山桜記 陰謀渦巻く北信越のご城下 幕府御庭番の目を潜り御家騒動断絶を乗り越えられるか‼️

高野マキ

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神隠し

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大聖寺藩主 前田利直が薨る

11月10日は、藩主の病気療養のため 利章の奥越への訪問叶わず、お世継ぎの利章様は、藩主に代わり政を執り行っていた。

表向き、藩主が薨った事は伏せられてはいたが 12月の年の瀬だった。内々に奥越藩にも知らせが入り、年明けの由宇姫輿入れは喪が明ける再来年に延期の書簡が奥越藩主直胤の許に届けられた。

由宇姫は、お忍びで 大聖寺藩お世継ぎ 前田利章の力になれる事はないか確かめに行く と父君直胤を困らせていた。

「其方も、もう18になろうかと云う歳で 何を聞き分けのない事を申しておるのじゃっ、利章殿は今が正念場。今までの無頼乱行の誹りを払拭するまたとない機会、ここで亡き養君を主君と奉る家臣から先代君主と遜色無き器である事を示してこそ、我が婿殿じゃ、女子(おなご)の其方の出る幕ではないわっ」


そうとは、分かっていても利章を深く愛しはじめた由宇姫は、何度も残雪に騎乗して国境で 父君の放った家臣に捕縛され連れ戻された。

その間、藩主前田利直逝去の知らせの書簡が来たきり 利章からは何の音沙汰も無くその年も後残すところ数日…

例年大雪に見舞われる事も珍しくない奥越で この年だけは、まだ平地は雪も無く 穏やかと言っていい年の瀬だった。


由宇姫は、数日前から具合がすぐれず 床でふせっていた。
何を口に入れても砂を噛んでいるような味気なさと、時折襲ってくる癪で、吐き気をもよおし、空えずきに苦しんでいた。御殿医が、呼ばれたのは、年の瀬の早朝だった。

藩主夫妻は、丈夫だけが取り柄と謙遜しつつ自慢していた1人娘の由宇姫が 青白い血の気の失せた顔色のまま瞼を閉じてふせっている事が、不思議でもあった。

見守る藩主夫妻に、御殿医が告げた診たては…

     「畏れながら、由宇姫様 ご懐妊あそばされておるやもしれませぬ…」

「なっ、何としたことっ」

  ………

     …利章様  

 「由宇姫…もしや…其方……」
母君の推測が 由宇姫の一瞬赤らめた表情で当たっていると確信に変わり…

「殿、腹のお子の父君は 若君に相違ないと存じます」

    ……母上様…

「奥よ、それは紛いなきまことであるか?」

勝兼は、二人が毎月10日に 逢瀬を重ねていた事は承知していたが床を共にする仲とはにわかに信じられなかった。

    「殿も とくと姫のお顔をご覧になられたら、ようくわかりまする…」

   「なんと……」

   「母上様っ おやめくださりませっ 恥ずかしゅうございますれば……」

恥ずかしさの余り掛け布団をすっぽり顔まで引き上げる由宇姫が、初々しくもあり 勝兼も納得した。

 「しかし、利直殿ご逝去、忌中であり、由宇の懐妊の知らせも心して利章殿直々にお伝えせねばならぬ。大聖寺藩も藩主不在といかぬゆえ、忌中(49日)あければ 利章殿がお継ぎあそばす新年、由宇の躰が落ち着いた頃合いに 利章殿に御指示仰ごうぞ、それまで由宇は奥向きにて しっかり養生するのじゃ」

勝兼の判断は この後 奥越藩に降りかかる災難を ある意味回避できたかもしれない。


……

  ……いっ、… いっ痛い……

灯りもない真っ暗闇の中で 由宇姫は目覚めた。
湿気をかんじさせる土壁の埃臭い匂いが由宇姫の鼻を突く。
 
 …誰かっ 誰かっ 灯りを持てっ…



ひりつく喉の痛み…声が掠れ、自分の耳でも聴き取りにくい。

奥勤めの女中を呼んだが返事すらない。

灯り一つなく 人の気配もない……
  
…ここは…奥向きでは無いのか


背後でに縛られて 両手首に鈍い痛みを感じながらも 躰を起こしてみた。

目が慣れてくると 薄ぼんやりと由宇姫の視界に見たこともない室内の様子が写し出されて来た。

長持ちのような箱の上にも幾つもの大なり小なりの箱が積み重ねられ、その奥には米俵がうず高く積み上げられている。

   ……何処ぞの蔵か、

両の脚は幸い自由が利く。
この暗闇で立ち上がると躓くかも知れないと考えた姫は、這いながら壁の方へ移動した。このときには暗闇に目が慣れて部屋全体の様子を伺い知ることが出来ていた。

《彼を知り己を知れば百戦してあやうからず》

日頃愛読している孫子兵法の一説が頭に浮かんできた。

…己れはどうやら 何処ぞに囚われの身となっておる…彼の敵は誰ぞや…


…落ち着け 由宇… 記憶を辿れ…
たしか……最後に……したのは………
   奥女中が運んできた薬湯を飲み干して…


……途にかく この場を離れたい
           何とかせねば……

さいわい 後ろ手に縛っていた手拭いの結びが甘く、手首をねじったり引っ張ってみたりしているうちに 縛りが緩くなり 簡単に手拭いを外す事ができた。


《実を避けて虚を撃つ》…


寝かされていた藁敷物の上に被せられていた薄布団をまるめてヒト型を模してみる。

   …敵は明るい場所から必ず様子を確かめにくるはず、暗闇では直ぐにはわかるまい、蜀を灯しているとしても 近づいて知るであろう…

長持ちと米俵の僅かな隙間に身を潜めじっとその時を待った。

    …しかし、間の抜けた者どもよ…この様な獲物の縛り上げかたで 捨て置くとは…


カッカッカッ
……馬か…
     〝そろそろ出立するぞっ″  

  だっだっだっだ…だだだっ…

…三人はいる…か…


〝火を放てっ 跡形残らず焼き捨てろっ″

      ″へぇーい〝

…百姓⁈


〝土蔵は 中に火を投げ込めっ 証拠を残すでないぞっ″


下前田藩御城下の外れ 右は北國街道 左は中山道…
盛り土に榎木の大木が一里塚の目印。江戸日本橋よりおよそ80里


 …中央の街道を進めば半里で下前田城下の膝下(おひざもと)に入れる。…

下前田城下で剣術指南の禄を喰む猿渡頼母之正は、江戸より七十八里をおよそ一日半で駆け抜けて来た。

今は奥越藩を、脱藩し浪人となって自由に江戸と下前田を行き来できる身の上だが、気持ちだけはこのまま 右、北國街道に向かいたがっていた。

 「国表は、平穏であろうか…」
後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、下前田城下へ入ろうとしたその時


  『付け火だーっ 水持てぇー 打ち壊せー 米倉がいかれっちまうどーっ』

  『米出せー 米を運び出せーっ』

刈り取られた田んぼの中の土塁で囲われた屋敷に火の手が上がっていた。
   『米倉に人がいるどーっ 誰かっーっ』

『だめだぁーっ 火の回りが早すぎるっ 米俵に火が回るどー』

「退けっ 、手桶の水を此処へ以てっ…」

頼母之正は 男達が持つ手桶を奪い手当たり次第に 頭から水をかぶり、自らは、水を浸した手拭いを頭からかぶり口元で結えた姿で
土蔵の中に飛び込んで行った。

「おっ、お侍さまぁ…」
勇気ある男が 頼母之正の真似をして手桶の水を何杯もかぶって次々に土蔵に飛び込んでいった。

もともと土蔵のなかは適度な湿気もあり入り口は空気に触れて激しく炎は上がっていたが 奥に行くほど燻って炎は上がってはいなかった。煙の奥に朱色の着物を被って床に伏せている人型が見え、急いで近づいてみると、袿ぬを纏った女子(おなご)とわかり 、

  「気遣い無いかっ!」

女子の肩口を掴みゆさぶっさ。

「…… いっ…いき て…おりま … する…」
女子の掠れたか細い声を聞き取るや
咄嗟に持ち込んだ手桶の水を女子の躰に浴びせると、素早く小脇に抱え上げ、
「蔵から出るゆえ 動くでないぞっ」
云うが早いか 頼母之正は力強い足取りで入り口近くの炎に突っ込んだ。

バッサッ!

「おっお侍さんが出て来たどーっ もっと水掛けろっ もう少しで火が消えるっ…」


下前田の城下を目の前にして 通りがかった村の年貢米を貯蔵していた米蔵から火の手が上がるのを目撃した 猿渡頼母之正は、中に人が取り残されている と叫ぶ声に引き寄せられて 気がつけば蔵の中に居た女子(おなご)を助け出していた。

米蔵を取り囲むように 飼葉小屋 種籾倉 藁積み小屋に次々火の手が上がり 唯一、土壁で頑丈に作られた村の年貢米を貯蔵する蔵は 火が蔵の中に届くことは無いはずだった。しかし、蔵の中にまで火の手が上がっていた。

村人総出の火消し活動もあって、三分の二の米俵は火災から免れた。

  「しっかし、おかし…話しもあるべ、米蔵の中まで火が回るとは、付け火しか考えらんねぇよ…」

  「しっ 太郎兵衛 滅多な事いうもんでねぇっ」

小さな村に、庄屋などは存在せず、毎年持ち回りで村役を決めていたのは、頼母には幸いした。

村人はまだ役人に 火事の事通報していなかった。
通報すれば、厳しい詮議に村人一人一人が、晒され、誰かが人身御供となって名乗り出るまで、町役人は諦めないやもしれず …
火付けは死罪と御法度で決められている。

 『困った事になってしもうた…』

先を憂う村人もいれば 無言で焼け落ちた脇屋の片付けと 残った米俵を運び出しはじめる村人もいた。

頼母は その姿から町娘や御殿女中ではない女子(おなご)の介抱をしながら 村人の災難を何とか避けてやろうと 一計を案じていると、濡れ鼠の如く朱色の袿をか被っていた女子が、突如


  「村の者ら、其方達のお陰で 私の命助かった、礼を申す…」


村人は 一斉に作業を中断し 由宇姫と頼母の周りを取り囲むようにあつまり地べたに首を垂れる。武家言葉への過剰な畏れの表れだった。
  
  「其方達に迷惑をかける訳には行かぬゆえ 我は今から姿を消すとしよう、此方の方…」

由宇姫の見上げた視線の先に 困惑顔の猿渡頼母之正が控えていた。


  「どちらの藩の方かは存ぜぬが、此度は危ない所、一命かけて由宇をお救いくだされ 忝う(かたじけのう)存じまする。」

由宇姫は すすで汚れた地べたに正座 改めて頼母に礼を述べた。

「おっ、御女中… 面(おもて)を お上げくださいっ。私は猿渡頼母之正と申す、もと神鶴藩士…今は故あって浪人の身に落としておりまする。」

「何と、神鶴の御家来でありましたか、神鶴藩と言えば、賢君直胤様の御一件 我が父 結城勝兼も憂いております…」

無邪気な由宇姫は、何の疑いもせず 頼母に自分の素性をあかした。

「姫っ …奥越藩 の…
此処は一先ず 危のうござります。頼母がお付き添いいたします故 とりあえず下前田の領地よりお出になる方が得策かと…猿渡頼母之正…神命に誓い 姫様をお守りし必ずや奥越までお送り申し上げます。」


村人には二人の会話の内容は皆目わからない。
 
 「よいか、其方達 この火事の件 大晦日のもののけの仕業といたすのじゃ! 朱の衣纏(まとい)し鬼の仕業と!」

姫は自ら纏って噴煙から身を守ってくれた朱色の打ち掛けを村人に託した。
  
 「役人が来たら これが証拠と差し出すのじゃ…これは、加賀様より頂きし正絹金沢錦の打ち掛けぞっ この様な打ち掛け…村にあるはずもなく、もののけの仕業と奏上しても 疑われる事はあるまい…



  ……我を拐かした者どもの化けの皮…必ずや世に晒して、ただしき裁きの場に引きずりだしてみせようぞ…


由宇姫の 作り話しにも 村人は 何の疑いなく納得した。

「頼母之正どの、由宇は大丈夫、早くこの地を出ましょうっぞ…」
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