に。
 懇願するようにウィルバルドはセファに問いかけたが、彼は戸惑って身体を固くするばかりだ。
 今のウィルバルドで足りないのならば努力するから。だからどうか、いつの日かセファにとっての星にしてくれないだろうか。
 採決を待つ罪人のようにセファの言葉を待った。

「君は星にはなれないと思うよ」

 ウィルバルドでは彼の星の子にはなれない。きっぱりと告げられた事実は心の柔らかいところを抉った。
 どうして、と喚きたい気持ちとやはりか、という諦めが混ざってしまう。
 このひと月であんなに笑いかけてくれたのに。彼が夜遅くまで塔に残っていることも、心のどこかでウィルバルドに会うためなのでは、と期待していたのに。
 一方で一介の騎士であるウィルバルドには、魔術師の最高峰に坐する彼とは釣り合わない。だからそう言われてしまうのも当然だろうとも思った。
「……そうですか。貴方の心を慰めるだけでもしたい、と言ったら迷惑でしょうか?」
 こんなにもこの人に惹かれてしまっては、他の人を自分の姫君にするなんてできるわけもない。姫君のような髪の色だけでなく、ウィルバルドへ微笑む顔に焦がれてしまったのだ。もう彼以外はウィルバルドが追い求めていた姫君にはなれないだろう。
 ならばせめて自分がもう星の子にはなれないとしても、ただの有象無象の魔の物だとしても、目の前にいるセファを慰める手伝いがしたいと思った。

『魔物達は初めて心のこもった贈り物をされたことに喜んで彼女を快く送り出しました。』

 いつかセファの前に本物の星の子が現れてしまうまで。
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