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医者と恋愛

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午前中最初の手術と聞いていたので 手術慣れしている弟とはいえ、不安だろうなぁと思い、私は前夜から弟のベッド脇の付き添い用寝台で一緒に一晩過ごした。

「姉ちゃん、狭いから明日朝でいいよ」
と、弟に嫌がられたが…よこしまな私は、もしや黒崎先生が顔を出してくれるかも…と微かな期待もあった。
それだけ彼に惹かれてしまっていた。けれどその朝は、期待を見事に裏切られた。

昨日の午後の刺激的な出来事は… 白日の夢だった。


(…胸が苦しいセ ン セ イ…一目逢いたい…よ)


午前7時半に病棟勤務の看護師が

「綾野君、これ飲んでねぇ、後から浣腸してお腹の物全部だすから…」

「… 」

弟は眉間にシワを寄せ返事をしない。
美人ナースに告げられた酷な言葉は思春期の弟には キツイ…。
しばらくすると、

「浣腸しま~すよお姉さん、カーテン閉めますから出て下さい~い」

また今度は一際かわいらしい茶髪ナース。可哀相な我が弟は、普段でも滅多にお目にかかれ無いようなかわい子ちゃんからお尻に浣腸される恥ずかしすぎる責めを味わう。
私は廊下の壁にもたれて憐れな弟を思い、処置が済むのを待った。


「は~い、オムツしますからねぇ~さっきの注射で多分ふらつくとおもいますからトイレには絶対行かないでねぇ~…便は、オムツにしてくださぁ~い」


(うわぁ 最悪う…)

弟の顔がみれない。

(お父さん、何やってるの!)

こんな時こそ親父の存在が必要なのに…結局、弟が手術室までストレッチャーで運ばれる時間になっても父親は来なかった。
ストレッチャ―上の弟は軽く麻酔が効いてうつらうつらとしている。私は職員専用エレベーターの前で弟を見送った。



予定終了時間は5時間後と聞いていた。

《弟をストレッチャ―で 手術場まで運んだドクター達の下世話なリアル会話が面白い》
テレビドラマなどの一連の流れは病棟看護師がストレッチャ―で患者を運ぶのが定番で手術室でオペ担当看護師(機械出しの優秀な看護師)とバトンタッチすると 中で、ブラックジャック先生が、待つ…
私が目撃した現場は違った。

『今年の異動は偏ったなぁ…』

ストレッチャ―を押しながら教室No.3の実力者、原先生が 対面の只野先生に話しかけた。

『えっ、何の異動ですか?…都落ちはたしか、今年は無かったと聞いてますが…』

只野先生の話す内容…

(ワォ~ リアルぅ  有名医療小説ダァーッ)

《都落ちとは小説では、地方病院への異動の事》

私は耳をそばだて二人の会話を聞く。


『バッカヤロー! 野郎の異動なんか知るかよ………
ナース、ナースっ 看護婦さん♪』


マスクで顔半分が見えない原先生の目が笑いながら、私の反応を確かめている。

(なんでっ私を見るのよっ)

『へぇ~そうですかぁ~どんな偏りなんですか?』

只野先生は生真面目に聴いた。


『ったくぅ、うち、うち!うちの教室に院内美人ベストセレクションが集まったんだよっ』

原先生はとうとう 私にウインクした。
私は、とりあえず愛想笑いで返した。

『ダ、ダ、ダッメですよっ、手ぇ出したらっ!コレッですからねッ!』

只野先生は手刀で首を切る真似をした。


『わかった、わかった…だけど…さぁ、 いい感じの子いるんだけどなぁ』


(原先生…ものすごくイヤラシイですよ…)

『え~ドクターとナースってぇ…エロさ定番ですよね~…付き合ったりしちゃうと首なんですかぁ?』

私は余計な事を口ばしっていた。

(しまった…)


二人は急に無口になってしまった。

『ちょっ、ちょっとお、お姉さん、エロってぇ!んな事 病棟のナースに聞かれでもしたらぁ吊るし上げられますよ!まったくぅ』

只野先生は口に人差し指を当てシーと囁く。

『お姉さん!いやぁ…いいななぁ 現実は…確かに医者の嫁さん、元看護婦さん多いもんね~俺の嫁さんも元看護婦さんだししかもでき婚っ』

(!!!!)

原先生は後悔も含めた自虐的な告白をした。

(黒崎先生が萎えた訳って、でき婚?)

(しかし…原先生はチャラい…もしかしておバカさん?)


『確かに恋愛はみんなしてますが…  うちの病棟師長は鬼の噂だけあって病棟内でバレた色恋でナースが何人も飛ばされましたから…』


只野先生は思いあたるそぶりで遠くに視線を泳がす。
私の頭の中で黒崎先生との画像が蘇っていた。

(そりゃあ、やる気無くなるか…私ができちゃったら)

先生との子供の事を話し出した私の失敗。

(何だか‘あいつ’思い当たる事があるのかな…)


私の黒崎先生への妄想は止まらない…。

弟が手術室から出てくるまで、 私は時間を持て余していた。
全身麻酔と聞くと明日まで弟は動く事も飲食する事も出来ない…はず。病棟に戻る予定時間は午後2時と聞いていた。それまで3時間は
あった。

「すっ、スマン、 遅れちゃったかぁ」
父親が病室に飛び込んで来た。

(今頃のこのこ来たって役にたたないよ…)

父の遅刻は毎度の事と、諦めてはいてもそれでも親か、と文句を言いたくなるのを堪えた。
二人で主(あるじ)の居ないベッドに並んで座り手術終了を待つ。

「あいつ 機嫌良く 行ったか?」


「 普通…」
と答え、それ以上話す事も無い。
 

「茶でも行くか?」
場がもたなくなった父から誘ってきた。


「いいよ…」

私に断る理由はなく、1階のスタ*に父親と行った。
二人で向かい会って座り家以外で飲み食いするのは何年ぶりだろうと考えたが、もう― 思い出せないほど 父は毎日の仕事に忙殺されていた。私達と過ごす事はほとんど無かった。
父親と同居していた頃は、休みでも 休みじゃない父の姿を見てきた。時々、休日には外食と称する仕事に付き合わされた。
私と弟が食事している間、父親は同席した事務官や法医学のドクター、刑事さんとおぼしき人達と分厚い書類に目を通したり…子供心に父親との楽しい時間は絶対に持てないと諦めさせられた出来事だった。にも関わらず、私は去年、とりあえず‘カバチ’行政書士の資格を取った。今年夏には司法書士を取りいく。最終は司法試験にチャレンジしたいと計画を立ていた。

学生になってから父親の担当事件の裁判に何度か偶然傍聴する機会があった。弁護士とのやり取り…ある程度司法取引がある?と思わせるやり取り…
これは正真正銘ガチンコ勝負だ…と見応えたっぷりのやり取り…
仕事場である裁判所での父は本当にカッコ良かった…家で横になり鼻毛を引っこ抜き、くしゃみする人と同一人物とは思えなかった。
その姿こそ私達のたった独りの親だと、誇りたい、自慢したい…その欲求が私を父と同じ仕事へと駆り立てたのかもしれない。


目の前の父はエスプレッソを音をたててすすり飲み、時々白髪の割合が多い頭髪を掻きあげている。
このカフェでくつろいでいるドクターやオシャレなカップルから見れば 父は冴えないオヤジに見えるだろうけど…本当は超が付くほど優秀な部長検事なんだよと誇らしく思いながら父の顔に刻まれた深い皴の勲章を眺めていた。

「なんだよ、どうしたんだ? 俺の顔に何か付いてるか?」

父はホットサンドにカブりついた。

「う、うううん…何だかさ、久しぶりにじっと顔見ていたら、ね、結構さぁイケメンじゃん」

私と父がつかの間のひと時を楽しんでいると…

「あらっ、貴女ぁ !昨日のお嬢さんでしょ…診察はもう済んだの?」

声をかけてきたのは、昨日黒崎先生とこの場にいた女医さんだった。

「受診ですか?」
私は何の事だかわかならず聞き返した。


「黒崎先生が、貧血があるって…言って無かったっけ?
多分、血液内科の教授の予約診察に割り込みしてるはず
だと思うけど…」


女医さんは院内携帯で何やら連絡しだした。
父は知らん顔して食事に集中している。でも、視線だけは鋭い…彼の職業柄、人を簡単に信用しない。初対面で、人に自己紹介などすることもない。

(挨拶ぐらいしてよっ…ったくぅ)

私は父親の非礼に腹がたった。

「今から三階の血液内科に行ってくれるかな?…教授が待ってくれてるって!」

女医さんは穏やかに受診を薦めてくれた。

「あっ…はい、ありがとうございます 今から行きます」


「おっ、おいっ… ミチル」

父は慌てて立ち上がった。

「ん?…保護者でしょっ 付いて来てよっ!…」

私は父に命令した。

(大した事ないじゃん…大袈裟な黒崎) 
私はたんなる ‘鉄欠乏性貧血’と、診断された。
しっかり食事を取りなさいと教授に御指導頂いた。

「黒崎先生が割り込みまでして私の診察を乞うのは、本当に珍事ですよ」
白髪の教授は穏やかに話しながら…電子カルテに打ち込む。

「きっと、珍しい症例かと…疑ったのかな、たまには彼も診立て違いする事もあるのですね…普段から隙も見せず完璧主義者ですからねぇ…彼は、今日は…私もちょっと安心しましたよ」


「あのぉ…黒崎先生には今、弟の手術をお願いしているんですが…」

私が話しだすと教授は私の方へ向きなおり

「そうですか…ではかなり難しい症例かな?」


「難しいかは私には、わかりませんが 今まで何度も病院を変えてます。」
弟は今まさに黒崎先生の手中。

「そうですか…じゃきっとね、今回で終わるでしょう、私が 保証します…黒崎先生に辿りつけた弟さんは幸運でしたねっ…受付で薬貰って下さい…出しておきます。先生によろしく言って下さい」

教授は立ち上がると診察室の照明を落とした。
診察時間の終わった外来の長椅子に横になっている父を見て

「疲れているんだったら 帰れば?‘ タダシ’は大丈夫みたいだよ、黒崎先生は凄腕だって!今、診てくれた教授も言ってたからさ…」

私は父親を追い払うように帰宅させた。


(やっと正午…あと2時間は長いなぁ…)

病院内には三ヶ所のコンビニがあり1階のコンビニには併設した本屋もあった。
文庫コーナーから 直木賞作家の医療小説を手に取りパンと牛乳を買った。

デイル―ムでパンにかぶりつき 牛乳を飲んでいると…

「あの―」

(綺麗な女の子!)

車椅子の女の子に声をかけられた。

「はい?」

「私…主治医は黒崎先生なんです、病棟は只野先生が担当で、綾野君と一緒です!」

ニッコリ笑う彼女に私も笑顔で

「そうなんだ!弟は今ね、黒崎先生に手術して貰っているのよ…手術してもらっても、入院中は黒崎先生が主治医じゃないの?」

そこが気になった。何とかして先生に逢いたかった。
私達の話しを聞いていた車椅子の男性が 

「黒崎先生はさ、准教授だから当直ないし、病棟では直接患者診ないんだよな…俺もAチームだから…」


チーム?何の事だかさっぱり分からずその男性に尋ねた。
チーム医療をする事で患者の状態をチームのドクターやナースが把握し 緊急時でもその患者の状態を誰かが把握していれば初期治療が遅れず、しいては適切な対応をタイムラグなく行えるとの理念。


「ふ~ん」
私はなるほどと頷いた。つまり、黒崎先生はAチームのキャプテンにして准教授。当直は無いし、病棟患者も担当しなくて良いし、土日は休みのVIP待遇。

(じゃ、入院中は…まさか…先生に逢えないわけ?)

18階南病棟 
病棟各階にはデイル―厶、自販機コ―ナー、湯沸室 ランドリーがそれぞれ配置されている。デイル―ムには、電子レンジ、給水、給茶器が設置され、見舞い客や家族はここで談話したり食事を摂ることができた。最上階にはレストランがあり、閉店した後は、恋人達の格好のデートスポットだった。
病院でデートと思われがちだが、研修医とナース、大学生と患者、 医者と患者、 検査技師とナース様々な立場で働く者や関わる者達の恋愛は常に成立し、表ざたに出来ない職場上の立場が、恋人たちの心を一層萌えあがらせた。


巨大病院は、秘密の恋愛が出来る場所なのだ。








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