天才・新井場縁の災難

陽芹孝介

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第五話 海上攻防戦・後編

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   ……警視庁捜査本部……


  捜査本部は緊張感が全体を支配していた。
  有村が大声で言った。
 「船に異変は!?」
  刑事の一人が言った。
 「異変はありませんが……救命ボートで続々と……出てきていますっ!」
  有村は複雑な表情で言った。
 「海上保安庁に船との距離を保ちつつ、人質の身柄確保を急がせろっ!」
  時間が残されていないと、考えた時……一瞬の判断の遅れが命取りになる。
  すると、有村の隣に座っている麦藁帽子の少女が言った。
 「ミスターアリムラ……海上保安庁を引かせて下さい……頃合いです」
  有村は驚いた様子で少女に言った。
 「何だって!?」
  少女は言った。
 「海上自衛隊を向かわせています……人質確保はそちらに……」
  有村は怪訝な表情で言った。
 「どういう事だい?」
  少女は机の上に地図を広げ、5つのポイントを押さえて言った。
 「そして、このポイントを封鎖し検問を……時間がないのでしょ?」
  少女はうすら笑みを浮かべている。
  有村は上司の警視長の表情を見た。
  警視長は険しい表情で黙って頷いている……。従えと言うことか?
  有村は苦笑いをし、次の命令を言った。


  ……Queensship甲板……


  縁は海上保安庁の巡視船に動きを感じた。
 「船が引いている?……どういう事だ?」
  桃子は展望鏡で海を見渡し、縁に叫んだ。
 「縁っ!別の船がこっちに向かってるぞっ!……あれは……」
  縁は桃子に言った。
 「ちょっと……見せてっ!」
  縁は桃子から展望鏡を取り上げた。
  縁が覗くと……そこには何隻もの海上自衛隊の船がこちらに向かっている。
 「海上自衛隊?このタイミングでどうして?」
  桃子が言った。
 「海上保安庁と交代か?」
  縁は顎を撫でながら呟いた。
 「どうして?………」
  縁は目を見開いた。
 「まさかっ!…………」
  すると、甲板に船員がやって来た。
 「こんなところで何を!?早く脱出をっ!」
  操縦士の守川だった。
  守川は縁と桃子だと気付いた。
 「君達か……アナウンスが聞こえなかったのか?脱出するぞ」
  縁は守川に言った。
 「脱出とは?爆弾が見つかったんですか?」
  守川は首を横に振った。
 「俺にもわからんが……脱出命令が出たんだ……。なら、する事は一つだ乗客の脱出を最優先する事だ。さぁ君達も脱出を……」
  縁と桃子は無理矢理守川に連れられ、甲板を後にした。


  ……操縦室……


  船長の神田は操縦室から前方に広がる海を見ていた。
  操縦室には神田が一人だけだった。 
  すると、木山が操縦に入ってきた。
  神田は振り返る事なく言った。
 「状況は?」
  木山は言った。
 「90%は脱出済みです……」
  神田は振り返らない。
 「そうか……あと少しだな……」
  木山は言った。
 「何故か海上保安庁が撤収し、海上自衛隊に変わりましたが……」
  神田は言った。
 「どちらにせよ、我々を救出してくれる事には変わり無い……」
  木山は言った。
 「我々も脱出を……」
  神田は言った。
 「先に行け、木山……。私はまだここを離れる訳にはいかん……」
  振り返らない神田の背中に木山は言った。
 「しかし、船長を置いて……」
  神田は言った。
 「私は船長だ……船員と乗客が無事脱出するまでは……離れる訳にはいかない……。行ってくれ、私もすぐに行く」
  木山は真剣な面持ちで神田の背中に敬礼をし、操縦室を出た。
  神田はその場を動かず、ひたすら海を見ている。
  神田は何を思い、何を考えていたのだろうか……船長としての責務か、それとも別の何かか……。
  やがて救命ボートが次々と海上自衛隊に救出されていく。
  それは、操縦室から肉眼でも確認できた。
  すると、神田は呟いた。
 「永かった……しかし、やっと終わる」
  すると、もう誰もいないはずの船の操縦室からそこ声は聞こえた。
 「何が終わったんだ?」
  神田は思わず振り返り、操縦室の出入口を見た。
  そこには縁がいた。
  神田は目を見開いて呟いた。
 「新井場様……」
  縁は言った。
 「まだ終わらない……終わらせないよ」
  神田は言った。
 「こんな所で……何をしているのですか?皆さん脱出しています……貴方も早く」
  縁は言った。
 「そうはいかない……」
  神田は怪訝な表情で言った。
 「何故ですか?」
  縁は言った。
 「あんたが、堂上と高山を殺害した犯人であり……そして、この船を死に場所に選んでいるからさ……」
  神田の表情は変わった。
  しかし、すぐさま表情を戻した。
 「私が二人を?……そんな事よりも早く脱出を……いつ爆破されてもおかしくないんですよ……」
  縁は口角を上げた。
 「爆破はされない……何故ならば爆弾は解除され、それをあんたが持っているからな……」
  神田は言葉を詰まらせた。
  縁は言った。
 「爆弾はとっくに解除されていたのさ……あんたの手によってね」
  神田は少し笑った。
 「はは……何を言ってるんです?」
  縁は言った。
 「解除されていなければ、脱出に踏み切らない……あんたは有村さんに「爆弾は見つからなかったが……念のために乗客を避難さす」と言ったそうだな……」
  神田は言った。
 「船長として当然の処置だと思いますが……そもそも最初から爆弾など無い可能性もあります」
  縁は言った。
 「そんな可能性が無い事は、あんたが一番わかっている事だろ?」
  神田は少し目をピクつかせた。
  縁は言った。
 「高山が死んだ時にあんたは「これで後は爆弾犯だけだ」と言ったな……どうして殺人犯と爆弾犯が別人だと知っている?あの時点ではまだ、同一犯の可能性もあったはずだ」
  神田は黙っているが、縁は続けた。
 「つまり、あんたが殺人犯で爆弾を仕掛けておらず……さらに爆弾を発見した人物だから出た言葉さ……」
  神田は言った。
 「それだけで犯人扱いとは……」
  縁は言った。
 「あんたが爆弾を解除してなければ、この船はとっくに爆破されているよ……爆弾はおそらく遠隔式……だとすれば爆弾犯はこの船にいない……爆弾犯も巻き添えを食らうからね……」
  縁は続けた。
 「仮にこの船に乗っていたとし、爆破後脱出したとしても……回りは海上保安庁の巡視船に囲まれている……逃げ場は無い」
  神田は黙って聞いている。
  縁は言った。
 「では、起爆装置を持っている爆弾犯は何処に?……陸?違う……。だが、一つだけ船から離れて起爆装置を作動し、船の爆破を近くで確認できる場所がある」
  縁は海を指差し言った。
 「そこにプカプカ浮いていた、海上保安庁の巡視船さ……」
  縁は続けた。
 「紅い爪は海上保安庁が出て来る事を予測して、工作員を巡視船に潜り込ませたのさ……。だから有村さんは海上保安庁を撤退させて、救助を海上自衛隊に変更した」
  神田は言った。
 「その話は私には関係ありませんが……」
  縁は言った。
 「確かに……あんたには関係ないね……爆弾騒ぎさえ利用できたら……」
  神田はまたもや縁の言葉に反応し、表情をピクつかせた。
  縁は言った。
 「あんたは爆弾騒ぎを利用したんだ……。まずあんたは発煙筒で乗客と船員の恐怖心を煽り、D~F区間を閉鎖し、その区間の人気ひとけを薄くした……」
  神田は黙って聞いている。
  縁は続けた。
 「そしてあんたは堂上の部屋を訪れて、堂上を刺殺……。その後に木山さんを使い、俺と桃子さんを呼びに行かせ、ついでに堂上の死体を発見させた……」
  神田は目を閉じた。
  縁は続けた。
 「その後、会議室に集まった俺達と少し話し合い……船内アナウンスを使って乗客を部屋に閉じ込めて、俺と桃子さんがギャラリールームにいる間に高山の部屋に浸入した」
  縁は神田の様子を伺ったが、神田は目を閉じたままだ。
  縁は言った。
 「そして、桃子さんが1層目に向かったところで、高山を毒殺し……貴方も1層目に向かい、桃子さんを機械室で襲った」
  神田は閉じていた目を開いた。
 「新井場様……残念ですがそれは無理です……。新井場様も機械室に行かれたのでしょ?高山様の部屋から1層目の階段に向かうには、必ずギャラリールームの前を通らないと行けません。私が犯人だとすれば、貴方に出くわすはずですよ」
  縁は首を横に振った。
 「階段はもう一つだけある……非常口の階段さ……」
  神田はまたもや表情をピクつかせた。
  縁は続けた。
 「貴方は高山を殺害した後、一般の階段とは反対方向の非常口の階段を使い、F区間の機械室に行き、桃子さんを襲って非常口に閉じ込めた。非常口の出入口をロッカーとキャスター付きの棚で塞いでね」
  神田は薄ら笑いをして言った。
 「だとすれば、なおさら私には無理ですよ……非常口の出入口を塞いだのなら、私は非常口を使えなくなる……だとすれば、必ず貴方と鉢合わせします」
  縁は言った。
 「それがそうでもないんだよ……FとE区間の機械室は繋がっている……俺がF区間の機械室に入るのを見計らって、貴方はE区間の機械室に入り、そこから通路に出たのさ……」
  神田は少し焦った表情をしたが、縁に食い下がった。
 「だとしても、貴方がEとF、どちらを先に入るかなんて私にはわかりませんよ……」
  縁は言った。
 「確かに……でも、F区間の機械室の通路に出る扉と、Eの機械室に繋がる扉は、どっちも引き戸だ……」
  神田の目は見開いた。
  縁は言った。
 「貴方は扉と扉の間で、俺が来るのを待って、反応があった扉の反対側を使い逃走した……扉を壁代わりに使い、俺の死角を潜ってね」
  神田は反論した。
 「だとしても私が犯人だと言う証拠はありませんっ!これまでの話は全て憶測でしょ?証拠を見せて下さいっ!」
  縁は言った。
 「まず高山が自殺でない根拠は……青酸カリの入った瓶だ……」
  神田は目を見開いた。
 「瓶?」
  縁は言った。
 「高山の部屋には飲食をした形跡は無かった……服毒自殺をしたのなら、青酸カリの入った瓶に高山の唾液が付いているはずだ……もし、付いてなかったら自殺をしていない立派な証拠だ」
  神田は少し興奮ぎみで言った。
 「それだけで私がやった証拠にはならないっ!私がやった証拠だ!」
  縁は少し息を吐いた。
 「ふぅ~……」
  そして言った。
 「証拠は……あるぜ」
  神田はさらに目を見開いた。
  縁は操縦席を指差し言った。
 「操縦席にある、その布に包まれた物が……証拠だっ!」
  縁は続けた。
 「桃子さんは機械室でそれを発見して、犯人に襲われた……それは犯人しか持っていない物だ!高山の部屋にもなかった……」
  明らかに神田はうろたえている。
  縁は言った。
 「桃子さんを襲った犯人、つまり高山を殺害した犯人は……その神山泰山の絵画……子供の肖像画を持っている……神田船長、あんたが犯人だ!」
  神田は下を向いた。
  縁は言った。
 「あんたが犯人でないのなら……見せれますよね、それを……」
  神田は言った。
 「小笠原桃子でなく、新井場縁を注意すべきでしたか……」
  縁は言った。
 「どういう事だ?」
  神田は言った。
 「この船に警察がいない中……有名推理作家の小笠原桃子が、私の障害になると思いました……。ところが、貴方のような高校生が、有名作家の裏にいたとは……」
  縁は言った。
 「殺害したのは怨みからですか?」
  神田は言った。
 「それもそうですが……本当の目的はこの絵です」
  神田は優しい目をして、布に包まれた絵画を……我が子のように抱き抱えた。
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