塔の上で会いましょう

きどうかずき

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ウィルバルド・デニス

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「君はあの話の最後は好きか?」
 セファとお茶をするようになってひと月が経とうかという頃、彼から投げかけられた問いにウィルバルドは顔が強張るのが分かった。
 セファがいう話とはあのお伽話のことで、最後とは姫君が塔を降りるときのことに相違ない。
 もし自分が彼の手を引いて降りることができるならば、そのエンディングはこの上ないハッピーエンドだろう。だがウィルバルドはこれまでに二度も、セファの星の子にはなれないと言われている。
 塔に群がる有象無象の魔の物は、良い所友人止まりの哀れな存在だ。
 姫君に捧げものをして尽くすが、最後は天から落ちてきた星の子に姫君を奪われる。残された魔物は姫君から賜った髪紐を後生大事に抱えて生きる。
 星の子になれないウィルバルドにとってその最後は、
「俺にとっては悪夢ですね」
 ――考えたくもない終幕だ。

 言い方を間違えた、と慌てる間もなく強い語調で発せられた言葉は優しい姫君にぐさりと刺さってしまったようだった。
 紫の瞳を大きくさせたセファが声を震わせて言う。
「そう、だよな。…でも、君を星にはしたくないよ」
 ほろほろと雫を頬に伝わせてセファが泣く。
 宝石よりも美しい紫の瞳から静かに涙が零れ落ちる様子に胸が痛む。彼を苦しめるつもりはなかったのに、星の子になれぬ身ではうまくいかない。
 用が済んだら捨てる星の子未満の紛い物に同情したのだろうか。彼が望むだけの慰めを与える、それだけでいいのに。
 ウィルバルドは自分の方がよほど哀れたらしい声で言った。
「泣かないでください、今だけは貴方を慰める存在でありたいと思います。だからどうか、」
 ――どうか、紛い物の俺からの気持ちでも満たされてくれませんか。
 セファが求める存在になれないことが、ウィルバルドは不甲斐なくて仕方がなかった。



 翌日、ウィルバルドはセファがメモしてくれた簡単な地図を片手に目的地とおぼしき家の前に立っていた。太陽はまだ空の中腹にあるが、冬が近付いている今の季節ではあと二時間ほどで日が落ちるだろう。
 昨夜のティータイムはセファが泣いてしまい早々にお開きになった。
 休みの前日であったため、また週明けに会いましょうと言ったところ袖を引かれ、やり直したいから、と誘ってくれたのだ。ウィルバルドよりも年上であるにも関わらずいじらしいセファの仕草に歯噛みしたのは秘密だ。
 ――さっき広場を通る時に三の鐘が鳴ったから、丁度いい時間だろうか。
 常であれば休日は二日連続で与えられるが、よりによって今日の午前中だけ勤務が入ってしまった。午後とそれから明日は急な呼び出しもない正真正銘の休みだ。
 午前は勤務があることを伝えたところ、午後においで、と微笑んでくれた。
「三の鐘の頃、皆が休憩するような時間がいいな」と言われ否があるわけもなく頷いた。
 午前中の勤務終了を告げる鐘が鳴った瞬間からウィルバルドの頭の中はこの約束でいっぱいになり、逸る気持ちを抑えながら寮へ帰った。
 今日の任務は汗を掻くものではなかったが、想い人の家に誘われて二人きりならば少しでもよく思われたい。城に併設された騎士用の寮にある自分の部屋へ戻り、軽く水浴びをしてから新しめのシャツを着て、それからたっぷりと迷った結果、いつもと同じ騎士団のジャケットを羽織ってセファの家へ向かった。
 セファが気に入っていた砂糖菓子を、馬鹿の一つ覚えのように買うことも忘れずに。


 扉の前で数秒目を閉じてからチャイムを鳴らすと、奥から足音が聞こえてきた。
 お手伝いさんだろうか、と思って待っていると扉を開けたのは想い人その人であった。
「…! こんにちは、セファ様」
 内心はとても驚いたウィルバルドであったが、彼自ら出迎えてくれたならばこれほど嬉しいことはない。目を細めて挨拶をした。
 尚、ウィルバルドが驚いて固まった顔も嬉しそうに笑った顔も、丁度逆光になっていたのでセファに気付かれることはなかった。

 応接間に通されてソファーを進められる。
 向かいに座るセファは首元を寛げたシャツとトラウザーズでいつもと異なる出で立ちだ。目元は昨日泣いていたため目元が少し赤く腫れている。その程度では彼の魅力は損なわれず、それどころか優艶さが増しているようにさえ感じる。
 貴方に惚れている輩を家にあげ、ましてや使用人もつけず二人きりになんてなるべきではないですよ、と言いたくもなるが、彼にとっては自分はただの紛い物だ。ウィルバルドは自嘲染みた気持ちになる。
 向かいに座るセファを見やると、何か楽しいことがあったのか声を漏らして笑っていた。想い人の愉し気な仕草につられて微笑んだ。
 艶っぽいセファを直視するのはウィルバルドには荷が重いため視線を逸らすと、テーブルの傍らに置かれているワゴンに気付いた。太ももまでの高さのそれにはティーポットが乗っている。
「セファ様、紅茶はこれを淹れるのですか?」
 セファに見惚れて呆けそうになる自分を叱咤してお茶の用意をしようと腰を浮かす。場所がどこになろうとセファに尽くすことこそがウィルバルドの優先事項だ。
 座ったままのセファは、背中へ流していた髪の束を胸元へ持ってきてソファーへ深く背を預ける。
 そのときになってウィルバルドは初めて気付いた。いつも下ろされている銀の髪がゆるく編まれ、青色の髪紐で結ばれていることに…。
 セファの銀色の髪にまるで蛇のように忌々しく青が絡まっている。セファがまとう紫や銀ではないその色は、セファが誰かを想って結ったことが容易に分かってしまう。
 ウィルバルドは今日呼ばれたことの意味を理解し、先ほど緩んだ頬が固まるのを頭の隅で自覚した。
 ――セファ様は、紛い物ではない本物の星の子を見つけたのだ。
 大方、今日は最後のティータイムとなるのだろう。魔の物達へこれまでの労をねぎらい、これで終わりだと告げる時間となるのだ。


『魔物達は初めて個として認識され、心のこもった贈り物をされたことに喜んで彼女を快く送り出しました。
 彼女が持つ豊かな髪が、もう自分たちの手の届くものではないことに気付いたからです。
 それならば手元にあるものを大事にしようとそれぞれの住処に帰りました。』


 塔の下に集う魔の物であれば、姫君の友人である彼らであるならば、喜ばなければいけないのにウィルバルドには祝うことなどできそうになかった。




 セファに紅茶を淹れてくれと頼まれ、ウィルバルドは故郷を離れて以来久しぶりに紅茶を淹れた。
 きっと今日が最後だと思うと絶対に失敗したくはなかった。
 だが、いざセファへ出してもいいと思える出来の紅茶が淹れられた時は、彼との残り時間を思って胸が引き絞られる心地になった。
「今日はあの砂糖菓子はないんですね。良ければ、」
 少しでも共にいる時間を伸ばしたくて、持参した砂糖菓子を出そうとジャケットの内側へ手を伸ばすが、固い声をしたセファに遮られる。
「ああ、今日は食べたくなくて」
 ――本物の星の子を見つけた今、紛い物の俺から星を貰っても気味が悪いだけだろう。
 ちっぽけな砂糖菓子に意味を込めていただなんてこの人は知らなくていい。セファが本物の星の子と砂糖菓子を食べて、そんな男もいたなと笑うのでも、それはそれでいいと思えた。ああ、それともセファが選ぶ星の子はこんな子供じみた菓子は食べないかもしれない。
 どちらにせよ今胸元に入れた砂糖菓子はセファに食べてもらうことはないのだ。
 味気ない寮に帰り、セファの思い出を数えながら食べるのもきっと幸福ではあるだろう。
 ウィルバルドはそう思いながら、布地の上から砂糖菓子の箱と痛む胸を押さえた。

 セファが紅茶を飲んで美味しいと微笑む。
 美しい笑みなのにセファの髪に絡まる青色が視界をチラつく。心なしセファの表情が固いように見えるが、紛い物に見せる笑みなどそういうものだろう。
 ウィルバルドはそう受け止めて紅茶を飲む。
 セファと飲む最後の一杯だと思うと味などするわけがなかった。だが、彼がいるだけで極上の甘露であることに変わりはない。ウィルバルドはここ最近ですっかり慣れた笑みを浮かべた。
 ウィルバルドがセファの元から手放されるにしろ茶会のサーブだけはやりとげようと、全然食べ勧められていないセファの皿を下げるためにカップをテーブルへ置こうと動かす。しかし腕が動くことはなかった。
 腕の違和感に端を発し、他の部位にも力をいれてみるが身体は丸ごと動かない。ウィルバルドは内心焦りを覚える。痛くはないし、首から上は動くようで息もできる。ただ身体の節々をピンで留められたかのように動けない。
 こんな芸当は魔術師の中でも上位の者しかできないだろう。いや、目の前にいる魔術師は元々一人しかいない。ウィルバルドの動きを制限することに意味を持つ人なんて、一人しかいないのだ。
 わざと遠回りをさせた思考でも術の大元に辿り着いてしまったウィルバルドは、絶望的な気持ちで目の前の人の名前を口に乗せる。
 ウィルバルドの身体を縫い留めているのは、

「セファ様…?」

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