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出会い2

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私は大学の講義があって父親が入院の手続きを済ませてくれていた。私と弟は、10才離れている。弟は、母親の顔を知らずに育った。
私も何とか父親の手伝いをしながら幼い弟の面倒をみてきた。

父親は検察官で転勤があるため、私達姉弟は、父親の妹、つまり、叔母の厄介になったり、転勤について行ったりと、結構な引っ越し生活の中で、それなりにたくましく育った。

今は隣県の地方検察局で働いている父親は、平日は官舎で暮らし、週末は、叔母の家で厄介になっている私達のところに帰ってくる。


講義が済むと、父親と交替するため、大学病院へ急いだ。
 弟が入院する病棟が、15階東病棟だと、総合受付で確認して病室に向かった。
中学に入ったばかりのまだ 変声期も迎えていない弟…
父親は、仕事人間で 弟は私と過ごす時間が大半だった。

手術は明日…きっと不安を父親に悟られないように 気丈に振る舞っているに違いない!弟の姿が目に浮かぶ…

私の歩幅は、いつしか広くなり運びも速くなっていた。
(っくぅ! デカすぎなんだよ~この病院ったら、だいたい 病人多過ぎじゃん)

5機あるエレベーターが、フル稼働しても1階には、止まってくれない。
地下2階 地上20階の巨大病院…私達が普段利用しているフロアは
ほんの一角にすぎない。やっと泊まったエレベーター。
後ろからギュッと押されすし詰め状態。 

「おっ、降りまぁすっ!」

15階のエレベーターホール…降り立った目前の壁の案内板を凝視
して、目的の病室を探す。

放射状に病棟が配置された平面図…エレベーターホールは各階の中心に配置されている。

(右手 ななめ 側…か)
東病棟…

頭の中の東西南北が一瞬で混乱している。

病棟の入口にはインターホンらしきものが壁に張り付いているだけで両開きのガラス扉は開かない。

(えっ 普通そんな病棟無いよねぇ?)

私はぶつぶつ独り言を言いつつインターホンに向かい 事情を話すと
ドアロックが解除され、中の廊下の先はかわいい壁紙で明るく折り紙で折った花や動物がペタペタと貼ってある…小児病棟…保育園かと勘違いする。ほほ笑ましい風景。

しかし異様なほど静かだった。

保育園と違うのは子供達が明日をも知れない重病を患っているという事実が目の前にあった。

弟は小児なのか?  黒崎先生の考えが全く読めない。私の主治医に対する不信感が益々募ってくる。

ナースステーションへ立ち寄り弟の病室番号を聞く。
二人用の病室も一般病室に比べて狭い。ベッドも小児サイズらしい。
同室の隣のベッドには、首から錘(おもり)のような物を 下げ、首を上げられない状態で横たわる少女と付き添うお母さんがいた。
見るからに痛々しい…
そんな室内状況にもお構いなく父親は弟のベッドで寝ている!
しかも、耳障りないびきまで…
私は思わず「 ッチ!」と下品にも声を出してしまった。

弟は、弟で自分が使うべきはずのベッドの端に座り、ゲームに没頭している。
私は、狭い小児病室の同室の方に頭を下げ、非礼を 詫びた。

「父ちゃんッ 姉ちゃんが来たから帰っていいよ」
弟は、父親を揺さぶり起こした。

「んっ、はっ…、う、うんっ」

父親は飛び起きると、白髪混じりのボサボサ頭をモゾモゾと掻き撫でる。

「ミチルっ、今何時?」と…私にいきなり聞いてくる。
(非常識な…親…)

情けない思いをグッとこらえた。

父は、脱ぎ捨てた背広を羽織ると 
「悪いなっ 交代だ まだ仕事残っててなぁ…段取り決まったらさ、
事務官の如月さんに連絡しといてっ…」
気忙しく出て行ってしまった。

(救われないよ…)

いや!救われた。唯一弟がゲーム音を消音していたのも幸いして
隣の少女がすやすや眠っている。…しかし父が出て行ったかと思えば、また騒がしく…
「綾野君っお待たせ、お待たせっ! 熱計ろっかぁ」
やけに暑苦しい大柄な若いドクターが合図も無く、いきなり入って来た。


「あっ、ご家族さんですかっ 、すみません!黒崎先生 後からくると思いますがっ」
体温計の電子音がピピっと鳴る。

大柄ドクターは 、「あれ~っ熱あるなぁ!!!……んっ」

「熱があるんですか何度ですか!」
私はドクターから体温計を奪い取った。

 
「えっえ~38度ぉ!!」

弟は熱があるにも関わらず 平然とゲームに没頭している。
隣の母娘は、マスクをなにげに素早く 着用した。

気不味い雰囲気に、居た堪れず (申し訳ない)  心の中で 謝る。

大柄で暑苦しい医師が入って来たかとおもえば、細身の神経質そうな医師が入ってきた。 大学病院ならではの多彩な医師達、 年齢は私と
そう大差なさそうで親近感が湧く。

「初めまして~ぇ麻酔科の井田です。綾野ク~ンよろしくねぇ~」

(見かけによらずチャラい…)
大柄な医師は、
「井田先生…実は熱あるんですよ~」
麻酔科医になにげ無く伝えた。

「フ~ン、そ~なんだ~ぁ…じゃぁ…後でどうするかさ 、黒崎先生に聴いといてくれるかなぁ…」

「えぇ  僕から聴くのぉ  井田先生から聴いてよぉ」

大柄なドクターの顔からはタラタラと汗が吹き出してきた。 

(顔が真っ赤だ… 先生の方が熱ありそうですが…)

「ダメダメ、黒崎先生は、君の指導医じゃん!僕が中に入ったらきっとややこしい事になるとおもうなぁ~」

「そ、そうですよねっ、わかりました。僕が伝えます」

「じゃ、返事まってるから」
井田麻酔科医師が病室を出ていくと、

「ごめんなぁ…綾野君、ちょっと待って貰っていいかな、
黒崎先生に熱の事伝えてくるからぁ」

どたばたと忙しなく大柄なドクターは出て行った。

弟はゲームに夢中で、熱があるのに辛そうじゃない。
同室の母娘はマスクを着けて臨戦体制に入っている。
私はひたすら申し訳なく頭を下げた。


(それにしても遅い 黒崎のバカ野郎…)


黒崎の銀縁眼鏡が憎々しい姿で頭に浮かんだ。
と…
私の背後の空気の流れが変わり、音も無く病室のスライドドアが開いていた。

振り返ると、白衣に リュック姿の黒崎先生が突っ立ていた。
この時 初めてまともに奴の ‘面’ を見た。
視線が交わってしまった。

(うわっイケメンじゃん!)
ドキドキする。

私は、あんぐり口パク状態で、長身の黒崎先生を見上げていたと思う…
自分の間抜けな姿は判らないもので、この時におそらく、黒崎先生を心にインプットした瞬間だった。


肝心の黒崎先生は、私の事など完全に視界からシャットアウトしたかのように無視。


「熱 あんのかぁ…しゃあねえなぁ…今日は帰るかっ 」
と 、言うと部屋から出て行ってしまった。

…私は、何が起こっているのか全く 理解できず 出て行く黒崎先生を呆然と見送った。

「姉ちゃん 帰っていいのかな 俺ら」

弟の言葉で 、ハッ!っと我に返る。

(くっくっ黒崎ィ~あのクソボケ野郎ぅぅッ)
ムカムカと怒りが込み上げてきた。

(テメェいったい 何様じゃぁ ‼︎ゴルリャあ″~)

私は無意識に 病室を飛び出し廊下の先で白衣をひらつかせ、
黒いリュックを左肩に引っ掛けた 黒崎先生の 背後に接近し…

「せっ 先生! ちょっと待ってよっ‼︎、私達どうしたら 
いいんですか! 帰るっかって、高熱の弟に今から 帰れって 、
どういう事っよ!   それでも病院ですかぁっ」

私は病棟である事を忘れて、辺り構わず まくし立てた。 

“奴”は 
「熱あったら切れないだろ…?頭悪りぃなぁっ…面倒くせぇ―っ
なんならさ 、熱下がるまで泊まって行くか?……
後は只野に相談してくれよ…」

上から 見下げるように冷たく言われた。 

(なっ何っこの冷酷非情な対応――)

奴は、エレベーターホールの方へ歩きだす。
私はとっさに 白衣を鷲掴むと

「かっ、帰りますが、(息が上がる)次は いつ診察ですか! 
次はいつ手術ですかっ」

上目遣いに凄んだつもりだったが、‘奴’は全く動じない。
 「う~ん、明日がダメなら、当分予約一杯だからなぁ…
タダノ~に聞いといてよ…」

うんざりだと言わんばかりに私を見下した物言い。

「た・ だ・ のって誰なんですかっ!」
奥歯を食いしばり小児病棟だという事を頭の片隅に置く。

「ああ、ガタイの大きな汗っかきの先生…知らないかぁ…」

“バカ野郎”は私の頭越しに
「お~い看護師さ~ん」
奴の一声で 数人のナースが駆け寄ってきた。


「後は 頼むよ」
“バカ野郎”は、私に視線を落とすと…顎を上下に振って 私が掴む白衣
を放せと 促した。

(ぐぅ~何処まで 俺様じやぁ~)


虚しく先生の後ろ姿を萎える気持ちで見送るしかなかった。










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