官能小説家であることは絶対に隠したい大学生――好きな子にだけは純文学作家として胸を張って見せたい僕の、胸キュンと秘密だらけの毎日

すくらった

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1. 僕は文学で生きていくんだ

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 ネット小説で大人気を誇る、話題の官能小説「えろりーにょ」。
その作者、百ノ木ハチト(ひゃくのき はちと)は、投稿した途端に増えていくPVとコメントを眺めながら、頭を抱えていた。

--うっひょー。最新作きた!
--今回も女体の描写が濃厚でたまらん
--俺、パンツ脱いで待機してたわ

それらの『絶賛』コメントを眺めながら、ハチト先生は大きなため息をつく。

「違うんだ……僕はこんなので売れたいんじゃないんだ……」

--

 百ノ木ハチト、本名は鈴懸正人(すずかけまさと)。大学二年生。友人からは「人畜無害」と言われる、平凡な男だ。

 でも僕には誰にも言えない特技があった。女性というか女体を見ると、脳内に『ものすごい情報量の、ものすごい内容』が『文章として』浮かぶのだ──ただし、これは僕にとっては制御不能の『妄想の暴走』でしかない。

「正人くーん!」

 後ろから走って声をかけてきたのは、クラスメイトであり文学サークルの仲間でもある堂本聖奈ちゃん。

 彼女を見ると、いつも胸が少しだけ高鳴る。いっておくが性欲ではない。尊敬と親しみ、純粋な好意だ。
 その表情や声の柔らかさ、学問に向かう真剣な眼差し、すべてが僕にとってかけがえのない存在だった。

「午後の『行動経済学2』受けるんでしょ?私も。一緒に行こう!」

「う、うん……」

 歩きながら、僕らは最近書いた短編や詩、そして文学論について話す。

「……やっぱりラスコーリニコフが金貸しのおばあさんを殺して、『なぜか』様々な偶然が重なってアパートからの脱出に成功するというのは、筋としてちょっと強引じゃないかしら」
「でもさ、最後に彼はソーニャに出会って、『跪いて、あなたが汚した大地にキスをなさい』って言葉でなんというか、救われるわけじゃない?彼は罪を犯した瞬間に救われることまでつながっているわけで……」
「面白いけど、『筋が強引』という主張を覆すには至らないわ。やっぱり他の方法があったんじゃない?」
 ああ、やっぱり楽しい。僕は芥川賞を取って、純文学作家として名を成したい。

 僕らが所属する文学サークルでは、お互いに作品を見せ合い、批評し合う。
 彼女の文章は、読んでいるだけで心が温かくなる力を持っている。
 僕は密かに、「いつかこんな素敵な人と、ともに純文学作家としてデビューできたら」と思ったりもするのだった。そして、小説同士付き合ってゆくゆくは結婚して夫婦の……

「正人くん、どうしたの?顔が赤いよ」
「え、いや、なんでもない……」

 慌てて僕はポケットから白い錠剤、「エロクナクナール」を取り出す。
 噛み砕くと、脳内の妄想がすっと消えていった。
 もちろん本当はただのラムネ。これで何とか、理性を保っているのだ。

「ラムネ!正人くん好きだねそれ。一粒ちょうだい」
 聖奈ちゃんの無垢な笑顔が眩しい。

 と、歩いている途中、聖奈ちゃんが突然ぴたりと足を止めた。

「ど、どうしたの、聖奈ちゃん?」

 視線の先には小さな本屋の店先。肌色の多い漫画や小説が並んでいる。聖奈ちゃんの顔が一瞬で変わった。

「汚らわしい」

まるで別人のような声でそう吐き捨てる。

「あんな汚らわしい本屋、早くつぶれたらいいのに……!」

僕の最新作がコミカライズされて並ぶその雑誌を、彼女はにらみつけている。

「そ、そうだね……アハハ」

胸がきゅっとなる。
僕は大学生、鈴懸正人。そして官能小説家、百ノ木八人。
絶対に、聖奈ちゃんには、聖奈ちゃんだけにはバレるわけにはいかない。

 僕は思わずため息をつく。
「いつか、聖奈ちゃんに胸を張って自分の文章を見せられる日が来ればいいのに……」
「ん?いつも読んでるよ?」
「えっ?ああ、そ、そっちか」
「そっちって?」
「いや、なんでも」
「変なの」
 屈託なく笑う聖奈ちゃん。

 聖奈ちゃん、僕は君が好きだ。そして絶対にアレを知られるわけにはいかないのだ。
 歩き続ける僕の胸の奥で、純粋な好意、そして決意が、今日も静かに溢れていた。

と、その時。
「先生」
リアルの僕にその名前で後ろから声をかけてきた不届き者がいた。怒りをこめて振り返ると、思った通り、そこには細身のキャリアウーマンがいた。タイトなパンツスーツに低めのヒール、長い髪が風になびいている。一般的には美人に分類されるだろう。
「せんせい?」と横にいた聖奈ちゃんが不思議そうに小首を傾げる。最悪だ。

「ああ、これはこれはお母さん」
 僕はびっくりするくらい不自然な声を出して、
 女に近づく。
「困るよ山口さん」
 僕は小声で注意して、聖奈ちゃんに聞かせるように大声で話す。
「そうですか、お子さんの成績が順調!もう、ここ来てまで伝えなくていいのにー!よっぽどうれしかったんですねー!」
「私に子供はおりませ」
「シャラップ」ビシッと言う。
「ああ、聖奈ちゃん、ちょっと家庭教師してるところのお母さんとお話があるから先に行ってて」
「うん、わかった」聖奈ちゃんが歩いてゆく。
 聖奈ちゃんの後ろ姿。眩しい太ももの上で揺れる瑞々しくもたっぷり詰まった禁断の果実を……ここまで考えて僕はラムネを食べた。

「家庭教師の仕事をしてるとは知りませんでした」
 山口さん。優秀なんだけどどこか抜けている。
 僕はため息をついた。
 
 彼女の名前は山口貴子。僕の作品が書籍化やコミカライズするときの、出版社側の窓口になる人だ。この人、よくこんなんで編集の仕事をこなせてるな、と思ったりもするけれど、彼女はよく聞き違ったり勘違いして理解し、それが連載作品の意外な展開や伏線のタネになるため、結構有能と見られているらしい。一周回って適材適所、なんだろうか。

 ま、それはともかく。
「そうだ、こんなところまで来て、なんかあった?」
「はい、今から大学まで行って先生にお会いするつもりだったんですが、実は……」

山口さんが一瞬言い淀む。

「先生の本名や顔写真が、部外者に知られた可能性があります」

「は?」

背中を冷たい風が、吹き抜けた。
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