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1月4日。

私は、血液内科病棟 8階東の入口のインターホンで、病棟内の職員さんに声をかけた。  先生は、新年仕事始めのため 早朝に出勤していた。  家から歩きながら まだ正月休みの賑わいの続く マンションの商業施設を 避けて一人病院へ戻った。
午後には、リノ先生の回診があるため、それに間に合うように戻ってきた。  病棟の入口は二重扉になっていて、中から開錠してもらわなければ入れない。  次の扉までの間にある除菌スペースで、手荷物を預け 滅菌済みの寝巻に着替えてから 二つ目の扉を開けてもらった。

この場所に戻って来ると、忘れかけていた現実を 目の前に突き付けられる。    まだ…病気は治っていない…


「綾野さん、明けましておめでとうございます」
病室に来た看護師さんが…新年の挨拶をしてくれた。

「おめでとうございます 、今年もお世話になります」
早速、バイタルチェックと 採血をする。

「お昼ご飯、どうしますか?」


置き時計で時間を確かめる。

(11時15分…)


「今から お願いしても、間に合いますか」

「大丈夫、何とかしますよ」
明るい看護師さんの返事。

(  嬉しい…)

「 お願いします」   給食を頼んだ。

食事は 調理室から 直接運搬用エレベーターで各階の病棟に届けらていた。  患者の食事が載せられた 配膳ワゴンが到着すると、調理補助員さん達が、それぞれの病室へワゴンを移動させる。

私は動けるので 、自分の部屋番号のトレーを受け取る。


午後、一番にリノ先生が笑顔で入っきた。


「どう年始は ?黒崎とエッチしたぁ?」
そんな ストレートな質問には、さすがに答えられない。
顔が赤くなったと思う。


「・・・」

「新年早々で悪いんだけど、骨髄の再検査したいんだ…」


リノ先生は、表情一つ変えず 淡々と話す。

「あのぅ   何か問題でも―」

再検査と言われると、不安と、恐怖におののく。

「うん―、赤血球が二万切ってるし、ちょっと血小板も少ないんだよね…ひょっとすると 輸血再開かなぁ…」

輸血は.回数は少ないが神戸から経験している。


表情が変わらない私を、動揺がないと、思ったリノ先生は、

「今後だけど―、あくまでも 今すぐにでは無いけど… 根治療法として免疫療法か、骨髄か臍帯血の移植の選択をしないと いけないと、思うんだ…」

( 良くないって こと…⁈ )

リノ先生は、病室の窓の外の景色…副都心に目をやる。
私はある程度は、ネットで調べていた。

(  軽度から重く なってきてるんだ…)


「わかりました、先生の判断にお任せします  」

私は、不安と、死への恐怖を悟られないように、平静を装った。

「笠原先生 その時がきたら 言って下さい、自分で決めます」

先生は、窓の外の景色から私に視線を移した。
「よしっ  、潔良いじゃん! さすが 、黒崎の嫁さん!」

先生は 私の頭を撫でると、病室を出ていく。


( 明るく言え…たけど…やっぱり―ショックだよ  先生………)

目に見えない 私の命の火



(  消えそうだよ センセイ…)

「あっ もしもしぃ ハルヒィ! 黒崎知らない?  さっきから あちこち探しているんだけど …」


リノ先生は 、黒崎先生を院内隈なく捜しているが院内携帯も 持たず 
行方不明…だと 三浦先生に問い合わしていた。


「黒崎先生なら 今 緊急オペに入ってますよ…」

三浦先生は、救命センターの医師で つい先程まで 手術に入っていた。これから医局で 昼食を摂ろうとしている所だった。


「時間 かかりそうかなあ…」

笠原先生は 今の恋人である年下の三浦先生に、いらつきながら聞く。三浦先生は 、いたってマイペースに…答えた。

「今 、入ったモグ …ム…ムグ… ン ばかりだからなぁ…モグッ」


「…ったくぅ …何 ぃ!食べてんのぉ…よ!この忙しい時にっ、もう  いいわっ」

( ふう・・・)

相変わらず 自己中な人だ…と三浦先生はため息をつく。
笠原先生が 再び私の所に来たのは、お昼もとうに過ぎ 3時前だった。

「黒崎がさぁ― 捕まらなくってっ、たくぅ… 悪いねぇ」

リノ先生は 私のベッドの隅に腰掛けて脚を組み 顎に手を添える。


「笠原先生 お願いが あります」

「えっ 何っ ?」  リノ先生は、私がした初めてのお願いに怪訝な表情を浮かべた。

「あの―私の体調って 、ステージどうんなですかぁ…? すぐに先生に報告しないといけないくらい危険とか…」


「ん―難しい質問ね …まあ…貴女相手に、今さらって感じよね  はっきり言うね 」

リノ先生の このドライさに 救われる。

「現状は、赤血球が二万を割ってるから、輸血しないといけない。 血小板なんだけど 今までボーダーの五万は切って無かったからさステロイド使ってたの…」

先生は私に、わかりやすく説明してくれる。
私の貧血は 、何時も赤血球の数値が低いから めまいやどうき 、息切れ 頭痛などの症状が出ていた。これ以上貧血が進む事は、ヘモグロビンが少なくなりすぎる事に繋がり 、酸素不足や心不全を起こす
危険性が高くなる。応急に症状を止めるため、輸血していた。


再生不良性貧血は、 造血幹細胞を 自分の免疫が攻撃して 造血出きなくする病気だとか…だから、自分の免疫の働きを鈍くして、攻撃ができないようにするために【ステロイド】を使う。でも、この治療は、いつ迄も続けると、身体全体の機能が悪くなる。ステロイドの副作用。 免疫の力が弱くなると、風邪やちょっとした病気から肺炎や様々な感染症に繋がってしまう。体力の無い病人の肺炎は死に直結してしまう。私はこのまま ステロイドと輸血に頼る治療を続けていると、常に感染の危険に晒され、肺炎と背中合わせの生活をしていかないといけない。極力外出を避け、感染しないように、出血しないように と、ずっと指導されていた。



 ( もう限界なの⁈    ステージ3    とか… やだ  よ )



「今回はね…“ 血小板 ” つまり 貴方、よく青あざ出来るでしょ?
血小板が減ると血が止まりにくいからなの。ただでさえ 貧血なのに 
この上… 怪我でもしたら血が止まらくて 大変な状態になる可能性が出てきてるわけ…」   

リノ先生は、一呼吸して
「だからって 今すぐどうなるって訳じゃないのよ…おそらく 血小板も輸血して 落ち着くと思うけれど…あくまでも応急の治療。あまり輸血ばかりしていると 、骨髄移植出来るドナーが現れても 定着率が悪くなっちゃうのよね」

リノ先生が腕組みする。


「今は すぐに命がどうの って、わけでは 無いんですよねっ?」
私は 先生に念を押す。

「まあ  ねぇ…」

リノ先生は、返事を濁した。

「では 、黒崎先生に暫く 黙っていて 欲しいんです」

私は 手を合わせた。

「つうか…それっ、無理だよ~ だって 一応ほら  保護者つうか…そのぉ  家族なわけじゃん」

先生は、承服しかねると 眉を寄せて睨む。


「いいえ  、移植とか免疫療法とか…  実際問題になれば 父や家族より 黒崎先生が 一番身近にいる身内ですけど…今年は 先生の身辺が大変な事を リノ先生が一番、ご存知ですよね…?」



私は先生の目をじっと見た。


「………っ…」先生は返答に詰まるが、


「貴方 聞いてる?  噂! あくまでも噂なんだけど…」

笠原先生は意を決したように 私に聞く。

「黒崎さ…今年春にある消化器外科の教授選 に出ないって…」

(‥!…聞いて ない…)

私の瞳の瞳孔が開いた‥くらいの 衝撃で―声もでない。
リノ先生は 私を見ながら こんなオトナの事情もわからないネンネちゃんと言いたげに 諦めたように 微笑む。


「まだわからないわ   私は、黒崎が教授になれるチャンスを 棒にふるようなバカは しないと思っているから あいつのお腹は、野心の塊だもん 」

暫く 二人は無言のまま…お互いの思いをどう伝えたらいいか…戸惑う。

「まあね、私が 絶対に、教授になるように説得するからっ! だって、そうじゃない⁈  彼程の経歴と、実績、人望 何一つ欠ける事の無い人材が 他にいるかしら?」


私は 、笠原リノ先生が 学生時代からずっと、黒崎先生を追いかけ リスペクトして来れたのは、彼に対する深い愛情以外の何物でも無いと確信した。


( 私のせい…だ )

サヤカが言った言葉が頭の中で反響する。



《 あっ そっ そうよ 黒崎ヒカル!ネットで調べるよりSNSが速かったわ   時期 教授候補 …筆頭 !今の教授が今年 6月に 退官らしいから4月に 学部長選と教授選のダブル選挙だよ⁈   そんな…忙しい最中      ゴメンね…きつい事言うけど…… 黒崎ヒカル…婚約なんてっ 何!考えてるのって、私が 身内なら大反対したかも…》


「 婚約者は完治が難しい難病を抱えている 」

「っつうか…貴女って  本当に痛い人ねっ、自分でそんな事言ってどうにかなるって思っちゃうワケ?  黒崎がぁ! そんな事で自分がしたい事諦める 奴だと 思う?  ったくぅ… ムカつくわ!何で こんな ド素人 なのよっ‼︎  」


リノ先生は ベッドのサイドテーブルにあったおしぼりを ポンとテーブルに投げて八つ当たりする。

「とにかく 黒崎には暫く黙っとくわ‥だけど 電子カルテ見たら すぐに判るから‥」

笠原先生は 私の顔を見ずに強い口調で言った。



「私は…先生の大事な人生の足枷になりたくない! 先生がしたいと思う事が すき放題出来るように― リノ先生・・・、先生にしか お願い出来ないから…先生にしか 黒崎先生の本当の姿判る人いないと思うっ」


私はベッドから 先生を見上げる。先生は 病室の入口の扉をじっと見つめる。

…………スライド扉が開いた。

(!!っち…タイミング悪っ )笠原先生が舌打ちする。


「なんだ  リノいたのか…」

黒崎先生は、濃紺のオペ着の上から 雨合羽のようなビニールガウンを羽織り、頭にはキャップを被った滅菌姿で病室に来た。


「リノ 正月早々俺に何の用なんだ? 着信連発じゃん…ストーカーかっ」
黒崎先生は 、冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターを取り出す。

「そ―んな訳ないでしょうがっ! 黒崎サマに纏わる 黒い噂を確かめたくってさっ…」

フンと 、リノ先生は顔を横向ける。


「お前は… 無事に病院に辿りつけたんだな、上等 上等!」

先生はミネラルウォーターをゴクゴク飲みながら、私の寝ているベッドの端に腰を下ろし、私に視線を落とす。

私の額に掛かる髪の毛の一筋を、細く長い指で掬い除けてくれる。
リノ先生は 入口を見たまま

「で、 黒崎っ、あんた教授選に出ないって噂 どうなのよっ!」

厳しく言い放ち  振り返った。
私にとっては、聞き苦しいやり取りでハラハラする―。
先生は、私に落としていた視線をゆっくり 笠原先生の方向に投げかけ ニヤついた。私は、黙って固唾を呑んで、二人のやり取りを見守った。

「お前…さ、人の心配するより 自分の出世を考えた方がいいんじゃないか? 4月は異動だぜ…飛ばされないか?」

笠原先生は一瞬ビクつく…
「 とっ 飛ばされ そう?かな…」

今までの勢いは 陰を潜め、自分の先行きに怯えだした。

「ん、なこと…俺が知るわけないだろっバーカっ、4月っちゃあ 毎年都落ちの犠牲者で仏さん盛りじゃんかぁ!お前ぇ 何年この仕事してるんだぁ?  まったくぅ…いつまでも助教のまま、四十の声聞いてさ 大学に恥を晒しておく気なのかよ? 辞めて、実家の跡とるか、講師の席を奪うか  今が正念場とちがうんかい‼︎  俺もいつまでも 此処にいるわけじゃぁ無いしな  」

(  先生っ… ! 何処に行くのぉ?)


「おっ リノ 、それより俺さぁ~ 来週  ケアンズのコンベンションセンターで メルボ○○大学と 共同で医療講演の講師に呼ばれてんだぁ よなぁ…こいつ を 連れて行けないかなぁ―?」

先生は、笠原先生の乱れた気持ちなどお構いなしに 自分の都合を押し付け始める。

「無理っ…絶対無理‼︎ 」  笠原先生は即答した。

「そこを…何とかさぁ―、なあ 融通効かせてくれたら 、お前の異動阻止の協力は 惜しまないがなぁ~」

先生は、ニタニタ笑いながら 私にウインクする。


(  私は…どんな顔すればいいの? リノ先生…ゴメンなさい。)

先生の 無茶振りと、私の無理なお願い…

(…苦しい……)   リノ先生を辛い立場に立たせてしまった。


「だいたいさぁ  正月明けだよ!  検査は混んでるし、オーダーをキャンセルしたら 、次は来月以降になっちゃうから―ね!その間に彼女の  血液数値が変わったって 、知らないから…それでも いいなら行けばっ」

笠原先生は 強く言ってくれた。


「……っ…ち  クッソ!」

先生は 詰まらなそうな顔をする。


「先生 、リノ先生を困らせないでよ! 私の大事な主治医なんだから 
他で検査とか  絶対やだから!  此処で リノ先生と、お土産待ってるから ケアンズへは一人で行って」

私は ニッコリ微笑んだ。


“ コアラ’がさぁ カワイイのになぁ~”
先生は 、ボソボソと呟く。


(  動物園に行けば いいのっ )

「じゃ 黒崎… そうゆう事だから 、今後も私の患者の治療を邪魔しないでよっ」



笠原先生は 病室を出ていった。






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