天才・新井場縁の災難

陽芹孝介

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第五話 海上攻防戦・後編

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  倒れている桃子に懸命に呼び掛ける縁……すると、桃子の綺麗な腕が少しだけ動いた。
  縁はそれに反応し、再び呼び掛ける。
 「桃子さんっ!おいっ!桃子さんっ!」
  目を閉じた桃子の顔はとても美しく、人形のようだった。
  すると縁の呼び掛けに、うっすらと目を開ける。
 「え……にし……」
  縁は一瞬安堵の表情をしたが、再び険しい表情で言った。
 「桃子さんっ!」
  桃子は少し笑い、そして囁くように言った。
 「縁………うるさい……」
  意識を取り戻した桃子だったが、体が怠いのか……すぐには立ち上がれず、しばらくその場に座り込んだ。
  縁は桃子に言った。
 「ごめん……桃子さん……俺が一人で行かせたばっかりに……」
  縁は歯痒そうな表情で下を向いている。
  そんな縁を見て桃子は言った。
 「謝るな……私も油断した……。お前の言う通り、焦るとろくな事がないな……」
  縁はまだ下を向いている。
  桃子は縁を気遣うように呼び掛けた。
 「縁……」 
  縁は言った。
 「俺も……桃子さんの事言えないよ。桃子さんが監禁された時……俺もすげぇ焦った……。桃子さんに焦るなって言っておいて、ざまぁないよ」
  自分を責める縁に、桃子は優しく言った。
 「でも……お前は、私を見つけてくれた」
  その言葉に縁は驚き、桃子を見た。
  桃子は立ち上がった。
 「とりあえず……水分を採りたい。喉がカラカラだ……」


  ……2035号室……


  一度部屋に戻った二人は、桃子の水分補給のついでに、これまでの事を整理する事にした。
  縁は言った。
 「桃子さん……高山さんが死んだよ……」
  桃子は飲んでいたペットボトルの水をテーブルに置いた。
 「死んだ……だと?……」
  縁は言った。
 「遺書のような物があり、自ら毒を盛って自殺した……事になってる」
  桃子は縁の表情を見て言った。
 「なってる?……なるほど……縁は自殺と思っていないのだな」
  縁は頷いた。
 「ああ……これのお陰でね……」
  縁は桃子の着け爪を取り出した。
  桃子は自分の親指を見て言った。
 「そういえば……剥がれ落ちていたのか」
  縁は言った。
 「この着け爪のお陰で……高山さんが殺されたとわかった……お手柄だよ桃子さん」
  縁のお手柄と言う言葉に、桃子は機嫌を良くした。
 「お手柄……私の機転が、縁の閃きに繋がった……」
  縁はボソッと呟いた。
 「落ちた事に気付かなかったくせに……」
  縁はスマホを取りだし、何処かに電話を掛けた。
  桃子は言った。
 「誰に連絡をするんだ?」
  縁はスマホを耳に当てながら言った。
 「有村さん……。高山さんが死んだ事を伝えなきゃ……」
  電話が繋がったのか、縁が言った。
 「あっ、有村さん?……報告しなきゃいけないことが……」
  縁は有村にこれまでの事を話した。
  縁から話を聞いた有村は電話越しからでも、わかる程深く溜め息をついた。
 「はぁぁ……そうかい……でも、桃子ちゃんが無事で良かった……」
  縁は言った。
 「そっちの動きは?」
  有村の声に元気は無かった。
 「現在午後3時だ……これだけ動きがないところを見ると……」
 縁が言った。
 「フェイクか……」
 「その可能性が高くなってきたよ……」
  縁は少し感心して言った。
 「だとすれば巧妙なフェイクだよ……。この船に乗っているのは富裕層ばかり……75億円の身代金はかき集めれば用意できない事もない……目眩ましするには、十分だ」
  有村は言った。
 「爆弾もハッタリの可能性も……」
  縁は否定的に言った。
 「爆弾はおそらく、ほんとだと思う……。もし爆弾がハッタリで、仕掛けられていないと、こっちにばれた場合……計画はその時点でパアだ」
  有村は言った。
 「しかし、爆弾は発見されてないのだろ?」
  縁は表情を険しくした。
 「そうなんだよ……。それより、紅い爪の本命は?検討ついてんの?」
  有村は言った。
 「ある程度ね……」
  縁は少し驚いて言った。
 「動きが早いな……」
  有村は少し声を明るくした。
 「その言い方はないんじゃない?……てか、ある人の助言だけど……」
  縁は表情をしかめた。
 「ある人?」
  有村は慌てて話を変えた。
 「あっ、そうだ……縁に聞かれていた事だけど……」
 「素性がわかったのか?」
 「だいたいはね……」
  有村は縁に頼まれた、それぞれの人物の素性を話を始めた。
 「まず殺された船のオーナーの堂上だが……なかなかの曲者でね。実業家と表では聞こえは良いが……高金利の金融業を生業にしている」
  縁は怪訝な表情をした。
 「金貸しか……」
 「それだけだったら……可愛いもんだけど……高山っていたろ?殺された……」
  縁は呆れ気味で言った。
 「だいたいわかってきた……」
  有村は言った。
 「高山ってのは、経営状態の良くない会社の経営者に、儲かる投資話を持ちかけて……言葉巧に投資させる」
  縁は言った。
 「なるほどね……投資にかかる資金を、堂上から借りさせるって訳か……」
  有村は言った。
 「経営状態の悪い会社に銀行は金を貸さないからね……資金を必要としている経営者にとって、高山からの話しは、砂漠にオアシスだよ……」
  縁は表情を歪めた。
 「詐欺師か……」
  有村は言った。
 「現に高山は捜査二課にマークされてたみたいだよ……。後の人物の事は、現在調査中……わかったら連絡をするよ」
  縁は言った。
 「ああ……こっちもさっさと片付けたい」
  有村は真剣な声で言った。
 「くれぐれも無茶するな……船長には脱出の準備も視野に入れて行動するよう、言っておく」
  縁は有村との電話を終えて、桃子に言った。
 「オーナーと高山が繋がったよ……殺された理由はだいたい見えてきた……」
  桃子の表情も険しい。
 「これからどうする?あまり時間をかけると……危険だ」
  縁は頭をかいた。
 「確かに……桃子さんの言う通り、時間をかけるとその分、リスクも高まる」
  桃子は表情をしかめた。
 「しかし……爆弾はいったいどこに?」
 「仕掛けられているのは、確かだと思うけど……ここまで見つからないと、少し自信が無くなる……」
  縁は顎を撫でながら少し考えた。
  高山が殺害されたのは……縁と桃子がギャラリールームにいる間に、犯人が高山の部屋に浸入し……桃子が機械室を調べている間に殺害した。
  問題はその後だ。縁が桃子を追って機械室に行く前に、犯人は桃子を襲った。
  しかし、その後……犯人は何処に消えた?
  縁が機械室に行くまでには、階段を降りて一本道で……誰にも会っていない。
  桃子を襲って逃げたのなら、縁と鉢合わせするはず……非常口の前はロッカーと移動式の棚で、塞がれていた。
  だとすれば、犯人は縁と必ず鉢合わせするはず。
  縁は呟いた。
 「何かを見落としてる……」
  そして犯人は何故あれを?
  桃子は縁を呼んだ。
 「おいっ!縁!」
  縁は桃子の呼び掛けに気付かず呟いた。
 「あれを見ている時のあの人の表情は……まるであの時の……ジジイみたいだった」
  桃子はさらに大きな声で言った。
 「おいっ!縁!聞いているのか?」
  縁はやっと桃子の呼び掛けに気付いた。
 「えっ?何?」
  桃子は呆れ気味に言った。
 「えっ?何?……じゃ、ないだろ?これからどうする?」
  縁は言った。
 「犯人の動きは気になるが……とりあえず爆弾だよ」
  桃子は表情をしかめた。
 「しかし、爆弾何処に?そもそもどうやって仕掛けたのだ?」
 「それは元々仕掛けておけば……出港前や、その他に色々チャンスはあるよ」
  桃子は憮然とした表情で言った。
 「しかし、無いではないか……そもそも爆弾魔は何処へ行った?」
  縁は言った。
 「爆弾魔は多分この船にはいないよ……仕掛けてから逃げたんだよ……。うん?」
  縁は呟いた。
 「逃げた……まさか」
  桃子は言った。
 「どうした縁?」
  縁は言った。
 「俺たちは根本的に間違っていたのかも……だとすればあの時の発煙筒は……」
  するといきなり船内アナウンスが鳴った。
  アナウンスの内容は船に緊急事態が発生したので、救命ボートで脱出すると言った内容だった。
  縁は言った。
 「このタイミングで脱出だって?」
  桃子は言った。
 「爆弾が見つかったのか?」
  縁は険しい表情をした。
 「いや、そんなはずは……爆弾はおそらく遠隔式だ……脱出の動きが紅い爪にバレると爆破されるぞ!」
  縁はスマホを取り出して言った。
 「俺は船長に連絡を入れるっ!桃子さんは木山さんに」
  桃子もスマホを取り出した。
 「わかった!」
  しかし、電話は繋がらない。 
  縁はスマホを睨み付けた。
 「くそっ!ダメだ!繋がらない!」
  桃子も言った。
 「こっちもだ……コールは鳴るが……気付かないのか?」
  縁は部屋のドアを少し開き、外の様子を伺った。
  通路には船員、乗客が溢れており混乱気味だ。
  船員は老人、子供を優先し……先導している。
  縁は外に出て対応に追われている、女性船員に聞いた。
 「脱出って、どういう事ですか?」
  縁の問い掛けに、船員は少しイラつきながら答えた。
 「私にもわかりません!船長の命令ですから……あっ、そこ並んで!押さないで!」
  船員も少し混乱しているようだが……訓練を積んでいるためか、何とか混乱を押さえて先導している。
  縁は人混みを縫うようにA区間の方へ向かった。
  桃子も縁の後を追った。
  縁の向かった先は甲板だった。
  縁は甲板の柵に身を乗り出し、海を見渡した。
 海上保安庁の巡視船には……動きは無い。
  縁は言った。
 「有村さんと相談しての判断か?……何がどうなっている?」
  船の動きに連動して、巡視船も必ず動く……そうなれば爆破される恐れがある。
  縁は一つの可能性を思いつき、目を見開いた。
 「解除したのか?爆弾を……」
  すると桃子もようやく縁に追いついた。
 「どうなっている?説明しろ!」
  桃子の息は上がっている。
  縁は息の上がった桃子を見た。
  桃子は言った。
 「それにしても……人の数が凄い……まるで壁だ……」
  縁は呟いた。
 「壁………」
  縁の目は再び見開いた。
 「わかった……」
  縁は悔しそうに言った。
 「こんな簡単なカラクリ……くそっ!何で気付かなかった!」
  縁が一人で悔しがっていると、タイミング良く縁の携帯が鳴った……。有村からだ。
  縁は電話に出た。
 「もしもし……有村さん……今脱出の準備をしてるけど、もしかして……」
  縁は頷きながら、有村と話している。
 「ああ……それと、あの人の素性って………ああ……そうか……わかった。俺たちも脱出する」
  縁は電話を切った。
  桃子は言った。
 「縁………」
  縁は空を見た。
  空は相変わらずの快晴で良い天気だ。事件さえ無ければ最高の一日であったはずだが……。
  縁は言った。
 「ピースは揃った……」
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