シルクロードを突っ走れ

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◆2日目(西安2)「楊貴妃の謎」

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 午前7時、小鳥のさえずりで目を覚ました。吹き抜けの中庭に、鳥かごがいくつも吊されている。この宿は、米仏伊などシルクロードの旅人の前線基地。公用語は英語。古木の卓が並ぶカフェは、情報交換の若者で賑わっている。
街の中心は、明代(1370年~)の鐘楼。ここから東西南北に街路が伸びる碁盤状の区画だ。ブティック連なる南  大街は、道幅も広く清潔。古色豊かな楼閣建築も残って新旧混然。
 西4キロに「絲綢之路(しちゅうしろ)起点群像」がある。ラクダを率いた西域商人の石像。顔立ちは漢人にあらず。鼻が高く、彫りが深い。シルクロード交易の主役、今は亡きソグド人である。
 長距離バスが発着する巨大な城西バス・ターミナルが見えた。トランクや布袋の人々で大混雑だ。現代シルクロードのスタート地点。シルクロード各都市行きの寝台バスがずらり。西安の西1800キロ、敦煌までは20時間である。
 西50キロ、馬蒐坡(ばかいは)村に、楊貴妃の墓があると聞いてバスに乗った。途中、乗り換えて1時間半。停留所でもない道ばたでバスが停まった。女車掌が指差す先に、楊貴妃墓の碑。謝々謝々と礼を言って1人だけ下車。乗客全員に窓から笑顔で見送られ、心が和んだ。
 五月晴れだ。ドーム状の墓はまるでコンクリートの要塞だった。墓土が美容効果満点との評判で土を持ち去られたからという。楼の展望台から見渡すと、周囲はビニールハウスが点在する農村だった。
 玄宗に龍愛された楊貴妃は、皇后に次ぐ貴妃に上りつめた。「漢皇、色を重んじ傾国を思う」と白楽天が歌ったように、玄宗は魅力に翻弄され、治世疎か、妃一族に政務を任せ、華清池で妃と温泉三昧の生活。人々に不満が広がり、側近安禄山が謀反を起こす。安史の乱だ。
 756年、玄宗と共に西へ逃げる妃は、馬蒐坡で殺されたという。殺害現場に墓は作られたのか。楼を下ると、「楊貴妃、生死の謎」という一文があった。これが面白い。妃は実は、日本で生き延びたというのだ。
 身代わりが殺され、妃は海を渡って長門国定公園の久津海岸(山口県大津郡油谷町)に漂着したという。町の二尊院五重塔には、楊貴妃墓もあり、「国家保存文物」に指定されているとある。義経伝説と同じように、歴史を彩るヒーローには、永遠に生きてほしいという庶民の願望だろうか。
 帰り際、シルクの衣をまとった楊貴妃の白い立像(写真)をもう一度見上げた。明・清の時代の楊貴妃と違い、二重瞼の現代的美人。春風が心地よい。彼女の視線の先には、薄紅色の桜が満開だった。(止め)
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