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帰国 アクシデントの余波
しおりを挟む先生は機内食も摂らずぐっすり眠っている。
今から数時間前…
私がホテルの寝室で目覚めた時、あれだけハードな仕事を こなした後とは、思えない精悍な姿で着替え始めていた。レモンイエローの細いストライプシャツにネクタイを通している。
髭も綺麗に剃りいつもながら、丁寧に撫で付けられたオ―ルバックの
黒い髪…。 薄目を開けて格好いい旦那様に見とれた。
「おいっ…、起きてるなら黙って見てないで手伝えよっ」
「え~知ってたぁ…ど―れっと」
私はベッドからゆっくりと起き上がり その場に座る。
「年寄りかっ」
先生は横目で睨み厭味を言う。
(自分だって鏡の前でネクタイ一本結べないくせに…よく言うよ。)
ゆっくり立ち上がり、先生の正面に向かうと マルーンのネクタイを結ぶのを手伝う。 珍しく学生が就活で使いそうな色のチョイス。
「 案外 ぶきっちょだよねぇ…」
笑ってやる。
先生は災害ボランティアで 朝まで協力したドクター達と昼食会に行くと言う。
「ぼちぼち起きて 荷物まとめとけよ~」
シャツとネクタイのコントラストが若々しい…
「行ってらっしゃい」
“ あなた ”…の言葉を飲み込んだ。 素敵なスーツ姿を見送りながら
先生と家庭を持てたら…妄想が膨らむ。
( 先生の子供が 欲しい…)
“ 先生と子供と私、三人でもう一度オーストラリアを旅したい…”
この時は 無茶な夢にも望みが持てる気がしていた。
昨日の夜の大惨事…
( 命なんて…はかない )
明日はどうなるかわからない…………………
♪ “間もなく到着”
機内アナウンスが流れてきた。
「先生っ、先生ぇ!シートベルトだよ」
お腹を叩いて起こすと、
「おっ…わかったっ」
〝 グガ―――ッ 〟 大きな背伸びをすると、
「早えなぁ―」
着陸に備える。
窓のブラインドを上げると 見慣れた夜景がひろがってきた。
日本に帰ってきた。
( ただいま………)
国際線到着ロビー
ゼミの院生が 迎えに来てくれていた。
「おい、寒いからコート着ろっ」
先生に手渡されたコートを羽織る。
(こういう気配りは非の打ち所が無い紳士なのに…、究極自己中ぶりが…残念だよ…先生)
「先生 家に帰れるの…?」
「なあ…そうしたいところだが、お前は外泊扱いだから病室へ直行だな」
先生は顔色変えず院生に荷物の取扱いの指図をしている。
医局やゼミの学生への土産が大層な荷物になっていた。 迎えのタクシーに二人で乗込むとT大学附属病院に向かう。
渡航スタッフとはケアンズ空港で解散していた。
( 香川君も今頃は、家路に向かっている頃…)
病室に戻ったのは、午後9時を過ぎていた。
「さすがに 時差無しでもきついなぁ…」
先生はソファーに躯を落とすと手足を目一杯伸ばした。私はパジャマに着替えながら、
「お医者さんって、思っていた以上に重労働なんだね~」
先生を労うつもりで言ったのに
「ったくぅ、おまえから聞いても実感わかねぇなぁ…」
「なんでよっ、本当にそう思ってますっ! 」
「じゃあ…本心確かめてやろうか?大事な亭主を癒せるか…へへへ」
意地悪な事を言って楽しんでいる。そこへ 突然病室の扉が開く。
「お帰りっ! 」
笠原リノ先生が入って来た。
「綾野さん、帰国早々で悪いんだけどぉ、明日から検査続くんだぁ よろしくっね」
「はい…」
(早速…厳しい現実だ)
「おまえさぁっ ノックぐらいしろっ バカッ」
先生は、ソファーの肘かけを枕に脚を投げ出しリノ先生を睨む。
「黒崎ぃ…宗方先生が、話しがあるって今夜きつい…?」
リノ先生も、さすがに申し訳なさそうに言う。
(本当の用事は…先生か~)
「…いや 今から家で調べたい事もあったんだ…ウチに来るか?」
(えっ!帰っちゃうの? )
「黒崎がいいなら、外の小料理屋で待ってる先生に連絡するけど…」
「じゃ ウチへ二人で来いよ…何なら泊まっていけっ」
「…わかった了解」
私を素通りして 話しがまとまってしまう。 先生は、ソファーから半身を起こすと、
「明日の朝、寄るから今夜は、ゆっくり寝ろよ」
(素っ気なくない? 私を ぼっち にして 行っちゃうんだ…)
先生は 何時ものように私の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「…」
( 放置するんだ…)
「なんだっ そんな顔するなよ…リノ先に 行ってくれ! 俺は、家へ帰って待ってるから」
「じゃ、綾野さん ゆっくり休んで!」
笠原先生が出ていった。
(淋しいじゃん…)
「…」
先生に優しく抱きしめられても…夜、たった一人でいる淋しさは埋まらない。 結婚して、 赤ちゃん産んで 明るい家庭を作りたい…。
(先生には、絶対 言えない夢…)
結婚しても赤ちゃんを産めないなら、家族を持つ意味がない。生理も薬で調整しないと血が止まらない。 毎月 不安と恐怖が付き纏う。それだって、何時まで生理があるかもわからない。 命にかかわるから強制終了だってあり得る。
( 先生と私の赤ちゃんが欲しい…)
幸福と恐怖が頭の中をかけ巡る。
「何 考えてる?」
「…」
「明日朝 一番に来るから…」
「…」
「黙ってないで、何か 言えよ…」
「眠い…」
先生から顔を背ける。 背ける事を許してくれない先生は、私の顔を強引に自分の方に向けて、鋭く私の瞳の奥の本心を探ろうとする。
「やめてっ!さっさと帰ってっ」
…………
先生はあっさりと私から離れた。
「…そうか… とにかく、朝までおとなしく寝てろっ」
「…」
おざなりのキスを.額に落として部屋を出ていってしまった…。
( 何もわかって ない…)
「 鈍感… 」
朝7:30に看護士が各病室を巡回し 忙しい病棟の一日が始まる。
先生は、約束通り 朝一番 、病棟のカンファレンスが始まる前、やっと私の所に 帰ってきた。淋しい、逢いたかったと、本心を吐き出せなかった。
「おはよう…」
いきなり抱き寄せ私のパジャマの胸にざらつく頬を擦り付ける。
「…まだ拗ねてンのか?」
「別に…」
冷たい言葉の代わりに 太い首に腕を回して黒い髪に顔を埋め先生の匂いを胸一杯嗅ぐ。
…ふううん
「…」
先生は頭をあげて 私に顔を近付けると、私の瞳を確かめてから 唇を塞ぎ薄く開いた隙間へ息を送ってきた。
〝 すぅ――っ 〟
唾液が湧く…私から舌の侵入を試してみる。先生の大きな手の平で頭を包み込まれキスの角度を変えながら 私の拙い舌技は、呆気なく先生に絡め捕られてしまった。 下半身の奥がトク トク トクと疼き始める。
「…せんせい ダメェ」
先生の胸を押しのけた。
「 ハァハァ…」息が上がる。
「したく…なっちゃうよ」
顔が真っ赤になるのがわかる。ギュッと、先生が私を抱きしめ
「俺もだ…今すぐしたいっ」
突然 勢いよく病室の扉が開いた。
「おはようございますぅっ」
「…オット」
先生は素早く、私から飛びのき 窓側へ向く。
「あっ…黒崎先生ーぇっ!」
看護師の表情が わずかに華やぐ。
「んっ…なっ、何だっ 採血だよな…宜しく頼む…よ …」
先生は私の頭をポンポンと軽く叩と
「じゃあな ミチル 」
と、言って病室を出て行ってしまった。 私は左腕を看護士に預けながら、まだ下腹部の奥の疼きが続いていた。
「綾野さんっ、黒崎先生また凄い事して帰国されましたねっ、本当 凄い先生です!」
「…」
看護師さんの言っている意味が 理解できず、
「なっ、何かぁしましたかねぇ…?あの人ぉ」
「昨日のケアンズの大惨事ですよっ、日本でも朝から特番してますよっ‼︎ 」
「失礼しますね…」
看護師は、一応ことわりを私から得て、病室のテレビをつけてくれた。 昨日のケアンズの事故の事が、大きく取り上げられている。
私達の泊まったホテルの前で、リポーターが昨日の惨事を詳しく説明している。
観光バスと路線バスの正面衝突と報道している………。
(ありえない…) 私は日本のテレビで昨日事故原因を知った。
「うわぁっ!せっ、先生ぇ! 」
でかでかと、テレビに顔写真が映る。 今から数年前のアメリカから帰国したばかりの先生
「しかしっ、黒崎先生ステキですよねぇ~ むちゃくちゃイケメンですもんっ!」
私は自分の事のように、恥ずかしかった。
「あっ、すみません バイタル安定してますよ♪ 」
看護師は、しまったとばかりに病室を出て行った。
特番のMCが、《一昨日 夕刻、ケアンズ市内で乗客を乗せたバス二台の正面衝突による100人以上の負傷者を出した事故で、ケアンズ市内のホテルで学会講演の為逗留していたT大………………以下敬称略
その迅速で、的確な判断と 応急処置が多くの人命を 救う結果となり
日本の高度な 救命医療を世界中に示す結果となりました。
なお、本日午後2時より T大学病院内で、共同記者会見があります。当番組も、会見始まり次第 ライブ中継を予定しております》
〝… ゴックン…〟
( どうしようっ!ドキドキ…)
( 先生テレビにでちゃうの?やだぁ~)
〝 ガラガラ――ッ〟
病室の扉が開く。
「綾野さん、検査に行きましょうか…朝からは…」
「大丈夫です 食べていません」
その日午前中は、レントゲンに始まり 昼までいろいろな検査で病院内を回った。 正午を過ぎて、最後に血液内科の外来で宗方先生の診察の呼び出しを待っていた。 呼ばれるまで外来待合の椅子に座りテレビを見る。 昨日の事故、回りの患者も見入っている。 各界のコメンテーターがこの病院の優秀さを褒め 讃え、時々 先生の経歴が誇張されて報道されている。
( これから 先生大変かも…一躍時の人になってしまった…)
救急車のサイレンの音が聞こえる。この外来が救命センターに近いから……か。
〝 ポンッ〟
「 痛っ!」
頭をぽんと叩かれる。
「ボーっと、してんじゃねぇぞっ…!」
「せっ、先生っ!こっ、ここで何してるのぉっ」
先生は濃緑のスクラブに白衣を引っ掛けた姿でちらっと振り返り、
「仕事だ」
慇懃な変わらぬ笑みを浮かべ 足早に救命センターへ向かって行った。背を向けたまま手だけ私に振って……。先生の後ろ姿を見送る…………。
“ …!まさか、今から…手術っ! 記者会見はどうするのよ?ただじゃ 済まない…”
「綾野ミチルさん 二診へどうぞっ」
私は、先生の事が急に心配になりだした。ドック、 ドック 、と不安感に心拍も上がってくる…。
「おや…? 綾野さん。何か心配事でもあるの?」
“…えっ”
「あっ 、先生っ…すみません」
私は 黒崎先生の事が心配で、診察室に入った事すら上の空だった。宗方先生の声で正気に戻った。
「大丈夫ですか?」
「あっ 、はい…だっ、大丈夫です」
「昨日は 向こうで大変でしたね……」
「あ…、はい」
何と答えていいものか…実際、私は何もしていない。
「夕べは 早々に旦那さんを借りて、悪かったね……
黒ちゃん、あなたの機嫌が悪いって、相当 気にしてました よ…」
「……」
「午後から会見ですか…」
「出ないつもりですっ! 多分…」
( 息が苦しい……)
「どうしたのっ⁉︎ 黒ちゃん、何やらかすつもり?」
……………………………………………………
私はケアンズでの出来事や、診察室に呼ばれる寸前、先生が救命センターに急ぎ足で向かった事を話した。
「ははぁ…ん !黒ちゃんらしいな~ぁ、大丈夫でしょうっ、心配いらないと思いますよ…」
「えっ 」
「多分…ね 、彼が出れば、会見ぶち壊しかねないなぁ…ふふ」
「…?」
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