天才・新井場縁の災難

陽芹孝介

文字の大きさ
上 下
76 / 76
第十四話 川と山と百合根町

しおりを挟む
  縁は研究所の外に向かって走っていた。大崎は研究所内にいないと、考えていたからだ。
  研究所に戻る前に、環境省からこの研究所の見取り図を入手していた。
  研究所設立の認可のために、原が提出した物だった。見取り図には地下室の存在も記されていたが、大崎はそこにはいないだろう。
  覚醒剤を密造しているとなれば、記されている地下室はフェイク……つまり密造場は研究所の別の場所にある。
  縁は研究所を飛び出すと辺りを見渡した。
  すっかり日が落ち、暗くなった山頂は少し肌寒い気温だったが、縁がそれを感じる事はなかった。
 「何処だ?……あれは?」
  縁の視線の先には研究所の車が停めてあり、その後ろにプレハブ小屋がある。おそらく物置小屋だろう。
  縁は物置小屋まで走ると、勢いよく引き戸を開けた。
  小屋の中にはポリタンク等、表向きの調査に使用する道具などが並べられていたが、すぐに異変箇所に気付いた。
  隅の方に地下に続く階段らしきものがあったのだ。階段の入口のそばには、ビニールシートが雑に置かれている。おそらく普段は、そのシートで隠しているのだろう。
  縁は迷う事なく階段を駆け降りた。
  階段は数秒で駆け降りる事が出来たが……その先で見た光景に、縁は目を見開き、絶句した。
縁の視覚に襲いかかったその光景は、まさに狂気と表現するの一言だった。
  薄暗い部屋の奥に、木製の椅子にロープで縛られ、口には人工呼吸器のようなマスクが覆われており、ぐったりした瑠璃の姿がそこにはあった。
  人工呼吸器の管の先には、怪しげなフラスコがあり、そのフラスコの中には美しいエメラルドグリーンの液体が入っている。
  フラスコは小さな三脚に固定されており、その下にはアルコールランプが設置してある。
  そして、瑠璃が縛られている椅子のすぐそばにある棚で、大崎は何やら準備していた。
  大崎は縁の存在に気付いていたが、それを無視して棚をガサガサ物色している。
  縁は大崎に見向きもせずに、瑠璃へと進んで行く。
  すると大崎はようやく縁に対応した。
 「邪魔しないでくれ……実験準備をしてるんだ」
  薄ら笑いする大崎の表情も、この空間にマッチし、狂気染みていた。
  しかし縁は、大崎の制止を無視して瑠璃に近付く……。すると大崎は縁の肩を手を当てた。
 「止まれよ……研究の成果は実験によって立証される」
  すると次の瞬間だった……。縁は大崎の腕を掴んで肩をひねり、躊躇う事なく大崎の肩を外した。
  ゴリュっという鈍い音が、部屋に小気味悪く響くと同時に、大崎は悲鳴を上げた。
 「ぐわぁぁーーっ!」
  大崎は肩を外された激痛で、その場にしゃがみこみ、苦悶の表情で肩を抑えている。
  縁は瑠璃に繋がれたマスクをすぐさま外して、瑠璃に声を掛けた。
 「雨家さんっ!雨家さんっ!……しっかりしろっ!」
 「うっ……うぅん……」
  縁の声に反応した瑠璃は、気を失いながらも、呻き声を上げた。
 「気化する前か……間一髪だったな」
  アルコールランプに火が着き、液体が気化されていれば、瑠璃の身体に異変が起きていただろう。
  すると大崎は肩を抑えながら縁に言った。
 「なんて事を……」
  縁は大崎を睨み付け、胸ぐらを掴んで大崎を立たせて、そのまま棚に大崎を押し付けた。
  ドカッと激しい音が部屋に響き、大崎はまたもや苦悶な表情をした。
 「研究者が……自分の研究に挑戦するのは、当然だろっ?」
  瑠璃を危険なめに遭わせたにも関わらず、悪びれた様子のない大崎に、縁は怒りの表情を滲ませて、大崎の顔面を思いっきり殴った。
 「ふぐわっ!」
  大崎は表情を歪めたが、縁の拳は止まらない……。一発、二発、三発と……縁は大崎を殴り続ける。
  縁は一段落大崎を殴ると、目を見開いて大崎に言った。
 「研究?……そんな事……二度と言えないようにしてやるよ……」
  狂気染みた縁の表情に、大崎は本能的に危険を感じて恐怖した。

  一方の桃子は縁の行方を追っていた。所内を駆け回り、発見した地下室も調べたが、当たり前のように縁はいなかった。
  桃子が研究所の外に出ると、外は騒然としていた。
  パトランプの回ったパトカーが数台と、それらを牽引する少女が一人いた。
 「君は……」
  桃子が目を丸くした先には、FBIのキャメロンがいた。
  キャメロンは桃子に気付くと冷笑した。
 「お久しぶりね……ミス・オガサワラ……」
 「縁に助力していたのは……君だったか……」
 「共通の標的がそこにあるのだから、当然でしょ?」
 「共通の?」
 「スクランブル・スピリットよ」
  キャメロンの言葉を聞いた桃子は納得した。スクランブル・スピリットとは、やはり縁が向こうにいた当時に出会った物だと。
 「ところでエニシは何処へ?」
  縁の居所を聞くキャメロンに、桃子は再び目を見開いた。
 「そうだっ!縁は?縁を見ていないか?」
  取り乱す桃子に、キャメロンは怪訝な表情を向けた。
 「何があったの?」
 「実は……」
  その時だった。
 「きゃぁーーーーーっ!」
  空にも響きそうなその悲鳴は、桃子とキャメロンは勿論の事、パトカーから降りた警官達の耳にも刺さった。
 「悲鳴……!?……瑠璃だっ!」
 「あの小屋からよっ!」
  キャメロンの視線の先には、研究所の物と思われるプレハブ小屋があった。
 「まさか二人の身に……」
  血相を変えている桃子に、キャメロンは言った。
 「いや……悲鳴の主はともかく……。その逆かも……」
 「逆……だと?」
 「とにかく急ぎましょう……」
  桃子とキャメロンは、警官達を引き連れて、プレハブ小屋に突入した。
 「縁……」
  桃子の胸騒ぎは、瑠璃の悲鳴によって、益々と膨れ上がった。

  プレハブ小屋の地下にいた縁は、大崎をさらに追い詰めていた。
  大崎の苦痛の叫びに、目を覚ました瑠璃は、その光景に恐怖している。
 「言え……クライアントは誰だ?」
 「うぅぅーー……」
  答える気があるのかないのか、大崎は肩の痛みのせいで呻き声をあげるだけだった。
  縁は大崎の胸ぐらを掴んだまま、大崎の腹部に強烈な膝蹴りを見舞った。
 「がぼぉーっ!」
 「悲鳴はいいからさっさと答えろよ……」
  縁のその言動に、いつもの姿はなかった。
 「もうやめてっ!新井場君っ!」
  縛られたままの瑠璃の叫びも虚しく、縁はさらに大崎を追い詰める。
  縁は大崎の外れていない腕を掴んで、肩を思いっきり外した。
  再び部屋には、ゴリュっという鈍い音が響く……。
 「ぎゃあーーーーっ!」
 「さっさと言えっ!クライアントは誰だっ!」
 「かっ、肩がぁっ!肩がぁーっ!」
  大崎の両腕はブラリとだらしなく垂れており、その姿は奇形と呼ぶに相応しかった。
  縁はぶら下がった大崎の腕を持ち上げ、今度は人差し指を掴んだ。
 「今度は一本づつ指をへし折る……」
  まるで拷問を提案する縁の目は、狂気じみているを通り越して、虚ろになっており、大崎はその目に恐怖し、確信した。
  ……ハッタリではない……と……。
 「わかったっ!いっ、言うよ……。『クロネコ』だっ!クロネコって言っていたよっ!」
 『クロネコ』……。大崎の口から出たその言葉を聞いた縁は、さらに目を見開き、ふるふると震え出した。
 「てめぇ……でまかせ言ってんじゃ……」
  縁の反応にさらなる危険を感じた大崎は、首を横にブンブンと振って、縁に嘆願した。
 「嘘じゃないっ!本名は語らなかったが、確かにクロネコって、言っていた。そっ、そうだっ!手の甲に『ウロボロスの刺青』があったっ!」
  大崎が語るクロネコの特徴に、縁はさらに驚愕した。
  驚愕し、放心する縁に、大崎はさらに嘆願した。
 「俺は指示されただけだっ!そのクロネコと、原に……。俺は悪くない……ただ出回った事のないドラッグの研究をやりたかっただけだっ!」
  縁は嘆願する大崎を再び睨み付け、腹部に再度膝蹴りを見舞った。
 「くぶぉーっ!」
 「何が研究だ?……造ってたって事は、アレがどんなドラッグか知ってんだろ?」
  縁に痛みつけられた大崎は、ダメージが深く壁にもたれ掛かり、縁に胸ぐらを掴まれて、ようやく立ってられる程だ。
 「二度と造れねぇように、全部の指をバラバラにしてやる」
  縁の宣言に、瑠璃は縛られながらも、縁に叫ぶ。
 「もうやめてっ!新井場君っ!……やめてぇーっ!」
  瑠璃の叫びが部屋に響き渡った時だった。
 「縁っ!」
  現れたのは桃子で、その後ろにはキャメロンもいた。
  桃子の目に写った光景もそうだったが……それよりも、縁の様子に驚きを隠せなかった。
 「縁……か?」
  桃子の目に別人とも写る程に、縁は豹変していた。
  桃子だけではない……キャメロンも、後に続く警官達も……その異様な光景に言葉を失っている。
 「桃子さん……邪魔するなよ……。二度とスピリットを造れねぇよにしねぇとなぁ……」
  ブツブツ囁く縁は、不気味ささせも感じさせ、桃子は身体が固まった。
  すると瑠璃は桃子に叫んだ。
 「小笠原さんっ!新井場君を……新井場君を止めてっ!」
  瑠璃の叫びに我に帰った桃子は、急いで縁を背後から羽交い締めにした。
  縁が羽交い締めにされた事により、大崎は立っていられなくなり、そのまま地べたに崩れ落ちた。
  桃子に羽交い締めにされた縁は、必死に抵抗した。
 「離せっ!……離せよっ!コイツは……コイツは……」
  縁は既に錯乱気味だった。
 「止めろっ!縁っ!その男は……もう意識がないっ!」
 「関係ねぇっ!」
  抵抗を止めない縁に、桃子は叫んだ。
 「普通に生きるんだろっ!」
  桃子のその叫びに、縁は抵抗を止めると同時に、脳裏にブワッと甦った。
 『君は……普通に生きろ……』
  憑き物が取れたような表情になった縁は、そのまま地べたに崩れ落ち、崩れ落ちた縁を桃子は無理やり振り向かせ、そのまま強く抱き締めた。
 「普通に生きるんだろ?だったら……そんな顔をするな……」
  桃子に強く抱き締められた縁は、目を見開いていたが、やがてゆっくりと目を閉じた。
 「桃子さん……」
 「なんだ?」
 「力が強い……痛いよ……」
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

エルモ
2016.07.04 エルモ

主人公二人の掛け合いがとても面白いです!笑いあり、たまにアクションあり……謎解きの展開も面白く、楽しんで読ませてもらっています!
大変でしょうが、頑張って下さい!

解除

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。