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ケアンズへ5‥香川タカシの場合
しおりを挟むその日、夕方から私は輸血後 の発熱が始まっていた。
黒崎先生はというと、 私の病室でケアンズの講演の為の原稿を仕上げていた。
ケアンズのコンベンションセンターで来週金曜日に講演が行われる。
38度ちょっとの熱程度では、辛くはなかったけど、なかなか眠れない。先生は、私が熱で寝られないのを見越して病室で仕事しながら私に話しかけてくれる。
「ミチル…おいっ、ほら、何とか言った学生えーっと…」
「えっ、誰よ?」 私は近眼用の眼鏡を額に上げて、六法全書から先生に視線を移した。
「正月に来た お前に惚れてる…K大の 」
「香川君?…“ 惚れてる “ は余計だよっ!」 私は膨れる。
「そう!そいつ!明日さぁ、原稿の英訳と校正手伝ってくれないかな?」
「はぁーっ‼︎ 英訳できないのに講演する気ぃ~? しんじらんない~」 私は先生を冷やかした。
「うっせぇっ! いま英文で原稿を仕上げてるだろっ…良く見てみろっ お前が得意なら 英文がヤバくないか確認頼んでんだよ…なんせ現役だからなっ!…ところがだ! 役立たずときてるだろ~」
( ったくぅ…それが人にものを頼む態度かしらっ )
先生は真剣にパソコンとにらめっこしている。
「 仕方ないわ!私が見てあげる… 私だって本気だしたら それくらいへっちゃらなんだからっ かしてっ!」
先生はニヤニヤしながらパソコンを私の膝に載せた。
「…??? ……う…ぅ…ぁ…ムリ…」
私は小さく万歳する。つまりお手上げのゼスチャア。
「…あぁ…寒…」 先生は天井を見上げた。
「 あー もしもしぃ…」
さっそく香川君に助けを求めた。
香川君は面白そうだと食いついてきた。 その夜は、明日来てくれる香川君の為? 先生は徹夜で講演の原稿を英文で仕上げてしまった。
正月気分も 今日で終わりとばかり、お昼のテレビ番組は、賑わう街中の様子を中継している。 この年は仕事始めが4日の金曜日とあって、5日 6日の土曜、日曜は正月休みと変わらない。
先生は朝から救命センターの外来で診察を手伝っていた。
年末年始もなく働いていた センターの職員は各診療科の医師の協力で、休みがやっと取れた状態だった。
「次の方 入って下さい」
センターの看護師が高齢の夫婦を診察室に案内する。
「どうされました?」
一畳半ほどの狭い診察室…
黒崎先生は 胸に白抜きで 救命センターの文字が刺繍された濃紺のスクラブを着込み、この日だけは一人で何人もの急患の患者を診察していた。 患者の訴えに謙虚に耳を傾け、
「少し 検査しても いいですか?」 丁寧に応対する。
患者の了解を取ると看護師を呼ぶ。
「検査室へ 行きましょう…」看護師の誘導で患者が診察室を出たあと、「次の方 〇〇さん」黒崎先生自身が普段は絶対にしない患者の姓名を呼ぶ。 休日のセンターは、途切れる事なく急患が押しかけてくる。 お昼が過ぎる頃にやっと交代の先生が来た。
「黒崎先生 お疲れ様でした…」
若い医師が挨拶をする。
「お疲れ…」 先生は首にかけた聴診器を置くと 、センターを後にした。
( まるで 野戦病院だな…検査できるだけマシか…)
先生はその足で一階のカフェに立ち寄る。
今日が仏滅でもあるのか、見舞い客も疎らで閑散としていた。 軽い昼食を摂ろうとすると 目の前をライダースーツの 長身の男が通り過ぎた。
「おいっ! そこの背の高い兄ちゃん…」
先生は 咄嗟に男を呼び止める。
呼び止めた張本人は、香川君の名前を覚えていない。
入院患者と見舞い客が僅かに行き交う休日の大学病院。
院内カフェのテーブルで ブリトーにカブりついているスクラブ姿の医師が手招きする。
「先生…」 香川君が 近づいてくると
「よっ…! まあ 座れっ 」
黒崎先生は旺盛にブリトーを平らげ、程よく冷めたコーヒーで胃に流し込むと、親しげに、
「っで…… 名前なんだっ…け?」
恥ずかしげも無く香川君にとぼけた質問をする。
「香川です…」
「おっ …香川 !かがわ…?」 先生は残りのコーヒーを飲み干す。
「香川タカシです… 先生… 覚えて下さい 」
香川君はしかつめらしく答える。
「わりぃ 、わりぃ…お前さ、腹減ってないか? なんか食えっ! 俺もまだ足りねぇからさ…」
( …っ―! 名前聞いておいて お前って…聞く意味ないよ…)
香川君は 先生の大雑把さに呆れる。
「好きなの 選べよ…」 先生は またブリトーとブラックコーヒーをオーダーし、香川君は ラテとマフィンを選ぶ。
「女、子供の好きそうなの 選ぶんだぁ…」
遠慮もなく失礼な事を言われ、
「ほっといて 下さいよ…マフィンかスコーンは、普通 ですよ…」 ムッとする香川君。
「そうか~ さすがっ イギリス仕込みの帰国子女だな…イギリスに長く住んでたのか?」
先生には私から 香川君の生い立ちを話していた。
「いえ…ナイロビに五年ほどいました、その前はベルリン 生まれはシンガポールです」
先生は 目の前の青年の話しに好奇心を向けた。
「ナイロビかっ…植民地時代の名残りで金持ち階級のマナーは イギリス並みだな…」
ケニアの上流階級は今だにイギリス植民地時代の古い生活様式が守られている。先生は、さも大袈裟に納得して見せた。
香川君は 厭味な先生の言動にも動じる事なくマフィンをフォークで完璧に切り分け口に運ぶ。
先生は、香川君の器を確かめつづけ、
「急に呼びだして悪かったな… 国試前なのによ…」
意地悪くニヤニヤ笑う。
「いえ…試験より、先生の生原稿を見せて貰える方が ずっと今後の為になります…」
香川君は屈託ない笑顔を先生に向け、その爽やかさに先生も気恥ずかしくなる。未だ嘗てない程の好青年と認めざるおえない。
(……今どき 珍しく好青年ぶりやがるっ)
“ がっ しかし― ” 先生はコーヒーを飲みながら…思案する。
( ミチルの奴…こいつに 告白されてよく持ちこたえたなぁ― )
“ クックック …” 先生は私を思い出して喜色満面で笑う。
香川君は先生の様子を観察しながら、
( この人…めちゃくちゃオーラあってかっこいいかと、思えば―ただのオヤジじゃん? なんだか しっくりしない…)
二人はお互いに腹の探り合いをする。
「喰ったら とりあえず着替えて医局に寄るか…」先生が話し出す。
先生と香川君は、1階から一般立入禁止区域に移動すると、休日明けの 当直勤務の医師や看護師 、コメデカルの職員とすれ違う。
消化器外科次期教授筆頭候補の威光には迫力があった。
先生定番のスタイル。リュックを肩かけにして 廊下を歩けば、ほぼ100%の職員が頭を下げるか 挨拶する。前方から目を引くほど綺麗な白衣姿の 女性が近づいてきた。
「先生、明けましておめでとうございます 4月から先生のゼミ取らせて頂きます 」
首に職員証明をかけた大学院生と思われる女医。
先生は 興味無しと言わんばかりに 一瞥して「頑張って…」と、気のない返事を返すだけ。 香川君はすれ違い様に先生を羨望の眼差しで見送る女医さんに目を奪われる。
「 なかなか美人だったなぁ…お色気で単位やっちまう奴も多いからなぁ~」先生の独り言に、
「 黒崎先生は、其方の方ですか?」 香川君が 何気に聞いてみると
、
「 そうだなぁ~…寝て締まり良かったら 単位やってもいいかな~~」
( マジで言ってるのか⁈ このオヤジ…)
「黒崎先生! おめでとう…またぁ ガタイのデカイ…学生か?」
白衣姿の小太りの医師が背後から声をかけてきた。
「学部長…‼︎ 」 先生は、歩みを止め新年の挨拶をする。
「いやぁ…君をアメリカから呼び寄せて、大正解だったよ! 君が向こうで貰っていたギャラには度肝を抜かれたが … あははは …よく、安月給のウチに戻ってくれたもんだ! 年末にUSAの特許も取ったらしいな! 4月の教授選、押すからね…」
黒崎先生は 背の低い学部長の耳元に屈み込み、
「私の事より…先生の総長選 是非頑張って下さい」と、囁く。
黒崎先生のわざとらしい世辞にも
「おおっ‼︎ そこを考えてくれて…いたか! 有り難いよっ 黒崎先生」
学部長は人気ドクターを自分の派閥に取り込む事が何よりも時期 総長選挙の得票に繋がると目論んでいた。隣り合わせた香川君にまで
「君も黒崎先生に習って、しっかり勉強したまえよ…ふぁはっはっはっはぁ~」
黒崎先生を持ち上げる。
( ふん…狸オヤジがっ )先生が呟く。
それからも何人かに声をかけられ、その度に時間を取られ、やっと非常口の扉から階段スペースに入った。
「やれやれ、どいつもこいつも 胡散くせぇ 奴等だぜ 」
先生は吐き捨てるように言う。
階段を使い2階の廊下に出てからも180㎝を越えた 綺麗な男二人が廊下を前後して移動する姿は目立つ。すれ違う職員は皆、一様に二人の姿に視線を向けた。
「ちょっと俺の部屋よるから…」
2階フロアの管理職だけのプライベートスペースへ進む。 香川君は 先生のペースが今ひとつ掴めないでいた。
IDカードで部屋に入ると、
「俺のだが どれでもいいから着替えろ」
先生は滅菌済みの白衣、 スクラブ、 ケーシーを出す。
自分も救命のスクラブを脱ぎ裸になったかと 思うと 、ブリーフを履きチノパンと、オーダーメイドの仕立ての良いブルーグレーのシャツに着替えた。
「あいつの病室は、出入りが面倒だから…俺の仕事を手伝っている間は医者のふりをしておけよ !」
( 医者のふり? 何考えてんだ この人…は!)
香川君は ケーシーの上下を選んだ。 普段も大学ではケーシーを愛用している。
先生は、冷蔵庫から水を二本取り出し香川君にも渡すと、デスクトップのパソコンから 主要メールを見る。
香川君は ライダースーツを脱ぎ 引き締まった体を表にする。
ボクサーパンツは 香川君の下半身の 腹筋の割れから下腹部、 股間の一物の位置や サイズにいたるまで一目でわかるほどフィットしている。先生は ちらっと視線を香川君の股間に移し
「お前 その姿エロすぎだろ…」 真顔で言う冗談に、香川君は笑う事もできない。
「……」
( はちゃめちゃ オヤジ―)
香川君の方が僅かに身長が高い。しかし、体格は先生の方が大きくケーシーは 香川君に取っては少し短くだぶついている。
(…気に入らないけど、綾野さんに会える…)
先生は、ケーシーに着替えた香川君を従えて医局に向かう。職員専用エレベーターで18階に降り立ち、そのまま二人で医局に入った。
休日出勤の若い医局員が いきなり入室してきた准教授に驚く。
「おいっ 、どこかに職員用のIDなかったか? 」
二人の若い医師は バタバタと、医局内を探し回る。
一人が、
「せっ、 先生ぇ ありましたっ」と 、黒崎先生に手渡した。
「おっ サンキュー! 」
職員用IDを香川君に手渡すと、
「これさえあれば、 お前の出入りは自由自在だからな」
( ‘お前…’! 名前はこの人にとっては必要のない物…か)
香川君は笑いを堪えた。
8階東 血液内科病棟へ向かう。職員用エレベーターが中々18階まで戻って来ない間に 院内放送が緊急ヘリの到着を告げる。
「っちっ…ちょっと 待ってろ」
香川君に言うや 医局に戻って行く。
「おい誰かっ 院内携帯よこせ!」
再び戻って来た 黒崎先生に 二人の医局員はビビる 。医局員が、黙って携帯を手渡すと「わりぃ 借りとくっ」
先生は 携帯で救命と話しながら 香川君の待つエレベーターホールに戻った。エレベーターが 丁度 到着すと、
「 おっ 三浦か? ほう―、うん…そうかっ、わかった ! ‘ヤバ’く
なったらミチルの所にいるから 呼び出せよっ フン………まあ頑張れよっ ドジったら承知しねぇから」
香川君は 急に厳しい黒崎先生の対応ぶりを見た。内容は皆目見当もつかない。
8階東病棟の入口扉の前で インターフォン越しに身分を伝えると、カチッと施錠が解除され 中間の除菌スペースで 履きもの 手持ちの荷物を預け マスク、 ガウン、 キャップを着用させられる。先生のIDで次の扉も開く。廊下の突き当たりを 右に曲がると特別室の木目調の扉が目に留まる。先生が先に入り 後から香川君がついて入った。
真正面の窓から副都心が一望でき、そこには3人掛けのソファーとテーブルを挟んで 一人掛けカウチがある。 入口左側はミニキッチン シャワールームとトイレが設置されている。L字型の部屋の奥にあるベッドのサイドレールの先端が見えている。
〝 ドックン…〟香川君は 少し動揺する。
三日前までは 元気そうな様子で 家の中を動き回っていた…その時も 病気を患ってはいたが…彼女は微塵も弱さを見せなかった…。
「おい えっと― “タカシ君 ”が 来たぞ…」黒崎先生は、窮屈そうに私に伝える。
(…はあっ…⁇ )
「誰ぇ“ タカシ君 ”って ?」私は吹いてしまう。
(----彼女の声 元気そうだ…)
香川君は部屋の入口から私の視界に入って来た。
「綾野さん …」
「かがわくん!…」
( 香川君の ケーシー姿 素敵…)
「香川君 良く 似合ってるね」 私はリモコンで ベッドを起こして 両手を広げる。香川君は躊躇する事なく 私とハグする。
先生は ニヤつきながら パソコンを立ち上げる。
「 タカシ君 だって…さ 笑っちゃうよね…」
私は パソコンとにらめっこしている先生の事を香川君に視線で合図する。 香川君は バツが悪そうに 苦笑いする。
ブルルッブルッ と先生の院内携帯が着信を伝える。
「はい、…ん 、わかった!」 先生はドサッと立ち上がった。
「救急?」私は 先生の方を見る。
「ああ… “ハルヒ君 ” オペ場遭難信号点滅だ …え~っと………」
先生の視線が泳ぎ頭を掻く。
「香川君! でしょっ 」私が念押しする。
「おっ、そう香川くん!原稿まかせたよ 」
「先生っ …」私は呼び止めた。
先生が振り返る。先生に向けて両手を広げる。
「た…っくぅ…」 先生は面倒くさそうに私を抱きしめるが、その腕には力が篭っている。
〝 ギュッ 〟「頑張ってね」耳元で囁く。
( っ… ……あっ…う~ん )
先生は、香川君が居るのもお構いなしに 私の唇を奪う。
(…あっはぁ…)唇を離すと、私の頬を、両手で挟み込み
「いい子で 待ってろよっ」 おでこを くっつけ頭にキスしたかと思うと 、
~ブルルッ ブル 催促の着信…
私の頭をくしゃくしゃして、先生は 部屋を忙しなく出ていってしまった。
香川君は壁にもたれ、腕組みしながら長い脚を交差させている。俯き加減に額に指を這わせ、上目遣いに一部始終を見ていた。 そして、壁の花に徹する。
( そんな目でオヤジをみるなよ… 君を見ていると切ない― ヤバ…君から視線を逸らす事ができない、…ムリ……アア 好き‥だ…)
私は香川君の視線に気づかず、先生の出て行った入口を見つめていた。
…………
香川君は先生が出て行った後のパソコンを覗く。モニターの1ページ目の原文をざっと読む。
「香川君 良くも そんなの直せるね 考えらんない…」
私はサクサク手直しする香川君に感心する。
「慣れだよ 綾野さんが読んでる六法全書…僕が読んでもさっぱり…日本語って 回りくどい!」
「ええっ そうなの?」
香川君から回りくどいってフレーズは意外…。
「クスッ…慣れねぇ~」笑っちゃう。
( 君には笑顔が似合う…僕はまだ 君を笑顔にしてあげられないけど… 君が笑うなら 僕は、何だってしてあげる )
香川君はこの時、こんなにも私の事思ってくれていた。
それにしても、タイピングする指先がピアノを弾くように滑らかで静か、
「綾野さん 入りますよ」
マスクをした看護師がワゴンに点滴のバッグを二本載せて入ってきた。
「あらっ 先生?」ケーシー姿の香川君を見る。
「あっ え…」私が口ごもると 、
「黒崎先生のクラークです」香川君はニッコリと看護師に会釈する。
看護師は香川君の魅力的な笑顔に固まる。
( 香川君、君も先生と同じ人種、二人ともその容姿ですごく得しているのよ…)
看護師は俯き輸液をセットする。右腕は輸血用のラインが確保されているから 穿刺しなくていい。腕には 穿刺の内出血が 紫班として所々残っている。 自分でも 情けない。
( 汚い腕…)
少し、二人が 綺麗で恨めしかった。
何ページか講演の原文を直したものを読ませて貰う。私の膝にノートパソコンを置いた 香川君はベッドの端に腰を下ろす。二人で液晶画面を覗く。 医療用語は難しい… 術式の手順や、使用する道具、薬剤の種類、治療のタイミング…など など 、素人にはわからない。
単語の羅列と想像すらできない行程。 私が手伝えるのは、せいぜい日本語の文法に沿った校正ぐらい。香川君は原文を校正し単語のスペルも完璧に直した。
( 慣れとは言え…相当勉強している )
先生はこれを通訳無しの英語で講演する。香川君がネイティブな英語で声を出して読み上げてくれる。彼は、思いたったように 私の膝の上で、キーを打ち出す。
( ドキッ ! 近いよ…香川君…)
私に 被さるように画面を見る。 香川君の息遣いが耳元を刺激する。
〝 ドキドキ…〟鼓動が高鳴る。
「綾野さん これでどうかな? 先生読みやすくなったと思うけど …」
私は 斜め上の香川君を見上げる。
〝近っ…〟
香川君も、私に視線を落とし 彼の顔が私の顔に、最接近する…
「 あ!…」
彼の手が 私の頬を捕らえ 耳に唇が触れる。 魔法にかけられたように身動きができず、心臓が飛び出しそうなほど 鼓動が激しくなる。
「キスしていい?」 香川君の甘い囁き…
「 だ め‥」‥‥‥!‥私の拒否は、香川君の唇で塞がれる。
しっとり吸い付くような 木目の細かい唇の感触が私の脳を麻痺させる。 何度も角度を変えながら私の息が上がるのを待つ香川君。私の鼻腔に若々しさを感じさせる生暖かい体臭がスーと入ってきた。
( 違う…ちがう…)
固く唇を閉ざしていたが、体が勝手に反応し、甘い快感と酸素不足からわずかな隙間ができる。すかさず彼の舌が優しく侵入を計ってくる。カーッと、顔が火照る。クラクラしそうになる。
“う…ぅ…ん” 無意識に 香川君の体を強く突き放した。
「い‥や… …ハア ハア ハア…」息が上がる。
「ゴメン…」
首を横に振るのが精一杯な私は、香川君から顔を背ける。
二人の間の沈黙が苦しい。
「ずっと― 多分…君の事 忘れられない 」
ノートパソコンを私の膝から取りあげ テーブルに移動する香川君。
「だから…君に 何かあったら…この気持ちを引きずって 生きていかないといけなくなる…それだけは、勘弁してほしい…んだ」
「香川君ゴメン」
「君が謝る事じゃないよ…」 香川君が柔らかく微笑む。
「あっ!笑ってる」
私は、少しホッとした。 拒んだ事で 、彼を深く傷つけているはずだから…
「死なない…よぉ! だってさ、まだまだしたいことが、山ほどあるんだからっ それにね…ぇ…狂暴な先生と、二度も振った君の幸せを―――見届けないとねっ、死ねないよ 」
「綾野さん…もう一回 抱きしめていい?」 香川君が私に近づく。
「エッ、ダメ ダメ !…」首を横に振りながら、
「ハグなら許してあげる」 私の方から、香川君を抱きしめ
「大好きだよ… どっちが早く夢を叶えるか、競争だから…ね」
抱きしめた香川君の耳元で囁いた。
「君には必ず生きてて貰う 君の幸せが僕の次へのステップだから多分 競争は僕の勝ちだと思うけど…」
ハグを解くと、私の肩に両手を乗せて私を見つめる香川君。
濃い茶色の瞳が美しい。
「これからも ハグは、許して欲しいな…親愛の明かしだからさ」
私はわざと
「 う~~ん」と焦らしてから、「まっ 、仕方ないからハグなら 許可します」
じゃ …と、また 香川君は私を抱きしめる。
彼は2月の医師国家試験に難無く合格した。
応援ありがとうございます!
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