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2.濡れたグラスの向こう側
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「やっぱ変?」
「あんたそれ何回聞くの。シャツにズボンなんて変になりようないでしょ」
母はため息を吐きながらも遥希のファッションショーに三十分は付き合っていた。本人としては穏やかにコーヒーを飲んでいたいのだが、リビングに置いてある鏡で服を合わせるものだから嫌でも目に入るのだ。
「そんなにこだわるなんて珍しいわね。なに、デート?」
「だから違うって」
「でも岳ちゃんじゃないんでしょ?」
岳ちゃん、とは千田のことである。元は千田の母がそう呼んでいたのだが、数年前の反抗期により強制終了させられた。しかし、人の母となっては強くは言えないらしく、岳ちゃんと呼ばれるたびに恥ずかしそうに返事をしている。
「Tシャツってはやすぎる?」
「外見てみなさいよ。ジャケット着てる方が笑われるわよ。毎日三十度超えてるんだから」
一言多いんだよな、と心の中で悪態をついてファッションショーを終わらせた。結局、青いオーバーサイズのTシャツにワイドパンツという無難な服装になってしまったが、あまり張り切っているように思われるのも恥ずかしい。髪を簡単に整えて、カバンを掴んで家を出る。予定時刻ギリギリだった。
うっすらと汗をかきながら電車に乗り込むと、涼しい風が体を冷やしていくのがわかる。空いている座席に腰を下ろしてスマホを取り出す。昨日、集合場所を決めた後、連絡先を交換したのだ。
まだ真新しいトーク画面を開く。綾、と登録されたアカウント。アイコンには、夕焼けを背にした葉山らしき人物の後ろ姿が設定されている。一方、遥希のアイコンは道端で見かけた猫の画像。必死にカメラロールを漁って見つけたマシな写真がそれだったのだ。
「佐倉、こっち!」
駅の前で葉山がこちらに手を振って立っていた。深い青色のオープンカラーシャツに薄いベージュのワイドパンツ。ほとんど遥希と変わらない服装なのに全く異なる雰囲気に仕上がっていた。家を出る前に鏡に写っていた自分は無難という言葉が服を着ているようだったが、ドラマかなにかの撮影中かと見紛うほどオーラがある。
「なんかシミラールックっぽくなっちゃったな」
「暑いと選ぶ服狭まるよね」
スタイルは似ても似つかないが、シルエットや色味が似ていて少し気恥ずかしい。しかし、考えようによっては服の趣味が大きくかけ離れているわけではないということだ。今朝の悩んだ時間は無駄じゃなかったと胸をなでおろした。
「ごゆっくりどうぞ」
行き先はカフェだった。コンクリートの内装にアンティークな照明。広々とした店内の奥にあるソファ席に案内された。飲食することを想定したソファは柔らかいけれど沈みすぎず座りやすい。客層は女性はもちろん、パソコンと向き合うスーツ姿の男性の姿もあって多種多様だ。客席は視線が交差しないように設計されていて、初めて来る雰囲気の店だったが不思議と居心地は悪くない。むしろ、驚くほど落ち着く空間だった。
「気に入った?」
「うん。こういうオシャレなカフェ初めてだけど、いいね」
「よかった。ちょっと張り切りすぎたかなって思ったんだけど」
メニューを捲りながら葉山が息を吐いて表情を緩める。
――なんだ、葉山も同じだったのか。
緊張していたのが自分だけではないことが嬉しかった。唇がむずむずするのを隠すようにメニューに視線を落とす。人と同じ気持ちであることがこんなに安心することだなんて、知らなかった。
「佐倉は何にする?」
「アイスコーヒーにしようかな。葉山は決まった?」
「んー、期間限定のスムージーが気になってる、かな」
葉山にしては珍しく歯切れの悪い返答だ。こういう時は優柔不断になるタイプなのだろうか。何と迷っているのか問うと、少し間をおいてカフェオレ、と小さな声で返ってきた。
「カフェオレはテイクアウトできるし、スムージーは? ここでしか飲めないし」
「そ、そうだな! そうする!」
途端に元気を取り戻して、躊躇もせずに手を挙げて店員を呼び寄せる。わずかに瞠目しながら、葉山に続いてアイスコーヒーを一つ頼んだ。
「お砂糖とミルクはいかがいたしましょうか」
「おねがいします」
「かしこまりました」
注文を繰り返した後、メニューを回収して去っていく店員の姿を見送る。目の前の葉山はまた変な顔をしていた。うろ、うろ、と視線をさ迷わせてからおずおずと遥希に視線を戻して、言いにくいことを言うように口を開く。
「……コーヒー、飲めるんだ」
「砂糖とミルク入れたらね。葉山は飲めないの?」
「俺は飲まないの」
そういって唇を尖らせてお冷を一口飲み込んだ。まるで子供みたいな表情に思わず吹き出してしまうと、眉間にしわを寄せてとうとう拗ねた子供のようになってしまった。その表情がまた笑いを誘う。
「笑うなよ」
「ふ、ははは、ご、ごめん。はは、あはは」
「まさか佐倉が飲めるなんて。裏切り者」
カフェオレと迷っていたのもそういうフリで、かっこつけたかっただけというわけだ。遥希がスムージーではなくカフェオレをすすめていたらどうするつもりだったのだろう。きっと、葉山は苦さに顔をしかめそうになるのを我慢して少しずつ少しずつ飲んだだろう。もしくは、味わうこともせずごくごくと飲み干すのだろうか。どちらにせよ、残すようなことはしないんだろうな、と笑いながら思った。
そうしているうちに、頼んだものが運ばれてきて一口飲み込んで、おいしい、と同時に口にする。
「あんたそれ何回聞くの。シャツにズボンなんて変になりようないでしょ」
母はため息を吐きながらも遥希のファッションショーに三十分は付き合っていた。本人としては穏やかにコーヒーを飲んでいたいのだが、リビングに置いてある鏡で服を合わせるものだから嫌でも目に入るのだ。
「そんなにこだわるなんて珍しいわね。なに、デート?」
「だから違うって」
「でも岳ちゃんじゃないんでしょ?」
岳ちゃん、とは千田のことである。元は千田の母がそう呼んでいたのだが、数年前の反抗期により強制終了させられた。しかし、人の母となっては強くは言えないらしく、岳ちゃんと呼ばれるたびに恥ずかしそうに返事をしている。
「Tシャツってはやすぎる?」
「外見てみなさいよ。ジャケット着てる方が笑われるわよ。毎日三十度超えてるんだから」
一言多いんだよな、と心の中で悪態をついてファッションショーを終わらせた。結局、青いオーバーサイズのTシャツにワイドパンツという無難な服装になってしまったが、あまり張り切っているように思われるのも恥ずかしい。髪を簡単に整えて、カバンを掴んで家を出る。予定時刻ギリギリだった。
うっすらと汗をかきながら電車に乗り込むと、涼しい風が体を冷やしていくのがわかる。空いている座席に腰を下ろしてスマホを取り出す。昨日、集合場所を決めた後、連絡先を交換したのだ。
まだ真新しいトーク画面を開く。綾、と登録されたアカウント。アイコンには、夕焼けを背にした葉山らしき人物の後ろ姿が設定されている。一方、遥希のアイコンは道端で見かけた猫の画像。必死にカメラロールを漁って見つけたマシな写真がそれだったのだ。
「佐倉、こっち!」
駅の前で葉山がこちらに手を振って立っていた。深い青色のオープンカラーシャツに薄いベージュのワイドパンツ。ほとんど遥希と変わらない服装なのに全く異なる雰囲気に仕上がっていた。家を出る前に鏡に写っていた自分は無難という言葉が服を着ているようだったが、ドラマかなにかの撮影中かと見紛うほどオーラがある。
「なんかシミラールックっぽくなっちゃったな」
「暑いと選ぶ服狭まるよね」
スタイルは似ても似つかないが、シルエットや色味が似ていて少し気恥ずかしい。しかし、考えようによっては服の趣味が大きくかけ離れているわけではないということだ。今朝の悩んだ時間は無駄じゃなかったと胸をなでおろした。
「ごゆっくりどうぞ」
行き先はカフェだった。コンクリートの内装にアンティークな照明。広々とした店内の奥にあるソファ席に案内された。飲食することを想定したソファは柔らかいけれど沈みすぎず座りやすい。客層は女性はもちろん、パソコンと向き合うスーツ姿の男性の姿もあって多種多様だ。客席は視線が交差しないように設計されていて、初めて来る雰囲気の店だったが不思議と居心地は悪くない。むしろ、驚くほど落ち着く空間だった。
「気に入った?」
「うん。こういうオシャレなカフェ初めてだけど、いいね」
「よかった。ちょっと張り切りすぎたかなって思ったんだけど」
メニューを捲りながら葉山が息を吐いて表情を緩める。
――なんだ、葉山も同じだったのか。
緊張していたのが自分だけではないことが嬉しかった。唇がむずむずするのを隠すようにメニューに視線を落とす。人と同じ気持ちであることがこんなに安心することだなんて、知らなかった。
「佐倉は何にする?」
「アイスコーヒーにしようかな。葉山は決まった?」
「んー、期間限定のスムージーが気になってる、かな」
葉山にしては珍しく歯切れの悪い返答だ。こういう時は優柔不断になるタイプなのだろうか。何と迷っているのか問うと、少し間をおいてカフェオレ、と小さな声で返ってきた。
「カフェオレはテイクアウトできるし、スムージーは? ここでしか飲めないし」
「そ、そうだな! そうする!」
途端に元気を取り戻して、躊躇もせずに手を挙げて店員を呼び寄せる。わずかに瞠目しながら、葉山に続いてアイスコーヒーを一つ頼んだ。
「お砂糖とミルクはいかがいたしましょうか」
「おねがいします」
「かしこまりました」
注文を繰り返した後、メニューを回収して去っていく店員の姿を見送る。目の前の葉山はまた変な顔をしていた。うろ、うろ、と視線をさ迷わせてからおずおずと遥希に視線を戻して、言いにくいことを言うように口を開く。
「……コーヒー、飲めるんだ」
「砂糖とミルク入れたらね。葉山は飲めないの?」
「俺は飲まないの」
そういって唇を尖らせてお冷を一口飲み込んだ。まるで子供みたいな表情に思わず吹き出してしまうと、眉間にしわを寄せてとうとう拗ねた子供のようになってしまった。その表情がまた笑いを誘う。
「笑うなよ」
「ふ、ははは、ご、ごめん。はは、あはは」
「まさか佐倉が飲めるなんて。裏切り者」
カフェオレと迷っていたのもそういうフリで、かっこつけたかっただけというわけだ。遥希がスムージーではなくカフェオレをすすめていたらどうするつもりだったのだろう。きっと、葉山は苦さに顔をしかめそうになるのを我慢して少しずつ少しずつ飲んだだろう。もしくは、味わうこともせずごくごくと飲み干すのだろうか。どちらにせよ、残すようなことはしないんだろうな、と笑いながら思った。
そうしているうちに、頼んだものが運ばれてきて一口飲み込んで、おいしい、と同時に口にする。
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