もうあなた達を愛する気持ちはありません。

小野 まい

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第22話 静かなる激昂

「ママね、あのお兄ちゃんが来ると、とっても楽しそうなの。……でも、ぼくがお部屋に行こうとすると、鍵をかけちゃうんだ」

 
子供の無垢な証言が、鋭いナイフのように突き刺さる。


「ドアの向こうから、ママの笑い声が聞こえるの。……ぼくが『開けて』ってトントンしても、開けてくれないの。『うるさいわね、あっちに行ってなさい!』って怒られるの」

 
レオの瞳から、また大粒の涙がこぼれ落ちた。



「ぼく、いい子にしてるのに……。お勉強も頑張ってるのに……。ママは、あのお兄ちゃんの方が好きなのかなぁ……?」

「違うわ! そんなことない!」

 
私はたまらず声を上げた。そんな悲しいことを、四歳の子供に思わせてはいけない。


「レオはいい子よ。世界で一番、愛されるべきいい子よ。……悪いのはママよ。ママが間違っているの」

「……パパも、帰ってこないし」

「パパは……」

 
言葉に詰まる。



(義兄様は、姉を避けていた)


その結果として、息子との時間さえも犠牲にしていた。それは事実だ。だが、レオは続けた。


「でもね、パパは時々、ぼくが寝てる時に来てくれるの」

「え?」

「ぼく、知ってるんだ。夜中にこっそり来て、頭を撫でてくれるの。手が大きくて、温かいの。……でも、朝起きるといないんだ」

 
涙腺が崩壊しそうだった。イザベラという毒婦がいるこの家に長居できなかっただけで、義兄様は冷徹な仮面の下で、ずっとこの子を愛していたのだ。



「……そっか。パパはレオのこと、大好きよ。おばさまが保証するわ」

「ほんとう?」

「ええ、本当よ」

 
レオはようやく安心したように目を閉じ、やがて規則正しい寝息を立て始めた。
 
私は彼が完全に眠りに落ちるまで、その柔らかな髪を撫で続けた。

 

(――許さない)
 
 
昼間、学園で感じた怒りとは質が違う。もっと重く暗く、底知れない憎悪が腹の底で渦巻いていた。
 

(不貞? 裏切り? そんなものは勝手にすればいい)


けれど、この天使を泣かせた罪だけは万死に値する。

 
私は立ち上がった。レオの額にキスをし、音を立てずに部屋を出る。
 
そして、迷わず裏口へと向かった。目指す場所は王宮近くの別邸。この子の父親がいる場所だ。



深夜の執務室。クライド・アークライト公爵は、今日も書類の山と格闘していた。
 
私が部屋に入ると、彼は手を止めて顔を上げた。その表情には疲労の色が滲んでいたが、私の異様な雰囲気を感じ取ったのか、すぐに眼鏡を外して座っている姿勢を改め背筋を伸ばした。


「……どうした、アリーナ。今日は学園での成果を報告する予定だったはずだが、その顔はなんだ」

 
私は何も言わず、テーブルの上にブローチを置いた。
 
そして、再生の魔術を起動する。静寂な執務室に、幼い子供の震える声が響き渡った。

 

『ママ、あのお兄ちゃんが来ると、とっても楽しそうなの』
 
『鍵をかけちゃうんだ』
 
『うるさいわね、あっちに行ってなさい!って怒られるの』
 
『ぼく、いい子にしてるのに……ママは、あのお兄ちゃんの方が好きなのかなぁ……?』

 
レオの声が途切れると、部屋には再び重苦しい沈黙が落ちた。空気の密度が変わった気がした。温度が急激に下がっていく。

私はクライドの顔を見ることができなかった。俯いたまま、絞り出すように言った。



「……今日、私が帰宅した時、レオは暖房の消えた部屋で一人で震えていました。姉様は外出中で、使用人は部屋に近づくなと命令されていました」

 
クライドは動かなかった。息をする音さえ聞こえない。
 
まるで彫像のように固まっていた。ただ、デスクの上に置かれたその右手が、万年筆を握りしめているのが見えた。
 
 
ミシミシ……ッ。
 
 
微かな音がした。そして。

バキィッ!!

 

乾いた破砕音が、静寂を切り裂いた。高価な万年筆が、彼の握力によって無惨にへし折られていた。
 
黒いインクが彼の白く美しい指を伝い、書類の上にポタポタと落ちていく。それはまるで、どす黒い血のように見えた。

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